第93話 ムソウの過去―忘れられないもの―
トウガとアキラを躾けてから二日後、俺は朝から出かけていた。ちなみに、一人である。皆にはついてきて欲しくなかったし、ついてくるような用事でもないからな……。
俺は取りあえず、馬を借りて、村の中を歩いていく。村の奴らからは未だに、声をかけられ、色々貰っているが、今日は馬もあるし、準備は万端だ。くれるものは全て受け取るようにしていた。
そして、着いたのは、ツバキにかんざしを買ってやった、よろづ屋だ。一つ確かめたいことがある。
「あ、いらっしゃいませ! ザンキ様!」
「おう」
俺は店の主人と、奥さんに挨拶をして、この前頼んでおいた、俺の家の荷物について聞いてみた。すると、すでに搬出は済んでいる、と言って、俺を店の一角にある棚へと案内する。
そこには、俺の住んでいた家にあったものや、そうでないものも置かれていた。ああ、例の俺の偽物が使っていたものか? 武具などもある。手入れをしていなかったのか知らないが、どれもボロボロだがな。
そして、その中には、サヤが着ていた、あの豪華な着物もある。そういえば、あの偽物の妻って奴を殺して、ほったらかしだったからな。見ると、どこにも血などはついていないが、やはり、少々汚れは目立っていた。売れるのか? とはなはだ疑問だった。
事情を知っているよろづ屋の主人と奥さんが、どうするかと聞いてきたので、俺はその着物とかんざしを受け取ることにした。
俺は、家がもう空っぽであることを確認し、二人に礼を言って、店を出る。そして、馬に跨り、俺は、俺達が住んでいた、その家に向けて、馬を走らせた。
前から考えていたことだった……。今度から、玄李の国とも本格的に闘うことになったし、いい機会だと思った……。
今日、皆で過ごした家を、燃やす……。
俺はそう決心し、家へと向かった。元々あの家は領主であるタカナリ管理のものだったが、それを俺達に譲ってくれたものだ。だから、こないだの会議の後に、タカナリに確認した。タカナリが了承してくれたので、ひとまず、頼んでおいた荷物の運び出しが終わっているか確認し、俺は今、馬を走らせている、というわけだ。
……そして、しばらくして、川を越え、山道に入る。すると、木々の間から、俺達が住んでいた、大きな屋敷が見えてきた。
「ふう……着いたか。この前見た時も感じたが、改めて、大きいなと感じるな……」
俺は馬を門の前の木に止めた。そして、道具を持って、門の前に立つ。ふと、ここに初めて来たときのことを思い出した。
―広い……ね―
俺の隣で、サヤはそう呟いていた。どうしたものかと思っていると、後ろからエイシンの声が聞こえた。
そして、闘鬼神を抜けたから、お前らについてきたと言うエイシンに名前を与え、馬鹿な会話をして……。
「……あれが始まりだったんだよな……」
俺は、あの時のことを懐かしみ、ぽつりと呟く。……さて、と。どこからとりかかろうかと思って、門をくぐり、庭へと入っていく。
正面の母屋が目についた。やはり、あそこから燃やしていくか、と思い、俺は庭の落ち葉や、枯れ枝などを一か所にまとめた。そして、火を起こす準備をする。
だが、何かの気配を感じて、周囲を探る。この前の偽物の生き残りが居たら面倒だなと思い、無間に手をかけた。
すると、背後からガサっと音がする。俺は後ろを振り向き、臨戦態勢に入った。しばらくすると、草むらから、一匹の白い猫が出てくる。
「ニャー」
何だ、猫か……と思い、俺は無間から手を放す。……ここに居たら家を燃やす邪魔になるなあ、と思い、俺は猫に近づいた。すると、猫はピクッとして、家の方へと駆け出していく。
「あ、コラ! 待て!」
俺はその猫を追った。やはり、俺が走り出すと、猫も走っていく。
そして、家の中に入った。これじゃあ燃やせねえじゃねえか、と思い、俺は猫を追って、家の中に入った。
家に入ると、そこは土間だ。ここではよく、飯を作ったり、この時期になると、冬に備えて、縄やわらを編み、笠やかご、かんじきなどを作っていた。
―あ、違うってザンキ君! ここは、こうするの!―
―へえ~、ザンキにも苦手なものってのがあったんだな―
―うるせえな! ……って、お前は出来ているのか!?―
俺は、不器用というほどではないが、細かい作業は苦手だからな。俺が何か間違える度に、サヤは優しく俺に教えてくれた。エイシンは顔に似合わず細かい作業はお手の物と言った感じで、そうやっていろいろなものを作っていたな……。
「ニャー」
「……あっ! 猫! 危ないからこっち来いって!」
「ニャーゴ!」
俺が懐かしんでいると、猫はまた、走り出す。俺はそれを追っていく。
次に着いたのは囲炉裏のある部屋だ。土間からも近く、ここでは皆でご飯を食べていた。カンナが生まれて間もないころ、子供を産んで有頂天になっていたサヤが、塩と砂糖を間違えて、すごく甘くて不味い飯を作ったことがあった。
その日、俺は仕事で疲れていて、珍しく、サヤに怒ってしまった。
俺が怒鳴ると、サヤは背中越しにブルブルと震え出し、振り向きざまに包丁を投げてくる。とっさに俺はそれを手の甲で受け止めた。俺が痛がっていると、サヤは、わざとじゃないもん!と泣きだし、俺はガミガミとサヤを叱る。
すると、カンナが泣き出し、俺達はハッとするが、その時、エイシンがバンッ! と机を叩いて、立ち上がった。
―お前ら! そこに座れ! 子供を泣かせるなんて、とんでもねえ親だ! 説教してやる!―
―エ、エイシンさん、ちょ、ちょっと落ち着いて―
―座れってんだ! サヤちゃん!―
―はい……―
―いや、エ、エイシン、お、俺の傷は……―
―唾でもつけとけ!―
―おう……―
―大体てめえらはな……―
その後、エイシンはカンナをあやしながら、俺とサヤに延々と説教を始める。最終的に、もう二度と喧嘩をしない、カンナを泣かせない、エイシンの給金を上げる、という三つの約束によりその場は収まった。今でも、最後のは要らなかったと思っている……。
だが、あの時からエイシンはカンナのことをよく可愛がってくれていた。俺の時とは大違いだったなと、改めて苦笑する。
俺はそんなことを思い、猫を追う。だが、どこにも見当たらなかった。仕方ない、と思い、部屋をしらみつぶしに探すことにした。
次に来たのは、サヤの部屋だ。今はもう、何もないが、ここには鏡台と箪笥があった気がする。何度か、サヤに用事があって、ふすまを開けると、サヤが着替えていた、という状況があった。
―わっ! ちょ、ちょっと、ザンキ君! 声くらいかけてよ!―
―あ、すまんな。気を付けるよ―
―ちょ、ちょっと! 何その反応! 私の、裸を見てもなにも感じないの!?―
―いや、お前……初めて会ったとき、一緒に風呂入ったろ?―
―あ、あの時は! ……えっと……その……も~~~! ばかあああ~~~!―
―何怒ってんだよ……ああ、それよりも……―
―何よ!?―
―……その着物も似合ってる―
何度かそういうやり取りをすると、サヤは顔を赤らめ、固まる。
そして、俺が部屋を出ていくと、部屋から何やらバタバタと音が聞こえてくることがあった。あの時のサヤの反応が面白くて、そうやって、サヤが何かしら怒る度に、俺は最後にはサヤを褒めるということをしだしたな。
さて、次に来たのは俺の部屋だ。この前は皆で飯を待っていた部屋。ここからは庭が良く見える。俺が庭を見ていると、サヤとカンナが良く追いかけっこをしていたことがあったな。
カンナも立って歩けるようになったころには、そこらを駆け回ったり、庭の木に駆けのぼったりして、よくサヤを困らせていた。
―わっ! ちょっと! また~! カンナ! 下りてきなさいっ!―
―これくらいへっちゃらです!―
―落ちたらどうするの!―
―おちませんよ~!……あっ―
―あ! ……よっと! ……もう! だから言ったじゃない!―
―ごめんなさい……でも……母上がまもってくれるのわかってたから平気でした!……―
―~~~~!!! この子ったら!―
カンナの言葉に赤面して、照れるサヤが面白くて、俺とエイシンはここから笑っていた。だが、サヤが、カンナにどうして、木に登ったかを聞いて、カンナが、父上と師匠が、昔、母上も登っていたと教えてくれました! と答えると、サヤはパッとこちらを向いて、全力で向かってきた。
やばい! と思った俺とエイシンはその場から逃げ出して、その日は家族全員で追いかけっこをする羽目になってしまった。
今日は猫と追いかけっこか? そう思って、次の部屋へと行く。そこは、俺とサヤとカンナの寝室だ。ここは主に寝る部屋だったが、年に一日だけ、俺とサヤだけの部屋になる日がある。それは祝言を挙げた日だ。
その日は、晩飯を食った後、サヤと共に、酒を呑みながらここで語り合ったりしていた。サヤは毎年、今年こそは、と言って、俺達が初めて呑んだ酒を呑む。いい加減あきらめろ、という俺の言葉を無視して、くいっと飲むと、すぐに顔を赤くして、俺をニコニコと見つめていろいろ話し出す。
一番印象的なのが、カンナが言葉を話し出して、しばらく経った頃のものだ。
―あのね~、きょうね、カンナがね、「好き」ってことばをおぼえたの~―
―へえ、それで?―
―うん! それでね~、なにがすきなの? ってきいたらね~、ははうえっていったの~!―
―お~、良かったな~―
―えへへ……わたし……すっごい、うれしいよ~! なんで、カンナって、あんなにかわいくて、いいこなんだろーね?―
―そりゃ……決まってんだろ―
―ん? なに?―
―俺と、お前の子供だからだよ……―
―そっかあ……そうだよね! なっとくした!―
サヤはその後、俺に抱き着いてくる。俺がギュッとサヤを抱きしめると、サヤはニコ~っと笑って、そのまま寝る。
俺は布団へと連れて行き、サヤを一晩中抱きしめたまま眠りについた。次の日になると、サヤは昨晩のことを覚えていない。あの後、私はどうなったの? と、心配で聞いてくるサヤに、俺は何も教えず、サヤの幸せを独り占めして、毎年、楽しんでいた。
あれ……? こうして思い返すと、結婚した後は俺の方がサヤに悪戯することが多かったのか? いや、そんなことは……そう思い、俺は家の中を歩く。すると、縁側に出た。よくここで夏になったらスイカとか皆で食っていたよな……。
あ、思い出した。サヤの悪戯。俺とカンナはよく、スイカを食った後、二人でそこに寝転んで、そのまま腹を出したまま寝ることがあった。サヤはそんな俺達をよく叱っていたが、俺達はそれをなおそうとは思っていなかった。そうやっているうちに、俺はまた、縁側で腹を出したまま眠っていた。
―あ、ザンキ君また! もう! ……あ、そうだ……―
―う……ん? ……ああ、サヤか?―
―は! あ、あなた! 起きたの!?―
―ん? ああ、寝てたのか……って済まねえな、また腹出して……ってああ~! 何だこれ!?―
サヤはこの時、俺の腹に間抜けな表情の顔を描いていた。俺が驚いている様子をみて、サヤはケラケラと笑い、お腹を出して寝てた罰だよ! と言って、俺を指差す。俺がぐぬぬ、と何も言えないでいると、サヤは大きく胸を張り見下ろしている。
すると、俺達の騒ぎでカンナも目を覚ました。そして、俺達を見る。カンナの目には、何かして、優越感に浸っている母親と、その前で、ガクッと項垂れ、気分を悪くした父親の姿が映っていた。
―あ、カンナも起きたんだね! 見てよ! この人のお腹!―
―母上……―
―ん、なあに? カンナ!―
―父上を陥れて喜ぶ母上は好きではありません―
―へ!?―
カンナの言葉に項垂れるサヤと、喜ぶ俺。優しい子だな~と思い、俺はカンナに嘘泣き声で、ありがとうと言い、頭を撫でた。
すると、慌て始めるサヤ。何を言ってもカンナの表情は暗いまま。俺はカンナに、お母さんもああ言っているんだから許してやろうぜ、と呟くと、父上がそう言うのなら……と言って、カンナは、サヤを抱きしめた。
サヤは複雑な表情でカンナを抱きしめ、俺を見てくる。俺はざまあみろ、という表情でサヤを見ていた。すると、カンナがこちらを見てニコッと笑う。実は以前に、次にサヤがいたずらしてきたら、サヤを叱ってくれと頼んでいたのだ。
俺の言った通りにカンナはサヤを叱り、思った通り慌てるサヤを見て、俺は心の底から楽しかったな。エイシンは呆れたように、俺達のやり取りを眺めていた……。
……あれ? 発端はサヤでも最終的に俺が悪戯した感じになっていないか? ……まあ、良いや。楽しかったからな。
さて……と。猫はどこ行ったのかな……。俺はそう思い、また、家の中を探す。カンナと一緒に入った風呂場……時々、サヤとも一緒に入ったな……。
―おわっ! サヤ! 何、入ってきてんだ!―
―あ、母上!―
―やっほー、カンナ! あなた! 今日は私も一緒に入るよ~!―
―本当ですか!? 嬉しいです! ……あれ? 父上、顔が赤いですよ?―
―あっれ~? ひょっとして久しぶりだから照れてる?―
―の、のぼせてきただけだ!―
―本当かな~? まあいっか! 二人ともおいで! 背中流してあげる~!―
……思わず赤面するが、猫はいない。家族でかくれんぼしたときに、カンナだけが見つからず、最終的にサヤと俺とエイシンでようやくカンナを探し当てた、物置、と、そこの天井裏も探したが、猫はいなかった。
そう言えば、ここにも俺が今いる村の連中が来ることも多かったな。皆、いつもの礼だと野菜などを分けてくれたり、子供を連れてきては、カンナと遊ばせたりと。
カンナの初恋と失恋も、この家なんだよな……。サキと呼ばれたあの娘に、カンナが花を渡し、その翌日、サキが恋人を連れてきたあの日、カンナは固まり、皆が帰った後、庭の隅で膝を抱えていた。
―ね、ねえ、カンナ。そんなに落ち込むことは無いよ。この世界にはまだまだたくさんの女の子が居るんだから!―
―……―
―お母さんの言う通りだ。あの子以外にも、いい子はたくさん居るんだ、気をしっかり持てって―
―……ははうえは……―
―ん? どうした、カンナ―
―ははうえは……ひとりだけです……―
―あぁ……―
―うぅ……―
元気づけていると、思わず飛び出たカンナの言葉に、俺もサヤも何も言えなかった。そう言われると、俺も返す言葉もない。世界広しと言えども、サヤに代わる女なんて居るわけがない。だからこそ手放したくないと思い、俺はサヤと結婚する決意を固めた。
そんなことを思い出し、何も言えない俺と、同じく何も言えず、チラチラと俺を見るサヤ。どうやら同じことを思っていたらしい。
どうしたものかと悩んでいると、エイシンが、だったら、今度はカンナを好きになってくれる女を見つければ良いと、笑った。
不思議そうに顔を上げるカンナに、エイシンは、どうやったらモテるのか、どういう男がカッコいいのかを説いていく。次第に表情が明るくなっていくカンナは、日が落ちるまで、サヤには俺のカッコいい所を根掘り葉掘り、俺にはどうやって生きてきたかを聞いてきた。
少しだけ、照れながらも、カンナが元気になるためにと、サヤは俺のことを褒め出す。俺も照れながら、エイシンめ、余計なことを言いやがって、と思っていた。何で、お前は独り身なんだよと、視線で訴えると、ニカっと笑われた。
そして、サヤのように優しく、俺のように強くなれば、あの子もきっと振り向いてくれると考えるようになったカンナは、数日後、俺やエイシンの稽古を眺めては、剣術を真似るようになっていった。
カンナが、エイシンの弟子になった経緯を思い出しつつ、猫を探すが、どこにも居ない。
そして、縁側から庭に出る。床下も見たが姿は無かった。人の気配と言うのは分かるが、流石に猫は分からないな。こういう時、アキラが居れば、猫をおびき出したりすることも出来るのだろうかと、ふと、考えてしまう。
「ったく……どこへ行きやがった? 人ん家をちょろちょろと……」
猫をおびき出せる手段が無いので、それは諦めて、一息つき、俺は辺りを見わたした。
―お、カンナ、カッコいいな―
―はい! このようなものを……本当にありがとうございます!―
―ハハハ! どういたしまして……じゃあ、エイシン、タカナリの家まで二人を頼んだぞ―
―タカナリの家でも、だろ? 頭領も来るんだ。あっちに着いても気が抜けねえ……―
―……そうだな。カンナに悪い影響が移らねえように……頼む―
―任せろ、ザンキ。お前の家族は必ず、俺が護ってやる!―
―もう……二人とも! 頭領さんがそんな人じゃないって分かっているでしょ!―
―おお、サヤ、今日はさらに綺麗だな!―
―へっ? あ、ありがとう……じゃあ、そろそろ行くね!―
―ああ。仕事が終わったら馬を全速力で駆けらせて俺も向かうよ―
―父上! 早く帰ってきてくださいね!―
―もちろんだ、カンナ。瞬で行ってやるからな。おとなしくしているんだぞ―
―はい!―
―よし! じゃあ……行ってきます!―
サヤとカンナは俺に手を振り、大きな声で行ってらっしゃいと、俺を仕事に送った。
……それが、俺が見た最後のカンナの姿だった……。
あの日、あの時、俺は仕事を休めばよかったのか? 俺がもう少し早く行けばよかったのか?
……やはり、後悔の念は消えることはないな。つい、無駄なことばかりを考えてしまう。
「……ニャー」
ふと、遠くの方で、猫の声がした。俺は声のする方へ向かうと、そこは、こないだは宴会場になっていた、大広間だった。俺はすっと、その中に入る。そこには猫が何かの前に立っていた。
「ニャー」
「……あ」
猫が立っていたのは、カンナがもう少しで十歳になるというときに、有名な絵師に頼んで、描いてもらった俺達家族三人の肖像画だった。誕生日会で披露する予定だったんだが……。
へえ……これは残っていたんだな。というか、ここにあるってことは、エイシンめ……タカナリの家にこれを持っていくように言いつけておいたのだが、忘れていたな? まったく……。
……俺は絵を手に取った。……よく描けてるな、やはり……。そうだ、俺もこの時はおめかしというか、きちんとした格好をしていたんだ。サヤは祝言以来見たことない! と言って、俺の服装を褒め、カンナもかっこいいですと目を輝かせていたな。
俺も二人を褒めた。サヤはいつにも増して綺麗だったし、カンナも随分と成長したもんだと。
そして、俺は二人を撫でてやった。すると、二人はニッコリと笑っていた。
「ニャー」
俺が物思いに更けていると、猫が鳴く。俺は猫の方を見て、呟く。
「……忘れるなってか?」
「ニャーゴ」
俺の問いかけに頷くように、猫は鳴いて、家の外へと駆けて行った。
……俺はしばらく、そこへ立ち尽くし、その絵を元の場所に戻した。そして、サヤとカンナに手を当てる。
「……忘れねえよ……忘れられねえよ。だからこそ、俺は今、幸せなんだ。
……あの時の幸せな日々があったからこそ……俺はどんな辛いことがあっても前を見て生きていくって決められたんだ。
……そうしてくれた奴らが出来たんだ。……だからよ、忘れねえよ。……絶対に」
俺はそう呟き、その絵の下に、サヤが着ていた着物とかんざしを置き、その場を後にする。
そして、庭に戻り、薪に火をつけ、家のあちこちを燃やし始めた。瞬く間に火は勢いを増していき、俺の家は包んでいく。
俺は、その光景を、ただただ、見ていた。
その眼からは自然と涙が溢れてくるが、俺はジッと俺の家が燃えていくのを黙って見ていた。ガシャンと大きな音を立てて、家の一部が崩れ、火花が大きく舞った。
―私も……忘れない……―
―父上の家族になれて……幸せでした……―
……周りには誰も居ない。俺の目からはさらに涙が溢れてくる。ふと、空を見上げると、雪が降ってきた。それは俺の手のひらに落ちてくると次々に解けていく。
……俺は、空を見上げ、ただただ、泣いた。年甲斐もなく、ずっと泣いていた。こんなところ、ハルマサたちに見られたら、馬鹿にされるな……。
だが、今日だけは泣きたかった。そんな気分だった。俺はなおも雪を降らせる、灰色の空を見上げ、俺は泣き続けた。
……あの日以来、初めて家族を思いながらの涙は、その後もしばらく、止まることはなかった……。




