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第2章 主人と従者と来訪者Ⅰ ご主人脱がす之巻

ひょんなことから通された、

スイートルームでも気は抜かぬ、

武闘家シアンの鍛錬に

したたるものは汗のみならず、

従者も垂涎つかまつり、

にじり寄ります主人愛。

あれよあれよで取っ組み合って、

そこに近づく足音やいかに!?


     Ⅱ   主人と従者と来訪者



 広々とした客室だった。調度品も充実していて、ベッドなどは大人四人が並んで寝られるほどの幅がある。

 部屋の隅には湯沸かし釜(ボイラー)付の風呂場まで備わっている。

 シアンが助けた少女の家が営む宿、その最上階かつ最上級のスイートルームである。

 事情を聞いた両親が、娘を助けてくれた礼にと無料で用意してくれたのだ。

 驚いたのはシアンの方である。

 「お気持ちは有り難いが、私は当然のことをしたまでで、ここまで尽くしてもらうほどのことではありません。雑魚寝部屋で結構ですし、お金も払います」

 そう言って遠慮したのだが、謙遜も時には不興を買うもの。

 少女の母親、つまり宿の女将がヘソを曲げたのだ。

 「じゃ、なんだいあんた! うちの娘の操には大した価値もないってのかい!?」

 これがまた恰幅(かっぷく)のいい肝っ玉母さん。シアンが冷や汗まみれで沈黙したのは言うまでもない。

 さらには、いつの間にか復活していたマオの耳打ちが決定打となった。

 「そいに、ご主人。今夜、雑魚寝部屋なんかに(へぇ)ったら、キャーキャー言われて囲まれるんでねぇですかい? ……出場者のみなさんに」

 最後の一言を聞いた瞬間、シアンは青ざめて宿の主人夫婦に叫んでいた。

 「で、でしたら一泊ッ! 一泊だけ、ご親切に預からせていただきますッ!」

 夕食は部屋まで運ばれてきた。土地のものをふんだんに使った豪勢(ごうせい)なディナーだった。

 やはりというべきか、ここにもユニコーン肉の筋煮がいた。

 部位と鮮度がいいのだろう。味にうるさいマオも、露天のものより柔らかくて甘い、と太鼓判を押した。

 腹七分目を常とするシアンと、食好きに反して胃の小さいマオの二人では食べきれないくらいに料理は多かった。

 「もったいねぇでさ。これとこれは日保ちしやすから、もらってきやしょう」

 と言って、マオはせっせと乾物やスパイス漬けの残りを弁当箱に詰めた。

 よほど美味かったのだろう。

 野良料理の得意なマオは普段から、その日その日の道中に穫れたもので何でも作ってしまうため、保存食というものをほとんど用いたことがない。

 その手腕は、食に(うと)いシアンにさえ錬金術かと思わせるほどだ。

 なにせ木の実を大量に拾ってきたと思いきや、次の朝には立派なパンができあがっているくらいなのだから。


「ふっ、はっ! せっ!」

 ────シュッ、フッ。

 晩餐(ばんさん)から一時間ほど経った頃、部屋の中にはシアンの発する気勢の声と、鋭い風切り音が響いていた。

 剣でも振っているのか。そうではない。

 空気を裂いているは生身の肉体だった。

 シャドー・ボクシングである。

 槍の一撃にも似た正拳突き……

 万兵の放つ矢さながらの連打……

 刃の閃きを思わせる手刀……

 そして縦横無尽に振り回される、鞭さながらの回し蹴り。

 それらが絶え間なく、眼にも止まらぬ速さで繰り出されてゆく。

 部屋に置かれた大きな姿見が、躍動するシアンの身体を映し出す。

 その秀麗な眉目には不釣り合いなまでの鍛え抜かれた肉体である。

 一見細身とも取れるシルエットの中に無数の筋肉線が浮かび上がっている。その皮膚の下には一片の贅肉もないようだ。

 並の鍛錬で作り上げられる身体ではない。

 今でさえ、床にしたたるほどの汗がトレーニングの激しさを物語っている。

 ここまで三〇分間、無休で続けているのだ。

 だが、もしマオ以外の誰かがこの現場を見ていたら、それは()()ではなく()()の稽古だと思うだろう。

 まして、実戦のためのものだと聞けば失笑を漏らすに違いない。

 拳は喧嘩に使うもので、命をかけた闘いは武器を握ってこそ行える。武器を持たずに敵に挑む者は、闘いが何かを知らぬバカでしかない。

 それが世界の常識である。

 これに異を唱えていたのが、シアン・ルーンの師、ファン=シアンだった。

 武器は手段のひとつにすぎない。力の根源はすべて人の身体にある。肉体に宿る力を最大限に引き出せば、武器の優劣、ひいてはその有無は意味をなさない。

 これが師の教えの極意だった。

 そのファン=シアンのもとで若者ルーンは一〇年に渡って技を学び、二年前、ついに印可を授かった。

 だが、それは道を極めたことと同義ではない。

 「ここから先の道はお前ひとりで行け。その力と技をもって何を成し、何のために生きるべきか、お前自身で探し出せ」

 それが、別れ際に師から受けた、最後の教えだった。

 以来、師の名の半分をもらいうけ、シアン・ルーンを名乗って、あてのない旅と、己を知るための修行を続けている。

「ふぅー」

 最後に全身の力を抜いて深呼吸し、シアンの鍛錬は終わった。

「ご注進、ごちゅうしーん!」

 突然、空中でポンッと破裂音が鳴り、マオが現れた。

 虚空から出現したように見えるのは、錯覚(さっかく)ではない。

 空間転移──眼に見える範囲、あるいは主人のもとへならば、どこからでも一瞬で移動出来る。

 マオの持つ、魔術のひとつである。

 好奇心旺盛なマオは、食事が済むや否や、祭りを見に出かけていたのだ。

「おや、運動中でやしたか、ご主人。うへへへ、この汗の香りが堪らん堪らん」

 大きな眼を三日月のように細め、ニヤケ顔で(にじ)り寄る。

「やめんか」

 その顔を、シアンは片手で押しとどめる。

「で、一体どうした?」

 もう片方の手にタオルを持って身体を拭く。

「いえね。街で色々と聞いてきやしたんでが……ぬぬぬぬ……」

 主人の汗まみれの身体を諦めきれず、腕をばたつかせながら躍起(やっき)になって前進を試みるマオである。

「どうも今度の大会、(きな)臭くって。匂うってんならオイラ、ご主人の匂いなら大歓迎なんでやすが」

「焦臭い?」

「はいな。今度の大会、ニギエラって王子様のお妃を決めるためなんですがね────」

 そう言うと、マオは唐突にシアンの腕を抱えた。

 スルリ──サルが木の枝に飛び上がるような身のこなしで、主人の背中に負ぶさる。

「待て、そのニギエラ王子というのが、次期王位継承者なのはわかる。しかし、なぜ王妃を決めるのが武術大会なんだ?」

 さきほど街中で大会のことを知った際には、周囲が女傑だらけで気にする余裕もなかったのだが、改めて聞くとなんとも珍妙な妃選びである。

「メガロニアじゃ、武勇がなにより信奉されてるんでさ。政治だって武官がやるのが当たり前。王様が一番強ぇのも当たり前。血統より、戦場や競技での勲功で次期王が選ばれるくらいでさ。とくりゃぁ当然、妃だって、国で最強の女の人じゃなきゃならねぇ」

 淡々とした口調で説明しながらも、本人は恍惚(こうこつ)とした表情で、主人のうなじにぐりぐりと顔を擦り付けている。

「そこで、次期王の戴冠式(たいかんしき)の前に合わせて、国内外から腕利きの女を(つの)って行われるのが、メガロニア名物《次期王妃決定武術大会》でさ────うにゃぁッ」

 いきなり背中に回ってきたシアンの手が、マオの首根っこを掴んで────

「なるほど。この国のことはだいたいわかった、ということにしよう」

 壁に放り投げた。

 小さな身体が壁に叩き付けられる、と見えた瞬間────

「んじゃ、本題」

 マオは壁を蹴った。

 跳ね返ったボールのように主人に向けて飛び、鋭い跳び蹴りを放つ。

 シアンは上半身をひねってこれを避ける。

「そのニギエラ王子。現ラルフ王の御子息でして」

 床に着地してからも、マオは拳と蹴りで主人に襲いかかる。

「成績優秀スポーツ万能──じゃなかった、戦場に出ては勇猛果敢(ゆうもうかかん)にて武勲華々しく、競技では常に優勝を争い、学問に明るく、品行方正かつ容姿端麗(ようしたんれい)で、市民からも大人気、と言うことなしなんですが……」

 喋りながら、マオは次々に技を繰り出してゆく。

 シアンに比べて見劣りはするものの、身の小ささとリーチの短さを補ってあまりある俊敏な動きである。

 シアンの方も話に耳を傾けながら、ひとつひとつの攻撃を的確に(さば)く。

「いい人じゃないか。なにか問題があるのか?」

 口を挟むと同時にシアンが反撃に出た。

 突き出された拳を今度はマオが避ける。

 喋る方が攻め、聴く方が受ける。シアンが師から教わった修練法だった。

 会話を成立させながら、考えることなく反射だけで攻防を行うのだ。

 ちなみに、聴く方が攻め、喋る方が受けるというふうに攻守を逆にすると、さらに難易度が上がる。

「問題というか……その王子さん今年で二五歳」

「若いな。私とそう変わらん。前例がないわけではないが、いくら武勲があっても国ひとつを預かるには経験不足ではないのか?」

「街の人らもそう言うんですが、このたびの戴冠は急を要するものなんだそうで」

「急?」

「ラルフ王がご病気でして」

「それのどこが焦臭いんだ? …………まさか王子が?」

「いや、それはないと思いやす。怪しいのは王の兄貴でさ。ヴランティール公爵ってんですが、御年五〇歳でまだまだ元気。軍の大将で、武勲と経験じゃ(くだん)の王子様とは雲泥の差。個人的な武勇でも勝るとも劣らんそうでやす」

「なるほど。本来の伝統から言えばその公爵が第一継承者。しかし、なんらかの理由があって、現王は兄ではなく息子に継承させたい」

「表向きの理由は歳だそうですが、五〇で現役大将で国内最強なら、王子が完璧になるまであと十年近くは安泰でさ。兄弟で確執があるってのがもっぱらの噂で」

「ほう。で、わざわざそんな話をするお前は、私になにを期待しているんだ?」

「なにって、気になりやせんか? 《ドキッ! 女だらけの武術大会》」

「勝手に改名するな。なんで私がそんなものを観なければならんのだ。明朝には発つぞ。こんなところに何日もいてたまるか」

「えー! 観ーたーいー!」

「観たけりゃひとりで観ろ。私は次の街に行くからな」

「やーだー! ご主人と一緒ー!」

「わがままを────う!?」

 シアンが拳を振った瞬間、ポンッ、という音とともにマオが消えた。

 そして、主人の懐に現れるや、その引き締まった胸にしがみついた。

「だめぇ?」

 まるで秋波を立てるかのように、上目遣いで甘えた声を出す。

 シアンは振り払おうとはしなかった。

「お前……汗くさいぞ」

「……はい? そりゃ、ご主人もでさ……」

「そうだな。ちょうどいい」

 マオの表情がパッと明るくなった。なにかを曲解したらしい。

 そんな従者の満面の笑みをよそに、シアンは傍に置いていた旅袋の中に手を入れる。

「おいら嬉しゅうござんす。ほんじゃ朝までしっぽり────」

「風呂だ」

 引き抜かれたその手には、噴水でマオを縛ったのと同じ縄が握られていた。

「────ッ! やだー!!」

 表情を激変させるや、マオは主人を背中を蹴って部屋の戸口へと跳ぶ。

「逃がすか」

 一瞬早く伸びてきたシアンの手が細い腕を掴み、手首に縄を巻いた。

 途端にマオの身体から力が抜けた──まるで、その縄に吸い取られるかのように。

 容赦のない主人はさらに従者をソファーの上に組み敷き、上衣の前をはだけさせた。

 無垢な少年のような華奢な、そして透き通るほどの白い胸が露わになる。

「いやー! 乱暴しないでー!」

 なけなしの力を振り絞って身をよじるも抵抗むなしく、ものの五秒でマオは上半身を裸にされた。

「汚れた身体で布団に入られたら困るというんだ!」

 シアンの名誉ために説明しておくと、服を脱がせる所作が手慣れているのは決して色好みだからではない。

 マオに入浴を命ずるたびに起こる、この捕り物劇の賜物である。

「汚くねぇ! 汚くなんかねぇ! 愛する人の身体に汚いところなんかねぇーッ!」

「自分で言うな、自分でッ!」

 上衣を脱がせきったところで、両手首を頭の上で合わせて縛り直す。

 その結び目を片手で握って抑えつつ、逆の手をズボンの腰にかけた。

「やだ……ッ、やめて……恥ずかし……ッ!」

「なに変な気を起こしている。いつものことだろうが」

 いつになく頬を赤らめるマオに苛立ちながら、引き剥がしにかかった瞬間だった。

 ガシャン──戸口の方から、磁器やガラスの破砕音が幾重にも響き渡った。

 そちらを向いたシアンの眼が点になる。

「あ……ああ…………」

 宿の娘が、扉を開いた姿勢のまま、ものも言えずに震えていた。

 その足下には、高級そうなティーセットが見るも無惨な姿で湯気を上げていた。

 少女の顔に浮かんでいるのは、驚愕……羞恥……恐怖……そして幻滅……

 シアンの全身から、サアァッと血の気が失せた。

 自分は半裸。マオも半裸。

 そのマオを自分はソファーに押し倒しており、さらには両手首を縄で縛り、ズボンに手をかけている。

 加えて自分は男、マオも男。

 あまつさえ彼女にはマオを弟と紹介している。

 なにより、とどめの一撃はシアンがつい今しがたマオに放った言葉である。

 ──なに変な気を起こしている。いつものことだろうが──

 考え得る限り、最悪の誤解が生まれていた。

「あ、いや! 待って、違う! これは────!」

 マオを手放して弁明するが、時すでに遅し。

 禁断の世界を覗いてしまった(と確信する)生娘の眼に、近づいてくるシアンの姿は、ニタリと笑って「見ぃたぁなぁ」と迫り来る悪魔以外のなにものでもなかった。

「ああわわわ私見てません見てませんなにも見てませんからあああー!」

 涙声で一息に捲し立てるや、ノブも蝶番(ちょうつがい)も砕けよという勢いでバッターンと扉を閉ざし、一目散に階段を駆け下りた。

 途中、階下から昇ってきた人物とぶつかりかけたが、立ち止まって謝る余裕などなかった。

「……なんだ?」

 嗚咽(おえつ)を漏らしながら逃げるように階段を下ってきた少女を素早く避けたのは、喫茶店で隊長と呼ばれていた女だった。

「…………なぜだぁああッ!」

 シアンは膝を屈し、扉にすがりつくように、頭からしなだれかかった。

 男、シアン・ルーン。二●歳。

 女性経験、皆無。

 町に逗留するたび必ずひとりは女の子を引っ掛けるも、なぜか最後までことが上手く運んだためしがない。

 その背後では、マオが縛られたままの両手でガッツポーズを決めていた。

 途中から、近づいてくる宿の娘の靴音に気づいていたのだ。

 態度を急変させたのはそのためである。無垢な乙女の恋心は木っ端微塵に吹き飛び、シアンには弁解の余地もない。

 出る杭は打つ。

 主人に寄る虫は叩きつぶす。

 それがマオのモットーである。

 この小さな従者が貞操の守護神となっている真実にシアンは気づいていない。

「まだだッ! 私は諦めんぞ。時間をかけて話せばわかってくれる…………はずッ!」

 恐るべき往生際の悪さで立ち上がる主人の背中を、マオは勝ち誇った眼で眺める。

(にゃはは、むーだ無駄)

 ふと、その表情が真顔に戻った。

 帽子に隠れた耳が、階段を上がってくるかすかな足音を捉えていた。

 宿の娘ではない。

 焦燥(しょうそう)を感じるが、落ち着き払った足取りである。

 大慌てで服を着込むシアンにはまったく聞こえていない。

 娘のときもそうだったが、なにか一つに集中し始めると途端に周りが見えなくなるのが、この主人の悪い癖だ。

「あの、ご主人────」

「なにも言うな、マオ。あらぬ誤解とはいえ、純真な乙女心を汚した私の罪は重い。この上は非礼を詫び、しっかり話し合って真実を解ってもらわねば、私の気が済まぬ」

 もっともらしい高説を朗々と述べながら、シアンは服を着て襟を正す。

(あ、勝手に紳士モードに入りやがった)

 それなら自分の縄を解いてよ、とマオは呆れる。

 宿の娘と仲良くなることしか頭にない偽紳士は「よしッ」と気合いを入れ、肩で風を切るように大股開きで戸口へと向かう。

 しかしノブに手をかけた瞬間、ほぼ同時に扉が外側から開かれた。

「──おおっとッ!?」

 思いがけず引っ張られて踏鞴(たたら)を踏んだシアンは、その拍子で敷居につまづいていた。

 だが、そこは日々の修練で鍛えた反射神経、足を素早く前に出して踏みとどまる。

 そして、咄嗟に伸ばしていた手が、なにか布に包まれた柔らかいものに触れた。

 眼の前に見えるのは、人の腰、そして携えられた剣。

 恐る恐る顔を上げたシアンを、鷹のような眼が冷然と睥睨(へいげい)していた。

 それが女で、しかも戦士で、なおかつ自分が触れているのが、その豊かな胸であるという現実に、シアンの精神が耐えられるはずもなかった。

 意識が活動を拒絶し、視界が急速に収縮していった。

「……なんだ、こいつは? 女の胸を揉んどいて己が気絶するとは、わけがわからん」

 白目を剥いて倒れた青年の顔を覗き込み、女は首を捻った。

「えっと…………貧血」

 主人に代わってマオが答えた。

思いもよらぬ女丈夫に、

ラッキースケベと思いきや、

それが良からぬ武闘家シアン。


二度目の失神目覚めてみれば、

シアンの実力見定めんと、

剣を抜きます女隊長。


殺気みなぎる女傑を相手に、

いかに闘うシアン・ルーン!?

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