主人と従者と二回戦Ⅳ 隊長馬乗りされる之巻
「前回までのあらすじ!」
「うむ!」
「ご主人! あろうことか、おいらを王子に譲り渡す!」
「お前も了解の上だっただろうが!」
「あまつさえ王女を助けに行く始末!」
「ええかげんにせい! もう助けんぞ!」
「ああー、許してーぇ」
ミラウラ──否、フルレラ王女は冷たい石床の上に膝を折り、静かに、事態が動くのを待っていた。
「どうしよ? ねぇ、どうしよぉ?」
「知らないよ。こんな話、アタイ聞いてないし」
「魔族のチビも逃げちまったしよぉ、オレも逃げよっかな……」
「そもそも、勝手に檻閉めたのテメェだろうがよ」
鉄格子の向こうでは、近衛隊の四人が自分たちの行いに狼狽している。
かたや、フルレラは膝の上に眼を落として、そこに置いた、ひと振りの短剣を見つめていた。
閉じこめられた直後、この剣でマオを縛る拘魔縄を断ち切ったのだ。
※※※
「マオ……! マオ、しっかり……! 私よ。ミラウラ。分かる?」
羽織っていたローブを脱ぎ、見るも無惨な姿のマオを包んで抱きしめた。まるで肌のぬくもりと一緒に、自らの命を分け与えるかのように。
生きていてくれてよかった。マオはどうしても自分の手で見つけ、そしてシアンのもとに帰したかった。
シアンに気に入られたいからではない。
マオに恩を売りたいわけでもない。
従者が帰らないと言ったときのシアンの、あの悲しげな顔を、二度と見たくなかったのだ。
だが兄やマデリーンにすら黙って、一人で乗り込んできた結果がこれである。
「ごめんなさい。助けに来たつもりだったけど、私まで…………」
「いんや……縄切ってくれただけで、充分だ。おいらが、ご主人に知らせてくる……」
「あの人に? でも、どうやって? 跳ぼうにも、あなた達は契約もしてないし……」
「出来る。ここは、陽も入ってこねぇしな……」
フルレラは息を呑んだ。
マオが主人のもとへ直接転移できることを、今初めて知ったのだ。
「待っててくれよな。必ず、助けにくる……」
そう言い残すや、ポンッという破裂音を牢内に響かせて、マオは消えたのだった。
※※※
それからというもの、鉄格子を挟んでフルレラと近衛隊との睨み合いが続いていた。
もっとも、四人の拷問官がチラチラと王女の方を気にする一方で、フルレラの方は彼女たちのことなど一顧だにしていないのだが。
頭の中はずっと、マオのことでいっぱいだった。
(マオ……不思議な子ね。とにかくやかましいし、無礼だし、ほんと慎みっていうものを知らないけど、憎めないわ……)
シアンを巡って火花を散らしたこともあったが、今やフルレラは完全敗北を認めていた。
その理由が、マオの空間転移である。
能力自体は魔族の大半が有しているものだが、その効果はあくまで見える範囲への移動に限られる。
主人のもとへの直接転移というのは本来、契約をかわした者にしか得ることの出来ない特異技能である。
それを、契約者ならざる身でマオはやってのけるのだ。
理由は定かではない。
が、フルレラはこう考える。
契約という、魔力による繋がりに替わる強い絆が、二人の間に結ばれているのだ、と。
ただ心配なのは、マオ自身の体力である。
シアンのもとに辿り着けたとは思うが、なにぶん拷問で激しく消耗した上での転移──最後の力を振り絞ったに等しい。
転移した先で陽の光をもろに浴びでもしたら────
「あ……ッ!」
その時になって、フルレラは自分が再び重大なミスを犯したことに気付いた。
(マオ……ここの場所、知ってるのかしら……? 私、教えるの忘れてたー!)
これではシアンが助けに来てくれるのも、かなり後のことになりそうだ。
ハァ、とフルレラが盛大に溜息を吐いた次の瞬間だった。
ガァン! と天井から重い音が響いた。
また誰かが、地下牢の扉を開けたのだ。
隊員たちは再び身構えたが、剣は抜かなかった。
先刻は王女に刃を向けてしまった。次に入って来るのが雇い主の公爵だったらと思うと、恐くて柄に手をかけるのが精一杯だ。
だが彼女らが怖じ気づいている間に、影は入り口から飛び降りた。
そして暗がりのなかで難なく着地するや、ゾッとするような殺気を発散させた。
「貴様らか……貴様らが、私の……」
フルレラでさえ、その声には戦慄を覚えた。
石の床に流れる長い黒髪が、重力に逆らって一斉に逆立ったように見えた。
(あんなに……! あんなに、お怒りに……!)
シアンである。
「てめぇ、あの魔族の主人!」
「どうして、ここが分かった!?」
近衛隊員たちも侵入者の正体に気づき、今度こそ剣を抜いた。
だが彼女らに対する返答は言葉ではなく、拳と脚だった。
シアンの影が舞った──フルレラには、そうとしか見えなかった。
その舞いによって四人は剣を落とされ、鼻を折られ、頬骨を割られ、顎を砕かれた。
一人一人に対して、シアンは執拗なまでに拳と脚を撃ち込んだ。
とくに最後の一人は背を石壁に叩きつけられ、全身に拳の猛打を浴びるはめに陥った。
奇しくも、焼きごてでマオを苛んだ隊員であった。
「シアン様やめて! もう、やめてください!」
格子にすがりつき、フルレラは叫んだ。
近衛隊員はすでに気を失っている。にもかかわらず、シアンの拳は、その身を地面に崩すことを許さない。
キツネビゲシを摂取したかと見紛うばかりの容赦のなさだった。
「シアン様ッ!」
「──ッ!!」
不意に、シアンは背後に殺気を感じて振り向いた。
咄嗟に鼻先へとかざした二本の指が、刃を受け止めた。
────短剣。
それを投げた者を眼にした瞬間、シアンはハッとして我に返った。
「シアン様お願いです! 誰も、殺さないで!」
フルレラである。
「ミラ……王女…………」
シアンはようやく、自分がここに来た理由を思い出した。
すぐさま事態を悟り、石牢の鍵を探す。
だが、石壁に掛けられた鍵束に手を伸ばした瞬間、シアンは愕然とした。
地下牢の灯火に映し出された己の拳は、真っ赤に染まっていた。
それは、怒り任せの、行き過ぎた暴力の証しだった。
闘技場では、イリーズとスワルによる絶え間ない攻防が繰り広げられていた。
イリーズが鞭をかいくぐりながら果敢に攻め込む一方、スワルも剣の動きに素早く反応して刃の範囲外へ退く。
一見するとイリーズが押しているようにも見えるが、その実、必中の手立てを見いだせないまま武器を振るいつづける消耗戦だった。
いくらボルト剣法が二の太刀、三の太刀を得意としていても、ひと太刀目で間合いから完全に脱せられては追撃のしようもない。
魔薬を摂取している点では条件は同じ。本来ならば、武器のリーチ差を鑑みても、イリーズがスワルに遅れを取る理由はない。
だが今、スワルの動きは歴戦の親衛隊隊長に勝るとも劣らない。
それは薬の摂取量の差なのか、それとも禁断症状にひと晩苛まれ続けたイリーズ自身の疲労ゆえなのか。
振り抜いた剣が空を裂くたびに、イリーズの焦燥は募ってゆく。
間違いなく、スワルは時間切れを狙っていた──今、イリーズの身体を辛うじて動かしている、たったひと刺しの魔薬が切れるのを。
「逃げるだけで精一杯か。所詮、邪道に頼らねば闘えない軟弱者が!」
「ふん……その邪道が嫌いなんでしょ、あんた。だから薬が抜けるのを待ってあげてんじゃない。感謝しなさいよね!」
挑発にも乗ってこない。そればかりか毒舌を吐き返しながら、肩に掛かるポニーテールを大げさに払い上げるほどの余裕がある──それも、鞭を握っている右手で。
持久戦に持ち込めば勝てるという確信があるのだ。
事実、イリーズに残された時間はもう多くない。
シアン・ルーンには十五分以内に倒すと豪語したが、この跳び回る公爵令嬢に刃を当てるのは、ハエを斬るよりも難しいように思えてきた。
ただ剣を振るだけでは、この状況は覆せない。
(シアン・ルーン……お前なら、こんなとき、どうやって勝機を掴む?)
決勝で相見えるべき男の闘いを思い出す。
股間を蹴る、砂を投げる、武器を奪う──そのどれもがイリーズの学んできた戦士道からは大きく外れた技ばかりだった。
だが、その姿勢がイリーズに活路を教えていた。
────本当の闘いに正攻法などない、と。
(そうだ……私は……なんとしてでも勝つんだ!!)
右手の長剣を下段に構え、裂帛の踏み込みから上へと振り抜いた。
地を這うような──否、文字通り、大地を切り裂きながらの、渾身の斬り上げである。
「遅いのよ!」
スワルがいち早く退き、刃の圏外へ逃れる。
だが、公爵令嬢は気付いていなかった──イリーズの剣が、刃ではなく腹を向けて振り抜かれた意味を。
「うっ!?」
避けたと思ったスワルは突然、眼を瞑って顔を逸らせた。
砂──イリーズの斬り上げによって舞ったアリーナの砂が眼を襲ったのだ。剣の腹を向けて振ったのは、このためである。
スワルが怯んだ瞬間を逃さず、イリーズは踏み込んだ。
長剣をひるがえし、真一文字に薙ぐ。
しかし、これも空を切る。
スワルが再び退いたのだ。イリーズの撒いた砂が少なかったために、その眼は直撃を免れていた。
「卑怯者は────ッ!?」
あんただろうが、と叫ぼうとしたスワルの瞼が、今度は皿のように円く見開かれる。
剣が飛んできたのだ。
長剣ではない。親衛隊長の左手に握られていた、細剣である。
スワルが後ろへ飛んで逃げた直後の、着地時を狙った奇襲──紛れもない、イリーズの放った意表を突く二の太刀だった。
「ひっ!」
さしもの公爵令嬢も脚の動きが間に合わず、反射的に顔を手で庇った。
そして、それが命運を分けた。
「あ……っ!」
鞭と細剣が地面に落ちた。
その周囲に、砂粒のような光の欠片が散らばる。
スワルが右手を押さえて呻く。
その中指にはまっていた指輪からは、核とも言うべきダイヤモンドが失われていた。
なんという運命の悪戯か、イリーズの乾坤一擲は、公爵令嬢の虚栄心を象徴するかのような巨大な宝玉によって阻まれたのだ。
だがイリーズは諦めない。
武器は奪った。それを拾う隙すら与えなければ、勝てる。
今、ほぼ無傷で済んだにもかかわらず、スワルは愕然とした表情で地面に眼を落としている。
指輪が壊れたことが、それほどまでにショックだったのだろう。
(もらった────!)
その隙をイリーズは突いた────はずだった。
「ちくしょおおおぉぉぉッ!」
突然、怒号を発しながら、スワルが頭から突進してきた。
予想外の体当たりを腹に受けて、イリーズの視界が明滅する。
後ろへと大きく吹き飛ばされながらも、剣を握り締めたまま冷静に受け身を取って、体勢を立て直す。
その瞬間だった────
「う……あ……!」
針で刺されるかのような痛みと、氷水を浴びせられたかのような悪寒が、全身を襲った。
毛穴という毛穴が一斉に汗を噴く。
心が千々に乱れ、自分がなぜここにいるのかすらわからなくなる。
タイムリミット──禁断症状が再発したのだ。
(くそ……くそぉ……! こんなところで……ッ!)
全神経を闘いに集中させ、己を奮い立たせる。
そこに鞭を拾い上げたスワルの一閃が襲いかかった。
咄嗟に剣で防ぐ。
だが、指に力が入らない。
バシンッ──乾いた音と共に、得物が飛んだ。
直後、イリーズは人生で最大の過ちを犯した。
手を離れた剣を追って、振り返り、そして敵に背を向けたまま走ったのだ。
歴戦の勇士とも思えない愚行だった。
苦痛と焦燥が、彼女の最大の強みである冷静さすら蝕んでいた。
鞭が脚に絡みつき、イリーズは顔から地面に倒れ込んだ。
それだけで、五体が千切れ飛ぼうかというの激痛が身体中を駆け巡る。
魔薬の毒が痛覚を何倍にも膨れ上がらせていた。
常人なら発狂するほどの痛みの中で、それでもイリーズは立ち上がろうとする。
その背中に、スワルが馬乗りになった。
さらに鞭をイリーズの首に巻き付け、締め上げる。
喉に絡む革紐を掴んで、イリーズは必死に抵抗した。
だが、スワルの力は恐ろしく強い。息がつまり、血流が滞り、意識が衰えてゆく。
(剣…………私の……剣…………ッ!)
目の前に、それは転がっていた。
手を伸ばす。
その手が、剣から遠ざかる。
ウマの手綱を引くように、スワルがイリーズの背を反り返らせていた。
身をよじり、脚をばたつかせ、腹を地面に擦らせ、イリーズは懸命に前へ進もうとする。
届かない。
あと数センチが、どうしても。
(いやだ……! いやだ……こんな…………負けたく……ない……ッ!)
永遠とも思える苦しみのなかで、イリーズは闘い続けた。
しかし、勝利の女神は、最後まで微笑まなかった。
無情な鐘の音が、アリーナに響き渡った。
三〇秒────武器を手放してから、失格と見なされるまでの時間が経過したのだ。
「…………」
「………………」
「待て貴様ら、沈黙はやめてくれ。いくらオマケコーナーでも心が痛い」
「姐御、負けちゃった……」
「泣くなマオ、隊長の魂はいつだって私達とともにある」
「死んでないだろうが!! いやもう死んだも同然だけど!!」
「それにしても姐御、ホントまともに闘えたの一回もない」
「前にも似たような話をしたが、公爵側にとってはもっとも勝たせたくない相手だからな。そりゃ妨害工作の集中砲火も受けるだろう」
「別の言い方をすれば、敵にとって最大のイレギュラーであるシアン・ルーンこそが勝利の鍵というわけだ」
「あ、はい質問しつもーん」
「なんだ?」
「いつぞやの名前ネタが途中で止まってんだけど、ヴランティール公爵はともかく、スワルって変な名前だなーって思いやした」
「ふむ。キャラクター設計の段階から、公爵父子は人間の負の感情を体現する存在にしようと思ってな」
「ふんふん」
「やはり負の感情の代表格といえば恨みだろうと」
「それでそれで?」
「恨んでいる」
「シアン・ルーン、まさか……」
「恨んでいる……ウランデイル……ヴランティール…………駄洒落ぇー!?」
「で、だ、その娘だったら嫉妬が適当かと」
「うん? それでなんでスワル」
「〝座る〟は英語で?」
「〝Sit〟──ってぇぇぇー!?」
(あ、今回タイトルコール忘れてるぞ……)
次回予告!
涙の敗北冷めやらず
イリーズに降りかかるさらなる苦難!
公爵の横暴目の前に
シアンの怒りは限界突破!
波乱の八章最終節!
暗き廊下に鳴り響くのは
最終決戦への足音か!




