主人と従者と前夜祭Ⅱ 従者落ちる之巻
ゴーレム女の女傑力に、
あえなく轟沈したシアンであったが、
乙女の悲痛な叫びに復活!
荒くれ者の酔漢三人、
向こうに回して酒場の喧嘩、
男相手にゃ遠慮は無しと、
炸裂するか怒りの鉄拳!?
街の中央から離れた場所で開かれている露天酒場のベンチに腰かけ、シアンは両手で顔を覆っていた。
「悪夢だ……これは悪い夢なんだ……」
手の隙間から繰り返し繰り返し、つぶやき声が漏れる。
「ご主人、もう落ち着いてくだせぇ。危機は去りやした」
マオがなだめても、まるで反応がない。
必死になって怖気と戦っているのだ。
今も座っているベンチでシアンは眼を覚ましたのだが、気を失ってからここまでの経緯をマオに尋ねたのがまずかった。
件の大女が運んでくれたというのだ。
倒れた理由については、本当のことを言ってもややこしいだけなので、マオが貧血と嘘を吐いたとのこと。
「とっても心配してくれてやしたよ。いやー、いい人でござんした」
そう言われても、まるで救われた気はしない。
本人には悪いが、いい人かどうかは関係がないのだ。あの腕に抱きかかえられたのかと思うたびに、吐き気が込み上げてくる。
せめて、その時に覚醒しなかったのが不幸中の幸いという他ない。
「ご主人、顔はようござんすからね。あん人も満更じゃねえ感じで──」
「やめろぉ、それ以上言うと殺す!」
顔を覆ったまま声を荒らげ、従者の冗談を拒絶する。
(あちゃぁ。こりゃ本気でマズい)
主人の落ち込みように、さすがのマオも己の出来心を反省せざるを得ない。
最後のは予想外のこととはいえ、もとはといえば自分が主人を連れ回したようなものなのだから。
(まーた調子に乗っちまって……おいらのド阿呆……ッ!)
どんな悪戯も、シアンはなんだかんだで許してくれる。その優しさについ甘えてしまうあまり、最後には迷惑をかけてしまう。
悪い癖だと分かってはいるのだが、楽しいことや嬉しいことで気持ちが高揚してくると、ついその認識がなくなってしまうのだ。
「ご主人、おいらが悪ぅござんしたよ。この通り反省しやすから、どうか立ち直っておくんなせぇ。ここでご主人がしょげたまんまだと、おいら、どうしていいかわかんねぇ」
主人の肩に手を添え、しおらしげな態度で請う。
すると、不意にシアンが顔を上げた。
しかしマオの反省の賜物ではない。
「いやっ、やめてください。放してッ」
喧騒を縫って聞こえてきた声が、傷ついた心の琴線を震わせたのだ。
「……あいつら!」
シアンはすぐさま、その発信源を見つけていた。
酒場の一角。
栗色の髪をした、いたいけな少女が、テーブル席にかけた三人組の男たちに捕まっていた。
歳の頃は十七ほど──この大陸では立派な成人だが、体格は華奢で起伏に乏しく幼げである。化粧気のなさが、純朴さをさらに高めていた。
その少女を、男たちの中でも屈強な髭面の一人が、無理矢理、自分の膝に座らせようとしている。
三人ともしたたかに酔っており、顔は真っ赤に染まっていた。
他の客は、喧騒のせいで気づかないか、気づかないふり。面白がって見物と決め込んでいるものもいる。
女の敵を殴り飛ばそうという女傑も、あいにくと近くにはいないらしい。
シアンは駆け出していた。
マオを除く誰ひとりとして、その足音と気配に気づくことはなかった。
夕刻に見せた、あの肉食獣の走りである。
「離してくださいッ。私、本当に帰らないと」
「いいじゃねぇかよ。せっかくの祭りなんだ。楽しんでいけって。へへ…………へ?」
髭面はなにが起こったのか解らなかった。腕の中にしっかりと抱えていたはずの少女の姿が、まるで空気に溶けたかのようにスルリと消えたのだ。
「うえぇ? なんだテメェ!?」
向かいに座っていた小柄な男が叫んで、ようやく髭面も背後を振り返って見た。
シアンが少女を地面に立たせ、自分の背後へと避難させていた。
「こいつ……!」
髭面が椅子から立ち上がる。小柄と、もうひとりの長身の男もそれにならう。
たちまち、シアンが見下ろされる立場になった。
シアンの丈は百七〇センチ程度。
対して髭面は百八五、長身に到っては百九〇はあろう。小柄と見えた男でさえ、シアンより額半分は高い。
周囲が騒然として、祭りの音が遠くなる。
シアンと男達、四人を囲むように人の壁ができあがった。
喧嘩が始まる合図である。
「小僧、女みたいなツラして、いい度胸じゃねぇか」
背丈で圧倒していると分かって余裕の出た髭面が、両手を腰に当てて胸を張る。
事実、シアンが圧倒的不利な立場にあるのは、誰の眼にも明らかだった。
武器を用いる決闘とは違い、拳で殴り合う場末の喧嘩においては、体格と腕力がなによりものを言う。
女とも見紛う細身の青年一人と、明らかに喧嘩慣れした屈強な男三人。客観的に見て、青年に勝ち目はない。
それだけに、シアンが次に取った行動には周囲の全員が呆れかえった。
「ふっ」
あろうことか、鼻で笑ったのだ。
さらには……
──来い。
手招きで挑発する。
勇気と無謀を履き違えていると、その場にいた誰もがそう思った。
マオもまた呆れかえっていた。
が、その意味するところは、他の観衆とはまた違った。
主人が叩きのめされるなどという不安は、微塵も抱いていない。
(ちぇッ。めんこいオナゴと見りゃ、すぐ調子に乗るんだから)
調子乗りという点では、よく似た主従であった。
(しっかし……闘うときのご主人は、格好いいなぁー!)
酔漢どもの前に立ちはだかる主人を視る眼は、星空のように輝いている。
「ちっ……このガキが……!」
シアンの不敵な態度に、髭面は酒に赤らんだ顔をますます熟れたリンゴのようにして、息を荒くする。
この生意気な小僧には仕置きが必要だ。大人の世界ってやつを一度、その澄ましたツラによく教え込んでやらなきゃならない。そうだ、骨が歪むくらいにボコボコにしてやる!
全身から怒りを発散させ、いざ青年に向けて一歩を踏み出した瞬間だった。
「おぅ……!」
足を踏み出した姿勢のまま、髭面は動きを止めた。
眼は焦点を失い、鼻も口も呼吸を忘れていた。
その股間に、シアンの爪先がめり込んでいた。
ドウッ──数秒を経て、髭面の身体は地面に倒れた。
動かない。激痛と精神的なショックのあまり、その意識はとっくに現実から逃避していた。
「な……卑怯者が!」
長身が大声でなじる。
だが、シアンは「どこが?」とでも言いたげに肩をすくめただけだった。
そばにあった椅子を引き寄せ、その背もたれに手を突いて余裕のポーズすら決めてみせる。
たちまち、長い足が距離を詰めてきた。
と、その瞬間、長身の頭が真横になぎ払われた。
シアンが振り抜いた、椅子の一撃である。背もたれに手を突いてポーズを取ったのは、この一発のためのカモフラージュだったのだ。
思っても見なかった頭への攻撃をまともに受け、長身も髭面の上に重なるように倒れこんだ。
「いい椅子だ」
武器に使った椅子をシアンは惚れ惚れとした眼で見る。
人を殴ったにもかかわらず、表面には傷ひとつ、接合部には歪みひとつ見られない。荒くれ者の喧嘩で壊されないために、よほど頑丈に作ってあるのだろう。
椅子を地面に戻すと、シアンはおもむろに腰掛けた。
腕を組み、足も組み、テーブルを挟んで立ちすくむ最後の一人、小柄な男に向かって微笑みかけて見せる。
「────ッ!」
小柄の顔がグニャッと歪んだ。眼が殺意に血走る。
懐から二本の短剣を抜く。
周囲から悲鳴が上がった。酒場の喧嘩が今、殺し合いに変わったのだ。
「きぃぇぁぁぁあ!」
奇声を上げ、小柄がテーブルに跳び上がる。
回り込むことなく、最短距離でシアンを突き刺しにきたのだ。着地の衝撃で、上に乗っていたジョッキや料理の皿が一斉に跳ねる。
だが、その脚に体重を預けた瞬間、小柄は足場を失っていた。
シアンがテーブルを蹴り飛ばしたのだ。
重心を崩された小柄は咄嗟の事態に対処出来ず、頭から地面に落ちてゆく。
その無防備な顎を、シアンの脚が蹴り上げた。
「がっ!?」
鈍い呻き声を最後に、小柄は意識を失って…………
二人の仲間の上に落ちた。
酔漢の三段重ねの出来上がりである。焼いてもおいしいパイにはならないだろう。
三対一の闘いは、観衆の思いも寄らぬ形で、あっけなく幕を閉じた。
だが、立ち上がったシアンに浴びせられたのは称賛ではなく、奇異の眼だった。
誰もがこの美貌の青年を量りかねていた。
喧嘩といえば真っ向からの殴り合いが当たり前の彼らにとって、このような決着は初めてだった。
体格と数で回る連中を敵に回してよくやったと湛えるべきか。
それとも奇天烈な勝ち方を野次るべきか。
「ひどい眼にあったね。怪我はないかい、お嬢さん?」
周囲の動揺をよそに、シアンは助けた少女に声をかけた。
「あ……は、はいッ。どうも、本当にありがとうございます」
少女の顔がパッと紅らんだ。
無理もない。実際、シアンにはそれだけの魅力がある。
その一方、シアンはシアンで、ろくでもないことを考えていた。
(うん。この娘、やっぱり可愛いぞ。もう少し誘わないと)
彼女は、見事なまでにシアンの好みを体現した女の子なのだ。
もっとも、女傑判定の範囲があまりにも広いシアンのこと、苦手な女性の特徴を避けてゆけば、必然的にこういった純朴で幼げな少女にたどり着く。
ときにシアン・ルーン、二●歳。
自称、流浪の武闘家。
目下、人生における最大の目標は【旅の道連れになってくれる可愛い伴侶】の獲得である。
「そういえば家に帰る途中だったんだろ? 送ってあげ────」
「ご主人、早く行きやしょうよー!」
いつの間にそばまで来ていたのか、マオが主人のローブを引っ張った。
「マ、マオっ!? 行きやしょう、って……どこに?」
完全にその存在を失念していた従者に乱入され、シアンの取り澄ました態度は瞬く間に崩れ去った。
「忘れたんですかい? おいらたち、宿を探してる真っ最中じゃぁございやせんか。早く見つけねぇと、どこもかしこも満々杯の天こ盛りになっちまいやす」
「それは……確かにそうだが……しかし────」
「はーやーくー! はーやーくー!」
「あ、あの……そちらの方は?」
いきなり現れて駄々っ子のようにシアンを引っ張る少年に驚きつつ、少女は訊ねた。
「知らざぁ言って聞かせやしょう! おいら、ご主人の愛じ────」
「弟だよ」
「はいいぃッ!?」
素っ頓狂に叫ぶマオをすかさず抱き寄せてローブの裾でくるみ、口を塞ぐ。
「お、弟さん……? でも、ご主人って」
「いや、すぐ影響される子でね。ついこの前、噺家の主従話を聞いてから、ずっとこんな感じなんだ」
ローブの中で「むーむー」と唸りながらもがくマオを、密かに腕で締め上げながら必死になって苦しい嘘を吐く。
「あはは。そうなんですか。可愛い弟さんですね」
それでも少女は納得した。もはやシアンの虜である。
「あ、それより、宿を探しておられるんですか?」
「ああ、そうなんだ。どこか、いいところを知らないかい」
シアンの問いに、少女は我が意を得たりという風にパンッと手を叩いた。
「でしたら是非、私の家にいらしてください」
「きみの、家?」
ローブのなかの抵抗が激しさを増した。
(静かにしろッ!)
絞める腕に、一気に力を込める。
「きゅぅ……」
短い呻き声が布越しに聞こえて、マオの身体から力が消えた。
「私の家、宿屋なんです。まだ、お部屋も空いているはずですよ。どうぞ案内します」
蝶が舞うように、軽やかに踵を返して少女は手招き、今にも小躍りし出しそうな足取りで歩き出した。
シアンもすぐさまそれを追い、横に並んだ────落ちたマオを担いで。
「あれ? 弟さん、どうされたのです?」
「ひとしきり騒いだら、いきなり寝てしまったんだ。忙しい奴だよ」
もっともらしく、シアンは「ハハハ」と笑って、さりげなく少女の腰に手を添えた。
シアンの姿を、通りの反対側から、じっと観察している者たちがいた。
酒場の軒先で伸びている酔漢たちと同じ三人組だが、こちらは女だった。
囲んでいるテーブルは喫茶店の二階に設けられたベランダ席で、飲んでいるのもコーヒーか紅茶。
顔からは酒気の代わりに、生真面目さと精悍さが漂ってくる。
服装はいずれもチュニックにズボン、と多分に男性的である。
スカートをはいていない理由は、腰に帯びた剣にあった。
「旅行者みたいだけど、素人じゃないわね。彼、何者かしら?」
クセのある赤毛を短髪にした女が、最初に口を開いた。
「騎士でないのは確かよ。いやらしい闘い方だわ」
ブロンドを丁寧に結わえ上げた小柄な女が、呆れたように応える。
「そう? あのなりで荒くれ者と三対一よ? それに、あの体捌き……眼で追えた?」
「予想外の動きが多かっただけよ。実戦で使えるとは限らないわ。隊長はどう思われます?」
二人の眼が、三人目に向く。
褐色の肌と、胸まで伸びた黒髪を持つ女だった。
猛禽類のような鋭い眼には、隊長の敬称に相応しい冷厳な光が宿っている。
その双眸と、顔面を斜めに走る古い裂傷痕のおかげで強面の印象が強い。
「ウィリアミナは私ともに来い。あの男を宿までつける」
「は」
隊長の命令に、赤毛の方が即座に立ち上がる。
「まさか隊長、あのような放浪者を雇う気ですの? しかも男です。危険では…………」
金髪が不安げに抗議する。
「女では信用ならんからな。マデリーン、お前は戻って、あの御方にご足労を願え。あとでウィリアミナを迎えにやる」
「……はい」
不承不承といった風情ながら、金髪も立ち上がった。
次章予告
娘を助けたお礼にと、
泊められましたる立派な部屋に、
主人を取られてなるまいと、
マオの謀略 愛の罠。
ところで祭りは女だらけ、
武術大会とはなんぞやと、
聞けば怪しきメガロニア、
雲行き巡って嵐の予感、
巻きこまれるのが主人公、
きっちり踏みたいお約束。




