主人と従者と一回戦Ⅱ 王子殴られる之巻
「前回までのあらすじ!」
「うむ」
「ご主人、人生最大の貞操の危機!」
「〝貞操の〟は余計だろ!」
「今回のあらすじ!」
「またか!?」
「ご主人の美貌が最大の危機!」
「どういうことだ!?」
「来ましたね。それでは、これより第一回戦、第一試合を始めてください」
女神官と机が光を纏い、揃って地面へと吸い込まれて消えた。
アリーナの中央にシアンとガネスだけが取り残される。
「終わっただと……? バカな! 相手があのガネスとはいえ、そう簡単に負けられてたまるか。いや、あいつならきっと勝つ!」
「見て、イリ姐。なんか、様子が変よ」
ウィリアミナの言う通り、アリーナでは異変が起こっていた。
試合は決闘の様式に則って行われ、対戦者が互いの得物を交差させることが戦闘開始と合図となる。
ところが、ガネスが金砕棒をかざしてもシアンの方は微動だにしない。
「ん? おい、どうしたんだよ? あんた?」
呼びかけても、なんの反応もない。
シアンの精神はすでに、外界からの刺激に対して活動を拒否していた。
見栄っ張り根性が本能的に働いているおかげで、かろうじて仁王立ちを保ってはいるが、それ以外の行動は望むべくもなかった。
「おい。あいつは、どうなっているんだ?」
「見て分かんねぇ? 気ぃ失ってんの」
「はぁ!?」
分かるわけがない。親衛隊は揃って耳を疑った。
「ご主人は病気持ちでよぉ。ああいう女……いんや、強そうな女を見るだけで、頭がおかしくなっちまうんでぇ」
「それって、昨日言ってた対人恐怖症のこと?」
「ていうか、女傑恐怖症……」
「なんだそりゃ!」
聞いたこともない病名に、イリーズは頓狂な声を上げていた。
しかし、それならばシアンがこれまで何度か見せた、自分や周囲の女を避けるような素振りにも納得がゆく。
「な……なぜそんな重大なことを隠していた!? いや、そもそも、なぜ我々の話を受けた!? こうなることくらいわかっていただろう!」
「ご主人はお人好しでよぉ。頼まれたら嫌って言えねぇんだ。とくに、めんこいオナゴの頼みはさ」
「ああ……あいつか」
「マデリーンったら……」
なにやら納得したように溜息をつく親衛隊の二人であった。
「誰?」
「いや、こっちの話だ」
いつまでも始まらない試合に、客席がざわつき出していた。
微動だにしないシャロンに向かって、観客が次々に野次を飛ばし始めている。
しかしマオにもイリーズにも、どうすることも出来ない。
試合自体は始まっていないとはいえ、下手に手を貸して助勢と見なされれば、助けられた方のみならず、助けた方まで失格となってしまうのだ。
「おい貴様、起きろぉ! 決勝で私と闘うんだろうがぁ!」
「シャローン、しっかりー! 負けたら抱きしめちゃうわよー!」
「お姉様ぁ! 愛してまぁーす!」
三人で必死に声援を送るも、その内容が悪いのか、シアンに覚醒の兆候はない。
この上、勝ってもらうためには奇跡でも起こる他なかった。
だが、それは起こった。
「シャロン様ぁ!! 頑張ってくださぁーい!!」
高らかに響いた大音声が、幾多の罵詈雑言もろとも、闘技場を一呑みした。
すべての観衆が呆気に取られて動きを止め、貴賓席を見上げた。
「王女……様?」
マオたちもまた眼を点にしていた。
席から立ち上がった王女が、はしたなくも窓枠に足をかけ、身を乗り出して絶叫したのだ。
「お、おい……フルレラ。そなた、ずる――ぐはッ!」
「お兄様は黙っててください!」
後ろから止めようとするニギエラの顔面に肘を打ち込んで、王女はさらに叫んだ。
「私、あなた様の本気が、見とうございまーす!!」
再び響く王女の声。
そのとき、シアンが動いた。
そして、それを眼にしたマオ以外の全員が眼を疑った。
人の脚ほどもあるガネスの巨大な金砕棒に重ねられたのは、なにも持たぬ、ただの徒手だったのだ。
「な……なにを考えているんだ、あいつは!?」
上擦っていた声をさらに引き攣らせてイリーズが叫ぶ。
「正気……なの?」
ウィリアミナすらも首を横に振った。
シアンの徒手武術の冴えが他に類を見ないことは、前夜祭での喧嘩で見知っている。だが、それは相手もまた同じ条件──素手同士の喧嘩でこそ通用する技術だ。
互いに武器を握る真の闘いで素手を頼むなどというのは自殺行為か、それこそ狂気の沙汰である。
まして相手は最強の呼び声高い〝バイゴルの巨大獣〟なのだ。
一昨日からシアンには驚かされてばかりだ。だが今度という今度は阿呆と呼ぶ他ない。
あるいは恐怖症とやらで本当に頭がどうかしてしまったのか。
一方で、主人の実力を知るマオもまた、その復活に複雑なものを抱いていた。
(なんで、おいらじゃなくてあの女なんだよー!?)
主人を甦らせた王女に対する嫉妬の炎であった。
そして炎は同時に、ガネスの眼の奥でも上がっていた。
「あんた……!」
こちらは怒りの炎である。
仮にも名を馳せる自分に対して拳闘で来るなど、随分と舐められたものだ。
こんなふざけた手合いは、そのひん曲がった性根もろとも叩き伏せてやらねばならない。
「いいさ、どっからでもかかってきな」
殴りたければ殴ってくるがいい。この鋼の肉体の前に拳など無力であると悟ったそのとき、一撃でその綺麗な顔を叩き割ってくれる。
それにしても、このシャロンという女、どこかで見たような……
静まりかえったはずの客席からは、クスクスと含み笑いが湧き始めていた。
やがて、それは次第に伝染してゆき、やがて大きな嘲笑の渦へと成長する。
そして次の瞬間、一斉に止まった。
「が──!?」
ガネスの巨体がガックリと地面に崩れ落ちたのだ。
しかも数秒を閲しても、微動だにしないではないか。
「な──ッ!?」
「今……なにやったの?」
遠目で見ているイリーズたちにすら、シアンの動きは見切れなかった。
ただ、その技を知っているマオだけが、すべてを理解していた。
第一に、背後に回り込み、膝の裏側を蹴る。
第二に、相手が片膝を突いた瞬間、こめかみに掌打を叩き込む。
巨漢と闘うときのシアンの常套手段であった。
相手の反応を許さぬ速さと、一撃で脳を揺さぶる正確さ、この絶技によって倒れなかった敵はいない。
鐘が打ち鳴らされ、アリーナの上空に浮かぶトーナメント表から『ガネス』の名が消えた。
規定では、どちらかが気絶か降参をする、あるいは武器を失った状態が三〇秒以上続けば、試合は終了となる。
ガネスが戦闘続行不能と見なされたのだ。
だが、客席からは一つの拍手も飛んでは来なかった。
なにが起こったのか理解出来ず、一万人の観客全員が沈黙していた。
王室席の二人ですら、予想を超えた事態に唖然としている。
当のシアンもまた観衆に手を振ることもなく、静かに控え室へと帰ってきた。
「お姉様、信じてましたッ!」
「見事だ。だが今のは一体……?」
マオたちが駆け寄り、声をかける。
が、それでも反応がない。
その身体がゆっくりと、前のめりに傾いてゆく。
「お、おい!」
イリーズとウィリアミナが慌てて両脇から支えた。
「……やっぱり」
主人の顔を下から覗き込んだマオは、即座に納得した。
白目を剥き、秀麗な貌を引き攣らせて、シアンは失神していた。
「姐御、ウィリアミナさん。頼みがあんだけどよ」
「どうした? 急に改まって」
「次の試合、おいらになにがあっても、ご主人に邪魔させねぇでおくれよ」
「おチビちゃん?」
「そういうこったから、頼んだぜ」
そう言い残して、小さな従者は控え室をあとにした。
鞭が唸った。
少年の小さな背中に激痛が走る。
「やめて……やめて……」
いくら願っても、責め苦は止まない。
少年にはわかっていた。剣を拾い、立ち上がるまで、この苦痛は終わらない。
だが立ち上がっても、今度は剣が襲ってくる。
剣と鞭と、どちらが恐いか。
どちらも恐い。
少年はただただ痛みに耐え、涙を流して懇願するしかなかった。
「やめて……お願い……ッ、お…………ッ!」
控え室のベンチの上で、シアンはうっすらと眼を開けた。
「お、気がついたか」
「──ッ! うぉわぁぁあッ!」
自分を覗き込んでいるイリーズを見た瞬間、悲鳴を発して跳び上がった。
「が……ッ!?」
そして天井に頭をぶつけ、さらには着地に失敗し、ベンチから転がり落ちた。
「なるほど、これが女傑恐怖症か」
「イリ姐はともかく、あたしはそんなんじゃないわよ。失礼ね」
そばにいたウィリアミナが不満の声を漏らす。
が、シアンにとっては彼女もまた、強気、剛毅、筋肉質という三点セットが剣と鎧で武装した、完全無欠の女傑である。
「……ここは? 私は、一体?」
割れんばかりの頭の痛みに悶えながらも、ゆっくり立ち上がる。
「控え室よ。覚えてないの?」
「いや……なにをだ?」
自分はたしか、神官と一緒に相手の選手を待っていた。
そこから、どうしたのだろう?
「貴様はガネスを倒して、ここで倒れたんだ」
「私が? 倒した?」
「凄かったわよ。あの〝バイゴルの巨大獣〟を一瞬! だったんだから」
ウィリアミナが腕をシュシュッと振ってシアンの動きを真似してみせたが、それでもシアンにはなにがなんだか理解できない。
自分がどう闘ったかはおろか、相手の顔すら記憶にないのだ。
もっとも、経験上こういうのは無理に思い出さない方がいいのだが。
「そうだ。マオ……マオはどこだ?」
「あいつなら、そこだ。これから始まる」
イリーズが指さした方角に顔を向けた瞬間、シアンは頭の痛みも記憶の謎も忘れ去った。
窓の外に広がるアリーナの中央に、従者はいた。
「あいつッ、馬鹿野郎!」
シアンが窓に突進した。そのまま外に飛び出すつもりだ。
「待て、貴様!」
すんでのところで、イリーズたちがその足を掴んで引っ張った。
ゴヅッ──勢いを失ったシアンの身体が落下して、鼻と窓枠が鈍い音を立てた。
そうこうしている間にも、アリーナではマオとイグニスが互いに睨みを効かせて対峙していた。
イグニスは鈎鉄甲を装着し、マントを脱いだ戦闘態勢である。
その姿に、闘いとは別の意味で高ぶった男たちから口笛混じりの歓声が飛ぶ。
一方のマオにも、その愛嬌に向かって黄色い悲鳴が浴びせられていた。
しかしイグニスはともかく、マオすらもが声援に対して見向きもしない。
「おめぇさんのマスク……見覚えがあるぜ」
イグニスを見据え、マオが呟いた。
「コリのやつらが使ってたっけ? 《偽りの面》とかなんとか……」
イグニスが、スッと鉄の爪を宙に掲げた。
マオもそれ以上の言葉を呑み込み、腕を上げた。
途端に、会場が爆笑に包まれた。
ユニコーンの着ぐるみを着た小さな妃候補の手に握られていたのは、円い胴体と棒状の柄を持つ、鉄の鈍器だった。
棍棒ではない。
フライパンである。
今まで、その身体のどこにしまわれていたというのだろう。
二つの得物が重なった瞬間、イグニスの全身が殺気を発した。
「あ、ネコ!」
同時に、マオが驚いた顔で、その背後の空を指さした。
咄嗟にイグニスは振り向く。
だが、ネコなど一匹もいない。そもそも、なんでネコが空にいるというのか。
ゴッ────その後頭部に、鈍重な一撃が炸裂した。
寡黙な覆面女の身体が地面に転がった。
「っしゃぁ! これぞ必殺ネコ欺しぃ!」
腕を上げてガッツポーズを決めるマオに、拍手喝采とブーイングと爆笑がいっぺんに浴びせられた。
しかし、イグニスが跳ね起きてきたことで、熱気は瞬時に静まりかえった。
後頭部への不意打ちにもかかわらず、その表情にも足取りにも乱れはない。
それで終わりかとばかりに、身体についた砂を悠々と手で払っている。
(やっぱ無理か。わりと殺す気でやったってのによぉ……)
鍋の柄を強く握り、マオは敵を見据えた。
「くそっ! あいつ……私があの女の正体に気付いていないとでも思ったのか……! ええい、止めるな二人ともッ!」
鼻血を滴らせながら、シアンは窓枠を掴んで必死にアリーナへ出ようとしていた。
だがイリーズとウィリアミナが、その両足をガッチリと掴んだままだ。
窓と女たちの間で、シアンの身体が一直線になっている。
「行くな! 貴様もあいつも失格になるぞ!」
「構うか! マオが危ないんだ!」
「そんなはずはなかろう! あのイグニス、確かに得体の知れん奴ではあるが、お前の使い魔ならば負ける道理がない!」
「なにが使い魔だ! まだ判らないのか!?」
「なにが!?」
「私たちは契約などしていない!」
イリーズたちの表情が凍った。
「だが相手は違う。あれは……あいつこそが、契約した魔族だ!」
「ちゃららっちゃーん『ご主人は女傑恐怖症』裏話コーナー!」
「さて、今回からは別の話題を」
「ちょい待ち、その前に!」
「なんだ?」
「〝バイゴルの巨大獣〟のバイゴルって何?」
「北方蛮族って言ってただろ?」
「部族なの?」
「うむ」
「ちょっとそのへん詳しく」
「細かくは決めてないが、なにせ本戦最初の相手だからな。強そうな奴と当たるのはお約束だろ?」
「うんうん」
「だから響きだけでいかにも強そうな異名を持った闘士を出そうと思って、それっぽい部族名を考えることにした」
「同機は分かりやすが、理論があまりにもフワッとしてるのは気のせいでやしょうか?」
「で、だ。バイキングとモンゴルを足して二で割った」
「やっぱフワッとしてた」
「それっぽいだろ?」
「ムカつくことにそれっぽいでやす。で、例によって名前と北方ってとこ以外は何も考えてない」
「うむ。さっき細かくは決めてないと言った通りだ」
「相変わらず甲斐のねぇ裏話コーナーでやすね」
「この作者、重箱の隅をつついても何にも出ないぞ。そもそも隅がないから」
「ってぇ! バイゴルの話してたら終わっちまったぁ!」
(……私は、もう帰っていいのか?)
次回予告!
人の恋路を邪魔する奴は、
馬に蹴られてなんとやら!
相手が悪けりゃ蹴ろうに蹴られぬ、
ケリの付け方無かりけり!
魔族と魔族の実力差、
愛の力で覆せるか!?
そして再び燃え上がる、
シアンの怒りの矛先は!?




