第4章 主人と従者と王宮Ⅰ 従者舐められる之巻
「ぱんぱかぱーん。新コーナー《今回までのあらすじ》ー♪」
「どういうことだ?」
「あらすじー、『前回までの裏話コーナーは【後書き】の方に回されました』。以上!」
「それは、あらすじじゃないだろ!」
「今回からは新ヒロインが登場するぜ! いらねぇ! 帰れ! おいら一人で充分だ!」
「無碍なことを言うな!」
Ⅳ 主人と従者と王宮
剣を弾き飛ばされ、少年は尻餅をついた。
普通ならば、そこで戦いは終わる。
だが、無防備になったその身体に、容赦なく鞭が叩きこまれた。
鋭い痛みが一文字に肌を焼く。
「うぁ……! ああッ!」
悶え苦しみ、少年は地面を転がる。
そこに二発、三発と鞭が振るわれる。
「痛い……やめてください……! どうして、こんなこと……ッ」
必死に訴えるが、罰の手が止まることはない。
「立ちなさい! この意気地なし。それでも男ですか!」
鞭を握る女の眼が少年を睥睨していた。
少年は恐かった。
その眼が、たまらなく怖かった。
シアンは目を覚ました。
真っ白い天井が見えた。柔らかい布団に包まれているのを感じる。
バニラの甘い香りが鼻を突く。
(バニラ・クッキーだ……)
そう思ってから、考え直した。
焼き菓子の匂いとは異なる。精油が焚かれているのだろう。
甘いものなど久しく口にしていない。だが、本性を明かせば、大の菓子好きである。
とくに、クッキーには強い思い入れがある。
(たまには食べたいものだ……)
シアンの中に、幼い頃の記憶が甦っていた。
母がよく焼いてくれたあの優しい味は、二〇年を経た今もなお舌に焼きついている。
「……うッ!」
懐郷の念が、途端に怖気へと変わった。
たった今見ていた夢を思い出してしまったのだ。
瞬く間に目眩と吐き気が襲ってきた。
憑かれたように布団から飛び出した。
その眼が、ダイニングテーブルの上に置かれていた小さな茶碗を捉える。
なかに注がれているのは茶か。
気付け薬に、と一気に呷ろうとして────
「だめーッ!」
横から突き飛ばされた。
絨毯の上に倒れ込んだ拍子に、液体が身体に降りかかる。
「な……ッ、あっちー!」
茶ではなかった。焚かれていたバニラ・オイルである。
茶碗と油皿の違いも判らなかった自分のバカさ加減を悔いても遅い。
熱湯を遥かに超える灼熱がたちまち服を通り抜けて肌を焼く。
大急ぎで服を脱ぐが、オイルに触れた胸は赤く色づき、疼くように痛んだ。
「マオ、お前────!」
止めるにしても、もう少しやり方があるだろう――と怒鳴ろうとしてシアンは動きを止めた。
生意気な従者ではなかった。
「ごめんなさい、ごめんなさいッ。ああッ、こんなに真っ赤に……ッ!」
女中姿の少女である。
少しくすんだ金髪と大きな眼……特徴的なソバカス……
シアンには見覚えがあった。
昨夜、王女に付き従っていた親衛隊隊員の一人である。
ただの幼顔かと思っていたが、エプロンドレスを着た今の姿を見るに、成人を迎えているとは思いがたい。
「冷やさなきゃ。待っててください!」
脱ぎ捨てられた服を持って、少女は洗面所へと消えた。
慌ただしげな水の音を聞きながら、シアンは顔を巡らせて室内を見回した。
宿ではなかった。まったく見覚えのない部屋だ。
昨夜のスイートも充分贅沢なつくりだったが、こちらはさらに上をいっている。
ベッドは天蓋付きで、布団もさらに肌触りがよい。午後の日射しが差し込む窓の向こうにはバルコニーが広がっている。
貴族の邸宅の一室――そう見て、間違いはなさそうだ。
そして、マホガニー製のソファの上にマオがいた。
横になって毛布を肩まで被り、スヤスヤと寝息を立てている。服装は平素のものに戻っていた。
今の騒動で起きなかったところを見ると、熟睡しているらしい。
寝顔は天使だ、とシアンは思った。
永久に寝ててくれたらいいのに、とも、少しだけ思った。
そっと近寄り、帽子の上から頭を撫でてやる。
(助かったぞ、マオ。お前がいなければ、ギブアップしていたかもしれん)
口には出さぬまでも、偽りない感謝の言葉だった。
この小さな従者がしゃしゃり出てくれたおかげで、自分はあの女傑地獄のなか、精神の均衡を保つことが出来たのだ。
もっとも、最後の最後でとんでもない女(あの卑猥なビキニ仮面)と鉢合わせたのもマオのせいなのだが…………
「シアン様、これを」
後ろから手拭いが差し出された。
冷たい水に濡れたそれを受け取り、火傷にあてがう。
「ありがとう」
「い、いえ……申し訳ありません、私が急に突き飛ばしてしまったせいで」
「いや、よく止めてくれた。でなければ、この程度じゃ済んでいないさ」
あそこで茶と間違えたまま灼熱の油を飲んでいたらと思うと、心底ゾッとする。
「そう言っていただけると救われます。あの、指は大丈夫なのですか? かなり、しっかり触っておられましたが……」
「修行で鍛えているからね。熱さはほとんど感じないんだ」
強がりではない。
師から教わった修行法の中には、熱した砂に何度も指を突き立てるというものがあった。
「そういえば、名前を聞いてなかったね」
「え? あ……ミ、ミラウラ……と申します。どうぞ、ミラとお呼びください」
はにかみながら少女は答え、スカートの端を摘んでお辞儀をした。
親衛隊らしからぬ柔らかな物腰に、シアンの心が踊る。
そもそも服装からして女中服である。武器を携帯している気配もない。
おかげで安心して彼女を正面から見られた。
昨夜の格好は変装だったのだろうか。
「大会中、シアン様のお世話をさせていただきます。なんなりとお申し付けください」
「よろしく、ミラ。しかし、きみは親衛隊じゃなかったのか?」
「はい。ですが、私がこの仕事を志願したんです。シアン様が殿方であるというのは、王女と親衛隊の一部しか知らない極秘事項ですので。それに私、もとは王女様の侍女だったんです。隊員になって日も浅いですし」
シアンは、あやうく鼻の下を伸ばすところだった。
彼女のような愛嬌に溢れた妙齢の娘が世話役を買って出てくれるというのは、はなはだ男冥利に尽きる。
しかしながら親衛隊員であることは事実らしい。その点だけ、シアンは少し気落ちした。
「短い間ですが、大会中はどうぞこの部屋を我が家だと思って、ご自由にお使いください。お食事なども、私がお運びいたします」
「ここは……王宮かい?」
「はい。迎賓棟にある、お部屋の一つです。本戦に出場する皆様に、一部屋ずつお使いいただいてます」
「こいつにも?」
シアンは後ろのソファを親指で指す。
「ええ、その予定でしたが、貴方様の傍にいると言って聞かなくて。とてもお優しい方ですね。ずっと付きっきりでしたわ。私、この子のような魔族は初めて見ました」
ソファで眠るマオを見て、ミラが言った。
「……ご主人…………」
「起きたか、マオ」
しかし、そのまま数秒が過ぎても、従者は瞼を閉じたまま、一向に起き出してこない。
「なんだ、寝言か」
「よほど心配してたのでしょうね」
ミラが微笑ましげに笑ったそのとき、マオがまた、ぶつぶつと呟き始めた。
「……ああ、ご主人……そんな……そんなとこ、舐めないで────」
シアンの脚がソファを引っ繰り返していた。
「なんの夢を見とるかぁ!?」
「ぅびゃーッ!?」
重厚な二人掛けが宙返りして、寝ていた魔族を下敷きにした。
「あ、あれ? ちぇ、夢かぁ……」
寝惚けまなこを擦りながら、ノソノソとマオが這い出てくる。
「……ご、ご主人ッ!」
仁王立ちのシアンを見上げるや、その眼をまん丸に見開いた。
「おいらが寝てる間に、その女となにやってたのー!?」
シアンはまだ半裸だった。
「やかましい! なにを勘違いしとるんだ、なにを!」
「いやだ、ナニだなんて。もっと、アレをソコにコーしたとかハッキリおっしゃって……」
ミラウラが頬を紅く染め、恥じらいつつも満更ではない表情で言う。
「はいぃ!?」
少女のものとは思えぬきわどい物言いに、シアンも度肝を抜かれる。
たちまち、シアンを挟んで二つの視線が激突し、見えない火花が散った。
(な、なんなんだ……一体?)
気づかぬのは、渦中の中心ただ一人である。
そのとき、部屋の扉が外から叩かれた。
(いた! この国に、ノックするやつが!)
感心するシアンだったが、直後、それは別の驚愕に取って代わられた。
「すまない。ニギエラだが、入っていいかな?」
ギョッとして三人は顔を見合わせた。
「うぃー……『ご主人は女傑恐怖症』裏話コーナー第七回ー……」
「いやにテンション低いな、おい」
「だってー、まぁーた変な女一人増えたじゃねぇでやすか。払っても払っても湧きやがる」
「ミラウラのことか? 人をハエのように言うな、まったく。それに前々から姿は見せていたではないか」
「モブだと思うじゃねぇですかい、あんなの」
「モブにしてはだいぶ目立ってただろうが。まぁ、ミラも書いてるうちに設定と出番が増えたキャラの一人ではあるがな」
「それって前回の裏話で言ってた?」
「そう。書くうちに仕上がった世界観の一例だ。キャラも世界のうちだからな」
「世界観といやぁ気になってたんですがね、魔族ってこの世界じゃどんな立ち位置なんでさ?」
「人間界とは別に魔界と呼ばれるところがあってだな。そこで進化した人類だ」
「へいへい。そこは本編でも言いやした。オイラが聞きてぇのは魔界と人間界の関わりとか、二つの世界がどこで繋がってるかとか、両者の間にどんな歴史があるのかとか」
「何にも考えてない」
「まじっすか」
「魔族が人間界にいる以上、どうにかして来るんだろうなー、とは考えられているが、方法は現時点でも未確定だ」
「そんなんでいいんですかいッ?」
「説明しても、今回の話とは関係ないからな」
「ほんっと切り捨てる主義でやすね作者」
「『そのうち面白いの思いつくからそれまで無理しない』だそうだ」
「これ、土壇場にならねぇと動かねぇやつの言い訳じゃん!」
「と、いうわけで土壇場の勢いから生まれた次回もどうぞよろしく」
「そういうの〝脱線回〟っつーんじゃねぇの?」
次回予告!
急なノックはニギエラ王子。
あわてふためく主従と女中。
服はどこだとあたふたすれば、
マオの閃き主を救う。
向かい合いたる王子様も惚れるか、
化けたシアンのあでやかさ。




