たった一言の約束
時間とは有限であり、消費するものである。
少年少女がそのことに気づくのは思春期を迎える頃、若しくは大人になる頃だろう。
もしかするとそれより前の少年期に気づくかもしれないし、もっと前の幼少期に気づくかもしれない。
そして一様に思うのだ。
なんて、残酷なのだろう、と。
それは絶対的で普遍的なものであり現実に存在するものと違い取り戻すことはできない。
もし仮にそれが可能になれば、人は皆必ず幸福を享受することができるはずだ。
人に対してこれほど甘美なものはそうそう無いと断言できる。
だからこそ、人は皆”後悔”だけはしないようにと選択し続けるのだ。
例えば、目の前にプリンとケーキがあるとしよう。
そしてそれは、どちらかを手に取ってしまえばもう片方は消えてなくなってしまう、という一種の取捨選択を迫られているとする。
この時、君なら何を選択するのだろう。
人は少なからず強欲な部分を持っている。
一つを捨て、一つを選んだ気になっていて、いざその場面になると悩みに悩み抜き、葛藤の末選んだ選択だったとしても、どうしても捨てた方にしておけばよかったかもしれないと思う所が少しでも心に残る。
さっきのプリンとケーキでも、どうせ片方を選んだとしても、捨てた片方への未練は捨てられずにいるのだ。
それを”後悔”と言わずしてなんと言うのだろう。
”後悔”だけはしないとまるで中身のない空虚なもののように吐き捨てて自ら選択肢を掲げながら、その行きつく先はこれまた”後悔”なのだからなんとも可笑しな話だ。
時間とは有限であり、消費するものである。
そんなくだらないことをしている時間があるならば、俺はプリンとケーキを両方取って両方食べる。
取捨選択など知ったことかと鼻で笑ってやる。
どちらか片方しか食べられないのではく、片方を手に取れば片方が消えるのならば、両方取ってしまえばその心配はいらなくなる訳だ。
ならば俺はそうする以外の選択をしない。
いつまでも馬鹿の一つ覚えの様に延々と悩む時間があれば俺は両方を楽しむ時間に費やす。
同時に、”約束”とは”後悔”を誘発させる可能性のある鎖である。
くだらない”約束”を妄信し、他人が得を、自分が損を引き当てた時、決まって思うのだ。
『ああ、あんな”約束”しなければよかった・・・。』
”約束”という鎖で縛られたその行為は得てして”守らなければならない”と一種の強迫観念のようなものによって”やってはいけないこと”の認識に入る。
それを破るということは他人の信用を落とす結果となるからだ。
だが、確かに色々な面で言えば”約束”とは非常に有用で簡単な手順の取り決めである。
それは小さな子供から、立派な社会人にまで浸透している認知率から窺えることだろう。
だからこそ、それを悪用する様な輩や、それに囚われる哀れな輩が出てきてしまうのも不思議ではないことだ。
一つの約束を重んじるが故に、もう一つの約束を軽んじて他人に迷惑をかける。
保証人という立場上、保障していた人物が逃げた場合、多額の借金を払わされる始末になる。
約束を守ったが故に、自分の持てるベストを尽くせずに勝負に負ける。
これら全ては”後悔”を生む鎖と成った”約束”だ。
約束を軽んじられた方は、その約束を守るがために待ちぼうけを食らったり、蚊帳の外になったりと、もし約束を破っていれば、という後悔が生まれる。
借金を被った方は、保証人なんぞならなければ、という後悔が生まれる。
勝負に負けた方は、約束がなければ勝っていた、という後悔が生まれる。
ああしていれば、こうしていれば、ああでなかったら、もしこうだったらば。
いくつもの後悔が浮かび、自らをその炎で焼き尽くさんとする様ははっきり言って痛々しいと表現するのが一般論であるといえるだろう。
だが、それは俺からすれば全てが”時間の無駄だ”と言える。
『人は後悔をする生き物だ』とは、誰が言った言葉であったか。
確かにそうだ。
それは覆しようがない事実だと認めよう。
時間とは有限であり、消費するものである。
故に俺は思うのだ。
”後悔”する時間を減らせたならば、別のもっと有意義なことに消費できるのでは、と。
ただ、人によってそれを無駄と断じる者もいれば、必要だと断じる者もいる。
時間とは有限であり、消費するものである。
時間の消費、”約束”、そして”後悔”。
この三つが同時に突きつけられる選択肢が現れた場合、君だったら何を選んだのだろうか。
「やあ、待った?」
その”約束”をしたならば、同時に”後悔”を感じるかもしれないし、莫大な時間を消費してしまうかもしれないという選択。
「そうだな、ざっと十年くらい待ったね」
ただ、一言の”約束”。
「また会おうって別れてから、もうそんなに経つんだね」
『また会おう』この時間、この場所で。
「おかげで身長はこの通り俺の方が高くなるくらいには長かったな」
ただその一言を信じて、来る日も来る日も、同じ時間、同じ場所で一日待ち続ける。
「そうだね、今じゃ君の肩くらいまでしかわたしの身長じゃ届かないね」
いつか来る、という確証もなく、ただ待ち続けるという時間の消費。
「・・・あの時に、私が言えなかったこと、聞いてくれますか?」
たった一言の”約束”と、それが守られなかった時の身をつんざく”後悔”。
「ああ聞いてやる。だからこっちも、あの時言えなかったことを聞いて欲しい」
十年という歳月を”約束”という鎖で縛られ消費し、その果てには再会か”後悔”しか生まない選択。
「私は――――」
もしも俺ではない誰かが同じ立場になったならば、この選択をするのか、しないのか。
一体どちらなのだろう。
「俺は―――――」
時間とは有限であり、消費するものである。
その先には”後悔”がついてまわり、”約束”によってその数は増減する。
「「君のことが―――――」」
十年間同じ場所で待ち続けるという選択肢を選んだ今の俺に、”後悔”の二文字はなく、ただ彼女の顔をもう一度見れたことへの安堵だけが温かく心に浸み込んでいた。
初めての短編。
正直うまくまとまった気がしない・・・。