最終話
立ちはだかるヴァルキューレの軍団を蹴散らして強行突破をはかる5台のサンドモービルが、やがて崩れかけたモスクの入り口までたどり着くと、アンドロイドの少女が頭上に光のオブジェを瞬かせて話しかけてきた。
それは、消えかかった線香花火みたいに弱々しい光だった……
「……あそこに見える……神像の下から……地下に入ることが出来ます……」
少女の視線のさきには、円形闘技場を模した巨大なライブステージのおくに、古代ゲルマン・ケルトの神話に出てくる軍神が雄々しく佇立していた。そして、その巨大なブロンズ像を支えるコンクリート架台の裏がわには、鋼鉄の扉が黒い口を開けて【学級委員】たち5人をじっと待ち受けていたのである。
「よーし、あそこに入るぞ! 【体育委員】は、俺と一緒にこの子を運ぶのを手伝ってくれ」
5人は、サンドモービルを乗り捨てると、追いすがる敵を振り払いながらその扉めざして全力で走った。重たいアンドロイドの少女をかついだまま何とか入口の内へとすべり込むと急いでその扉を閉じる。体当たりしてきた敵の槍先や拳がその鋼鉄製の扉に次々とめり込むのが見えた……
「よーし、振り切ったぞ……」
「あとは、この女の子をこの先にある地下施設へと連れていくだけだ」
地下へと続く狭い階段の下からはカビくさいエアコンの空気がもれ出し、ひんやりと5人の顔をなめた。そのうす暗い石畳の階段を慎重に下り両開きの自動扉をくぐって中に入ると、そこは宇宙船のコックピットみたいにモニタや計器類が整然とならんだコントロールルームとなっていた。
「……お願い……部屋の中央にあるコントロールパネルの前に……私をすわらせて……」
彼女が弱々しく指さす先には、まるでレコーディングスタジオのミキサールームみたいに様々な操作スイッチで埋め尽くされたブースがあった。【学級委員】と【図書委員】は、アンドロイドの少女をそこまで運ぶと静かにイスに座らせた。
「これで、いいのか?」
「うん、ありがとう……」
少女は、苦しげに身をおこすとすぐに震える指でキーボードを叩き始めた。次第に、計器類の横に並ぶインジケータランプが赤く点灯しはじめる……
そのとき突然、【保健委員】が悲鳴をあげた。
「きゃーっ! 何よ、あれ!?」
全員が一斉に【保健委員】の指さす先、部屋の奥の暗がりを見た。
そこには…………【暗黒】が【闇】をまとって立っていた。
それはまるで、アフリカ奥地に脈々と受け継がれる呪術的な土俗主義を象徴する生ける死者のように……、あるいは猛毒テトロドキシンにおかされ魂の抜け殻となった黒人奴隷のように、全身で【死】と【セックス】と【ユーモア】を体現していた……
――どこからともなく、ジミ・ヘンドリックスの――VOODOO CHILE――が聞こえてくる……
「やっぱりなあ……、いると思ったんだ」
「いわゆる、ラスボスってゆー奴ですか?」
それは、たしかに大型の戦闘用アンドロイドに違いなかった。
しかしその異様な外観は、見るものにもっと禍々しいある種の黒魔術的な存在感みたいなものを印象づけた。
黒い背広に……黒い眼鏡……、黒の山高帽と……そして黒檀で造られたステッキ……
それは、ヴードゥー教の黒い死神、バロン・サムディの姿にほかならなかった。
その死神は、まるでアナコンダのような感情の通っていない眼で5人を見ると、枯れ枝のような指でゆっくりと十字を切った……
Father, Son, HolySprit, ……A・M・E・N――父と子と聖霊の御名において、……アーメン
その低い声は、地獄の底から沸き出したような身の毛のよだつものだった。と同時に、辺りに紫の煙が立ちこめ、その中から異形の者たちが次々と姿をあらわしたのだ。それは、トントン・マクートと呼ばれる死霊の戦士たちである……
「なによー、あれ……? 気持ち悪ーい」
「ねーねー、どうするの? あたしたち、もしかしてあんなのと戦うの……?」
不安の【青】でささやき合う【保健委員】と【放送委員】の精神は、すでに死神の放った呪縛によって金縛りにあっていた。それは、まるでFAZZで歪ませた野太いギターサウンドがいつまでも耳のおくに残ってしまうように彼女たちの中枢神経にべっとりと絡みつき、蜘蛛の網に絡まった蝶みたいに身動きを封じてしまっていた。
「ねえ、どうしよう! あたしたち体が動かない」
「待ってろ、いま助けてやっから!」
そう言って彼女たちにかけ寄ろうとする【学級委員】に向けて黒い軍服を着た死霊の戦士たちがマシンガンを放った。それは、真っ赤なレスポールからしぼり出されるブルージーなサウンドの嵐だった。
「わあっ!」
攻撃をまともに食らった【学級委員】は、衝撃を受け止められずに部屋の隅まで吹っ飛ぶと、壁に激突してそのまま冷たいフロアタイルの上に転がった。
「大丈夫ですか?」
「……大丈夫じゃないけど……大丈夫……。そんなことより、早くあいつを倒すんだ」
【学級委員】は、壁にもたれながらよろよろ立ち上がると、黒い死神を下から睨み上げるようにして声をしぼり出した。
「いいか……、ザコどもは放っておいて、まずあの黒ずくめの野郎からやっつけるんだ。そうすりゃ、あとの連中はどうにでもなる」
「よ、よーし……」
【図書委員】は、呼吸をととのえると印契を結び死神に向けて真言を放った。彼の耳にシタールの幻想的な音色がよみがえる。
リュアアアァァァァーン
――dhvam! ――(除悪!)
彼の両脇には、いつの間にか象頭のガネーシャ神と美しいサラスバティ神がひかえ、天上の音楽を奏ではじめていた。
しかし……、
死神は、笑った。
その、粘土で出来たような血の通っていない相貌をゆがめてニタリと笑ったのだ。
不意に、暴力的なデス・メタル・サウンドが鳴り響いた。そして美しい天上の音楽は、その大音量のノイズを前にして、砂の城が波にさらわれるように跡形もなく消え去った。
――ES・A・ZU――(漆黒の法衣をまとった地獄の賢者……)
冥界へとつづく洞穴のような死神の口から禍々しい聖句が放たれた。一瞬、油を浮かべた水みたいにサイケデリックな彩りの光芒が揺らめき、次の瞬間には、跳ね飛ばされた【図書委員】の小さな体がバトミントンの羽みたいに放物線をえがいて宙を舞った。
「そんな……」
そこにいた全員が【真っ赤】な恐怖心の檻につながれた……
「……あいつは……あいつはアンドロイドなんかじゃない! 正真正銘の死神だ! 俺たちの肉体を破壊して魂を喰らうつもりなんだ!」
幻覚剤による酩酊状態は、快楽だけでなく恐怖をも助長する。5人のジャンキーたちは、腐敗した体内にメタンガスがたまってゆくように、徐々に全身を満たし始めたどす黒い恐怖心にあえいだ。そんな彼らを見て、黒ずくめの死神は、乾ききって幾筋ものひび割れを刻み込んだその生気ない唇をうごめかせて、さらなる聖句を飛ばした……
――ERIM・AN・NI――(こうもりの翼を生体移植した禍々しき天使の軍勢……)
ヴードゥーの言霊とともにギターノイズがフィードバックし、衝撃波となって部屋中を駆けめぐった。
「うわーっ!」
「きゃあ!」
5人は、打ちのめされて床に這いつくばった。メデューサの瞳で石にされたように恐怖で足がすくんだ。まるで砂が入り込んだように関節がぎしぎし痛む。口の中を塩辛い血の味が満たしていった……
【学級委員】が苦痛に呻きながらもやっとの思いで首をめぐらせると、中央のブースではアンドロイドの少女が熱にうなされたようにハアハア喘ぎながらも必死にキーボードを叩いているのが見えた。
そんな少女の姿を、黒い死神の視線がゆっくり捉えた……
――あの子を守らなくちゃ……
「みんな、聞いてくれ……。バラバラに戦ってちゃダメだ、僕たちの心を一つにしよう。精神をシンクロさせるんだ」
「そ、それって……どうやるの?」
「まずドラッグの効き目を強くしてみよう、パワーブースターを作動させてくれ」
全員が手さぐりで背中の【ランドセル】にあるブースターのスイッチをONにすると、モーターヘッドの甲高い唸りとともにタービンが回転し、彼らの気管へと送り込まれる幻覚剤の量がしだいに増えていった。
「あああっ!」
「ヤバいよ、これっ!」
5人の目の色が尋常ではなくなった……
今までに味わったことのない凄まじい快感が5人の体を突き抜け、電気ショックによる蘇生処置を受けたようにその体が跳ね上がった。
「よ、よーし……それじゃあ、これから『第九』を使ってみんなの精神をシンクロさせるぞ」
「……『第九』? ベートーヴェンの『第九』ね……でも、どうやって?」
「みんなが一緒になって、あの合唱の旋律を心の中に思いえがくんだ」
全員が力強くうなずいた。
「うん分かった、やってみよう!」
「歓喜の歌ね!」
5人は、ぎゅっと目をとじた。
そして、第4楽章で繰り返されるあの印象的な主題を心の中で必死になぞった……
やがて、ドラッグに含まれる覚醒物質が彼らの神経細胞に強く作用し、異常に研ぎ澄まされた聴覚が彼らの精神にありもしない幻の音楽を奏ではじめた。
それは最初、がんぜない幼女が口ずさむ、たどたどしい鼻歌だったが、やがてその歌声に、2人、3人と別の歌声が重なり、さらには十人になり、百人となり、そして千人となった……
その合唱は、次第にスケールを増してゆき、一万人を超え、十万人を超え、そして最後にはトスカニーニ指揮によるウィーン・フィルハーモニー管弦楽団をバックに、百万人を超える大合唱となって彼らの耳に洪水のように押し寄せたのである。
――ああ、聞こえるぞ……歓喜の歌声だ……
その瞬間、5人の精神は、この『第九』の合唱を媒介として見事にシンクロしたのだ!
死神が、アンドロイドの少女に向けてブードゥーの聖句を放った。
――AN・KI・BI・DA・GE――(7つの天と7つの大地と7つの地獄を焼き払う森羅万象の業火)
それは、たちまち紅蓮の炎となり、翼を持った巨大な髑髏の姿となって無防備に腰掛ける少女の身に容赦なく迫っていった。しかし、この無垢な少女は、まったくそれに気付かず、ただ一心に自分の使命を果たそうとしている。
やがてその禍々しい業火がついに少女の小さな体を焼き払うかと思われた瞬間、不意に5人のジャンキーたちがその前に立ちはだかった。
彼らは歌った。
――Freude! ――(歓喜よ!)
それと同時に、百万人の大合唱によるベートーヴェンの【第九】が、死神の放ったギターノイズをかき消していった。
――Freude! ――(歓喜よ!)
やがて禍々しい髑髏の化け物は、立ちこめた夜霧が朝陽によって追い払われるように消えていった……
「ウウ……、オノレ」
それまで魚眼のように光を持たなかった死神の双眸が、はじめて憤怒を露わにして5人を睨みつけた。ワナワナと怒りに震える腕で黒檀のステッキを振り上げ、アバドンの窖みたいに口を大きく開く……
「恐怖に負けちゃダメだ」
「うん、わかってる」
【保健委員】と【放送委員】のメッゾソプラノが、春野にたわむれる小鳥たちのさえずりを歌った。
――Tochter aus Elysium――楽園からの少女よ!
「グワア!」
死神の左腕が千切れとんだ。
【体育委員】と【図書委員】のバリトンが、夏の夜空を埋めつくす星々の煌めきを歌った。
――Wir betreten feuertrunken――我らは情熱にあふれて!
「ヤ、ヤメロオ!」
死神の右足が吹き飛ばされた。
【学級委員】のテノールが、秋の田園にたゆたう稲穂のさざ波を歌った。
――Der Cherub steht vor Gott――天使は、神の御前に立つ!
「ヤメテクレエ!」
死神は、ついに両足を失い床に転がった。そしてその憎悪に満ちた目で天井を睨みつけながら、最後に残った枯れ枝のような右手を震わせて十字を切った。
A――M――E――N! (アーメン!)
最後の言霊は、戦死者たちの魂となって激しく渦を巻き、5人に向かって猛然と襲い掛かってきた。それは、人類が太古の昔から連綿と繰り返してきた憎しみや争い、そして悲しみの歴史が生んだ怨嗟の声に他ならなかった。
「……滅ビヨ、カインノ娘達ニ誘惑サレ堕落シタ、罪深キ者ドモ」
「うるせー! てめーなんかさっさと死者の国に帰って、死体相手に『かんかん』でも踊ってやがれ!」
5人は、声を合わせて歌った。その歌声は、人類が長いあいだ忘れていた地球への愛、同胞への愛、神への愛に満ちあふれていた。
――Himmlische, dein Heiligtum――天国に、汝の聖殿に踏み入ろう!
「…………アア」
死神の体は、まるで高山の残雪が春一番に吹きさらされ、しだいに溶けて渓谷の急流へそそいでゆくように、ゆっくりと消えはじめた……
百万人の大合唱は、今や最高潮に達している。
――Seid umschlungen, Millionen――相抱かれよ、何百万の人々よ!
「…………アアアアッ」
その歌声は、毒された大地に神秘の血清をそそぎ込んだのだ!
――Seid umschlungen, Millionen――相抱かれよ、何百万の人々よ!
「…………ギャアアァァァァァァァァーッ!」
死神が消えた……
茫然と立ちすくんでいた死霊の戦士たちも、跡形もなく消えた……
――Ja, wer auch nur eine Seele usw――そうだ、地上にただひとつの魂を!
かわりに、部屋の中を神々しい慈愛の光が満たしていった……
――Freude! ――Freude! ――(歓喜よ! 歓喜よ!)
…………そしてその瞬間、死にかけていた大地がゆっくりと息を吹き返したのだ。
やがて【第九】の合唱が終わり、室内を満たしていた眩いばかりの光が消えると、5人のジャンキーたちは、腑抜けたようにその場にへたりこんでしまった。
そして、あの少女は……月から地球を救いに来た美しい少女は、安らかな笑みをたたえたまま、ひっそりと息絶えていた…………
――雲の去った宵の空を、2羽の白いカラスが天にむかって駆け上がったのは、それから間もなくのことだった。
思念と記憶……
その2つの白い光芒は、オールト雲をたなびかせながら大気圏を突きぬけ、一直線に月へと吸い込まれていった。
程なくして、乾いた月面に火柱が立った――――最終兵器が、着弾したのだ。
やがて月は……、
快楽に満ちた音楽を奏で始めるだろう…………
――さあ、パーティーの続きが始まるぜっ!
……その日、日は黒布のごとく翳り、月は血のごとく染り、空の星は無花果の実の、いまだ熟れざるに枝より落つるがごとく地に落ちかかり、地上の王たちはそのさまを見て恐れおののくであろう……
(オスカー・ワイルド『サロメ』より)
化石ドラッグ 完
最後までお読み頂き、ありがとうございました。
むかし観た『クロスロード』という映画で2人のブルースマンがギターで対決するシーンがあって(敵役は何とスティーブ・ヴァイ!)それがとてもカッコよくて、いつか音楽によるバトルを小説にしてやろうとずっと思っていました。でも、今回これを書いてみてつくづく思ったのですが、音楽を文章で表現するのって難しいですね〜。書き始めた当初、ぜったい擬声語は使うまいと心に決めていたのですが、途中でボクの筆力じゃムリということが分かりました。そーゆー意味ではとても勉強になったと思います。