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第1話

 ……空間と時間とは擬設(フィクション)である――という大いなる観念を、僕は身をもって体験しつつある。僕はあらゆる世紀に生きている。僕は空間を絶した所に生きている……

(ガルシン『あかい花』より)




 酸化鉄と廃プラスチックが堆積した大地に、水素イオン指数5つ星のどす黒い霖雨(りんう)が、まるで歌劇場(オペラハウス)の拍手喝采みたいに叩きつける。


 曇天に充ちる、電磁波と哲学者のため息……


 白骨の上に咲いた一輪の天竺牡丹(ダリア)は、その鬱血(うっけつ)した赤を、宇宙からの青い吐瀉物に晒して光合成しようと試みた。

 だめだ……

 もう久しく、鳥も飛んでいない……

 環境保護団体のバッジをつけた偉い科学者が、ユダヤのヘロデ王さながらに嘆きの天使を仰ぎ見て敬虔な祈りをささげたあと、天空をななめに横切る白いカラスを確かに見たと言ったらしいが、それはきっと、場末の売春宿でヴァイオリンの弾き語りをするジプシーたちの作り話だろう。


 いずれにせよ、子供たちが違法薬物(ドラッグ)のカクテルソースを静脈注射(ショット)している間に、青い海原も、緑の森林もきれいに消え失せ、地球は、いつの間にか重度の皮膚癌におかされてしまったのだ。


 ――沙漠に降りそそぐ夕立は、まるで女の涙のよう……すぐに乾いてしまう。


 酸性雨の去った灼熱の荒野に、野獣の咆哮がこだました。

 退廃と紫外線のテーマパークで、混沌を体現する瓦礫(がれき)のオブジェ……

 かつては、万全のセキュリティに守られたその鉄筋コンクリート製粗大ゴミに獣じみたディーゼルエンジン音を反響させ、サバンナを疾駆するゼブラさながら派手にペイントされた4台のサンドモービルが、そのキャタピラーでダイオキシンを含んだ熱砂を巻き上げながら突っ走っている。


 操縦するのは、赤や黒のレザースーツに純銀製のロザリオを提げ、ギリシャ彫刻じみたアンテナが突き出たフルフェイスのヘルメットをかぶる若者たちだ。


 今、地球の大気は、かつての半分も酸素を含んでいない。だから彼らは、みな液体酸素の入った【ランドセル】を背負っていた。

 この【ランドセル】から伸びるポリエチレンのチューブが、彼らの気道に直接、高純度な酸素を注ぎ込んでいる。


 腐った大地は、ジャンキーたちの溜まり場になった。


 ――その肉体は、処女にして神の子を懐胎した聖母のように早熟……

 ――その精神は、菩提樹の下で悟りを開いた修行者のように未熟……

 ――ただ、快楽が……、快楽だけが、ゴルゴダの丘で処刑された聖者のように、燔祭に捧げられる子羊のように、純然たる至高の極致に達していた……


 若者たちは、この酸素ボンベに微量の神経伝達物質を混ぜていたのだ。


 今、4台のサンドモービルに分乗するジャンキーたちが、お行儀良く背負った【ランドセル】のアダプターには、【メトキシジメチルトリプタミン】を充填した黄褐色の液体カプセルが装着されていた。

 この覚醒物質は、脳内のセロトニン作用を増幅させ、極度の多幸感と大音量の幻聴によって、使用する若者たちを壮大な夢の世界へといざなう……


 ドラッグによる疾走感は、音楽(ミュージック)だ!


 脳内におけるニューロンの混乱が、ありもしない幻の音楽を奏でる。

 今この時、トリプタミン系ドラッグによる快感は、彼らの昂揚する神経中枢を、重厚なフルトヴェングラー指揮によるベルリンフィルと千人を超える大合唱の織りなす壮大な音楽叙事詩へといざなっていた。


 歓喜に充ちたその曲の名は、『ベートーヴェン交響曲第9番 第4楽章プレスト』


 独創的なフーガとソナタの融合、生命への歓喜に満ちた主題を繰り返するモルト・アレグロ……。 

 このドラッグに身を委ねるジャンキーたちの、ある者は、射◯し、またある者は、オル◯スムスのため背を丸めて痩躯を痙攣させた。


 地平線のかなた、蜃気楼が砂上の楼閣を逆さに映し出す……。


 不意に、1台のサンドモービルが干からびた大地に弧をえがいて急停車した。

 残りの3台がこれに気付いて引き返してくる。やがて、停車した1台を、他の3台が取りかこんだ。

 アイドリングするディーゼルエンジンの熱気が、陽炎となって殺風景な視界をゆがめる……


 突然、若者たちの頭上に、原色じみた赤や緑の光線が複雑な図形を描きはじめた。それは、毒々しい夜の繁華街に点滅するネオンサインのように、あるいは恒星の外気をおおう電離層に荒れ狂うプラズマのように、色とりどりに、縦横無尽に、芸術的ともいえる光線の聖刻文字(ヒエログリフ)をきざみながら明滅した。


 彼らは、会話しているのだ。


 気管内を、エアウェイのチューブでふさがれ発声する事ができない彼らは、脳波から読み取った信号を、ヘルメットに取り付けた電極から放電される光のオブジェに変換することによって、他者とのコミュニケーションをはかる。


「おい、【保健委員】、どうしたんだ? 急にとまったりして」

「ごめん……、でも、あれを見て」


 【保健委員】と呼ばれた少女は、かつてハイウェイを支えていたであろう、パルテノン神殿よろしく整然と立ち並んだコンクリート支柱のかげに、うち捨てられたマリオネットのように横たわる人影を指さして言った。

 それは、カーニバルの踊り子が着るスパンコールの衣装みたいな銀色のボディスーツに、太陽光をきらきら反射させている。


「人だな……、生きているのかな……?」

「環境省の調査員でも遭難したか?」

「……ちょっと、行ってみるか」

 4台のサンドモービルは、獲物に群がる鮫のように、横たわる人影に近付いていった。


 間近で見ると、それは美しい女性だった……


「息はあるか?」

「………………だめ、とても弱いわ、もう死にそうよ」

 【保健委員】が、純銀のロザリオを揺らしながらゆっくりとかぶりを振った。


「どうするよ【学級委員】、保安警察(せいかつしどう)を呼ぶか?」

「ばーか、今日は、5月1日(メーデー)だぞ! 警察官(やつら)、今頃あの国民を見下したような威圧的な制服を着たまま、『賃金ベースアップ要求!』とか何とか書かれた横断幕を掲げて団体交渉権行使の真っ最中さ。俺たちのような社会のゴミに構ってるヒマなんかあるもんか」

 【学級委員】と呼ばれた少年は、大袈裟なジェスチャーで肩をすくめて見せた。


「じゃあ、どうするよ? このまま、ここに放っておけっていうのか?」

「そんなこと言うなら【体育委員】、お前がステーションまでかついで運べばいいじゃないか」

「この車じゃ無理だよ、4輪で来なきゃ……」


 【体育委員】という名の大柄な少年が大きくかぶりを振ったとき、【保健委員】が不意に叫んだ。

「待って。…………この人、何か喋ってるわ!」

 横たわる女の頭上に、弱々しい光線のメビウスリングが図形を描きはじめた。それは、若者達が普段使わない、見慣れない言語だった。


「おーい、これって、どこの国の言葉だ?」

「あん? 見たことねえな……。おい【図書委員】、お前知ってっか?」

 小柄で、頭でっかちの【図書委員】は、しばらくその光の明滅を見守っていたが、ふと思いついたように言った。


「……これは、きっと機械語ですよ。プログラミングするときに使うやつ。たぶん、第6世代言語の改良型でしょう。ほら、中等科の情報処理実習で教わったでしょ?」

「ばーか、授業なんて、マジメに受けたことねーよ」

「でも……、そうすると、この人はアンドロイドとゆーことになるのでしょうか?」

「ばーか、アンドロイドは、月にしかいねえって……」


「ねえ【図書委員】、この人なんて言ってるの?」

 【保健委員】の問いかけに【図書委員】は、横たわる女の前にしゃがみ込み、その光の明滅を見つめながら、たどたどしい言葉で通訳をはじめた……


 女の言葉は、はじめ、安らぎを表現する【緑】だった。

 ――はるか草原の中で見つけた……ヒマワリの下で……墜ちることなく朽ちる運命の……そのタネを私たちは……むしりとって地面に……


 その【緑】に、徐々に悲しみを写し出す【青】が加わっていった。

 ――黒い雨……黒い雨が降り続いた……雨は……空を支配し……笑い続ける……


 やがて【青】は、次第に警告を強調する【オレンジ】へと変化してゆく。

 ――肉を無くした……このカラダ……意識すらも残さずに……砂にまみれて骨を隠す……


 【オレンジ】の次は、恐怖の【赤】だ。

 ――唯一の救いは………夢を届けに空を飛ぶ……白いカラスだけ……月は空で笑ってる……


 そして最後に女の言葉は、【真っ赤】な絶叫で終わった。

 ――月が……、月がソラで嗤ってるーっ!


「月ガ……嗤ッテル」

 その言葉を最後に、女の瞳から生命の光が消えた……


「おい、しっかりしろ。おいってば!」

「だめ、もう死んじゃったわ……」

「この人、何を言いたかったんでしょうか?」

「さあな……、お前の通訳が下手くそだから、ちんぷんかんぷんだ」


「背中に、銃創がありますね……」

「あっ、本当だ」

 そう言って女の肩を抱き起こそうとした【学級委員】が低く呻いた。

「うーん、やっぱこいつアンドロイドだぞ……」

「マジかよ?」

「……だってほら、凄っげー重たいもん」

 【学級委員】は、女の上体を半ば起こしたところで諦めて再び横たえると、今度は、ボディースーツの上から体中をまさぐり始めた。

「ちょっと【学級委員】ってば何やってんのよ、やらしいわね」

「ばーか、なんか身元の分かるモン持ってねーか調べてるんだよ」


 女のボディスーツは、軽合金のような素材で出来ていてポケットのたぐいは見当たらなかったが、よく見ると、腰に巻いたガンベルトの弾倉収納ソケットに青いシャークスキンの手帳が突っ込まれていた。


「何だろう、これは……?」


 手帳は、半分ほど焼け焦げてしまっていたが、裏側に貼り付けた金バッジが妙に威厳に満ちた輝きを放っていた。正五角形をしたそのバッジには、ピラミッドのような三角形の中央に光り輝く人間の目玉が描かれており、何とも言えないミステリアスな雰囲気を醸し出している。


「……おい【図書委員】、これ何のマークだか知ってっか?」

「うん? どこかで見たことあるなあ……」


 【図書委員】は、ヘルメットのゴーグルを持ち上げ、その手帳を両手に取ってしばらく興味深そうに眺めていたが、不意にゆっくり立ち上がると不安気な眼差しを皆に向けた。

「これは……ペンタゴンの身分証明です」

「ペンタゴンだって?」

 全員が驚きを表す【紫】で言った。


「ペンタゴンといえば、地球をさんざ破壊した挙げ句ちゃっかり自分達だけ月に移住した、戦勝国人類圏の国防総省じゃねえか……」

「……とうの昔に地球を見捨てたあいつらが、今ごろ何しにやって来たんだ? 資源だっておおかた掘り尽くして、もうこの地球にはカスしか残ってねえはずだぜ」

「いい気なもんよね、先の戦争で負け組になったあたし達と大量の産業廃棄物を残して、自分らは、さっさと安全で資源豊富な月へと引っ越しちゃうんだもの……」


 口々に、月に移住した戦勝国人類圏をののしる3人の会話を、【図書委員】が警告を表す【オレンジ】でさえぎった。


「……皆さんは、聞いた事ありませんか? 地球には、戦勝国人類圏の残していった最終兵器が隠されていて、それをペンタゴンが秘かに管理しているという噂を……?」

「初耳だな……」

「最終兵器って?」


 【図書委員】が再びゴーグルを閉じた。そのため、彼の表情は伺えないが、警告を表す【オレンジ】がさっきより濃度を増した。

「ソドムとゴモラを滅ぼす【天使の矢】です」

「何だ、そりゃ?」

「月を破壊できる兵器ですよ。先の大戦中に造られたらしいのですが……」

「ふーん……、でも、これから月に引っ越そうかっていう奴らが、何でまたそんな物騒なモン造ったんだ?」

「恐らく、彼らも100パーセント戦争に勝てる自信は無かったのでしょう。負ければ、月の居住権を我々に奪われてしまいますからね……」

「もしもの時は、負けた腹いせに月ごと吹っ飛ばしてやろうって魂胆か、けっ! つくづく、あったまくる奴らだな」


 【図書委員】が、もう一度だけ女の死体を見て言った。

「このアンドロイド……、明らかに後ろから熱線銃で撃たれています。……もしかしたら、月で、何か争い事があったのかも知れませんね……」


 【図書委員】のつぶやきは、不安に満ちた【クリムゾン・レッド】だった……




 つづく……


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