初めて見るその景色に
そこは透明な球体の中に椅子が一つあるだけの、殺風景な場所だった。広さは直径十メートル程。流星が移動のために使っている、乗り物のようなものらしい。
「それにしても……旅ちゃん、全然迷わなかったね。どこに行くかも知らないのに」
「ついてきてって言っときながら、あんたがそれ言う?」
我ながら確かにためらいなく決断したなとは思うが、それを流星にまで言われるとは。本当に彼は変わっている。
第一私にとって、あそこはどこもかしこも似たような場所で、そこにいる人々も代わり映えしない。そんな場所に未練などあるわけがないのだ。
居場所もない家。いじめが当然の学校。それまでそこにいたのは単純に、他に行く場所もないし、私自身それがどうでもよかったからだ。
「ちょっとわかりにくいけど……流星ってお人好しってやつなんじゃない?」
「そう見える? んー、考えたこともないなぁ」
思い出してみれば、流星が最初にクラスの人に気に入られるきっかけになったのは、面倒な用事を引き受けていたからだった。
そうでなければ、ただ珍しいだけの転校生が、ここまで短期間にクラスに馴染めるわけがないと思う。何事にもきっかけというのはあるものだ。
「ま、どうぞ座ってよ」
「椅子、一つしかないけど」
遠回しに自分一人座るのは悪いと言ってみる。まったく、どうして遠慮一つまともに言えないのか。しかも顔はいつもの無表情で、むっとしているようにしか見えないだろう。このままの自分は嫌だ。
それでも流星には、遠慮しているらしいと伝わったようだった。
「ボクも座れればいいんでしょ。もー旅ちゃんてば優しいんだから」
だからって、どうするのだろうか。
と、流星が手をかざしたところから椅子がもう一つ現れた。さっきまで球体の壁の一部だった箇所が、形を変えたのだった。
「……どういうこと」
「ただのボールみたいな変な乗り物じゃないんだよ、これ。色々と便利なんだ」
便利というところを越えていると思う。流星は本当に、この世界の人間ではないのだろう。普通の人間は、こんなものを持っていない。
「よーし、しゅっぱーつ」
その言葉がどうやら合図となったようで、わずかに揺れてから球体がふわりと浮き上がった。何かに吊られているわけでも、持ち上げられているわけでもない。
「何で動いてるの、これ」
「うーん……。魔法?」
と流星の説明もあいまいだ。何かをごまかしているのかは定かではない。
まあいいか。現にこの球体は確かに浮いていて、足下の景色など遠ざかっているのだ。疑うことに意味はない。
空を飛んでまもなく、唐突に黒い穴が現れた。青空の中にあるそれは、居場所を間違えた夜のようだ。
「あれは?」
「ああ、あそこから別の世界に行くんだよ。世界同士を繋いでる道? みたいな」
流星いわく、天見の一族か何か特殊な力を持つ者――霊能力者や、宵闇の迷い子も一部含まれる――くらいにしか見えないものらしい。
この球体に乗っていれば、普通の人でも見ることもできるようだが、天見一族しか持っていないこの乗り物に、乗る機会がある人は、そういない。
「でも、旅ちゃんならきっと見えたはずだよ」
「空にあるんでしょ。だったら見たことない」
私は空があまり好きではない。真昼の空は明るすぎて闇を際立たせるし、夜中の空は暗いくせに完全な闇ではない中途半端さが、自分たちのようで大嫌いだ。
「そっか」
次の瞬間、穴に飛び込み視界が一気に暗くなったため、流星の表情は見えなかった。
しかしそこは闇の中ではなく、夜空の世界だった。時間が昼から夜に変わってしまったかのように錯覚する。
「あ……」
「旅ちゃん? 嫌だったら、外見えないようにするけど」
「ううん。いい」
不思議と、嫌いだとは感じなかったのだ。
「ねえ。これ外に出れる?」
「キミならできると思うけど?」
単純に外を覗くのではなく、言葉通りの意味で外に出てみたいのだ。普通なら出たとたんに足を滑らせて落ちるだろう。
でも、私は宵闇の迷い子だ。力の使い方を調節すれば、空に浮いていることだってできる。
「じゃあ、ちょっとだけ行ってくる」
想像すれば、壁に出口が開いた。思い切って飛び出せば、ふわりと浮遊感。落ちることなく、私はただ空を仰ぐ。
嘘みたいに綺麗な夜空。視界が星空に満たされて、夢のようだ。
こんなふうに思うのは初めてのことだった。いつも、忌々しいだけだった空がこんなにも綺麗だなんて。