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上等な男

作者: ゆん

 今日のような寒い夜が嫌いだ。去年、蓮に別れようと告げられた夜を思い出すからだ。「わ・か・れ・よ・う」の五文字は、私の耳の中でしばらく鳴り響いた。私はショックのあまり、目を閉じて、街灯の光の中で舞う粉雪が消えることを願った。呼び出された時は、プロポーズだと思っていた。平凡な人生にさよなら出来るかと思っていた。

 一歳下の上等な男だった。大手企業に勤めており、出世コースに乗っているようだった。スーツやネクタイは私の知らないブランド物で、格安店で購入する父親とは身なりがまるで違って輝いて見えた。誕生日にはバラの花束を、クリスマスには、ティファニーのネックレスをプレゼントされた。ただ、付き合っていた三年間のうち、指環だけは貰うことが出来なかった。一度も。

 合コンで出会ったからだろうか。遊びと思われていたのだろうか。私はいつも真剣だった。ファッション雑誌を隅から隅まで目を通し、女子力を磨いた。給与の四分の一は、美容やファッションにお金を掛けていた。もちろん馬鹿と思われないように、話題の本も読んだし新聞さえ購読していた。給与の十分の一は貯金に回して、賢い女も目指していた。

 寄せる年増には勝てないということか。私は今年、三十五歳になる。こう言ってはなんだが、若い頃はモテた。その頃に何故結婚しなかったのだろうと思うが、気が向かなかった、の一言に尽きる。周りの人が伝染病のように結婚していく中、まだ新しい出会いがあり、その先へ行けると思っていた。私は決して仕事に燃えていたキャリアウーマンではない。それなら早くに手を打つべきだったと思う。それよりも、最後のチャンスかもしれない蓮を逃してはいけなかった。

 この歳ということを考えると、私は真面目すぎたのだ。あの子がしていたみたいに、毎回、避妊具に穴を開けて蓮とコトに臨むべきだった。既成事実を作るべきだった。もし万が一、未婚の母になったとしても、蓮の子どもなら産み育てたかった。あるいは、付き合って一年で結婚できるように、もっと努力すべきだった。手の込んだ料理をつくってみせるなど、家庭的なアピールをすべきだった。実家暮らしのため、正直、料理は苦手だった。でも、頑張る素振りをもう少し見せるべきだった。私は正直者で不器用。そして夢見がち。蓮はよく私に、こう言った。

「美智子の、ふわふわしているとこが好き。髪も、服も、性格も。」

 そう言ってベッドの上で髪を撫でた日々は嘘だったの?と、あの時、問い詰めれば良かった。いつも、ふわふわして見られるけど、芯はしっかりしている、だから、結婚に向いている、と思われたかった。結婚のケの字も言わないように気を付けていたけれど。上等な男からきちんとプロポーズされたかった。そして、自分のことを、上等な女だと思いたかった。

「好きな人が出来たんだ」

 あの時、蓮は言った。私の目をしっかりと見て。

「私より年下?」

 私は、即座に訊いた。蓮は少し躊躇した様子を見せて、首を振った。

「ずっと、ずっと年上」

 私の瞳孔は、大きく開かれていたに違いない。蓮は嘘を言ったのだろうか。

 今日もあの日のように、街灯の光の下で、雪が積もり始めている。白い産毛で出来たクッションのようだ。もう、蓮の言葉の真偽を確かめるすべはない。蓮とはあの日以来会っていない。数日後、携帯電話は解約され、独り暮らしをしていた部屋に押しかけても鍵は取り替えられていた。蓮は会社まで辞めてしまった。蓮は私の中で、上等な男ではなくなった。それでも、まだ。私は今日のような寒い夜が、嫌いなままだ。

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