初めての魔法
「この指輪を身に着けてみて」
アイリスは銀色の指輪を完人に手渡した。
「それはね。魔法を使うための道具よ。装置というの」
人間は本来、魔力を操るための器官をもっていない。
それなのに魔法を使うことができるのは、この装置と呼ばれる道具が存在するからである。
「アイリスはこんな指輪してないよな?どうやって魔法を使ってるんだ?」
「装置にはペンダントとか、髪飾りとかいろいろなものがあるわ。形の問題ではないの。私の場合はこのペンダントね。これはトルスタント語か聖典言語で発動できるタイプのものよ。完人のも機能的は同じものだから、まずは言葉を覚えないとね。とりあえず、言語理解は自分で発動できるようにしてね」
日常会話なら言語理解の魔法で事足りるが、実際に魔法を行使しようとする時は、しっかり呪文を唱えないと駄目なようである。
完人は、外国語の成績が芳しくなかった。
そういう苦労をしないように仕事を選んだはずなのに、こんな形でまた苦しむ羽目になるとは思ってもみなかった。
(こればかりは、少しずつなんとかしていくしかないな)
「まずは、簡単な魔法から使えるように練習しましょう。魔法には、火、水、木、金、土5つの属性があるんだけど、最初はどんな魔法を使ってみたい?」
「炎を出してみたいな」
「火の魔法ね。ええっと・・・」
アイリスは、分厚い本を取り出し、ページをパラパラとめくった。
「まず、これが指先に炎を灯す魔法の呪文ね」
そういってアイリスが提示したページには、文字がびっしりと書かれていた。
完人は、この世界の文字が読めないが、一言二言で終わるような長さではないとことは想像できた。
「これが全部呪文なのか?長すぎるんじゃないか?」
「それぐらいは普通よ」
最初からくじけてしまいそうである。
「私も呪文は長いと思うけど、それには訳があるのよ。ちょっと見ていて」
アイリスは部屋の窓を開け、右手を外へと突き出した。
「【ブリーズ】!」
アイリスがそう言うと、轟音と共に突風が吹き、屋敷の裏にある森の木が3本ほど折れた。
「今、そよ風を吹かせる呪文を使ってみたんだけど、どう思った?」
「そよ風には見えなかったな」
「そうでしょう?光を灯したり、風を吹かせたり、炎を出したり、割と単純な魔法は、今みたいに基本魔法で簡単に発動できるの。でも、魔力を制御できないとああなるのよ」
「へえ」
もう一度、アイリスが折った木々に目をやる。
「完人は、さっき上級玉を壊したから多分凄く強い魔力を持っていると思うの。それでここでいきなり炎を出したらどうなると思う?」
「・・・辺り一面火の海になるかもしれないな」
「そのとおりよ。あと、魔力を大量に使ってしまう危険があるわ」
「それは、何が危険なんだ?」
「魔力がなくなると死ぬわ。この世界では常識よ」
「それは、怖いな」
完人が、昔やっていたゲームではMPが0になってもキャラクターが戦闘不能になるということはなかった。
だが、この世界では魔力の量も気にしなければならない。
アイリスの話によると、基本魔法一発でいきなり魔力が尽きることはないらしい。
しかし、魔力が少なくなると体を動かした時と同じように、疲労感がある。
アイリスは、練習でいきなり完人が倒れたりすることも心配していたのだった。
「その点、この魔導書に載っている呪文を唱えると、正確に発動できるの。面倒な分、メリットもあるのよ。さあ、やってみましょう!」
「それで、読めない文字で書いてある呪文をどうやって読んだらいいんだ」
アイリスは、はっとした顔でこちらを見つめる。
どうやら全く考えていなかったようである。
「・・・基本魔法を使って制御方法を覚えた方が早いかもね」
「えぇ・・・。俺、倒れないといけないの?」
前途多難であった。
「なあ、とりあえず炎を出すのは後にして、そよ風ならここから使っても大丈夫なんじゃないのか?」
少し考えてそんな考えが浮かぶ。
「それよ!」
全く考えもつかなかったということがよくわかる表情。
この子に教えてもらっていてよいのだろうかという思いにすらなってくる。
子供だとこんなものなのだろうか。
完人は、先ほどアイリスがやったように窓際に立ち、窓から右腕を突き出した。
大きく深呼吸をした後、叫ぶように呪文を唱えた。
「【ブリーズ】!」
呪文に呼応するかのように、体内から右手の先の方へと何かが流れていくように感じられた矢先、窓の扉を巻き込みながら、激しい旋風が屋敷の裏の森に向かって駆け抜けた。
ガガッガガッガガッガガガガガッガガガガガガガーーーーーーーーーーー!
静かな夜に、辺りに響く重低音。
アイリスが倒した木も含めて、前方にある木々が100本近く倒れた。
完人は、急激に疲労感を感じるようになった。
まるで、大きな緊張感から解放され、どっと疲れが出た時のようであった。
森には、新しく一本道ができたように視界が開かれていた。
「どうした!」
爆音を聞きつけ、アイザックが従者を引き連れ、部屋に駆け込んできた。
本日、2回目である。
アイザックはカントらから説明を聞き、呆れかえっていた。
「まったく。子供だけに任せておくと危ないことがよくわかったよ」
(子供じゃないのに、子供として怒られてる俺は一体・・・)
完人も、自分自身に呆れかえってきた。
「まあ、不幸中の幸いといったところか、けが人はいなかったようだ。完人君は暫く基本魔法を自粛してくれたまえよ」
「はい。すいません」
翌日、屋敷の窓のほかに、窓付近の壁も破損していることが判明し、完人はさらに肩身が狭くなったのである。
完人は、暫く語学の勉強に専念することになった。