19、二度と家族を失いたくないんです
森の中、寂れた民家の一室。
真っ黒な革の衣服をつつんだ大男――ロウフェンは退屈そうに椅子にもたれ掛かりながら机に目をやっていた。
そこには1匹のネズミが体を大きく使って紙にペンを走らせている。
クリステル出て行ってからしばらくが経った。クユユを人質に取った今、目的は簡単に達成されるだろう。
あの屈強なヒヨコとドラゴンが捕獲されるのも時間の問題。
ネズミがチィと1回鳴くと、ペンを置いてどこかへと去って行く。
クリステルからの連絡が書かれた紙に目を通したロウフェンの口角が吊り上る。伴って喜色を浮かべた目は、目の前に座る一人の少女、クユユを映し出していた。
「おい、仲間がお前のペットを捕獲したってよ。ははは、情けねぇご主人様の使役獣になったが運の尽きだったな。お前を人質に取ったと言ったら、無抵抗だったらしいぜ」
冷たく言い放つ。
罪悪感などは一切も感じない。
例えそれが子供相手だろうともだ。
こいつのお陰で一攫千金。ただそれだけ。
少女は自分の不甲斐ないばかりに使役獣が捕まってしまった事実を突きつけられ、自責の念からか涙を流している。
ただ、少女と一緒に捕獲したらしいインコはのん気に「クルッポー」と鳴いていたが。お前はハトかとロウフェンはツッコミそうになるが堪える。
「本当にあがりがたいぜ? お前が馬鹿のお陰でヒヨコとドラゴンは俺の物。死ぬまでコキ使って荒稼ぎしてやるよ」
「…………」
少女は無言だ。
腕を後ろで縛られて抵抗も出来ない。
力なく頭を床に落とし、誰ともなくごめんなさいと何度も謝っていた。
「しかし暇だな。そうだゲームでもしよう」
少女が漏らした謝罪の言葉。
それを聞いたロウフェンはとあるゲームを思いつく。というより、試してみたかったゲームがあったのだ。
獣使役士と使役獣の間には絆がある。
そう聞いたのだ。
だったら試してみるか。
その絆とやらを。
暇つぶしに。
「おい、持ってこい」
その声に反応して、一人の男が鉄製の籠を持ってきた。
籠の中には黄色い影が大量に動いている。
聞こえてくるのは可愛らしい小鳥の悲鳴だ。
少女は顔を上げて目を見開く。
ロウフェンの口元が歪む。
「ははは、おい、こいつらが何か分かるよな?」
「ひ、ヒヨコ……」
少女の答えに笑って指を鳴らし「ご名答」と続ける。
「実はな、ヒヨコの方はもう捕らえていたんだよ。この大量のヒヨコ共の中に、お前の使役獣であるヒヨコが1匹紛れ込んでいるってことだ。たしか、獣使役士と使役獣は絆で結ばれているんだろう? ならどいつがペットか分かる筈、それがゲームだ」
さあと言ってロウフェンが大量のヒヨコが入った籠をつき出す。
少女は酷く困惑している様子だった。
無理もない。
ヒヨコの区別がつく訳もない。
ロウフェンは少女に甘い飴で誘惑し、答えを促す。
「もし、お前が言い当てられたら、ペットと共に開放してやるよ。お前が捕まったせいで可愛い使役獣ちゃんは檻の中だ。お前が開放してやるんだ、それが獣使役士の勤めだろ? くくく」
馬鹿な少女はこう答えるだろう。
いい加減に選んだ一匹を指差して『こいつがペット』だと。
答えはノーだ。
この籠の中に少女のペットは居ない。
今はクリステルに捕獲されて、連行されている最中だろう。
「さあ早く選べ、どうした、自分のペットの見分けも付かないのか?」
「…………」
少女は無言で下を向いた。
そして顔を上げ、鋭く尖った視線の切っ先をこちらに向けてくる。
「この中にピヨちゃんは居ないです、馬鹿にしないでください」
少女から発せられたのは酷くつまらない答え。
今度はロウフェンが無言になる番だった。
こめかみに青筋が立つ。
ロウフェンは事が上手くいかないと、すぐ頭に血が上る子どもの様な大人なのだ。
そして幼稚な分、苛立ちは本能がままに暴力へと向かう。
「クソガキが生意気な事を言ってんじゃねぇぞ!」
丸太のように太い腕から放たれる拳が少女の腹へと向けられる。細く軽い体は簡単に壁まで飛ばされた。
それでも少女は切っ先を下げない。
鋭い眼が今だこちらを捉えて離さない。
血と共に言葉を吐き出す。
「あなたに、ピヨちゃんもジータンも、渡しません! 私は二度と家族を失いたくないんです!」
「ああ!? 今すぐ殺されてぇかガキがァ!」
「それはこっちの台詞です!」
立ち上がった少女の目には怒りが見て取れる。
しかしその足は震えていた。明らかに虚勢。
それに両手は拘束されて抵抗も出来ない筈。
生意気なガキを今すぐ殺す。
少女の人質としての価値に逡巡もない。
ただ今はこの苛立ちを収めたかった。
人質を殺そうがヒヨコもドラゴンもテイムしてしまえば逆らえまい。
それにこんな子供がテイム出来るのだ。それなら俺にだって強制服従を強制させられる。
だから殺しても問題ない。
問題ない。問題ない。
だからもう殺してしまおう。
ガキのお守りなんてこりごりだ。
ロウフェンは少女を目掛けて拳を振り落とす。
手加減の一切もない砲弾の様な拳はいとも容易く少女を殺してしまうだろう。
しかし拳は届かなかった。
ロウフェンの目に映ったのは一筋の光。
目がくらんだ時には、既にロウフェンの体は壁に叩きつけられていた。
「ぐぅあァ!?」
何が起きたか分からない。
背筋に走る痛みに堪えつつ目をこらすと、少女が両の手の平をこちらに向けていた。
拘束が解けている。
何故?
少女の背後、そこには少女を拘束していた筈の紐を咥えたインコが居た。
クルッポーとハトの様に鳴いている。
あいつが拘束を解いたのか。
余計な事を――!
「こんのクソインコがァ!」
『クルッポー』
「こ、この野朗!」
「――ウォーター!」
頭に血が上ったロウフェンは反応に遅れた。
少女が放った魔法、噴出された水が襲い掛かってくる。
咄嗟に回避しようにも片腕に魔法が直撃。
反動で大きく後ろにのけぞったロウフェンに更なる追撃が襲い掛かる。
「ウォーター!」
「ぐおゥッ!?」
射出された水弾を正面から喰らってまたも壁に叩きつけられる。
冷えた水に全身が塗れる。
けれでも頭に上った血の熱は冷めない。
「くっそガキがァ!」
「ウォーター!」
少女がまた魔法を放つ。
こちらが動こうとする度に魔法が放たれる。
反撃を許さないつもりだ。
奇襲からの猛撃。
格上を相手に最も効果を発揮する手段だ。
だが戦況は2対1。
こちらからも奇襲は掛けられる。
「おい! てめぇもやれ!」
ロウフェンはヒヨコが入った籠を持ってきた男に参戦を促すも、男はインコの猛攻撃を浴びせられていた。
『オリャリャリャリャリャリャ!』
「ぎゃああああ! 痛ってててててて!?」
インコの鋭いクチバシが男の頭に何度も突き刺さっている。頭から夥しい血が流れている。
使えない。
だったら1対1で叩きのめすまで。
「ガキが舐めた真似しやがって! 殺すだけじゃ済まねぇぞ!」
「ウォーター!」
「さっきからそればっかりかァ!」
ロウフェンは咄嗟に身構えるも、少女は手の平を天井に向ける。放たれた水弾ははじけて室内に降り注いだ。
次に少女は指を上に向け、
「アイス!」
と唱えると、降り注ぐ水は魔法によって氷結する。
そして少女は再び手の平を突き出し魔法を唱えた。
「アメあられェ!」
「ぐおおおおおお!?」
氷結した水が嵐の如くロウフェンに襲い掛かる。
真正面から降り注ぐ氷のつぶてに身を引き裂かれる。
狭い室内に逃げ場など無い。
氷が直撃したのか、隣から男の悲鳴が聞こえてくる。インコの悲鳴は聞こえなかった、恐らく上手く隠れたのだろう。
押し寄せる氷を前に目も開けられない。
次々に降り注ぐ氷で自由が効かない。
しかしこのままでは完全に少女が勢いづいてしまう。
「だありゃああああああああああ!」
ロウフェンが強引に押し進んだ。
氷のつぶてを身に浴びながらも少女と肉薄し、蹴りを腹へと叩き込む。
「……うぅあ!」
少女の曇った悲鳴が室内に響き渡る。
やっと魔法は収まった。
代償にロウフェンの体は全身血塗れ。
だが所詮は子供が放つ魔法。仕留めるには威力が些か足りなかったようだ。
傷は浅い。
治癒魔法を施して貰えばすぐにでも完治する。
「がっはは! クソガキィ! おめぇやるじゃねえか、この俺様を血に染め上げるとは! ああ腹が立つ! クソガキが舐めやがって!」
ロウフェンは腹を押さえてうずくまる少女を睨みつける。
腹が立つのは少女の目が今だこちらを睨みつけている事だ。まだ勝てると思い込んでいるらしい少女は、ロウフェンに震える手を向ける。
「うう……、あなたに、ピヨちゃんとジータンは、渡しませんよ」
「なら死ぬ――」
ロウフェンが腕を振り上げた直後だ。
天井が突如として崩壊し、影が二つ、少女とロウフェンの間に割り込んできた。
一方は猫の耳を生やした少女。
一方は小さいヒヨコ。
両者共に、放つ殺気はとてつもない。
ロウフェンは慌てて後方へと飛ぶ。
乱入してきたヒヨコはドラゴンを倒すという奴だろう。ただもう一方の少女の正体は分からない。
一度、身を案じる様に少女を一瞥したあと、猫耳の少女から放たれる殺気が膨れ上がった。それは思わず身震いしてしまう程の殺意。
それが言葉となってロウフェンに向けられる。
『ニャア(殺す)』
この猫は何を呟いたか。
動物の言語を理解出来ないロウフェンにもそれは分かった。
「殺す……か、上等じゃねぇか」
鋭く吊り上った目。
その瞳に浮かぶ同行は縦一文字で猫の様。
臀部からは二本の尻尾が生えていた。
それらを目にして、とある猫の名前がロウフェンの頭に浮かび上がる。
確かクリステルが言っていた。
恐ろしく強い猫の魔物が居ると。
恐らくコイツがそうだ。
「てめぇがチャーハンか。おい、だったら何でここに居る。まさかクリステルの野朗は、この猫に負けやがったのか?」
あざとい見た目の中に容赦のない殺意。
確かにこの猫は強力な魔物のようだった。
クリステルを倒したとしても不思議ではない。
それにヒヨコも居る。
魔物という者がどういう存在かロウフェンは知らないが、あのドラゴンを倒してしまうというヒヨコと並ぶくらいには強いらしい。
だったらテイムしてしまおう。
クユユとかいう弱っちいガキがテイム出来るのなら、俺様にもテイム出来るはずだ。
ロウフェンが嗤う。
「はっはは! クリステルの馬鹿がしくじっちまったようだが、俺はそう簡単にはいかねぇぞ! てめぇら全員、俺様の奴隷にしてやるよォ!」
叫んだ同時にロウフェンは右手を空中に滑らせる。それを追うように光が収束していき、やがて燃え上がる深紅の剣が握られた。
「世界に2本と無い名剣イフリートの剣だ! 払えば炎が周囲を焼き尽くす危険な剣、ガキを守りながら俺様に勝てるかなァ!」
ロウフェンのアジトの周囲。
そして森の中には大勢の仲間達が居る。
人を殺し、略奪を生業とした人間達だ。
それにクリステルに鍛え上げられた屈強のネズミ達もだ。そんなところへむざむざ猫とヒヨコはやってきたのだ。
攻勢は明らかにこちらが有利。
「はは! 馬鹿の飼い主に同じくペットも馬鹿だなァ!」
ロウフェンが振り上げた深紅の剣が炎の渦を巻き上げた。