17、クリステルはハムスター
ずんぐり太った巨大なドブネズミ――クリステルは大量の同胞と共に、チャーハンのアジトである猫屋敷を包囲していた。
ネズミ達は憎き猫達を。
その親玉であるチャーハンを。
ようやく討ち取る事が出来ると歓喜している。
「やりましたねクリステル様! 長く争ってきた猫達をようやく一網打尽に出来ます! これも全てあなた様のお陰ですよ! うう、ようやく汚いドブ生活から脱却出来るんですね!」
先頭に立つクリステルに、1匹のネズミが涙を流しながら近づいてきた。
「ふふふ、そうですよ、そうなのです! だからもっと私を褒め称えなさい! この私のお陰で、長いドブ生活から抜け出す事が出来るのです! 我らドブネズミをドブへと追いやった猫共に制裁を加えるのです! さあ称えよ!」
クリステルが両手を挙げる。
すると周囲のネズミ達から「クーリスッテル!」とコールが湧き挙がった。
うんうんと満足気にクリステルは頷く。
そして思う。哀れなドブネズミ共めと。
実はこのクリステルとかいうネズミ。
ハムスターだったりする。
とある目的を達成するためにクリステルは街へとやってきたのだが、目的を達成するまえに、1匹の猫――チャーハンに激しく妨害されてしまった。
クリステルは復讐を誓った。
けれども猫は強い。
そこで一つの事に着目した。
それは猫とネズミがいがみ合っていること。
クリステルはそれを利用した。
自分を汚く着色し、自分も猫にドブ生活を強いられたドブネズミであると上手く嘘を付いて騙し、ネズミの王様となった。
元々、魔物ということで強かったクリステルはいとも簡単に王の座に君臨する事ができた。
通常なら人間の愛玩動物でぬくぬく温室育ちのハムスターが、1匹で通りを歩こうものなら、ドブネズミ達によって袋叩きにされていただろう。
流石のクリステルも万を超えるネズミには勝てない。
しかし、自分をドブネズミと偽る事で、万を超えるネズミの兵力を手にした。クリステルはうっきうきである。
「クーリスッテル! クーリスッテル!」
「クーリスッテル! クーリスッテル!」
「クーリスッテル! クーリスッテル!」
「あーもういいですよ皆さん。ご静粛に! どうやら憎き猫達がお出ましのようですね。キヒヒ!」
猫屋敷からチャーハン、熊王族、魔狩り士、ドラゴンが姿を現したのを確認し、クリステルは言い放つ。
「キヒヒヒヒヒ! チャーハンとその他大勢達、愛するクユユがこちらの手中にあるという事はもうご存知ですね? 従って抵抗はしないでくださいね! キヒヒヒヒ!」
不敵に笑うと、チャーハンの眉間にしわが寄った。
けれどもそれだけ。
どうやら抵抗する気はさらさらないらしい。
クリステルは嬉しそうに手を振って笑う。
「キヒヒ! あれあれ? どうやらヒヨコの姿が見えないようですが? もしかして何か企んでいますか? だとすれば、我がアジトに連絡を飛ばしてクユユを八つ裂きにしなければなりませんね~? フヒヒ!」
クリステルには全て分かっていた。
キングベアと呼ばれる熊が持っていたスキル。
それを奪うことの出来るクリステルは、そのスキルを活用しない手はない。
もっとも危険視するべきヒヨコを監視させていたネズミから、随時報告を受けていたのだ。
ドラゴン、熊王族の長、魔狩り士、ヒヨコが現在共に行動していると。
けれども報告は途切れてしまう。
恐らく気付かれ仕留められたのだろう。なんと使えない。
だが思念が途絶えようとも位置情報は分かる。
この徒党は現在、猫屋敷に居るようだった。
つまりそこにチャーハンも加わったのだろう。
これで敵を全員把握できた。
故にここに、ヒヨコが居ないことはおかしい。チャーハンと行動を共にしているはずだ。
「キヒヒヒ! さあ居るのは分かってるんですよヒヨコ! 姿を現しなさい!」
すると窓から1匹にヒヨコが姿を現した。
クリステルはこのヒヨコが本物であるかどうかを確認するべく、«鑑定»と呼ばれるスキルを使用する。
«鑑定»とは見ただけで、その者の詳細な情報を得られる便利スキルだ。
クリステルの目にヒヨコの情報が浮かんでくる。
名前:エミィタ=アエスタ
種族:日陽子
性別:女
年齢:0歳
【スキル】
«不老不死»
«ピヨちゃんの絶対加護»
種族:日陽子
そしてスキル«不老不死»
それを見たクリステルは、こいつが本物であると確信する。
「ふふふ、名はピヨちゃんと言いましたか? フヒヒ! あなたが女性だとは思わなかったですよ! 噂に聞く限りでは粗暴な男と聞いていたのですが、やはり所詮は噂だったようですねぇ!」
女性。
その言葉に一瞬、ドラゴンやチャーハン、そしてヒヨコがギクりとしていたが、クリステルは興奮を抑えられず、気にしないでおくことにした。
今は目の前のヒヨコで頭いっぱいだ。
クリステルには目的がある。
その目的とは自身が魔物ということに所以していた。
魔物は復活して程なく、再び死んでしまう。
しかしクリステルは生き延びたかった。
どうにかして生き残れないかと方法を模索すると、とあることを思い出したのだ。
それは聖都と呼ばれる都で見た石版。
そこに書かれていたのは、日陽の竜についてだった。
世界に必ず2体しか存在できない最強の竜。それが日陽の竜らしい。
注目すべきはその特性。
一体は、全ての攻撃を無効化する能力を持つ。
もう一体は、決して死ぬ事のない不死の能力を持つ。
そう石版に記されていたのだ。
その内一体は聖都で見た。こいつは無効化の力を持っていた。
だとすれば、もう一体はどこに居るのか?
もう一度、クリステルは石版に記されていた事を思い出す。
そこには、日陽の竜の子どもは鶏の子どもであるヒヨコと瓜二つとあったのだ。
そして聞きつけたのが竜をも倒してしまうヒヨコの噂。
竜を倒すヒヨコなど聞いた事がない。
クリステルは確信する。このヒヨコは日陽の子で、不死の力を持つ日陽子だと。
案の定、クユユが従えていたヒヨコであるピヨちゃんは不死の力を持っていた。
この力を奪い取れば、生き残ることが出来る。
クリステルはうっきうきだった。
「さあピヨちゃん! 私の前に来なさい! これより儀式を行います!」
「ぎ、儀式?」
随分と可愛らしい声で鳴いたピヨちゃんが、おずおずと近づいてくる。
クリステルはさあ早くと手招きした。
「あなたの力を私に譲って貰います。そう怖がらなくてもいいですよ。あなたは私の体に触れ、私の声にこう答えるのです。全てを譲ると。さすれば、あなたの能力は全て私の物! キヒヒ! 抵抗は許しませんよ!」
ピヨちゃんは涙目になりながらクリステルの前に立ち、不安そうに身を震わせている。
どうやら流石の日陽の竜も、抵抗できないと知ればこうも弱々しくなるようだ。他愛ないとクリステルの口角が吊り上った。
するとドラゴンが一歩踏み出す。
「待てクリステルとやら! 何をする気だ! こいつは――」
「――うるさいぞドラゴン! あなたは黙っていなさい、この負け犬が! 今度、口出ししたらクユユを八つ裂きにしますよ!」
クリステルはドラゴンの言葉を遮って叫ぶ。
念のため、不意打ちを貰わないよう自身に防御スキルである«バリア»を張った。
クリステルを囲うように円形状の青い膜が展開される。これでもし、死角から攻撃されても対応できる。
「キヒヒ! 一応、バリアを張らせて貰いますよ! 不意打ちを貰うのは勘弁ですからね!」
そして、今度はチャーハンを睨みつける。
「チャーハン。あなたは不意打ちが得意ですからねぇ。念のため言っておきますが、熊王族の能力、思念伝達は私は持っていません」
言って、周囲を取り囲む無数のネズミに手の平を向ける。
「この無数に居る我が同胞達。その誰かが思念伝達を持っています。つまり、いくら私を不意打ちで沈めようとも、誰かがアジトに通報してクユユを八つ裂きにします。キヒヒ! 抵抗は無駄と知りなさい!」
「そんなこと言われなくても分かってるニャ。どうぞお好きニ、クユユに害を加えないと誓ってくれるのなら、あたしは何もしないニャ」
「キヒヒ! ええ、誓いましょう! ただ、あなたには随分と痛めつけられ、計画の邪魔をされましたからね、辱めたあとに豚の餌にして差し上げますよ!」
チャーハンが無言で下を向く。
抵抗の意思は限りなくゼロに近いだろう。
でもクリステルは決して警戒を解かない。
猫は闇に紛れて死角から襲い掛かってくる。
だから戒心を要する。
クリステルは用意周到、そして用心深いネズミなのだ。
故に思念伝達のスキルを自身にではなく、他の同胞に持たせ奇襲に備えた。これでチャーハン達の動きを封殺できる。
「さあピヨちゃん! 私の体に触れてください!」
「え? やだぁ、気持ち悪い」
「ハムぅ!? そ、それは傷付きますぞ! い、いいから私に触れなさい!」
ヒヨコに毒を吐かれクリステルの顔が引き攣る。
でもそんな事はどうでもいいと、クリステルは能力の受け渡しが出来る«一方的な応酬»を発動させる。
このスキルはクリステルが魔物として復活した際に覚醒したスキルだ。効果を発揮する条件は、『対象が譲ると言わなければ成立しない』という複雑な条件だが、上手く活用すれば実に強力。
さっき発動した«鑑定»も«バリア»も、他者から奪い取ったスキル。今度も«一方的な応酬»を使い、ヒヨコから不死のスキルを奪い取る。
これによって、クリステルの目的は達成される。
「クーリスッテル!」
「クーリスッテル!」
「クーリスッテル!」
時は来たり!
騙した同胞達から歓声が上がる。
不死の力を得れば魔物の呪いで死ぬ事はない。
そしてこの力を使えば、何もドブネズミ共の王に留まらず、世界の王として君臨することも可能だろう。
クリステルのボルテージはいよいよ最高潮を迎えた――
「クーリスッテル!」
「クーリスッテル!」
「キヒヒヒヒヒヒヒ! 私が世界の王だぁあああああああ!」
「クーリスッテル!」
「クーリスッテル!」
――その時、
「ちょっとまったー!」
1匹のネズミが水を刺してきた。
クリステルは湧き上がる不快感を隠すことなく、叫んだネズミを睨みつける。
「んん~? 何ですかあなた? とんだ邪魔をしてくれやがりますね?」
こちらを睨みつけるネズミは、クリステルが思念伝達を与えた連絡役のネズミ――デニッシュだった。
お前は隠れていろと言いたいが、それは無理。言えばデニッシュがアジトへの連絡役とバレてしまう。
クリステルはそれを隠しながら、どこかへ隠れろを伝える。
「邪魔はしないでください、デニッシュ。あなたはさっさと消えてください」
しっしと手を振るうも、デニッシュは消えない。
それどころか怒りの表情を浮かべながら、こちらを睨みつけてきた。
直後、デニッシュが言い放った言葉に歓声が止まってしまう。
「クリステルの正体は、ハムスターだぁ!」
「な、なにを……!?」
クリステルはハムスター。
その言葉に同胞達がどよめく。
「く、クリステル様がハムスター?」
「馬鹿言え。そ、そんな訳ないだろう!」
「あの人はドブ育ちって言ってただろうが」
「ハムスターがあんなブサイクな訳ないだろう!」
「お前! それは失言だぞ!」
「あ、やべ」
ネズミ達は混乱している。
その中で、クリステルがハムスターであると暴露したデニッシュだけが、まっすぐこちらに視線の切っ先を向けていた。
バレた?
何故? どうして? どうやって?
さてはコイツ、チャーハンが寄越したスパイか何かか?
そう思い、クリステルはスキル«鑑定»をデニッシュに使おうとするも、何故だか発動できない。
何度も使用を試みるも、使用できない。
スキル«鑑定»がクリステルから消え去っていた。
「何です!? いったい、何がどうなって!」
慌てた所で答えは出ない。
何をしたとデニッシュを睨みつけると、その横には1匹のヒヨコが立っていた。
「ヒヨコがもう1匹!?」
隣に視線を向けるも、やっぱりそこにもヒヨコは居た。
ヒヨコが2匹。
じゃあ、あいつは何だ?
何者なんだあいつは?
慌てた所で、やはり答えは出ない。
だが、あの得体の知れないヒヨコが何かしたのは確実だ。
あのヒヨコがデニッシュに正体がハムスターであるとバラしたのか。どうやってそれを知ったかは分からないが、あのヒヨコは得体が全く知れない。
動物としての本能が警鐘を打ち鳴らす。
今すぐ殺せ! ……と。
「私の体に何をしたあああああああああ!」
クリステルが謎のヒヨコに向かって手の平を向けると、炎の槍が射出される。
一直線に飛ぶ炎はヒヨコを貫く――筈だった。
けれども、青い膜がヒヨコを守るように展開されており、炎の槍はダメージを与えることなく宙に霧散する。
効果はまるで見受けられない。
展開されるバリアによって完全に防がれた。
「な、あれは、バリア? 何故あなたが使えるのです! まさか!?」
クリステルはそこで気付く。
体の中から«鑑定»も«バリア»を消えている事に。
そしてあのヒヨコは«バリア»を展開した。つまりは――
「あなたもスキルを奪えるのですか!?」
「うるせぇ! 俺のエミィタちゃんから離れろォ!」
ヒヨコがこちらに向かって猛突進。
迎い撃つクリステルは再び炎の槍を放とうと手の平を向けたが、炎の槍が射出される事はなかった。
「な……、どうして!」
何が起きているのか分からない。
混乱している内にヒヨコが肉薄していた。
強力な蹴りが繰り出され、バリアがいとも簡単に破壊されてしまう。
「ハム!? なんてことだ! くそがァ!」
「ピヨオオオオオオオオオオオオ!」
ヒヨコの口から水が噴出され、クリステルは吹き飛ばされてしまった。
壁に叩きつけられ呻き声を漏らす。
ヒヨコに反撃しようと顔を上げると、こちらに視線を送る同胞達が信じられないといった顔をしている。
ざわめくネズミの1匹が確かに言った、
「は、ハムスター?」
……と。
慌てて自分の姿を確認すると、受けた水によって塗料が落ち、汚いドブネズミからなんとも可愛らしいハムスターへと変貌していた。
偽りの王の正体が露見した瞬間である。
ネズミ達の目に怒気が生じる。
「この、騙したなクリステル!」
「なにがドブ生活だ! 今まで人間の元でちやほやして貰ってたのか!」
「ハムぅとか言ってみろハムスター!」
「生ハムでも食ってろ!」
歓声は一変。
怒号がクリステルに浴びせられる。
「ち、違うのです! これは何かの間違いなのです! ハムぅ!」
「ハムハムうるせーぞ!」
「生ハムにしてやる!」
ネズミ達がこちらに押し寄せる。
もはやここまでか。
どうしてこんなことに。
逃げようか。
いや、無理だ。
周囲にはドラゴン、猫又、日陽子、そして魔物の天敵である魔狩り士が居る。
こんな奴らから逃げるのは不可能だろう。
クユユを人質にしたものの、アジトへの連絡役もこちらを睨んでいる。
完全にしてやられた。
だが……このままでは終わらん。
全員、地獄まで道連れだ!
クリステルの口角が吊り上る。
最後の手段、スキル«自爆»。
「キヒヒ! キヒヒヒヒヒヒヒヒ!」
クリステルのブサイクな顔面が、これでもかと膨れ上がった。