18、月とヒヨコと赤竜と
「はぁ……あのヒヨコ、欲しいな」
赤、白、青。
星空に浮かぶ3つの月が、闇の緞帳が下ろされた街に淡い月明かりを落とす。不気味に幻想的な月光に照らされる一人の少年ゼニアが一つ、ため息を溢した。
街のやや中心に位置する大きな屋敷。
その室内。ゼニアの個室。
繊細な装飾の施された家具、調度品に囲まれたこの室内に、施錠された窓から月夜の冷たい隙間風が漏れ込む。
「よりによって今日、あのヒヨコを連れてこないんだもんな。クユユの奴、中々感の良いガキだ」
自身の背丈も130センチそこらと子どものゼニアがクユユをガキと愚痴る。その言葉は完全なブーメランだったが、自己中心的なゼニアには関係ない。
獣使役士としての才能に恵まれた彼には、そこら一般の子どもは等しく一般獣使役士の『ガキ』……だった筈なのだが、ゼニアを脅かす才能を持った者が現れた。
クユユだ。
そして彼女が使役するヒヨコ、ピヨちゃん。
ゼニアがこれまで使役して来た生物の中でも最高傑作だった赤竜の幼竜ジータを、クユユの使役するヒヨコが倒してみせた。
して次の傑作、雷を操る雷狼のコロゥをも……ヒヨコに負けてしまった。
ゼニアは許せなかった。
自分のコレクションより遥かに強い獣を使役出来るクユユの事が。
ゼニアは許せなかった。
自身のプライドを粉々にしたクユユの事が。
これまでは【竜】や【雷狼】をも使役してしまう«テイム»を持つ神童として、ゼニアは周囲の者に期待を寄せられていた。
将来は世界で最も偉大な獣使役士をも超える器を持っているだろうと。ゼニア自身もそれを信じて疑わなかった。
しかし、その幻想は儚く散った。
あの日、あの時、あの場所で。
【竜】も【雷狼】を持ってしても負けた。
あの小さなヒヨコに負けてしまった。
何よりも獣使役士の最底辺クユユに負けてしまった。
それが……許せなかった。
「おいで、コロゥ」
隣にひっそりと座っていた雷狼コロゥに、ゼニアは優しい声色でこちらに寄るよう促す。
主人の呼びかけに応じたコロゥ。
その黄金色の毛並みが窓から差し込む月明かりに触れた時、ゼニアの横薙の蹴りによってその身が吹き飛び、脆くも床に崩れ落ちた。
「クソが! この使えない犬め!」
何度も、何度も、何度も。
床に伏せるコロゥに蹴りを叩き込むゼニア。
彼がもう一つ許せなかったのが、あの弱そうなヒヨコに負けてしまったコロゥの事だった。
弱い弱い弱すぎる。
ヒヨコに負けるとは弱すぎる。
違う……、あのヒヨコが強すぎるのだ。
そう、ゼニアは理解していた。
「くそ、あのヒヨコを、なんとしてでも手に入れたい!」
興奮に血走るゼニアの瞳は、嫉妬を向けていた筈のヒヨコにいつしか取り憑かれていた。それは愛情、情愛、いや欲望。
ゼニアはピヨちゃんを切望していた。
この世界に住む人間の誰しもが持つ«テイム»と呼ばれる魔法。この魔法は同種を除く生物に施すことで、絶対服従を誓わせることを強制出来る。
けれどもそのテイムの強さによっては絶対服従を強制させられない生物も存在した。
従って【竜】を使役出来たゼニアはそれ程までに強大なテイムを使用出来ることになる。
ゼニアは魔力を溜めに溜め、よりテイムの力を強大な魔法にした。それは全てクユユからピヨちゃんを奪うために。
「あのヒヨコさえ手に入れれば、俺が獣使役士の中で最強だ」
そう確信してやまなかった。
しかし、その強奪を実行に移そうとした今日、クユユはそれに勘付いたのかピヨちゃんを学校へは連れて来なかった。
それがゼニアの怒りを爆発させる。
いくら連れて来いと言っても、殴っても、蹴っても、クユユはそれを頑なに拒んだ。
「そこまで、あのヒヨコに依存してるのか、クユユめ。明日もし、また連れてこなかったら、傷めつけるだけでは済まさない、今度はあの猫と同じく殺してやろうか」
自分こそピヨちゃんに半ば依存してる癖にお構いなしのゼニアだった。
ボウ。ボボボボボボボボボボボボ。
「ん?」
ふと、何やら妙に鼻に付く異臭がゼニアの鼻先を掠めた。
異臭の発生源、それを視線で辿って行くと、窓ガラスに火を噴射しているヒヨコが視界に収まった。
「は? は? 何やってんだ?」
室内に黒煙と異臭が立ち込めるも、火を吹くヒヨコはお構いなし。やがて窓ガラスにぽっかりとした穴が空くと、その隙間からヒヨコが室内へと侵入してきた。
クユユが使役している件のヒヨコ、ピヨちゃんである。
「なんだこいつ!? お、おい、コロゥ! 殺せ! 殺せ!」
突然の訪問者に焦操を爆発させたゼニアはコロゥに指示。
コロゥが鋭利な牙をむき出しにしてピヨちゃんに襲いかかるも、あえなく返り討ち。左頬にヒヨコキックをお見舞いされて壁まで吹き飛ばされた。
ボウッボウッ。
ヒヨコが細かく火を吹いては威嚇を露わにする。
「あの強さ……、クユユの使役獣だな。何でここに来たのかは知らんが、丁度良い。悪いなクユユ、お前の使役獣、貰うぞ」
ゼニアは手の平を目の前のヒヨコへ突き出す。
月明かりに似た青白く淡い光が手を包み込んだ。
そして、呟く。
「テイ――むぅああああああああああああああ!?」
ゼニアが妖艶に口角を吊り上げた瞬間、けたたましい轟音と共に、壁を突き破って赤い鱗を持つドラゴンが侵入してきた。
ジータである。
眼前、【赤竜】ジータと【火吹きヒヨコ】ピヨちゃん。両者とも強大な力を持った生物に変わりはない。
しかし、ゼニアにはどこか余裕があった。
それは驕りでも油断でもない、確固たる自信に基づく余裕。彼には竜をも手懐ける絶対的な«テイム»がある。
「ははは、元主の俺に牙を向けるのかドラゴン。だったらもう1回、俺の使役獣になれ! そこのヒヨコと一緒にな!」
歯を撒き散らかしそうな程に叫んだゼニアの手が、再び青白い光を帯びた。