第3部:明けない夜は無いが別に明けずともいい夜はある
それから私と冴木は、飲み放題の時間が切れるまでグラスを幾度となく空け、店を出てからは冴木のアパートに寄り、道すがら買った缶チューハイを何本も空け、案の定、数時間後には便器と親交を深めることとなった。
「ぅおげえええぇぇぇぇぇぇっ……なぁ、冴木」
「ゲロ吐きながら話そうとするなよ。で、何だ?」
和式の水洗便所に突っ伏してドロドロぐちゃぐちゃになった肉や酒や胃液なんかを吐き出す傍らで、おそらく私よりも飲んだであろう冴木はケロッとした顔で携帯ゲーム機をピコピコといじっている。
「ぉえっ、えっ……さっきの、焼き肉屋での話だがな」
「……それがどうした?」
「悩み事があるんだったらな……私でよければ、いつでも聞いてやるから」
「…………」
「どうした?」
「……いんや、」
何にも、と。
そう答える冴木は、笑っているのか、声はどこかおかしげで、
「つくづくお人よしだな、お前も」
「だからこそ、冴木は私といるんだろう?」
「まぁ……あながち、間違っちゃいないが」
「おいおい、そこは自信をもって肯定するところじゃおえええぇぇぇっ」
「だから、吐きながら喋るなって……」
呆れ気味の声。それがある種の落ち着きを与えてくれるのは、私が彼のペースに慣れてきているせいだろうか。いやいやそれはいけないこんな奴に慣れるとか冗談じゃないこんな奴に慣れるなんて!
「在り得るかぁぁぁあぁぁぁぁ!」
「っるせぇな……何が在り得ないのか知らんが、そう叫ぶなよ、隣に文句言われるのは俺なんだぞ」
家主殿の声は不機嫌な感情を帯びているようで、そうかそうかと私は内心で満足。クズの如き男に嫌悪感を与えることで悦楽を覚えるのはいかがなものかとも思うが、この程度ならご愛嬌、奴との奇妙な距離感が成し得る技である。
「冴木 ぃぃぃぃぃ」
「今度は何だ?」
「あー、えっとなー……」
はて、とそこで思考を止める。
なんとなく呼んだものの、大して私に用件は無い。だからと言って「呼んでみただけ」と答えるのはその辺のビッチくさい女学生どもと一緒にされるようで甚だ遺憾な次第だ。
「私はな、――君がいて、よかったぞ!」
「……そうかい。そりゃ、何よりだよ」
……?
「お前、本当に酔ってるんだな……」
「うはははは、こんな状態の私に何を当たり前のようなことを言ってるんだ君は」
「お、おう……そうだな……」
返す冴木は、どこかテンションが低いようで。照れているのだろうか、いや実際に照れているのだ、うははははは、
「うあははははははははぉげぇぇぇぇぇぇぇぇぇっ」
「笑いながら吐くなよ……ったく」
心配になったのか、ペタンペタンと素足が床を叩く足音が背後にやってきて、背中を撫でられる感触。
私は俯いて胃袋をひっくり返すのに夢中で見えないけれど、私の背後で冴木があきれ顔をしているのだけは、はっきりとわかった。
「うん……幸せ、幸せ」
「吐きながら幸せ感じる女って、正直どうかと思うぞ俺は」
余計なことを言う悪友はさておいて。
酸っぱい臭いはするし、気持ち悪いし、頭が変に痛むけれど。
世の中なんて、大嫌いだけれど。
私は、今、幸せだ。