第2部:ロクデナシとの諸々、荒れ果てた現代模様
『肉が食いたい。男性ホルモンが衰えかけてるからホルモンが食いたい』
二回生の秋、寒風が吹き始める季節。
ふざけた理屈で、私と冴木は近場の焼き肉屋に赴いていた。
らっしゃいませー、と気の抜けた挨拶を適当に無視して適当な席に腰を落ち着けると、注文を取りに来たバイトの男に、ここに来るときにはいつもそうしているように、学割の食い放題飲み放題メニューを注文する。
ついでに適当に肉と飲み物をオーダーし、運ばれてきた肉を私と冴木はトングで網の上に並べていく。
それから、数分後。
じうじうと肉の焼けていく音と煙の臭いを背景に、私と冴木は網の上の肉を取り皿に放り込んでは新たに焼き、ばくばくガツガツと飢えた犬のようにかっ喰らっては飲み下すように酒を呷り、新たに注文することを繰り返していた。
「…………」
「…………」
沈黙。
互いに交わす言葉は無く、あるとすれば新たに肉や飲み物を頼む時くらい。
無言。
文字通り、言は無い。
むしろ、そこに言葉を求めるのは無粋ですらある。
最低でも食べ始めて二十分は無言なのは、単に空腹で、喋ることすら面倒だからだ。空腹を満たすために来ておきながらペチャペチャクチャクチャと言葉を並べ貴重な肉を食す時間を浪費してしまっては本末転倒である。慣れ合いたければ合コンでも行ってろ。無論、私は行ったことはない。
「――そう言えば、嵯峨根」
ビールをちびちびと口にしつつ冴木が食事とオーダー以外の目的で口を開いたのは、食べ始めて三十分、互いの胃袋の半分くらいが肉で満たされてからのことで、
「なんだ、冴木」
ハイボールを呷りながら、私は応じる。ちなみに嵯峨根とは私の姓である。そして名前は断じて〝花子〟ではない。
「お前さ、ウチのサークルの御池って先輩、知ってるか?」
「ミイケ?」
私と冴木は、名前を覚えてはいないが大学のとあるサークルに所属している。なんだか長ったらしくて珍妙な名前だった気がするが、なぜ覚えていないかと言えば実際のそこは名前とはそぐわぬ、ただ定期的に飲み会を開くだけの俗に言う飲みサーであるからである。別にそこに入り浸る理由は私と冴木には無いのだが、決めたからには居続けたいし少なくともどこかの集団に所属していたいという極めて優柔不断な精神から来るモノだ。
よって、そこに所属する人間の名前など、覚えているはずもない。
「知らないな」
「だと思ったよ」
「で、その人がどうしたって?」
「あぁ……その人、じきに結婚するんだとさ」
「学生結婚か?」
冴木は小さく頷き、ビールを一口啜って、
「それで、近いうちに内輪で祝うらしくてな。参加する部員はそれぞれ芸を用意しとけ、だそうだ」
「なんだ、面倒そうだな」
「そう言うってことは、――」
「出るわけがないだろう」
「だと思ったよ」
ハハッと冴木は笑う。
「君は、どうするんだ?」
「嵯峨根が出ないなら、俺も出ないさ」
「まぁ、そうだろうな」
前述した通り、私と冴木のサークルへの関心は皆無に等しい。部費で飲み代の一部を担ってもらえる、という程度の認識であり、面倒なことをやらされるくらいならば出ないほうがマシなのだ。そんなだから、サークル内での交友関係においては知り合いと呼べる人物すらも少なく、同時に、私にとって冴木より親しい人間はおらず、冴木にも私より親しい友人は、いない。
つまり。
私と冴木は、一回生の頃から縁を切れないどころか、悪友へと進化(?)してしまっていたのだ。
「くだらないんだよ、恋愛なんて。それでいちいち祝うなんて、バカげてる」
「……そうだな」
「破綻しないヤツなんざ、一握りの幸せ者だけさ。俺がそれをやったところで、どっかで解れて、崩れるのがオチだ」
「……そうだな」
えらく饒舌だな、とグラスの縁を指でなぞりながら思った。
そのミイケとかいう先輩の結婚が、冴木にはよっぽど腹立たしいのだろうか。
だけど、大した反論の術を私は持たないし、何より、彼の言葉に対して私は全面的に賛成だった。
「だから、くだらない。少なくとも、その幸いを得られなかった俺らには、価値のあるモンじゃない」
「……そうだな」
そうだ。
恋愛なんて、くだらない。
ただ粘膜を擦り合わせる快感を正当化するためだけに肩肘張って、わざと疲れるようなことをして、そのくせ崩れるときは本当に簡単に、他人未満の関係へとなり果ててしまう。
確かに、愛が永遠に続けば至高なのだろうが、生憎現実はそんな悠長にできてはいない。
それはもはや絶望、生産性どころか破壊性を帯びている他には無い愚行だ。
想いを伝えるまでの緊張と幸福とが入り混じった日々も、寄り添いあう甘い時間も、全てが消え去って、
「…………」
突然だった。
目の前から、肉が、鉄板とテーブルが、消え去った。
あるのは、実家に置いてきた勉強机。
私は可動式の椅子に腰かけ、机に向かっていて。
肩に何かが触れる感触、顔を上げて脇を見れば男の姿がある。
男が口を開く。言葉を紡ごうとする。
どろりと吐き出される、甘く、醜悪な調べ、そして――
「ん……どうした、嵯峨根」
「……いや、」
冴木の声で我に返り、目の前に鉄板とじゅうじゅう焼ける肉が帰ってくる。
何でもない、と伝えながら、私の気持ちには薄い闇が下りていた。
クソ、と内心で毒づく。悪いモノを思い出してしまった。
嫌いだ。大嫌いだ。
「恋愛なんぞ、大嫌いだ!」
恋愛に意味なんて皆無だ。
そんなことに熱中するくらいなら、今、目の前でいい具合に焼けているネギ塩カルビを味わう方がよっぽど有意義と言えるだろう。
「そうだ、くだらねぇ、くだらねえ!」
「恋愛なんて、くだらない!」
恋も愛も、私には必要ない。むしろ無い方が、ずっと楽しくいられる。
肉欲も情欲も無い関係の方が、ずっと気楽でいられるのだ。
冴木というロクデナシは、そんな要素を十二分に有していると言えるだろう。冴木にしても、私に講義のノートをたかるために一緒にいるのだろうし、それらを繰り返す毎日に男女間特有の情は皆無、つまり私にはちょうどいいということだ。
奇妙ではあるものの、互いの利益だけを考えていられるのだ。
これに勝るモノなど、ありはしない。
「こうして二人で飲んでいた方が、楽しいさ」
他の人間となら、こうはいかない。
無駄に言葉を紡いで、慣れあって、心も腹も満たされないまま、マンションへと足を運ぶしかなくなってしまうくらいならば行かないほうがマシ、しかし一人ほそぼそと肉を焼くのも味気ないと考えるような面倒くさい性格なのだ、そんな私と冴木のような人間は、結果として身を寄せ合うしかない。
「…………」
「どうした、冴木? 酒が進んでいないようだが」
「嵯峨根ってさ……なんつーか、こう……」
「何だ?」
「……何でもねぇ」
「なんだ、内緒の話か?」
「何でもねぇって!」
ブンブンと何かを振り払うように冴木は首を振り、ジョッキに残ったビールを飲み干すと、ビールお代わり、と怒鳴るように注文する。
「何だ、機嫌が悪いのか?」
「んー……俺が……?」
私の問いに、冴木は首を傾げ、ブツブツと何やら呟き、
「いんや、俺は至って普通だぜ?」
にへら、とだらしのない笑み。それなりに酔いが回ってきているようだ。
「今日は飲むぞぉ! 飲むッたら、飲む!」
「そうか。なら、私も付き合おう」
モスコミュールのグラスを飲み干し、私もウェイターにお代わりを注文する。
「お前は大丈夫なのか? 酒、そんなに強くないだろう」
「なぁに、自分なりにセーブはするさ。心配するほどじゃない」