開始
初投稿となりますので、拙い点が多々あるかと思います。
指摘、感想などがございましたら、どうぞお願いいたします。
突然だが、車に轢かれて死んだ。
どうしてそんなことになったのかとか、その時何を思っていたのかとか、そういうことはまるで覚えていない。ただ、気が付いたらやたらと眩しいハイビームが視界を覆っていて、強い衝撃が全身を突き抜ける。
走馬灯は味気なかった。北欧神話をベースにしたオンラインゲーム『アーク・ラグナロク』に時間を溶かしていたのが殆ど。後は付き合いのない学園の連中と、それぞれ新しい相手を作って蒸発した両親だ。
けれど寂しいとか、そういう感情はない。自分でも歪んでいると思うが、俺の価値観は『アーク・ラグナロク』に関連することで支配されていた。如何に現実でみじめであろうが、ひとたびログインボタンをクリックすれば、俺は数々の尊崇を受ける上位ランカーへと変貌するのだ。
そんな自慰行為の再生が、俺の最期だった。と、思う。
○
そして自分はどうなっているのか。
こうしてペラ回す余裕があるのだから、生きているのか。しかしそれでは轢かれて死んだという前提条件が崩壊する。そもそもこれは喋っているのか話しているのかわからない。
俺という体がどこかにあって、感情とか思考とかが付随しているのが人間の構造だとどっかの哲学者は言っていた。だったら体が残っていないとおかしいだろう。そもそも俺の肉体は機能停止したはずで、だから俺は死んでしまったのだ。
と、現状に違和感を持ち始めた瞬間。
全身を強い浮遊感が包み込んだ。
「―――うわっ!」
瞳を開くと、見渡す限り青と白。
浮遊感は落下している感覚なのだと、第六感で理解できる。
「っ!」
下方へ向けた俺の目が、隆々とした岩肌を捉えた。アメリカのグランドキャニオンにも劣らない、ボディービルダーの胸筋を思わせるものだ。
それに向かって、俺は落ちている―――!
落下しているということは引力があるということで、引力があるということは、それを発生させている惑星があるということ。そして俺は落下している。このことが示す意味とは。
逃れようのない結末を想像して、全身に焦りが広がった。ついさっき車に跳ねられた後なのに、今度は岩に跳ねられなければならないのか。平仄があわない、この仕打ちは余りにも理不尽だろう。
「一体なんだってこんなこと――」
「掴まってください!」
俺はやぶれかぶれで声の方向に手を伸ばす。温かく柔らかい感触に包まれて、視界のなかで巨大化していく岩肌は止まった。掴まれた手を中心に慣性と摩擦の電波が走り抜け、体が引き千切れそうな激痛が襲う。
歯を食いしばりながら顔を上げると、そこには一人の少女がいた。
浅黄蘗色の長髪に、透明感溢れる白い肌。碧眼は鋭く眇められているものの、十二分に彼女の可憐さを謳っている。
何より目を引くのは、彼女がまたがっている生物だ。
純白の馬に翼が生えた幻獣――とでも表せばいいのか。紛れもないファンタジー世界の住人がそこにいた。
「今から引き上げますからっ、絶対に離さないでください!」
彼女はタフな一言で拳に力を込めると、たちまち俺は馬上に座らされた。
天馬の乗り心地はお世辞にも良いとは言えなかったが、先ほどまで感じていた感覚と比べるとぜいたくすぎるものだ。文字通り腰を落ち着けることができて、俺は深く息を吐く。すると天馬は抵抗するようにブルブルと震え始めて、再び重力にからめ捕られそうになる。
天馬の胴を抱くようにして振動をやり過ごすと、
「ニルスは敏感なので、あまり刺激しないでください」
と刺すような声が前から聞こえた。
そうだ。何が起こっているのかてんでわからないけれど、俺はこの少女に命を救われたことは確かなのだ。ここは礼を言うのが人道というものだろう。
そうして感謝を述べると、彼女の口調に柔らかさが混ざる。
「びっくりしました。まさかマルセリオから落ちてくる方がいらっしゃるなんて」
マルセリオ?
俺がオウム返しすると、
「はい。マルセリオはマルセリオです。人間界のうえに存在する、上位人間と神とが住まう楽園ではありませんか」
ちょっと待て。マルセリオや人間界とこの少女は言ったのだろうか。
それはランカーとしての俺が常用していた街だった。設定上は主神オーディンが治めている天空の園で、街の四方は巨人と馬によって組み上げられた城壁に覆われている。実際の北欧神話では、アースガルズに相当する場所だ。
ゲーム的な面からみれば、主に武器関連の設備が豊富で、イベントボス討伐に熱を上げる連中が集っていた印象だ。更にマルセリオはストーリーモードの終盤にならねば入ることのできない聖域だから、低レベルや小学生……いわゆる「地雷」は少ないことでランカーに常駐されることとなったのだ。
現実と仮想の混同に惑う俺に構わず、少女はニルスと呼んだ天馬の手綱を浮かせた。鞭打たれたニルスは螺旋を描きながら地上へと滑空し始める。それは先ほどとは打って変わってゆっくりとした速度だから、周りを見渡す余裕があった。
「なんだ、あれ」
俺が雲と認識した白色。しかしそれは、UFOを思わせる巨大な円盤だ。緩慢な動きで飛行音を撒き散らしながら、まさしく雲のように動いている。
脳裏にイベントムービーが蘇る。楽園を見上げるプレイヤーキャラクターたち。その向こうに君臨するラスボスに、殺意の視線を投げつけている。
「まるで、本物じゃないか」
茫然としながら視線を落とした。よく見ると、岩肌には蛇のウロコのような模様が浮き出ている。それどころか、その模様はじりじりと蠢いているのだ。まるで蛇が蠕動しているかのように。
許容オーバーの視線に気が付いたのか、少女は解説してくれた。
「あれはヨルムンガンドですよ。マルセリオの方々は存じ上げませんか?」
『アーク・ラグナロク』――!
俺の脳みそが、一つの結論を導き出す。
俺は死んでいない。
何かが起こって、『あの』世界へ転移されたのだ。
○
彼女の名前はルーシユルと言うらしい。平民なので苗字はなく、親しい人間はルーシュと呼んでいるそうだ。
流石に初対面の人間を愛称で呼ぶほど肝が据わっていないので、ルーシユルさんと無難かつ他人行儀なものにしておいた。この方がいろいろとフットワークがいいだろう。
目覚めた直後に心臓をいじめすぎたからか、異世界に飛ばされたにも関わらず、俺は冷静さを保つことが出来ていた。比喩じゃなく、一生分驚いた気がする。
「あなたの名前は?」
「遠間ユリトって言います」
彼女は変わった名前ですねと言ったが、追求することはなかった。『アーク・ラグナロク』の世界観を鑑みれば、遠間の部分はいらなかったかもしれない。
天馬から降りた俺たちはヨルムンガンドが通り過ぎるのを待っていた。彼女曰く、この大蛇は人間界中を気の赴くままに這い回っているそうで、時として現在みたく道をふさぐこともあるという。その気ままな性格から、ユーシユルさんの村では天災のような扱いをされているそうだ。中には、自然の具象化として信仰している地域もあるらしい。これはプレイヤーには開示されていない情報だった。
これからどうすればいいのだろう。
『アーク・ラグナロク』では、キャラクター作成と同時にストーリーが始まる。記憶喪失の主人公はヒロインの少女に拾われ、チュートリアルを受けるのだ。
しかし俺は死の瞬間の記憶以外なら保持しているし、何よりユーシユルさんはヒロインの少女ではない。もしそうだったとしたら、手を握ったあの瞬間に気が付かないはずがないだろう。
チュートリアルにしても、こんな圧倒的な現実感にはとてもじゃないがそぐわない。さっきから手を振ってみたり目に力を込めてみたりしているが、メニューやコンフィグといったエフェクトは、一向に現れないのだ。
落下の際に紛失したのか、はたまた最初から持っていなかったのか、ジーパンのポケットに財布は入っていなかった。この世界の通貨が円だと思うことは難しいが、それでも財布を持っていない状況は落ち着かない。なんというか絶海の孤島に単身放り出されたような心細さがある。
「現状はそれより酷いんだよなぁ……」
項垂れることはルーシユルさんに失礼だろうから、聞こえない程度の溜め息にとどめておいた。
「そういえばユリトさんはどこの方なのですか? マルセリオではないと仰られていましたが、かと言ってこの辺りでは見ない装束ですが……」
「あ、これですか。ジーンズパンツとメンズデニムジャケットと言いまして、えっと……」
バカ正直に日本と言っても通じないだろう。譫妄扱いされて逃げられたら詰みなので、頭の中から適当な国を探し出す。
「ルードスですよ。最近流行しているんです」
「ルードスはこの場所ですが、都心ではその衣装が流行っているのですか?」
最悪の地雷を踏んでしまった。
とも言えないかも知れない。何故ならルードスは序盤に訪れる国家で、エネミーもそこまで強くない種類ばかり出現する。武器さえ手に入れられれば、ちくちく雑魚狩りをしながら食い扶持を稼げるかも知れないのだ。
「えっと……どうだったかなぁ。それはそうと、ルーシユルさんは都心によく行かれるのですか?」
いや、これは無理があるだろう。
案の定、ルーシユルさんは少し眉を吊り上げる。端正な顔立ちはそれでも尚崩れない。
「す、すみません。話題を逸らして―――」
「私のことはルーシュで構いません。見たところあなたと私は同年代と思いますから、『さん』も不必要です」
「はぁ……それはすみませんでした。ルーシュ」
彼女は見る限りお人好しそうだし、自立できるまで援助を頼んでみてはどうだろうか。彼女とは言わず、その筋の人間を紹介してくれるかもしれない。いやでも、ゲームではすんなりと金を借りれたが、実際に借金するとなると身元を証明する云々とかが必要かなぁ……。
我ながら下劣なことを考えていると、ヨルムンガンドは通過したようだ。先ほどからのべつ幕なしに響き渡っていた繊維質の音が聞こえなくなっている。
俺は大蛇の腹で削られた地面のくぼみを歩きながら、天空にそびえる雲を見上げた。
「きゃあああああああああああああああ!!」
――と、突如悲鳴がつんざく。甲高い、女のものだった。
「村の方向……!」
ルーシュは一瞬たじろいだが、すぐに我に返った。
「ユリトさん、少し走りますが、宜しいですか」
俺は生唾を飲み下しながら頷くと、彼女は脱兎のごとく走り出した。木陰に潜んでいたのだろう、ニルスという天馬の彼女の後を追いかける。
内心には不安が渦巻いていた。序盤のイベントでこんなものはなかったが、しかして、テンプレを基準にして考えるならば―――!