彼女の心 01
すいません。以前の投稿から3か月……いえ、4ヶ月程ほど空いてしまいました。
彼女の記憶は酷く曖昧で、途切れ途切れで……でも、そこに存在する感情は、色褪せる事無く鮮明で――。
これはきっと彼女の記憶。今となっては朧気にしか思い出す事の出来ない、彼女の最期の記憶。
――
分厚い雲で覆われた空の下。霧雨の降る夜の平原を、1人の女性がポタリポタリと血を流しながら、身体を引き摺る様に歩いて居ました。
その女性は、酷く傷ついていました。所々が赤黒く焼けた身体には無数の傷が走り、穿たれた脇腹からは腕で押さえていても留めきれない量の血が、ポタリポタリと絶えず流れ出て、夜や身の平原に長く後を残します。
そして、幾多の傷と共にその身に受けたであろう呪いが、彼女の命と精神を刻々と蝕み魂を歪め、傷を更に酷いものとしていました。
それでも彼女は、途切れそうな意識を何とか繋ぎ止めながら、一歩、また一歩と進み続けます。
移動の足であり、また数年来の相棒でもあったブレイブバードは、彼女と同じく受けていた傷と呪いで、数刻前に命を散らせました。
けれど、彼女には悲嘆に暮れている時間など残っておらず、最期に『行け』と小さく首を動かして息絶えた友の亡骸に背を向けてでも、前に進み続けなければなりませんでした。
――理由は良く"思い出せません(・・・・・)"。けれど、当時の彼女には時間がなかったのです。
そうして進み続け、暁の頃になってようやく見えたのは、5つの塔からなる城とその御膝元に広がる城下町。恐らく何処かの国の王都と思しき場所。
その入り口である外壁の門へ近づくと、満身創痍な彼女の姿を見つけた警備の兵士が、彼女の元へ駆け寄って来ました。そして、彼女の姿を改めて確認すると、驚いた様に目を見開いて大声で部下に何かを伝えます。
彼等が何を喋っていたのか、思い出す事が出来ませんが、恐らく"医者を呼べ"などと叫んでいたのでしょう。
彼女が兵士の詰め所に運ばれて応急処置を受ける内に、白衣を纏った医師と思しき人が。そして、それに遅れて重厚な全身鎧を纏った近衛騎士を伴った"王様"が、蹴破る様な勢いで扉を開いて現れました。
「――!? ――……。――?」
治療を受ける彼女の元へ駆け寄り、"何があった!?"と、そんな事を尋ねる王様。
彼女が王様達に何を話したのか、記憶が朧気で良く思い出せませんが、『不死』とか『禁呪』とか『龍』とか……。何だか不穏な単語が浮かんでは消えていきます。
そして同時に、怒りや焦燥、胸を焼く様な悔しさが、彼女の中に渦巻いていました。これはきっと当時彼女が感じて、今も尚彼女をこの世に留めている未練。
「ッ! ――! ……。――――」
彼女の話を聞く王様は、終始苦悩に表情を曇らせていましたが、彼女が話し終わる頃には表情を引き締めて、部屋に居た兵士達に次々と指示を飛ばしていきました。
「……。――――」
慌てて部屋を飛び出していく兵士達を背に、王様は彼女に深々と頭を下げて礼を述べて、近衛に指示をしながら急ぎ足に部屋を後にして行きました。
直後、それを見届けた彼女は、回復魔法や回復薬による治療も虚しく咳き込むように吐血します。……彼女が負っていたのは単純な外傷だけではありませんでした。
折れて砕けた骨は肺や内臓に突き刺さり、体外は元より体内も焼け付いて痛みます。けれど、彼女がその身に受けた呪は魔法や薬の効果を阻害し、刻々と彼女を蝕んでいきます。
「……、――!」
ボンヤリと声が聞こえた気がしてそちらを見ると、治療をして居た医師が、私の肩を掴んで必死に呼びかけているのが"見えました"。
けれど、意識が朦朧として思うように口が動かず、ふと身体の重さと抗い難い眠気を感じて、少しだけの積もりでゆっくりと目蓋を閉じます。
彼女の命運はそこで尽きたのでしょう。そこからの記憶は酷く曖昧です。
『早く戻らないと』という一心で歩き続けるものの、何処へ戻るのかどうして戻りたいのかは思い出せないまま、意識は熱に浮かされた様に揺らぎ思考は纏まらず、終いには自身の事も覚束無い始末。
森を歩いていたかと思えば唐突に景色が暗転し、自身の居る場所が山中や街道に移り変わっている事も珍しくはありません。
けれど彼女は"その場所"を目指してただ只管に歩み続けます。……自身の事も。"その場所"も、戻りたい理由も……何もかもが薄れて消え行き、思い出せなくなろうとも。
―――
霧に霞む様に視界と彼女の記憶は途切れ、世界の全てが白一色に覆われたかと思えば、何時の間にか最初に彼女が歩いていた夜空の平原に立っていました。
空を見上げれば、そこには今だ分厚い暗雲が鎮座し空を覆い隠し、見渡す限りの世界には止む気配も無く延々と雨が降り続きます。
「……私は」
声が聞こえて其方に視線を遣ると、血を流して横たわるブレイブバードの傍らに膝を着き、慈しむようにその毛並みを撫でる彼女の姿がありました。
「私は……死んだのか?」
彼女の問いに、ただ「はい」とだけ答えると、彼女は小さく「そうか」と答えて、黙り込み震えるほど強く拳を握り締めます。
きっと僕が答えずとも分かっていたのでしょう。悔しかったのでしょう。此方を振り向かずに問うた彼女の頬からは、ポタリポタリと絶えず雫が流れ落ちていました。
「何も思い出せないんだ。何も……自分の名前も、相棒の事も。何故私は傷を負っていた? 何故呪いを受けた? 何故私は半生半死の身であの場所へ向かおうとした?」
開いたままだった相棒の瞳をそっと閉じた彼女は、ユラリと幽鬼の様に立ち上がり、天を仰ぎます。
「……何も……何もかも思い出せないんだ。だけど……」
身体を反転させた彼女が此方を向き、目が合った瞬間。背筋にゾクリとした悪寒のようなものを感じて一歩後ずさってしまいます。
「私には、まだやらなきゃいけない事があったんだ。あの場所に戻らないといけないんだ」
『少しでも多く戦力が必要なんだ』
『皆が待っている。だから早く戻らないと』
『守るんだ、必ず』
彼女が、声にならない声で嘆き叫ぶように吐き出すと、彼女の体から呪いが……彼女の負の感情と混じり合い増幅された呪いが、血の様に赤黒く淀む澱となって溢れ出します。
その澱は、月夜の平原(彼女の心)を侵食し、瞬く間に書き換えていきました。
大地は枯れ草花は朽ちて、空と月は血の様な赤に染まり。溢れ出した感情と呪いは巨大な顎の形を為して彼女自身に喰らい付き、その身体を飲み込みます。
そして、彼女を取り込んだ澱は、幾多の骸が集まって出来た異形の龍の様な姿へと変じ、巨大な牙が並んだ口を開きました。
「だカら……ダカら」
頭を上げた異形の龍は、血の様に赤黒い澱が涙の様に流れ落ちる虚ろな眼窩で僕を見据え、此方へゆっくりと腕を伸ばします。
「オ前の身体ヲ――逃げ――寄越せ――ろ」
「――っ!」
異形の龍が伸ばす腕は今にも此方に届きそうで、その場から逃げ出したくなってしまいますが、彼女の言葉に僅かばかりの希望を見つけて何とか踏み止まります。
……聞き間違いでなければ彼女は、先程"逃げろ"と、確かにそう言いました。なら、まだ彼女は彼女の筈です。
状態は予想より酷いですし、時間もなさそうです。それに何とかなるかと問われたら、正直何とも……。ですが、僕は諦めたくありません。
「身体はあげられないし、逃げたりもしない」
怖い気持ちと震える体を必死に押さえ込み、喉が引き攣って少し掠れる声で、精一杯の啖呵を切りながら腕を振るって世界を蝕む澱を打ち消し、その動作と同時に手元に彼女と呪いを斬り離す(・・・・)為の刃を――桜花を移す夢幻の刀を呼び出します。
「待っててね……今助けるから」
左手で中空に浮く刀の鞘を掴むのと同時に、自身の身体を転生以前の姿に書き換え、右手で柄に触れようとした刹那。
――いえ、それは私達の仕事よ。貴方が私の未練を晴らして、私達は貴方を助ける。そう言う約束だったでしょ?
「……へ?」
懐かしい声と共に、後方から桜の花弁を乗せた風が僕の手から刀を奪い、髪をさらって僕と龍の間に躍り出ます。
そして、眼前で桜色の軌跡が閃いたかと思うと、此方に向かって伸ばされていた異形の腕が、ボトリと重々しい音を立てて地面に落ちました。
「ア゛が……ッ!?」
腕を切り落とされた異形の龍は、すぐに標的を替え自身の前に立つ和服に羽織姿の女性に向かって、残る左腕を振り下ろしますが――。
「哀れね。これが昔の私だと思うと泣けてくるわ」
彼女は、振り下ろされる腕を回避しつつ桜色の軌跡を纏ってクルリと一転し、残る左の腕も切り落とします。すると、両腕を失った異形の龍は、腕を振るった勢いのままにバランスを崩して地に倒れ伏しました。
「――ふぇ!?」
一瞬の出来事に、一体どう言う……? と、目の前で起こった光景に唖然としていると、鞘に刀を納めた彼女が束ねた黒髪を翻しながら此方を向きます。
「久しぶりね。状況的に仕方なかったとは思うけど、約束を破ったのは感心しないわ」
感情を一切浮かべない漆黒の瞳で此方を見ながら、右手を軽く上げる桜花本来の持ち主。僕は、彼女のつま先から頭の天辺まで何度も視線を往復させ、
「き゛ゃ゛あ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁあぁぁぁ! 化けて出たぁああぁあ゛ぁ゛ぁ゛ぁぁぁ!?」
余りの恐怖に思わずその場から飛びのき、一瞬異形の龍の事も忘れて叫んでしまいました。それぐらい彼女の出現は驚きだったのです。
――だって、彼女は僕が死んだのと時を同じくして、成仏した筈なのですから。




