春風 01
「はぁ…」
千歳は落ち込んでいた。さっき脱いだばかりの下着を目の前に、膝を抱えてため息を吐いている。
…原因は今千歳の目の前にある下着。千歳は朝起きたら何故か女性用の下着を身に着けていたのだ、それを着けたのが自分だと信じ込んでいるのだから落ち込むのも無理は無い。
千歳は、自分が寝ぼけて女性用の下着を着けた、そう思い込んでいる。何故か?。それは、朱里のせいだ。朱里に「きっとお姉ちゃんは、寝ぼけて間違えたのよ」と吹き込まれたせいである。
…自分で寝ぼけて着けたなど冷静に考えればまず有り得ない、ブラの着け方を知らない千歳には不可能な事である…だが千歳はこれを信じてしまった。
理由は色々あるが、千歳が残念な子だった事が1番の原因だろう。
「はぁ…」
千歳は、今し方脱いだばかりのブラとパンツをハイライトが消えた瞳で見つめ、膝を抱えながら、調教3日目のヒロインみたいな顔をして今朝何度目になるか分からないため息を吐いた。
「コンコン」
「どうぞ~」
「お邪魔しま~す」
ノックの主は、朱里であった。
真夜中に千歳の部屋に忍び込み、千歳のパジャマを剥ぎ取りブラとパンツを着けさせ、寝起きの千歳に虚実を吹き込んだ張本人。今は、自分が深夜に忍び込み穿かせ、今し方千歳が脱いだ下着一式を狙っている…筋金入りの変態である。
結局千歳は、自分の妹が変態である事に最後まで気付かなかった。残念さもここまで来るとむしろ幸運なのかも知れない。無論、双方にとっての幸運だ。
「お姉ちゃん、朝ごはん出来たって。それと洗濯する物があったら私に渡してね☆」
「あ、うん。はい、これお願いして良い?」
千歳は、パジャマや下着…布団のシーツや枕のカバー等を朱里に渡した。
朱里は、以前からこの様に回収作業をしていたので、千歳は何の疑いも無く朱里に洗濯物を渡していった。
「これで全部?」
「うん、これで全部……大丈夫?手伝おうか?」
「大丈夫、お姉ちゃんは先に行ってて」
「わかった~」
朱里を部屋に残して千歳はダイニングへ向かう。今頃、千歳の部屋では朱里による採取活動が行われている真っ最中だろう。
「千歳ちゃんおはよう」「おはよう千歳」
「おはよー」
両親と挨拶を交わして自分の席に着く。朱里も少し遅れてやってきた。
食卓には既に朝食の用意がされている。
「「「「いただきまーす」」」」
朝食のメニューは、ご飯、焼き鮭、ほうれん草のおひたし、卵焼き、なめこの味噌汁、ショートケーキ、ミルフィーユ、以下菓子類にて省略。
である、普通の朝食メニューに加えて、大量の生菓子が食卓に並んでいる。
朝食を食べ終えた千歳が、その菓子類を端から飲み込んでいった。
その様子を見て、『カロリーなんて絶対に気にしていないんだろうなぁ、若いって良いわねぇ』と母は内心そう思った。
父は軽く胸焼けした。
朱里は千歳にケーキを食べさせていた。「はい、あーん。おいしい?」と言うアレである。
「「「「いただきました」」」」
恐ろしい事に朝食が終わる頃には、食卓を彩っていた色とりどりの菓子類は綺麗に片付いていた。
実際は、冷蔵庫の大部分を占拠する菓子類を消費する為に、片付いたなんて生易しい表現では表せない惨状が起こっていた
ここで1つ曲げられない事実を確認しよう。生菓子の消費期限は短い。無論過ぎても食べられるが、出来れば消費期限以内に食べきるのが望ましい。しかも、春風家の冷蔵庫は千歳の為に、昨日父が大量に買い込んだ。生菓子が大量に入っている。この量のを千歳抜きで食べきるのは、主にカロリー的に宜しくない、千歳はいくら食べても太らない体質だが、他の家族は違う。脂質及び糖質の高い物を食べれば、しっかりと肉に変わるのだ。しかし、食べ物を無駄にするのはよくない。
この点を踏まえて、家族が行った事は―――太らない子に出来るだけ押し込む、である。
片付いた、では無く 片付けた が正しい。食卓が綺麗になった…最終的に行き着く結果は同じだが、過程がまるで違う。
朱里が行った「はい、あーん。おいしい?」も、普通のカップルがするような、あまあまなモノでは無く。
千歳の後頭部を押さえつけて逃げられないようにしてから、いやいやと嫌がる千歳の口の中に無理やり生菓子を押し込む…その最中に朱里が発した言葉が「はい、あーん。おいしい?」である。
最初は良かった…普通に美味しく楽しく食べていたのだ……だが千歳がお腹いっぱいになってフォークを置いた辺りからこの行為が始まったのだ。
千歳が菓子類を端から飲み込んでいった。は正しい、何一つ間違っていない。ただし能動的にではなく受動的にだが…
母の、『カロリーなんて絶対に気にしてないんだろうなぁ、若いっていいわねぇ』も間違っていない、ただし死んだ魚のような目をしながら発した言葉である。
父の胸焼けは言うまでも無いだろう。下手に口を出せば次にああなるのは自分だ、無言で見守る事に徹した父の内心は複雑なモノだった事は想像に難くない。
こうして春風家の冷蔵庫を占拠していた菓子類は消えた。1つも無駄になること無く間食された。
娘が押し込み、母が紅茶を流し込み、息子が飲み込む。そして菓子類を買い込み過ぎた父はソレを無言で見守った………。
全てが終わった時、ソファーにうつ伏せになってピクリとも動かない千歳を尻目に、母は洗い物に勤しみ、父は家族写真の準備、朱里はニコニコしながら、うつ伏せになって居る千歳の服を剥いでいた。
うつ伏せになっていて、何の抵抗も無い千歳の服を、ハァハァと息を荒くしながら剥いでいく…そんな朱里の手には、綺麗な紙袋が握られていた……。
――― 程なくして、千歳に着せられたのは何の変哲も無い…とは言えないが、割と普通?の服だった。当然女性用の服だ。…朱里の用意するものとしてはかなりまともな部類だろう…。
上は、丈が少し長めでボディラインが良く出るオフショルダーの白いセーター。その下に水色のポイントが入った白いワンピース。ズボンは、デニム生地の短パン、それに加えてニーソ。
ゴスロリや和装メイド服よりはまともだが、相変わらず服の選び方に容赦が無い。
千歳の服を着替えさせた朱里は、千歳をソファーに置いて元の状態に戻した。そして、千歳の体を揺すりながら一言。
「お姉ちゃん、そろそろ起きて!」
そう、千歳が動かなかったのも抵抗しなかったのも、ただ単に寝ていたからである。
許容量を大幅に超えた食物を無理やり押し込められて、それを消化する為に意識がプッチリ……。ソファーまで自力で歩いて行き、気絶に近い形で眠りに落ちたのである。
「………………zzz」
朱里は、なかなか起きない千歳を起すために、あまり使いたくなかった小技を使う事にした。
少し、喉の準備をした後に、千歳の耳元に顔を近づけて静かに呟く。
「お姉ちゃん、おやつの時間だよ」
「……みゅ~」
この一言を聞いて、千歳はムクリと起き上がった。深く眠っていた筈だが、思わず体が反応してしまう………条件反射である。
パブロフの犬の実験を知った幼き日の朱里が、千歳を使って実験したのである。千歳が7歳の時から今までずっと…継続は力なり。恐ろしい言葉である。
その御陰で千歳は、この通り満腹で眠っていても見事に反応するように…本当に怖い妹である。
「………おやつ?」
眠たげな顔をしながら首を傾げて聞く千歳を見て、朱里は少し罪悪感を感じた。
何も用意していないのである、普段なら、何か用意しているのだが今日は手元に何も無い…だから、あまり使いたくなかったのだ。
「お姉ちゃん、お腹は大丈夫なの?」
「………もう、入らない……」
千歳は、眠たげに目を擦り答えた。このまま放って置けばまた直ぐに眠ってしまうだろう。
「飲み物は何か飲む?」
何故そんな事を聞いたのか…それは気遣いもあるが、千歳は何か口に入れさせておけば、取り敢えず眠らないのである。
「……飲む」
朱里は、少し急いでキッチンへ向かう。
「お母さん、何か飲むもの頂戴!」
「オレンジジュースで良い?」
「うん、お願い」
「はい、どうぞ」
朱里が母から渡されたのは、紙パックのオレンジジュースだった。ストローを突き刺して飲むアレである。
「ありがと」
朱里は、やや急いで千歳の元に戻る。
「はいこれ」
「ありがとー」
千歳にジュースを渡した朱里は千歳の後ろに回りこんで、千歳の髪を弄り始めた。朱里が千歳を起したのも千歳の髪を弄るためだ、寝ているままだとあまり上手くいかない、仮に上手くいったとしても、寝返りを打たれたりすると、せっかく梳かした髪もまた寝癖がついたり、ボサボサになったりしてしまう。だからあまり使いたくない方法を使ってまで千歳を起したのだ。
「…………………………?」
千歳は、朱里から受け取ったオレンジジュースを飲みながら、ぼんやりと窓の外の景色を見ていた。そこで窓に反射した自分の姿を見て違和感に襲われた。
寝る前まで着ていたはずの服は何処へやら……寝起きの千歳は状況理解が追いつかないでいた。
少し寝て起きたら、着ている服が変わっているのだ。これは春風家でも、数年に一度あるか無いかの現象である。そもそも数年に一度あるだけで驚きである。
「………あれ?」
「ふふふ、気付いた?。お姉ちゃんの着替えは済ませておいたよ、写真撮るのにあの服は無いでしょ?この寝癖だらけの髪も何とかしないとね」
千歳がさっきまで着ていた服は、『連休』とプリントされた緩々な白い薄手のTシャツに紺色の芋ジャーを上下。
無論そんな格好で写真を撮るつもりは無かった、朝食の時に汚れるといけないので、後で着替えるつもりだった。
それが、朝食直後に意識が途切れて寝てしまったため、すぐには着替えられなかったのだ、なので部屋に行けばちゃんとした着替えが用意してある。
千歳が自分の部屋から出て行った後に、千歳の部屋で採集活動をしていた朱里がこの事を知らない訳は無い。だからこそ、チャンスがあれば千歳を着替えさせるつもりで紙袋に服を入れて持ち歩いて居たのだ。
「………う~ん」
イマイチ納得がいかない感は否めないが、寝起きである為朱里の言い分に納得しかけている千歳。自分がどんな格好をして居るかもイマイチ把握出来ていないのが彼の現状である。
もしも寝起きでなければ、少しは抵抗があった事だろう…まぁ、どんな抵抗をしようが結局結末は変わらないが………。
「…あれ?そう言えば僕………」
千歳は思い出そうとしていた。千歳には、ここ十数年普通の格好で家族写真を撮った記憶が無い。実際、ここ十数年分の家族写真に写る千歳はあたかもそれが当然であるかの様に、女の子の格好をした状態で写っている。
当然そうしたのは朱里である、彼女は自分の願望を叶える為の努力は惜しまないのだ。
…少し昔話をしよう。あれはまだ朱里が穢れていなかった頃のお話しだ。
今みたいに桜が綺麗に咲いて、晴天のひだった。その日は、朝食の席で、『今年は今日、家族写真を撮ろう』って話しになった。
そして、写真を撮るために、母が千歳と朱里をパジャマから着替えさせ始めた時だ。
それが母の目に入った。…フリルやリボンのついた可愛い女の子用の服、『家の娘は大きくなってもう着ないから』と親戚の人に貰った物だった。
母はあろう事か千歳にそれを着せ始めたのである。それが、全ての間違いの始まりだった。
それを着た千歳を見たとき………初めて千歳を見た時からずっと心の中に感じ続けていた何かが目覚めた。何かが弾ける音がした、何かが開く感じがした。
春風 朱里 (当時5歳)覚醒の瞬間である。
朱里はこの時から、千歳に対する認識を改めた。『お姉ちゃんは、もしかしたら男の子なのかも知れない』と言う認識から『お姉ちゃんは、絶対に女の子』と言う認識に改められた。
それ以前も、お兄ちゃんと呼んだことは無かったが、この時を境に朱里は『絶対にお兄ちゃんと呼ばない』と心に固く誓った。
その家族写真の撮影以来、朱里の中で家族写真の時の千歳の服装はかなり重要な事となった。
朱里にとって、家族写真の撮影と言うのは、神事と同じ扱いなのだ。家族写真を撮影する日は必ず千歳は女の子の格好をさせられる。これは絶対だ。
初めのうちは、朱里が可愛く頼んでいたのだが、いつの日からか千歳は女の子の格好をするのを嫌がるようになった…それはそうだろう、千歳は男の子なのだから。
だが、朱里にとってそんな事は関係ない。朱里にとってソレは、”お姉ちゃんが言い張って居る可愛い冗談”でしかない、彼女の中ではあの日からずっと千歳は女の子なのだから。
そんな可愛い姉が、家族写真の時に男物の服を着た時どう対処するか。答えは簡単 剥く そして着せ替える。
本人が着たがらないなら、無理やり着せれば良い、それが無理なら着なければならない状況に追い込めば良い。それがダメなら全裸で良い………至極合理的且つ狂気的な考である。
普段はこんなに無理やりな事はしないが、家族写真を撮影する日だけは無理やりにでも着せ替える。
なので、千歳は毎年なんやかんやで女の子の格好をして家族写真を撮っていると言う訳だ。
閑話休題
朱里が数分間悩みながら千歳の髪を弄った結果、最終的に千歳の髪型は三つ編みで留めたサイドテールに落ち着いた。
「お姉ちゃん終わったよ」
「あ、うん」
今年も、千歳は女の子の格好で写真撮影に臨む事になった。無論、今更着替えるなど朱里が許してくれる筈も無い。
猶予も、限りなくある訳では無い。普通の人でもそうだが、今の千歳にはそれ以上に時間が無い。
現在時刻は AM 7時10分 実際着替えている時間が勿体無い。
「おかーさーん、準備終わったよー」
「はーい、こっちもOKよー」
「さ…行こ!」
「うん!」
千歳は朱里に手を引かれて父と母が待つ庭の方へ向かって歩き出した……。
8/22(土曜日) 改稿




