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白の転生譚  作者: 優音 乙菜
序章 終わる日々
1/67

終わる日々 01

作者は転生物のコメディが書きたいです。転生までは少しかかる予定です。

PS.所謂処女作というやつなので、生暖かく見守って頂けると幸いです。

 大学に入学してから初めての夏休み。御学友の皆様方がひと夏のアバンチュールを謳歌しているであろう8月初旬。


 春風千歳(18)は、多くの友人が海や山で甘酸っぱい青春の思い出を作り、甘い語らいに勤しんでいるだろう中。何処に出掛けるでも無く、誰と遊びに行くでも無く、朝起きた時そのままのパジャマ姿でリビングのソファーに寝転び、テレビを見て、菓子を貪りつつジュースを飲みながらダラダラと怠惰に過ごしていた。


 千歳が、友人と海なり山なりに行かったのには、それなりの理由がある。

 

 大学に入学してから4ヶ月。夏休み前のテストの時には、片手で数えられる位しか居なかったカップルが、夏休み前のテストが終わってからに大量発生したのである。


 原因は恐らく、夏休み前のテスト対策の為に企画された、勉強会という名の青春イベント。図書室と言う名の限られた空間の中でお互いに助け合う内に急接近する男女。不意に訪れる無意識の触れ合い……そんなこんながあり、図書館を管理する図書委員達の防除(害虫などの繁殖を未然に防ぐ為の対策の事。この場合は妨害工作)も虚しく、新たなカップル達は誕生したのである。……解せぬ。


 そんなこんなで、テストが終わって呪縛から開放されたうら若い男女は、その日の内に夏休み中の旅行を計画し、同士を集い始めた。

 その際に千歳も「一緒に行かないか?」と誘われたのだが。友人達の旅行とは即ち、旅行の名を借りた大規模な集団デート。

 そんな旅行に付いて行く精神力や勇気を持ち合わせている千歳では無い。なので、安心と信頼の独り身暦=年齢の千歳は、その誘いを丁重に断り、家でダラダラと寂しく過ごしているのである。 


 そんな、寂しい千歳に話しかけてくれるのは両親か若しくは―――


「お嬢ちゃんデートしようや」


 ―――妹ぐらいなものである。


「わかった!どこ行く?」


「おお、何かいつもよりも食いつきがいいね!」


 千歳は、寂しがりやである。暗い山中に2日間ぐらい一人で放置されたら、きっと孤独に耐えかねて死んでしまうであろう。そのくらい寂しがりやである。

 そんな千歳が、友達との旅行に参加できずに、仕方なく家でダラダラしているのだ。孤独のあまり、普段はあまり乗らない妹からの誘いにだって、ほいほい乗ってしまう。


「駅前に買い物に行こうかと思ってさ。ほら、夏だし新しい服とかも欲しいしさ、ついでに甘いものでも食べようかと思って。好きでしょ?甘いもの」


「いく、一緒に行く。準備するから待っててー」


 千歳は喜び勇んでソファーから立ち上がる。誰かに構って貰えたのが嬉しいのだ


「いえいえ、その必要はありません! きっと一緒に来てくれるだろうと思って居たので、必要なものは既に準備してあります」


 朱里は、持っていたバッグから、千歳のお出かけ道具一式を取り出して見せる。


「さすが! 準備がいいね!」


「着る物も準備したから、さっさと着替えちゃって」


「りょーかーい」


 千歳は朱里に促されるままに脱衣所に移動し服を着替え始める。だが―――


「…あれ?」


 脱衣所にあった衣類は、今しがた自分が脱いだパジャマと。白と黒を基調としたフリルやレースの生地。そして、リボンが目立つ妙に少女趣味な可愛らしいドレス。

 正式名称を【ゴシック・アンド・ロリータ】通称名を【ゴスロリ】という女性向け服だけだった。


「うーん、おかしいなぁ」


 千歳は辺りをキョロキョロと見回すがやはりこの服しかない。


「……あ、サイズぴったり」


 試しにゴスロリを自分の身体に宛がってみると妙にサイズがぴったりで、明らかに妹のバストサイズでは苦しいだろう胸部の部分まで自分のサイズにぴったりだった。

 そこで初めて千歳は気が付いた、この服は何かの間違いでここに置かれているのでは無い。朱里が用意したからこそここにあるのだと。


「お姉ーちゃん、着替え終わったー?」


 嫌な事実に気が付き、呆然と固まっていると、脱衣所の外から朱里が声を掛けてきた。


「あのー、朱里ちゃん?」


「なぁーにー」


「流石にこれは無いんじゃないかなーって思うんですけども? あと、お姉ちゃんじゃなくて"お兄ちゃん"でしょ?」 


「何言ってるの"お姉ちゃん"家は2人姉妹でしょまったくもう」


「…………うーん」


 ……そう。千歳は"お姉ちゃん"ではなく"お兄ちゃん"だ。様々な要因から、近所の住民の98%は千歳が女の子だと勘違いしているが、千歳は間違いなく男の子(笑)だ。


 母子手帳に性別・男。という旨の記述があるのを千歳もその目で確認しているので間違いない。……間違いない筈なのだが、妹、春風 朱里は生まれて此の方、千歳の事を"お兄ちゃん"と呼んだ事がない。そう、ただの一度もだ。

 朱里は、きっとこれからも千歳の事を"お兄ちゃん"と呼ぶことは無いだろう。それは千歳本人もなんとなく悟っている。だが、千歳は毎日1度は呼び方を訂正する。そうしないと、自分は兄ではなく姉なんだと、妹に洗脳されそうで怖いから。

 いや……最近では素で一人称までたまに僕から私に変わったり。口調の中に自然と丁寧語が混ったりする事もあるので、実際の所はもう手遅れかもしれない。


 余談だが、近所の住民が、千歳の事を女の子だと勘違いしているのは、朱里の行動のせいだけではない。千歳の容姿や声も大きな原因の一つとなっている。


 千歳は所謂アルビノという容姿の持ち主だ。腰の下まである純白の長髪に、日本人離れした白い肌。神秘的な蒼みがかったグレーの瞳は見方によっては虹色の光を帯びて、まるで宝石の様に美しく、その美貌は街を歩けば誰もが振り向く。

 本人は笑いながら否定するだろうが、声だって、美少女声優顔負けの、おっとり系美少女ボイスだ。これでも声変わりはしている。ただし、他の人達とは違うベクトルで。千歳は正に、"美女"若しくは"美少女"と呼ばれる類の存在だった。


 千歳は自分の容姿や声質などが同世代の他の男の子と違う事実に気づいていない。千歳は自分が普通だと思い込んでいるのだ。


 ちなみに性格は、残念な方向でおっとりしており。近所でも、「あぁ、春風さん家の千歳ちゃんね、また何か失敗したの?」「残念姫か…今度は何をしたんだい?」「アホな、お姉ちゃん!」等、残念な子として評判の美少女だ。

 幼女にすら、アホなお姉ちゃんと言われる。つまり、その年齢層にまで、女性として認識されていると言う事は、全般的にもう色々と手遅れ。きっと、結婚式が行われるその日まで、彼は勘違いされ続けるであろう。悪くすれば、結婚式があっても……。


 閑話休題


「着てくれないと一緒に買い物連れてってあげないよー」


「う~、でもー」


「さー、はやくー、置いてっちゃうよー」


「わーっ、ちょっと待ってよー、置いてかないでよぉー」


 千歳の妹 春風 朱里は、兄の千歳の事を知り尽くしている。スリーサイズからヘソクリの隠し場所、交友関係、初恋の人、その他に本人も知らないような事すら知っている。

 当然、千歳がとても寂しがりで、夏休みが始まってからずっと家族にも放置され気味で、寂しさで、そろそろ限界が来ている事も当然知っている。


 いや、実際の所、そうなる様に彼女が千歳以外の家族に言い含めていたのが、夏休みが始まってから千歳が家族に放置され気味だった原因だったりする。

 そして彼女は千歳が孤独で弱るタイミングを見計らってデートに誘ったのだ。大好きな姉(千歳)にゴスロリを着せてデートをするために。

 朱里は己の欲望に忠実だ。そして、厄介な事に、ハイスペックな彼女は、己の欲望を満たすための努力は惜しまない。


「はーやーくーーーーっ」


「まってよぉーー、急いで着替えるから置いてかないでーー」


 朱里は千歳を急かす。本当は別段急いでいる訳でもないが、千歳は急かされたりすると焦って正常な判断がし辛くなるので、だからこそ、朱里は千歳を急かす、とことん焦らせて、ゴスロリを着たところで手早く家から連れ出し目的地に向かう。それが彼女の作戦だ。


 万が一にも千歳が、「やっぱり行かない」などと言い出す事は考えていない。その可能性は限りなく0%に近いからだ。寧ろ、可能性を0%に近づけるために夏休みに入ってからずっと大好きな姉(千歳)の事を精神的に追い詰めていた。


 大好きな姉を精神的に追い詰めている間、彼女の全く心は痛まなかった。それどころか、日々弱っていく千歳の姿を見て少し興奮を覚えていたりもした。


 ……お察しの通り、彼女は"姉"に対して少しばかり変態的嗜好をもってる。だが、少々残念な所(美点も含む)が多い千歳は、妹が変態的嗜好を持っている事に気が付かず『少し変わっているが良くできた妹』と朱里の事を評価している。


「お待たせー、まだいる?待っててくれた?」


 千歳が脱衣所から出て来る。しっかりゴスロリに着替え、その上ちゃんとボンネットまで被っている。千歳は基本的に素直で優しい律儀な子なのだ。……ただ、そんな千歳の本質が残念さを加速させる状況も少なくは無い。


「もー、お姉ちゃんがゆっくり着替えてるから、目的地に付く頃にはお昼になっちゃうよ」


「うぅ、ごめんね……」


 別に予定に狂いは無いし千歳は悪く無いのだが、千歳の退路を断つために、チクリと刺しておく。朱里は、罪悪感に苛まれる姉(千歳)の顔を見て少し興奮した。


 彼女は、見た目及び能力は高いハイスペック美少女なのだが、中身がアレだ。それ故、彼女に淡い幻想を抱いた男子は、出会って1ヶ月経たぬうちにその幻想をぶち壊され、彼女を女子として見れなくなる。

 それでも、『朱里お姉さま』と、一部の男女の間で呼ばれていて。凄まじい人気が有るのだから、世の中分からない。


「最後に確認、ちゃんと日焼け止め塗った?」


「塗った」


「リップは塗った?」


「え、塗るの?」


「もちろん塗るよ!、もーしょうがないなぁ、じっとしてて」


「ん……」


 朱里は、唇を突き出して目を瞑って待つ姉(千歳)を素早くスマホのカメラで撮り、ブログにアップした。

 哀れな千歳はこの事に気が付いていない。写真に撮られた事も、ゴスロリ自分の画像がネットにUPされた事すらも。


 手早く作業を終えた朱里は、興奮して頬を赤らめ、口の端からヨダレを垂らしながら、ポケットからリップを取り出して千歳の唇に塗る。


「(あーもうっ! うちのお姉ちゃんって、どうしてこんなに可愛いんだろ……血さえ繫がってなければ押し倒して、○してた(自主規制)ところだったよ……)」


 一応、リップは塗り終わったが、いまだに目を瞑り唇を突き出してプルプルしている千歳に対して、朱里が抱いた感想はキ○ガイ染みていた。


「いいよ、お姉ちゃん」


「ん」


「さー、いっくよー、あ!日傘も用意してあるから絶対に忘れないでね」


「はーい」


 千歳は、久しぶりに誰かに構って貰えたことで、かなり舞い上がっている。千歳が犬であれば尻尾が千切れんばかりに振られていたであろう程、舞い上がっている。


 そのせいで、失念しているのだ…自分が女装(ゴスロリ姿)で、あまつさえ人通りが多い駅前に行こうとしている事を……残念な子である。


 『これでもいい所も沢山あるんです、やさしい子なんです、ただそれを含めても残念さが目立つ少し可愛そうな子なだけです。ただ、今思えば、育て方を間違えた感は否めないですが……』と言うのが両親の語る所である。

 そして、その残念な千歳の両親は、今も子供達2人のやり取りを生暖かく見守っている。千歳が女装している事に関してもノータッチ。なぜならこれが、春風家の日常だからだ。


「「いってきまーす」」


「ああ、いってらっしゃい」


「いってらっしゃーい」


 家族に見送られながら、2人は家を出た。


 家から目的の場所までは駅3つ分離れている。

 目的地となっている場所の周辺は、ここ3年で大きく変わった。新しい路線の開通に伴い、元は何も無かった駅と駅周辺の大規模な開発が行われたのである。


 多くのスポンサーの支援を受けて行われた開発は、今までに無い規模と速度で進み、『世界の何所よりも美しい街』をコンセプトとした観光都市が完成したのである。


 この都市は外部からの観光客を集めるために作られたもので、多くの娯楽施設とマーケットが存在する。そして、その性質上、コスプレをしている人も多くいる。

 一般の観光客の実に7割は何かしらのコスプレをしている状態である。元々非日常である事を意識し、ファンタジーの世界感を根底のコンセプトに置いて作られた所がある都市なので、世界観に合う合わない問わずコスプレや何かも歓迎されるのだ。


 そして、そのコスプレをした客が沢山いる光景が、客を呼び。最終的にはコスプレなどしない人も物珍しさや興味から街に来たりする、そしてその一回で固定客を掴む。

 この都市は徹底的に非日常を全面に押し出して、他との違いを確立したのだ。おかげで今では、世界でも結構有名な観光スポットである。


 そしてそんな雰囲気の都市だが、ここに来れば大抵の物が揃うので、地元の人間も良く買い物などに訪れる。

 だが千歳の様に地元民でコスプレをして訪れる者は、非常に稀である。


 理由は簡単、知り合いに遇う確率が非常に高い。


 ―――つまり


「あら!千歳ちゃんじゃない、その服よく似合ってるわよ、とっても可愛いわよ!」


「//////」


「お姉ちゃん、どうしたの(笑)」


 こういうことである。


 千歳は、目的地についてすぐに近所のおばさんに出会い、そう言われたことで初めて自分が着ている服ゴスロリの事を思い出したのである。


 気づくのが遅い? いえいえ、今回は早かった方ですよ。


 前回は、丸1日朱里の買い物に付き合って、帰る直前に見知らぬ女性に名刺を渡され、「雑誌で使う写真のモデルになって下さい」と言われて、初めて気づいたのである。


 この時千歳は、ビックリして逃げ出したが。体力が無く足も遅いので、追いかけてきた朱里に簡単に追いつかれ、連れ戻され写真を撮られる事になったのだが。頬が桜色に染まり、何となくエロい雰囲気の写真になった。


その写真が、若い女性向けの有名雑誌に載って、千歳が恥ずかしい思いをしたのが、今年の4月の出来事である。


 ちなみに、その時の服装は、白いブラウスに薄桃色のストールと桜色のスカートとシュシュを合わせた、清楚で春らしいコーディネートだった。


 今回は、幸か不幸か目的地についてすぐに、気づけたのである。これが自分の格好に気が付くまでの最短記録であった。


「朱里ちゃん…」


「なぁに、お姉ちゃん」


「お家に帰りたい」


  千歳は、朱里の服の裾を摘んで、ふるふるしながらそう告げた。

 自分の格好に気が付くまで、お店に行って何を食べるか嬉しそうに妹と話していた千歳の姿は、もうそこに無い。


 可愛そうに。耳まで真っ赤にして、妹の服の裾を右手の人差し指と親指の日本の指で摘んで、力なく俯くゴスロリ姿の美少女(千歳)の姿がそこにはあった。少し泣きそうな顔までしている。当然、妹はこれを見て、とても興奮した。彼女の日常は興奮と喜びに満ち溢れている。


「嫌よ、一人で帰るのもダメ。もし一人で帰ったら、お姉ちゃんの事これからずっと無視するから」


「そんなぁ…」


 朱里は、当然千歳の「お家に帰りたい」と言う願いを却下した。


 千歳は少しプルプルと震えだし、少し泣き始めている。そして朱里はさらに興奮した、少し鼻血まで出ている。


 ただ、これ以上千歳を追い詰めると本格的に泣き始めてしまうので、千歳の精神状態が少し向上するような事に意識を切り替えさせる。

 千歳は、割と単純なのである、扱いはとても簡単だ。


「お姉ちゃん」


「ぐずっ、な゛ぁに」


 顔を上げた千歳の顔の状態はすごい事になっていた、鼻水と涙とヨダレで大変な事になっていた。

 当然、朱里はこれにも興奮した。彼女はレベルの高い変態なので、こんな事にも興奮できるのだ。


 ……一体、何故こんなに高度な変態に育ってしまったのか。両親すら3ヶ月に1度程、悩む謎である。


「甘いものでも食べに行こうか」 


「……甘い……もの?」


「そう、甘いもの。いつものあのお店で、フェアーやってるらしいよ。行く?」


 何時ものあのお店とは、都市の一等地に建つ商品格安のお店である。

 店長は数年前に事業を起してその会社を僅か数年でこの国でも有数の大企業にした鬼才。今は後任に会社を任せ、現在は悠々自適な隠居生活を送っている。

 見た目は20歳ぐらいの女性なのだが、その実何歳なのかは良く分からない。千歳達が初めて彼女に出会った時から10年以上経過しているのに容姿が全く変わらないのだから、大概謎な人物である。

 まぁ、千歳の周囲にはこの手の存在が多いので、千歳当人は全く気にしていないのだから、千歳だって大概である。


「ぐずっ、いぐ…」


 千歳は、甘いものが大好きである。こういう時はお菓子など好物の話で大抵の場合、悪い精神状態から持ち直す。「小学生かッ!!」と突っ込みたくなるが、実際、千歳はこんなもんである。扱いやすいなー。


「じゃあ、これで顔拭いて。」


「うん」


 妹から、渡されたハンカチで、涙やら何やらをふき取り、この後何を食べようか考える。

 服ゴスロリの事は、千歳の中で諦めがついた。吹っ切れる所までは行っていいないが、着て来てしまった物はしょうがない。


 それよりも今は優先すべき事がある。甘い物だ。千歳はとても単純な子だ。

 友人からも「お菓子とかあげると懐くよね」とか「落ち込んでる? 甘いモンでもやっとけ。元気になるぞ」とか言われる始末である。小さい頃に誘拐されなかったのが奇跡の様だ。


「じゃあ、行こうか!」


「うん」


 2人は、行き着けの喫茶店へ向かい歩き出す。目的地の喫茶店がある東エリアは、綺麗でとても広い、ドイツ圏のとある町の美しい町並みを模して作られたこの場所は、訪れると、まるでファンタジー世界にでも迷い込んだのではないかと錯覚する程だ。


 そんな場所でそれは起こった。


 交差点の歩行者用信号が青に変わり、2人が道を横断していると。すごい速度で大型の車が突っ込んできたのである。しかも車は明らかな殺意を持って道を横断する人々に突っ込んでくる。


「ッ!!」


 他の人間は何とか車の軌道から逃れたが、千歳たちは間に合わなかった。

 このままでは千歳と朱里の2人と、それと幼い少女2名の計4名は轢かれる、車の速度は100キロを優に超えており、そのままぶつかればまず命は無いだろう。

 その上、千歳以外の3人は呆然として、恐怖で動けなくなっている。このままでは3人の命は先ず助からないだろう。


 この瞬間、千歳は決断した。千歳に迷いは無かった。


 まずは朱里だ。朱里は千歳からぎりぎり手の届かない位置にいた。なので朱里に日傘の柄を引っ掛け、自分と位置を入れ替えるよう引き寄せ、そして車線の外に引っ張り出す。


「!?ッ、お、姉ちゃん?」


 朱里を車線の外に引っ張り出した反動を使い、2人の少女と迫り来る車体の間に躍り出る。

そして、そのまま車を背にして、2人の少女を自分の胸に抱きかかえる。


 ドシャァァッン


 ――その刹那、刹那、衝突音が当たりに響く。


「ぐぅッ」


 2人の少女を抱きかかえた次の瞬間、千歳は車と衝突していた。


 背中に激しい痛みが走る。


 時速100キロを優に超える車にそのままぶつかればまず命は無い。そう、"そのままぶつかれば"である。


 衝突の衝撃から少女2人を守るために、千歳は自分の体をクッションにしてできうる限り衝突の衝撃を殺す。


 ――痛みで意識を手放しそうになった、その刹那。千歳は朱里の声を聴いた気がして、手放しそうになった意識を何とか手繰り寄せ、少女二人を抱きしめる腕に再び力を籠める。


 一瞬の浮遊感の直後、千歳の背中は地面に叩きつけられる。この時も少女2人を守るため、自分の体をクッションに使い、落下の衝撃を殺す。

 その後、少しの間、地面に打ち付けられながら転がり、やがて止まる。


 そしてその十数秒後、千歳を轢き飛ばした車は近くのビルにぶつかり停止した。


 地面に横たわる千歳は、体のあちこちから血を流しながら、周りには血の海を作っている。着ていたゴスロリ衣装と真っ白だった美しい髪は、血で赤黒く染まり、ぼろぼろになってた。


 程なくして地面に横たわる千歳の腕の中から抜け出す。幸い殆ど怪我もない。何が起こったのか分からず、少し泣きそうではあるが、それも無事な証だろう。


 そんな少女達が人混みの中から現れた親と思しき男女4人の元に駆けていく中、朱里は千歳の元に駆け寄る。千歳に突き飛ばされて、少し膝を擦り剥いてはいるが、その他は怪我も無い。 


「(あぁ、よかった3人とも無事みたいだ……)」


 千歳は安堵していた。3人とも無事なのだ、こんなに嬉しい事はない。

 あの時、勇気を振り絞って一歩前に踏み出した。今はそれが誇らしくすらあります。


「お姉ちゃんっ!!」


「(まったく、こんな時まで"お姉ちゃん"だなんて、筋金入りだねぇ。最期くらい"お兄ちゃん"って呼んでほしかったな)」


 千歳は、自分の体温が徐々に失われていくのを感じながらそんな事を思っていた。もう喋る力も残っていない。


「ねぇ、笑ってないで何か言ってよ…」


「(あぁ、今僕は笑ってるのか。人生の最後に笑っていられるなんて…僕はもしかしたら幸せ者かもしれないなぁ、あーでも、甘い物を食べられなかったのは少し心残りかもしれないな)」


 そんな事を思っている時、千歳は見てしまった。


 ビルにぶつかった車から、鋭利な刃物を持った男が降りてきて、こちらに向かって一直線に向かって来るのを。

 刃物を持つ男の瞳には、殺意、狂気、愉悦、執着、焦燥、様々な感情が渦巻き。その男が持つ刃物は、刀身が黒く淀み、刃物を持つ男共々、何か普通では無い雰囲気を纏っていた。


(不味い!、あいつ朱里ちゃんを…)


 千歳は最期の力を振り絞り朱里に伝える。


「ぁ…り に…げ て 」


 搾り出した声が小さすぎて言葉になってすらいない言葉。


 この言葉を最期に千歳の心臓は鼓動を刻まなくなった。


「お姉ちゃん? ……ねぇ、お姉ちゃんってば。……い、いやぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーーーーー」


 朱里の声が周囲に木霊する。千歳の最期の言葉は、彼女には伝わらなかったのだ。


 朱里が現実を拒絶するその間にも、男は刃物を持ってゆっくり、しかし確実に近づいてくる。

 男は、朱里との距離がもう3メートルの所まで来ていた。


 千歳はその光景を、何もできずに見ていた。


「(お願い……お願いだよ、最後にもう一度だけ、ほんの少しの間だけでいい、もう少しだけでいいんだ、だから…お願いだ、動いてよ)」


 千歳はもう死んでいる、体は完全に暖かさを失った、心臓は動かない。死んでいる、動かない、それでも千歳は願う。


「(どうか、あと少しだけ…あと一度、たった一歩で良い。もう一度だけで良い、それだけ動ければ朱里ちゃんを―――大切な妹を守れるんだ、お願いだよ)」


「おい逃げろ!!」


 周囲の人間の声で、朱里は刃物を持った男の事に気づく。


「さっきは殺し損ねたが、今度こそ殺してやるよ、けははっ! あばよッ」


 男が醜悪な笑顔で刃物を振りかぶる。


「いやぁぁぁッ、助けて、おねぇちゃあぁぁーーーーーーーーーーーーーーーー」


「(僕の妹にぃ、手をぉぉだぁぁすなぁぁぁぁぁーーーーーーーーーーーーーーー)」


 ――刹那、ズシャリ。周囲にそんな鈍くて重い生々しい音が響く。


「お……ねぇちゃ……ん?」


 刃は朱里ではなく、朱里を庇って朱里と男の間に立った千歳の胸に刺さっていた。刃が刺さったのはちょうど心臓の位置だった。


「くそッ、まだ生きてやがったのか。しぶといヤツだなぁッ!」


 男は苛立ち混じりにそう呟き、千歳の胸部から刃物を引き抜こうとする。


「(させないよ……)」


 千歳は、自分の胸に刺さった刃物を両手でを掴み、あらん限りの力を振り絞り自分の体に押し留める。


「なッ!!」


 男は急いで刃物を引き抜こうとするが、千歳が胸部に刺さった刃を両手で強く握り締め、異常な力で自分の胸に強く押し込んでいるので引き抜く事が出来ない。

 男はそれでも諦めずに刃を上下左右に動かし無理矢理に引き抜こうとする。


「!? このックソが、死に損ないがぁぁーー、離しやがれ! クソックソッ」


 そう言い放った直後、男は目の前に立つ者の不審な点に気づく。


「(あの傷でナイフを掴むこの異常な力はいったいどこから……? いや…寧ろ、心臓に刃が刺さっているのに何故まだ動いている?)」


 男が驚くのも無理はない、今の千歳は体中から大量に出血し、さらに心臓に刃が刺さってなお動いているのである。これは異常だ。


 そもそも、死んで地面に横たわっていた筈の千歳が今まさに立っていて、男が振り下ろした刃から朱里を守っている。これが一番異常な点である。


 千歳は、男の事を睨み付ける。一度は光を失った筈の瞳には再び光が宿り、その瞳には強く純粋な何かが内包されていた。


「ひぃッ!!」


 千歳が男を睨み付けた瞬間、男に隙が生じる、その瞬間に周囲の人間が男を取り押さえる。

 取り押さえられた男の瞳には、深い恐怖の色が刻まれており。抵抗すらできないほど何かに怯えている。


 そんな中、千歳の背後で朱里が声を上げた。


「お姉ちゃん!」


 朱里が、立ち上がり千歳の背中に抱きつく。


 千歳は背中に抱きついた妹を見て、心の底から安堵した。


「(よかった、朱里は無事みたいだ。…動いてくれてありがとう、最後まで苦労を掛けたね、でもおかげで朱里ちゃん……を守れ……た……)」


 朱里が無事だと分かり、自分の願いを叶え最後にもう一度だけ動いてくれた、ぼろぼろの体に感謝したのを最後に、千歳の意識は深い闇に沈んでいった。

次回は  千歳の妹、朱里の視点で描かれます。


ただいま改稿中に付き、一部の地文に乱れがございますので、ご留意下さい。

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