3話 狂気と過去
トーレの街にある孤児院。
そこの院長であるエルマが使っていた部屋に書かれた魔法陣がカーペットの下で淡く光り輝いていた。
やがて、魔法陣の上に何かが構成されていく。
それは手、足、胴体、顔、髪の一本一本まで形成されていき、魔法陣の光が収まると、そこには十歳を超えた程度で、黒い髪、黒い眼、中性的な顔つきの少年の姿があった。
「うん……? ここはお母さんの部屋か」
「おめでとうナナシ。これであなたも私と同じ、不老不死よ」
背後から自身の名を呼ぶ声に振り向けばそこには少年が殺し、少年に不老不死の術を教えた少女、ネムレスがいた。
「やあ、ネムレス。状況を教えてもら……うのは後にして取りあえず君の宿に行こうか」
状況を正しく理解していないナナシはネムレスにそれを聞こうとしたが、すぐに今いる場所が孤児院でこの部屋の向こうに惨状が広まっているだろうことに気づいたナナシは、まずこの場を離れることにした。
「そうね。でもその前にこれを着なさいよ」
ネムレスは手に持っていた黒いローブをナナシへと投げた。
ナナシはそれを受け取ってから自分の体を見て、
「ああ、僕は今全裸なんだね……」
と、苦笑しながらぼやいた。
ナナシは、同時になぜ全裸なのか疑問に思ったがそれもやはり後で確認することにして、受け取ったローブを着ていく。
「これもどうぞ。裸足で外を歩くわけにはいかないでしょう?」
「ああ、ありがとう」
次に渡された靴を履いたナナシはそのまま部屋の窓を開けて外へと出ようとする。
「おっと、その前に」
窓から出る寸前にナナシは何かに気づいて振り返り、床に書かれた魔法陣を消していく。
その際わざと、何かしらの模様が書かれていたことが分かるように痕跡を残した。
「これでよし、と」
「自分の死体は見ていかないの?」
やることが終わり今度こそ外へ出ようとしたナナシの背中にネムレスがそう声をかける。
「自分の死体?」
「そう。不老不死になるための最初の死の時はね、絶対に前の死体が残るのよ」
それは事前にナナシに伝えられていなかった情報だった。
なぜ、ネムレスがそれを伝えなかったのかといえばその方が面白いだろうという理由だった。
ナナシもそれを察して、教えてくれなかったことに対しては何も言わなかった。
ただ、自分の死体があることを受け入れどうするかを考えていた。
「うーん……やめておくよ。興味はあるけどね」
そして、ナナシの答えは自分の死体を見ない、であった。
これは自分の死体なんて見たくないという嫌悪感からではなく、死体を見に行って痕跡を残すのがまずいという考えからだった。
それに、ナナシにとって死体とはどうでもいいものだった。
生きていた人が殺されその命を失う様を感じることにこそ、快感を覚えるナナシにとって、すでに命の無いただの肉にナナシは特に興味はなかった。
今回はその肉が自分の死体ということで少し興味を持ったのだが、どうしてもというほどではなかったのである。
「なるほどね。じゃあ詳しい話は宿でしましょうか」
今度こそ外へと出たナナシとネムレスは、暗い夜道を歩きだし宿へと向かった。
ネムレスが泊まっている部屋に二人そろって窓から侵入してようやく落ち着いて話ができる状況になったため、ナナシは口を開く。
「結局、僕はどんな感じで不老不死になったんだ?」
「まず、ナナシが孤児院の人たちを殺し、最後に自分を殺したのが今から二十分前。ここに来るまでに十分ほどかかっているから、ナナシは一度死んでから十分後にあの魔法陣の上で再構成されたのよ」
「再構成?」
ネムレスはナナシに詳しい過程を説明していった。
不老不死の儀式を経て、最後に自害したその魂には呪いがかけられる。
その呪いこそが不老不死であり、呪いをかけられた魂は件の魔法陣の上に保持され、その魂を元に器である肉体が構成される。
魂にかけられた呪いに合わせて作られる器もまた不老不死の肉体であり、魂と肉体が共に不老不死の存在になって初めて完全な不老不死となれるのである。
あの魔法陣は魂と完全に一致する器を構築するための魔法陣だった。
「じゃあ魔法陣がなければどうなっていたのかな?」
「その時はリッチと呼ばれるモンスターの仲間入りね」
「え? じゃあ今の僕はアンデッドなのかい?」
リッチ。
それはアンデッドの王とも呼ばれる凶悪な魔物だ。
一説には魔法使いが自らの不死を望み失敗した成れの果てとも言われている。
肉体がなければリッチになっていたと聞かされたナナシは種族が違うだけで自分もアンデッド、ゾンビなどのような存在になったのではと考えた。
ナナシは別にそれ自体が嫌というわけではない。
意識はあるのだからどのような形での不老不死でも構わなかった。
ただ、アンデッド系の魔物だといささか面倒な弱点があり都合が悪いとナナシは思っていた。
「安心して。魂と肉体は共にあって初めてちゃんと機能するの。リッチは、魂を肉体から切り離すことに成功したけどそれだけで、無理やりその魂の存在を保持しているに過ぎないわ。だからアンデッドでしかないの。ゾンビは肉体を得たけれどその肉体は不老不死の存在ではなかった。でも私たちは魂も肉体も完全な不老不死の存在よ、あなたが心配する聖属性魔法に特別弱いといったことはないわよ。実際平気だったからね」
それに、聖属性魔法の働きはあくまで正常な状態に戻そうとするものだもの、とネムレスは付け加えた。
つまり、完全な不老不死という存在はその状態が正常であるため正常な状態に戻されても何も変わらないと言うわけである。
「でも呪いがかけられた魂は正常とは言いがたいと思うけど……解呪とかされちゃうんじゃない?」
「呪いがかけられたっていうのは便宜上そう言ったまでよ。そうね……完全に魂の素材が別の物に変わっちゃうの。いつか朽ちてしまう素材から永久に存在する素材にね。そして記憶などの魂の情報が新たな素材に移されるの」
ネムレスがなんとか分かりやすいように言葉を選んでナナシに伝えれば、ナナシはある程度は理解できたようだがそれでもやはりいまいち詳しくは分かってないようだった。
「まあ、詳しい理論なんてどうでもいいのよ。私たちは完全な不老不死の存在。それが分かっていれば大丈夫よ」
「うん、そうだね。まあもし何か間違いがあったとしてもその時はその時だ」
ネムレスも完全に理解しているとは言えないようだったのをナナシは察して、その上でそんなことは些細な事と切り捨てた。
実際にネムレスが聖属性魔法を受けて無事だったことらしいことを考えれば大丈夫なのだろう。
「よし、じゃあ別の話をしよう。たとえば僕たちはまだ互いの事をよく知らないと思うんだ」
「そういえばそうね。私たちは互いが壊れて狂っていることぐらいしか知らないわ」
ナナシの言葉にネムレスは苦笑しながらも頷いて肯定する。
「まずは僕の方から話そうか。不老不死にしてくれたお礼もあるしね」
「そう? どうしてあなたはそんなに壊れているのか楽しみだわ」
ナナシはまず話をするにあたって自らのステータスカードを取り出した。
「まずはこれを見て欲しいんだ」
ステータスカード。
それはこの世界の人間は誰もが持っていて手放しても手元に戻ってくる神が与えた便利なものである。
そこには名前、年齢、そして所有スキルが表示される。
ネムレスはどんなスキルを持っているのかと、興味津々にナナシから受け取ったカードを覗いた。
そしてそれを見たネムレスは目を見開いて驚いた。
「っ!? ……これって本当なの?」
ネムレスは驚きのあまり、大きな声をだしかけそうになったのを抑え、慌てて小声でナナシに問いただした。
ナナシは肯定するように頷き、それを見たネムレスは再びナナシの所有スキルを見つめ始めた。
ナナシのステータスカード。
その所有スキルという欄にはこう記されていた。
―邪神の寵愛
―不老不死
―暗殺術5
―短剣術3
―軽業7
―身体強化3
数字はそのスキルのレベルを表していて、最大10までスキルは成長する。
成長具合によってそのスキルの効果が向上する。
スキルレベルは4もあれば十分冒険者としてやっていける。
そしてそこから人生を通して修練することで7まで、そのスキルを扱う才能があれば9まで上げていけると言われている。
ナナシの所有スキルにある暗殺術、短剣術、軽業、身体強化。
これらは特に問題ではない。
ナナシの異常性からこれらのスキルを持っていてもおかしくはないだろう。
それでも十二歳にしてはレベルが異常に高いものではあるが大した問題ではなかった。
問題は最初に記されているスキル。
邪神の寵愛だった。
「ナナシ、あなたは邪神様と会ったことがあるの?」
「ああ、僕がこの世界に来る前に一度だけね」
それはナナシが生まれる前の話だった。
ナナシがナナシとして生まれる前。
ナナシの魂はこことは別の世界で生きていた。
その日、ナナシになる前の男は仕事から帰る途中だった。
いつもと同じように家に帰って飯を食べ風呂に入ってそして寝る。
そうするはずだったのだが、帰り道に男は通り魔と出くわし、腹を刺されて、地面に倒れてしまった。
男は痛みに苦しむ中通り魔へと視線を向ければ、ゆらゆらとゆっくり歩き、また別の人に対してその凶器を振るおうとしている通り魔の姿が見えた。
それを見た男は痛みを忘れたかのように立ち上がり通り魔の背後から近付いた。
そして通り魔が持つナイフを奪い取って、その通り魔を刺した。
男は絶対にここで殺すのだと何度も何度も何度も通り魔の胸に刺した。
男はその間ずっと不思議に思っていた。
なぜ自分はこいつを殺そうと思ったのか。
それは刺されたことの復讐だろう。
だが、なぜだろう。
なぜ。
なぜこんなにも楽しいのだろうか。
そう男は思っていた。
こいつを殺すのが楽しい。
人を殺しているこの感覚が気持ちいい。
ああ、殺すのってこんなに気持ちいいことだったんだ、と男は思った。
何度も何度も通り魔だったモノを刺していた男は次第に意識が遠ざかるのを感じた。
男自身、自分の死をはっきりと感じていた。
それもまた気持ちがいいと思った。
そして男はその身に潜む異常性を受け入れてこう願った。
もしも来世があるのなら、人をいっぱい殺したい。
「そう、願って死んだらね。邪神様に気に入られちゃってさ。殺すのにうってつけの力を貰ってこの世界に転生させてもらったんだ」
それはナナシの狂気の目覚めの話だった。
その時までナナシはいたって普通の人間だった。
だが、そのたった一回の殺しがナナシを狂わせた。
いや、ナナシはもともと壊れていたのである。
通り魔を殺したことは壊れていることを自覚するためのきっかけにすぎなかったのである。
ナナシは死後に出会った邪神にそう言われ、そしてその言葉を自然と受け入れ納得したのだった。
「それで貰った力の総称が邪神の寵愛っていうわけだね」
ナナシの話はとてもじゃないが信じがたいものだ。
けれどネムレスはそれが真実であると理解した。
そして、そのナナシを殺した通り魔に、ナナシをこの世界に呼んだ邪神に深く感謝した。
おかげでこんな面白い存在と出会えたのだと歓喜した。
「そう、ナナシは転生者なのね。いえ、今まで転生なんて話、聞いたことも無かったけれど、話を聞いて納得ね。通りでナナシはまだ子供なのに、やたらと頭が回るはずよね」
ネムレスは楽しそうに笑いながらそう言った。
彼もまたネムレスとは別の方法で見た目よりも長い時間を生きていたのだ。
もっともナナシが生きていたのはたかだか二十五年でネムレスの生きてきた時間に比べればはるかに短いものなのだが。
「それでその邪神に貰った力ってどういうものなの?」
ネムレスはナナシがどんな力を貰ったのかが気になりそう尋ねた。
「闇魔法、隠密、隠蔽を最高レベルで扱えるのと、ある行動をしたときスキルの成長に補正がかかるっていう力だね」
「最高レベルで? 通りで殺された瞬間まであなたに気づけなかったわけね。そのある行動っていうのは?」
ネムレス自身長い時を生きていてその間にスキルを鍛えていてかなりの強さを誇っていた。
特に気配探知のスキルは過去に狙われることが多かったために最高レベルの10まで上がっており、不意を突かれるなどありえないという自信があったため気づかぬままにナナシに殺されていたあの時は驚いたものだった。
だが、ナナシは隠蔽、隠密を最高レベルで扱えるのだ。
加えてそのスキル自体は邪神の寵愛というスキルにまとめられているため、スキルの中でも最上位のものであり、どれだけスキルが育っていてもナナシに気づくのは不可能だっただろう。
そしてそれだけでも異常な力だと言うのにスキルに対する成長補正があると言うのだからネムレスはその特殊な行動とは何かと聞かずにはいられなかった。
もっとも薄々これじゃないかと思うことはあるのだが。
「それは人を殺すための行動だよ。人を殺すためにスキルを使うとそのスキルはよく育つんだ」
ナナシはネムレスの問いに迷うことなく答え、ネムレスはやっぱりと納得したのだった。
本来なら隠すべき力のはずなのに簡単に話すのは、ナナシがネムレスを永遠のパートナーだとすでに認めているからだった。
殺しても殺せない相手。
それは大切なモノ、好きになったモノを殺したくなるナナシにとっては最高の相手だったのである。
そしてナナシはネムレスにならいつでも殺されてもいいと思ってもいた。
もっともすでに不老不死であるため殺せないのだが。
一方のネムレスはナナシの説明でスキルのレベルが高かった訳を理解した。
そしてナナシの自分に対する思い。
自分になら殺されてもいいという、狂っていて重すぎる思いを寄せてくれていること。
それに気づいたネムレスもまた密かに高揚するのだった。
孤児院で殺戮があった次の日、孤児院の人を誰も見かけないことを不審に思った近所の住民は兵士に通報し、兵士が孤児院の様子を確かめるとそこにあったのは、首を落とされた少女や何度も刺されている少年、一切の感情が見えない表情で死んでいる院長、そして自らの胸を刺して純粋な子供のような笑顔を浮かべて死んでいる少年の姿だった。
※ここはファンタジー世界です。スキルあります。
思い出話っていいですよね。