12話 娯楽室
扉を開いたその部屋はどうやら娯楽室とでも言うべき部屋だったようで、様々な娯楽用品があり、宿の客だけでなくこの娯楽室だけを利用している者もいるのかそれなりの人が部屋で思い思いに楽しんでいるようだった。
片隅には小さいがバーもあってそこで酒を飲んでいる人もいる。
そしてそこにある娯楽用品にナナシは思わず前世にあったものを思い出す。
チェスのようなものをしている人もいれば、ビリヤードに似た何かで競っているグループもいる。
奥には的が壁に掛けてあり、投擲用ナイフを投げている者の姿もあった。
また、異様に盛り上がっている一角があり、そこでは小さい玉を転がして玉が入った数字で賭け事をするルーレットをしているようだった。
そして部屋の中心では楽器を持った男が陽気な音楽を奏でている。
扉を開けるまでまったく無音であったことを考えれば、この部屋はよほど厳重に防音処理されているらしい。
「これはすごいですね」
「おう、当宿でも自慢のものなんだ」
思わず感嘆の言葉をこぼすナナシに嬉しそうに宿屋の主バルムが答える。
ここ娯楽室はバルムが色々な国から集めた室内でできる娯楽を取り揃えたバルム自慢の部屋だった。
その娯楽用品を集めていた時にバルムは今の奥さんと出会い結婚したのだ。その為この娯楽室は自慢であると共にバルムの思い出のものが詰まっている部屋でもあった。
そんなことを説明も求めていないのにナナシに説明するバルムの顔はだらけていた。
「おう坊主、そのおっさんに話させたのが運のつきだったな」
「バルムのおっさんはここの話になるとすぐ惚気やがるからなあ」
「まったくだ」
近くで酒を飲んでいた三人の男がそんなナナシの様子を見て野次を飛ばしてきた。
それを聞く限りバルムはよくこうやって惚気話をしているのだとナナシは理解して苦笑してしまう。
「まあ、でも僕にもかわいい嫁がいますから気持ちは分かるけどね」「おお、お前もいるのか! やっぱ愛する嫁さんがいるってのはいいよなあ!」
「坊主はまだ十をちょっと超えた程度だろ!?」
ナナシが自身もまた結婚済みなのだと言えば娯楽室は大騒ぎだった。
バルムは大笑いしてナナシの背中をバンバンと叩き、先ほど野次を飛ばした男は目を丸くして驚いている。
それだけでなく他に話を聞いていた人も一様に目を見開いてナナシを見ていた。
「ええ、これでも僕は冒険者として生きるだけの力を持ってますし稼ぎもありますので問題ないのさ」
「カーッ! 最近のガキは進んでるんだなあ。畜生俺もいい人がいればな」
「お前の場合は顔がなあ」
「うるせー!」
ナナシの言葉に男がぼやけばそれを横の男が茶化して娯楽室は笑いに包まれた。
ここにいる人は皆気のいい連中だと思いつつ、ナナシも作ったものではない本物の笑顔を浮かべていた。
いつの間にか娯楽室の中にナナシは自然と溶け込んでいた。
そうして、すぐに人の輪に入り愛されるのもナナシの才能だった。
ナナシの醸し出す雰囲気に誰もが狂気を感じることなくその調子のいい性格に親しみを感じてしまう。
娯楽室にいた面々に暖かく受け入れられたナナシは用意された娯楽の内ナイフ投げをすることにした。
「おお坊主は投げナイフに腕に覚えがあるのか?」
「いや、スキルもないけど、ただやってみたいと思っただけだよ」
「そりゃいいかもな。もしかしたらスキルが得られるかもしれないぜ」
「そうなったら面白いかもですね」
ちょうど的の一つが空いていたのでそこでナナシは投げナイフをすることにした。
隣でナイフを投げていた男が話しかけてきたためナナシは適当に返す。
もしスキルが得られるとしたらおそらくは投擲術。
今までが殺すときは近づいて直接短剣を刺すなどして殺してきたが中距離から殺す手段としてはちょうどいいかもしれないなとナナシは考えつつ投擲用のナイフを手に取る。
そして取りあえず思い思いの方法で投げてみるのだがくるくると回転して偶然刃が前に向いたもの以外は的に刺さらず落ちてしまう。
「結構難しいな」
そう一人ぼやく。
隣で見ていた男は興味を失ったのか自分もナイフ投げを再開する。
投げられたナイフは全て回転せず真っ直ぐ飛び、的に突き刺さっていた。
また的の中心に刺さっているナイフが多いことからちゃんと狙いをつけているらしい。
それを見ていたナナシは男の投げ方を真似しつつ再びナイフを投げる。
今度は回転を抑えて投げることができたが狙いが定まらず的に刺さったものは少なかった。
それを何度も繰り返しているとコツをつかんだのか全て的に刺さるようになっていった。
楽しくなってきたナナシは他の投げ方も試してみてどんな投げ方でもしっかり投げれるようになっていった。
その様子を見ていた野次馬が感嘆するほどにナナシは投擲の腕をあげていった。
「すげえな……もう百発百中じゃねえか。おい坊主、もしかして投擲術のスキルが手に入ってるんじゃないか?」
横で投げていた男もナナシの成長っぷりに感心しスキルが得られてないか気になりナナシに聞いた。
その声にナナシはステータスカードを取り出しスキルを確認する。
尚、見せようと思わない限り他人にカードの内容は読み取れないので周囲の目を気にする必要はなかった。
ナナシのスキル一覧にはこう書かれていた。
―邪神の寵愛
―不老不死
―暗殺術6
―短剣術4
―投擲術1
―軽業7
―身体強化4
前回見た時から暗殺術、短剣術、身体強化がそれぞれ1レベル上昇し、短剣術の下に新たに投擲術1と表記されていた。
それを確認したナナシはカードを仕舞い、口を開いた。
「確かにありました。これからは投擲も練習していこうかな」
「ああ、あって損はないと思うぜ。おめでとさん」
その声をきっかけに周りからもおめでとうという声がナナシにかけられていった。
なぜここまで皆が祝福しているのかと言えば実のところこの方法でスキルを得られる可能性はほとんどないからである。
ただ娯楽として遊んでいただけでスキルを得られるなら苦労なく、もしこの方法でスキルが得られるならそのスキルに対して確かな才能がある場合だけであった。
つまり、ナナシにはその才能があるということであり新たな才能の発見に娯楽室の人々は祝福していたのだった。
「おめでとうナナシ」
その祝福の中にもうよく知った声が混じっていた。
「ああ、ネムレス。散歩から戻ったんだね。どうだった?」
「ええ、十分楽しめたわよ」
それは当然ネムレスであり、機嫌もいいようで言葉通り楽しめたらしい。
「それはよかったね」
「おい坊主……じゃなくてナナシか。ナナシ、その子が例の子か?」
ナナシがネムレスに対して気さくに話しているのを見た、投げナイフの男はつい気になって口に出してしまう。
その男だけでなくナナシの嫁がいる宣言を聞いていた者は皆気になっていたらしく、ナナシとネムレスに交互に視線を送りその問いの答えを待っていた。その様子に皆が何言ってるのか分からずネムレスは首をかしげている。
その様子を見てナナシは苦笑しつつ、男の問いに堂々と答えることにした。
「ああ、このネムレスこそ僕が愛するかわいい嫁だよ」
「当然と言えば当然だが相手もまだまだ子供だな……」
ナナシの言葉により例の嫁であることを確認した男が思わず口ずさむ。
他の人も一様に驚きつつも小さい夫婦のことを祝福していた。
中にはナナシが子供らしく見栄を張っていたと思っていた者もいたのだが、ネムレスと呼ばれた少女の反応を見ればそれが間違いだとすぐに気付く。
なぜならネムレスは始めはポカーンとしていたがナナシの言葉を理解していく内に顔を赤く染めつつ嬉しそうに表情を緩ませていたからだ。
そして抑えきれない思いのままにナナシへと抱きついて私も大好きだと連呼する様子を見せられれば誰もが納得せざるを得ない。
「でもあそこまで見せつけられると、こう……腹がたってくるよな」
「ああ、なんかな……ちょっとばかりこの気持ちをぶつけてもバチは当たらないよな」
人目も気にせずいちゃつく二人に、独り身の男達は大人げなく子供相手に嫉妬して少し物騒なことを口走る。
「ほう……うちの大事な客に手を出そうって? いい度胸じゃないか」
が、そんな男たちの背後から冷たく、そして低く抑えられた女性の声が発せられ、その声を聞いた男たちはみるみるうちに顔を青くしていく。
「や、やだなあハンナさん……子供相手にそんなことするわけないじゃないですか。はは、ははは……」
「そ、そうですよハンナさん。俺たちも大人ですからね。今のはちょっとした冗談というか……」
ハンナと呼ばれたその女性に対してやたらと低姿勢で弁明する男たちの背中には冷や汗が流れていた。
しはらく男たちを睨み付けていたハンナだったがやがてその視線に込められていた威圧を解き男たちから視線を外す。
その様子に男たちはホッと胸を下ろしていた。
だが、ハンナはそんな男たちにある言葉を投げつける。
「あんたらの夕食は期待するといい」
それは死刑宣告と同義だった。
男たちはその言葉に絶望し、目に見えて落ち込んでいた。
だが、逃げることはすでに許されない。
今逃げればよりひどい目にあうことを男たちは理解しているためだ。
その様子を見ていた人たちも同情しつつも同じ轍を踏まないように口を閉ざすのだった。
二人の男が一喜一憂している間にいちゃつくのを終えていたナナシたちもその様子を見ていて、この宿屋でそれだけ発言力のある女性がバルムの奥さんなのだろうとナナシは察していた。
「えっと、ハンナさん……ですか? これから五日ほどよろしくお願いしますね」
「ええ、五日と言わずこれからずっと泊まっていきなさいな。もちろんその分お金はいただくけどね」
男たちに向けていた時とは違い幾分優しげな声色でナナシに答えるハンナだが、それでも生来の気の強さがその言葉に交じっていた。
話しかけることによってその姿がはっきりしたため観察すれば、栗色の長い髪を後ろでまとめていて顔は全体的に整っており、全体的に細めな体に主張の激しい部位を持つハンナは美女というに相応しい容姿をしていた。
その美女の夫がスキンヘッドの熊みたいな男なのだから世の中わからないなとナナシは思ってしまう。
一方でその見た目とは反対にその性格は気が強いようでお淑やかとは無縁のようだということを考えればお似合いではあるのだろうとも考えるのだった。
「今こんな美女があんな男と夫婦なのかって思っただろう?」
「まあ、そうですね」
自分で美女などと言うハンナに苦笑しながらナナシはその通りだと答える。
「やっぱりね。私に出会って夫がバルムだと知った連中はそろって同じことを考えるのさ」
「それも仕方ないと思います。でも、そうは言ってもお二人はお似合いな夫婦だと僕は思いますよ」
「私たちに負けないくらいにね」
ハンナの言葉にナナシはフォローを入れ、ネムレスも対抗心からか自分たちもお似合いの夫婦なのだと会話に入ってきた。
その言葉に今度はハンナが苦笑していた。
「ああ、そうだね。あんたらも確かにお似合いの夫婦のようだ。私も夫のことを愛しているから、周りの連中がどう言おうと気にならんがね」
「そうですね。僕たちも一般には子供ですが二人で愛し合ってるので何と言われても気にならないです」
「私たちの愛の前に周囲の評価なんて敵にもならないわ」
そんな三人の惚気た会話に周囲の人は砂糖を吐くような顔をしてこれ以上の惚気は御免だとそれぞれの娯楽に戻るのだった。
「それじゃ改めて、僕はナナシ。これからこの宿でお世話になるよ」
「ネムレスよ。同じくお世話になるわ」
「この宿屋の主人であるバルムの妻、ハンナよ。よろしくねナナシにネムレス」
少しの会話ですっかり打ち解けた三人は互いに自己紹介し、いつの間にか口調からも堅いものが消えていた。
挨拶も終えたハンナが娯楽室から出ていったのを確認し、ナナシたちもどうするかを考える。
「うーんそろそろ夕食だろうし、食堂へいこうか」
「ええ、必要なくてもおいしいものは食べたいものね」
思ったよりも投げナイフに熱中していたのか外を見ればすっかり暗くなっているのを見たナナシがネムレスにそう提言すれば、ネムレスも喜んでそれを肯定し、二人で食堂へと足を進めた。
その様子を見てほかの人も時間に気付いたのかぞろぞろと立ち上がり娯楽室から出ていった。
食堂で出された料理はどれもおいしくナナシたちは非常に満足した。
一方で同じく食堂の一角に座っていた死刑宣告をされた例の二人の男は料理を涙目で顔を青くしながら食べていた。
不味かったのか辛かったのか苦かったのか。
その味を知るのはそれを食べた当人と料理を作ったハンナのみである。