肆番
ちょっと短いかもしれないです。
細かな描写はくどいので、試しに色々省略してみました。
湖での激戦の後、アメリアは再び森を駆け抜けていた。シャーリーが言うには、湖があるのは森のおよそ中央であるとのこと。アメリアの足ならば、魔物を無視しての前提付きではあるが、森を抜けるのにも一時間もかからない。
しかし、アメリアは森を抜けた後の方策について、些か決めかねていた。シャーリーの持っていた情報はほぼ森に関することのみである上に、アメリア自身この国のことに関しては大雑把にしか知らない。
加えて、とアメリアは左手に握る真珠に似た宝珠を見た。
「これ! 持ってって。無くさないでね、絶対に、絶対にね!」
そう言って、シャーリーがアメリアに押し付けた代物である。シャーリー曰くそれは、至高の存在の精霊である自分自身の一部で、とんでもなく素晴らしい値打ちものであるということなのだが、今のアメリアにとっては片手を使い潰す邪魔ものでしかない。
こんなことなら、馬車からある程度旅の必需品等を漁っておけばよかったと、アメリアは今更ながらに後悔していた。生存者はいない、と印象付けるために荷の類に手を触れなかったが、この先のことを考えればそれも最善策どころか次善策だったのかどうかすら怪しい。
人間(口聞かぬ死人は除く)のいないここまでなら問題はなかったが、アメリアの容姿風体は言うまでもなく目立つ。気品のある整った顔立ちに、破れてはいるが一見しても高価と分かるドレスと、他人に興味を引かせるには事欠かないだろう。
アメリアの考えつく最良は、誰にも見られることなく旅人風の装備を揃え、なおかつ首から上を不自然でない程度に適度に隠し、記録を残さず最寄りの街へと侵入した上で一般大衆に紛れ込むこと。
「街への侵入はどうとでもなるが……」
この世界のセキュリティレベルがどの程度のものかは、アメリアも知らない。が、自分に破れないものではないだろうと、今回の王城から聖地までの旅程で経験したことを踏まえて、アメリアは推測していた。警備兵の練度から、王都や街の外と内を隔てる壁の高さ、ついでに魔法の存在。どれをとっても、現在のアメリアのスペックを上回るものはない。
が、それでも前半をクリアすることは困難に思われた。何せ、どの条件も都合が良すぎるのだ。誰もいない道端に、旅の必需品がまるごとぽんと落ちていることなど、あるわけがない。
「むぅ」
木々の切れ間から差し込む光から、アメリアは森の出口が近いことを悟った。人の手の入っていない、精々けもの道程度の道程を短時間で軽々とクリアしながらも、アメリアの心中は明るいものではなかった。森の出口に差し掛かってなお、アメリアの今後の方針は決まらない。ほぼ手ぶらであるために、水や食料の類にも都合を付けなければならなかった。いかにアメリアであっても、人間として生きている以上永遠に絶食を続けることなど不可能なのだ。
暗澹とした心持ちのまま、アメリアは森を出た。と、そこでふと立ち止まり、思案にふけりながら言葉を漏らす。
「そうか、なるほど。これならばあるいは……」
アメリアの視界に広がったのは、緑豊かな大地や、遠くに堂々と並び立つ山々だった。どうやら森の出口は、小高い丘となっていたらしい。が、アメリアが見て方針を思い浮かべた光景は、また別にあった。
今いる丘から遙か遠く離れた平地に、馬に乗った一団がいるのを見つけたのだ。
実のところ、ティルジオン国は周辺諸国と比べると治安が悪い。大国でありながら、相当古い歴史を持つ王制の魔法国家。確かに貴族制度なども、決して悪い制度ではない。責任を負うべきものが負い、それに見合った見返りを受け取っているのならば、それは健全な支配体制と言えよう。そも、貴族制度など大抵の国の採用している体制である。しかし、ティルジオンは如何せんそのままの形で長く続き過ぎた。ティルジオンは悪い意味で保守的だ。革新を嫌い、古くからの体制に縛られている。そのため、それを安定・安寧と勘違いした上流階級から随分と前から腐敗が進行し、国を覆うまでに広がっていたのだ。現在、ティルジオンの国力は全盛期のものと比べると驚くほどに低下している。中央や、各地に散らばる貴族たちが各々自分勝手に、醜聞、不利益の隠蔽を繰り返しているために、現状全てを把握するものすらいないという、国家としては既に末期にまで到達していた。
そして、実力主義などと言えば聞こえはいいものの、そもそも魔法という技術は無学で行使できるような緩い代物ではない。貧富の差の激しい現在のティルジオンにおいては、生まれた時から一流の教育を受けられる貴族達が優秀な魔法使いとなることは、当然のことと言えた。
魔力が強くかつ魔法を扱うことができれば、貴賎を問わず重用される――それは、確かに嘘ではない。しかし、そうして発掘される人材などそれこそ全体から見れば一握り。結局、富める者は富み、貧しい者は貧しいまま、自身の才能にも気づくことなく死んでいくのだ。魔法使いの数が多いのも、ただ単に全体の国民総数から見れば当然のこと。だからこそ、貴族のみならず貧しい暮らしを強いられている国民達も錯覚していた。ティルジオンは素晴らしい国であり、他国より優れているのだと。そういう意味では、国民達にも少なからず、ティルジオンが今こうなっていることに対する責任がある。
とは言え、選民思想だけで飯を食えるほど現実は甘くない。それが、治安の低下につながっていた。貧乏貴族の暴走、衛兵兵士の堕落、低所得層の無法化、貧困農村の盗賊化など、数え上げればキリがない。
商人の間では、こう言われている。ティルジオンにいる間は、街中ですら護衛が必須である、と。確かに街中までは大げさだが、外ならば十割方魔物、あるいは盗賊に襲われ、身ぐるみを剥がされる。それが、ティルジオンの現状だった。
盗賊になる者は、何も食うに困った者ばかりではない。楽をして生きたい。誰もが一度は考えることを、最悪の形で叶える者達もまた、結果的に盗賊と呼ばれるようになる。そういった輩が蔓延るのも、貴族達の怠慢故だ。
ところで、そんな我欲のために盗賊となった者達の内の一つが、その日偶然にもネギを背負ったカモを見つけた。話にすれば、その程度のことだ。こんなことは、この国では今や珍しくない光景となりつつある。
今回のことに、他と違う部分があるとするならば、その盗賊達のめぐり合わせが悪かったという、それぐらいのものだろう。自業自得という言葉はこの国では似合わない。低俗下劣な悪人でも、成功した者達もいるからだ。
彼らはただ運が悪かった。それだけだ。
運が悪かった。
打ち捨てられた砦の地下牢で剥き出しの両肩を腕で抱きしめながら、クローディア・アーベントロートは今までの人生を回顧していた。
下級貴族の末娘として生まれ、魔法の才能に乏しい、兄や姉の味噌っかすと呼ばれた幼少時代。魔法がダメならばと剣を振ったものの、ティルジオンでは魔法あっての剣という認識が根本にあり、出来損ないを抜け出すことはなかった。決して、魔法を使えないわけではない。しかし、少し使える、という程度では下級貴族の末娘という底辺の立場を覆すには至らないのだ。
価値の無いクローディアを養う余裕はアーベントロート家にはなく、さりとて他家に出せるような宛もなく。最後の手段として提示されたのは、貴族の間でまことしやかに囁かれてきた人身売買。そうして裏から売られる前に、クローディアは自発的にアーベントロートを出て冒険者となった。
例え下級貴族であろうとも、貧困層と比べればその境遇は雲泥の差である。兄姉に遠く及ばぬと思っていた剣と魔法は、外の世界では決して低水準のものではなかった。それに気付き、冒険者として何とか生きられる程度の強さを自分が持っていることに、クローディアは安堵した。
が、ようやく冒険者稼業に慣れてきた、と思い商隊護衛依頼を引き受けてしまったのが運の尽きだった。
商隊はその近辺で頭角を現してきていたという盗賊団に襲われ、あっさりと潰滅。護衛はクローディアの他にも多数いたものの、盗賊団はその数を上回り、その上護衛団の中には盗賊団の内通者もいたのだ。結局、男や年配の女は全て殺され、クローディアや、その他数人いた女子供はほぼ無傷で捕えられ、武器や衣服を含めた持ち物を全て取られた上で、盗賊達の本拠地に連れて来られていた。
最初に牢に入れられたのは、クローディアを含めて七人。その内三人が最初に連れて行かれ、未だに戻ってきていない。どうなっているかなど、考えるまでもない。
『慣れてきたと感じた頃が一番危険である』。クローディアの脳裏を、冒険者となった時に受付のギルド員に忠告された言葉がよぎる。まったくもってその通りだ、と何もかも、それこそ希望すらなくしたこの時になって、ようやく彼女は心の底からその言葉を噛み締めていた。
この盗賊団は、前の街で聞いていた以上の規模のものだった。助けなどという奇跡は、期待することすら無駄だ。この牢には見張りもいない。万が一牢から脱出出来たところで、砦から出ることは敵わないだろう。盗賊達のいるであろう広間を通らなければ、ならないのだから。
最初の内は、牢に残った四人、内一人は幼い少女であるためクローディアを含めた三人が、小さな声で励まし合っていたが、時間が経つにつれそれもなくなった。そもそも、時間の経過も分からぬ薄暗い石牢の中なのだ。希望どころか正気を保つことすら難しい。そして、連れて行かれた三人の中には、ここに残された少女の姉がいた。商人であった両親も、既に少女の目の前で殺されている。その少女の心中など、推して知るべし、だ。
「っ!」
その時、地下牢に近づいてくる足音を聞きつけ、クローディアは身を強張らせた。ついに自分の番が来たのかと、喉を震わせる。そのクローディアの様子に近づいてくる何者かに気がついたのか、少女を除いた二人も身体を震わせた。
連れて行かれたはずの三人はどうなったのか、近づいてくるのはもしかしたらここに戻ってきているだけではないのか。クローディアの頭の中を、めまぐるしく思考が巡る。しかし近づいてくる足音は一人分だけ、ならばおそらく……。
キィィィィィ……
外の通路と石牢の部屋を隔てる木の扉が、小さく軋みながらゆっくりと開いていった。
クローディアは、自然と口内に溜まっていた唾をごくりと飲み下し……次の瞬間にはぽかんと口を開けた。
「すみません――こちらに、誰かいらっしゃいませんか?」
開いた扉の向こうから姿をのぞかせたのは、ローブを目深に被った少々怪しげな風体ではあるものの、自分達を閉じ込めた粗野で乱暴な盗賊達とは似ても似つかぬ、どこか気品を感じさせる子供だったのだ。
女性ばかり出してますね。そろそろまともな男性も出したい……