「新しい仕事が入ってるので素案確認の上で処理の方、よろしくお願いします。」
例のごとくかかってくる電話。なんでこいつらは隣の部屋なのに直接来ることはなく、電話で済ませるのだろうか。電話は、相手を見ずに物が言えるという利点があるし、しかもメールみたいに返信を待つ必要もないからか。いや、でももしかしたらあいつらにも後ろめたい気持ちがあるのかも。そんなことを考えて自分を慰めつつ、素早くボックスに入っているA4の紙を取り出す。この箱が「ゴミ箱」と呼ばれていることは、よくわかっていた。
俺たちの仕事は形式上作らなければならない書類とかをもくもくと作り続けること。作って出して、ハンコ押されてポイ。だからあの箱はゴミ箱で、俺たちはごみ処理係というわけだ。俺たち、というのはどういうわけかこの係には俺の他にも一人いるから。こいつとは高校時代からの友人で気心もよく知っている。高校時代は文芸部という弱小部で活動をともにし、一緒の大学、そして同じ会社に就職して別系統でこの窓際部署に飛ばされて来た時には顔を見あって笑ったものだ。あれから3年。ほとぼりが冷めると予想していた時期はとうに過ぎ、今でももくもくと「ゴミ」を処理し続けている。
「おい、ゴミ一個処分できたぞ」
「んじゃそこに積んであるやつもう一個たのむわ」
カタカタと軽快なタイプの音が部屋に響く。窓の外では夕焼けが空を赤く染め、一日の終わりを告げようとする。それに逆らうかのように、煌々と明かりの灯る部屋。現代人が昼と夜の感覚を失ったというのは本当らしいとこの時間になるといつも思う。
「高校ん時も文化祭前の追い込み時期、こんなだったよな」
「ああ。部室でワープロ並べてさ。あん時はワープロ使えるの俺とお前だけだったし」
「平和だったな」
「今だって平和だ。売り上げを気にすることもないし」
「でもやりがいがない。誰からも頼りにされてないし」
「いや、あいつらよりは確実に頼りにされてる。」
そう言って奴が指差したのは隣にある花形部署、営業一課だった。
「ばかいえ、あいつらと俺らを比較してどうする」
「例えばあいつらのひとりが主任の前で書類を破り捨てたらどうなる」
「そりゃ飛ばされるか、下手すりゃクビだ」
「だろ。じゃあ俺が主任の前でおんなじことをやってくる」
そう言うと奴は俺の静止も聞かず一山の書類を持って、隣の主任のもとへ行った。
「主任、頼まれていた書類ができました」
「ご苦労。はい、ハンコ押しといたからつぎは係長に持ってっといて。」
いつもこの流れで部長まで延々とハンコをもらいにいき、
「じゃあ業務記録にも残したし、シュレッダーにかけといて」
と言われるのだ。その度に味わう屈辱には、三年経った今でも慣れない。
ところが奴は何時もの流れのようにする気は無いらしく、そのまま立っていた。主任が不思議そうな顔で口を開く。
「おい、どうした。もっていけっていってんだろ」
一課の社員が見つめる中、奴は受け取った書類をビリビリに引き裂きながら叫んだ。
「どうせ捨てるんだからトイレにでも流した方がマシだ‼︎」
そんな捨て台詞を残して勢い良くドアを開け、外に飛び出して行く奴。それを主任と俺、それから野次馬たちは追った。奴が行き着いた先は、本当にトイレだった。
「ゴミはゴミ箱へ?バカにすんな。そのゴミを処理する人間の存在を忘れるんじゃねえ。」
短くそう言って奴は細かくなった書類をトイレに流した。
ジュボウッという音とともに俺たちの作った「ゴミ」を受け入れてくれるトイレ。クソから痰、ゲロ、はては「ゴミ」まで、人間のあらゆる汚物を受け入れるトイレの包容力の大きさに感服しながら、その光景に言いようもない爽快感を覚えていた。しかしそれもつかの間、トイレから盛大に水が溢れてきた。トイレの偉大なる包容力を持ってしても、「ゴミ」の処理は難しかったようだ。
その後、俺たちはトイレの水を溢れさせた件で部長に呼び出された。書類の破棄に関しては、なぜか不問になっていた。俺たちは罰として、「トイレにはトイレットペーパー以外を流さないでください」というポスターを作成し、各トイレに張るように言い渡された。
「なあ、やっぱあのポスターから言えばさ、トイレにウンコもゲロも流しちゃいけないことになるよな。」
「じゃあポスター作った張本人のお前が実践してみろよ」
各トイレに貼り終えたその日の夕方。ちょっとした達成感に浸りながら、夕暮れの小部屋で奴とそんなことを話す。奴の言った通り俺たちは首になることも、何処かに飛ばされることもなかった。
「ほら、言った通りだったやろ。」
「詭弁だね。そもそも飛ばされる場所がない」
「光栄なことじゃないか。オンリーワンだよ。しかもあんなことしたのに、前より多い書類の山がある。それだけ頼りにされてるんだよ」
トイレ事件は社内でも語り草になり、一気にこの窓際部署の存在を知らしめた。ポスターの完成度の高さも、知名度に拍車をかけたらしい。そのせいか、前よりも請け負う仕事は増えた。「ゴミ」ではない、ちゃんとした文書の校正とかも。3年間で、俺たちはそつない文章を書く能力を格段に上げていた。こいつとこれからもここでやっていくのも、案外悪くないかもしれないな。そんなことを考えていると、ドアをノックする音が聞こえた。電話の着信音ではなく。俺は立ち上がり、ドアを開けた。