05
彼女の遺した写真はたくさんあった。デジカメ自体は彼女の両親に渡したが、中に入っていたデータはすべてプリントアウトしておいたからだ。手ブレしている写真も、暗闇で撮った顔の判別がつかない写真も、今となっては捨てられずにすべて保管していた。
写真の中の彼女はどれも、俺の記憶以上に色鮮やかだった。
胃袋が昼食を求める頃、雪がふっと顔をあげた。ようやくアルバムを片付け始めた俺の肩をとんとんと叩き、壁時計を見るよう促す。胃袋の要求通り、時刻は十二時過ぎだった。時計を見た途端、俺の頭が勝手に昼食の計画を始める。しかし、それを打ち破ったのは雪の一言だった。
「ねえ。生き返らせるかどうか、あと五時間くらいで決めてね」
「え? なんで」
「死んじゃうから」
何でもないことのように、雪は言い放った。
「仁志君の恋人を殺した犯人、あと五時間くらいで死んじゃうから」
寒さのせいもあって、場の空気が凍った。悪い冗談であってほしいと思う俺の気持ちとは裏腹に、雪はまっすぐな瞳で俺のことを見つめている。この三日間で気づいていた、その目は『真実を話す時』の目だ。その話が嘘だったことも、予言が外れたためしも、ない。
「……なんだって?」
「だーかーらー、あと五時間で死んじゃうんだよ、犯人。そしたら仁志君、『犯人を殺して彼女さんを生き返らせる』って選択ができなくなっちゃうでしょ? 困るでしょ?」
「そういう意味じゃない。そいつ、……なんで死ぬんだよ」
「山奥で首吊るから」
その言葉に、俺の頭はさらに刺激された。首を、吊る?
「自殺するってことか……?」
俺が呟くと、雪は幼稚園児のように素直に頷いた。
悪気もない。悪意もない。彼女はただ、真実を言っただけだった。
――山奥で首を吊る。その意味を知っているはずなのに、どうしてそんな目をできるのだろう。どうしてそんな、呼吸をするように自然にふるまえるのだろう。
俺は、彼女の両肩を掴んで揺さぶった。
「なんでだ! なんでそいつは死のうとしてる!」
そこでようやく、彼女はぎょっとしたようだった。ただしそれは、俺が焦燥し、憤怒していることに関してのようだが。
「なんでって……。人を殺した事実に、耐えきれなくなったからだよ。衝動的に殺しちゃって、後悔しまくって、鬱になって、えーい死んじゃおー、みたいな?」
「っ……」
「仁志君、なんでそんなに怒ってるの。この話、朗報でしょ?」
肩が痛いのか、若干顔をしかめながら雪は首を傾げた。俺は彼女の肩から両手をはなす。
「朗報……?」
「そうだよ。だって、犯人は五時間後に勝手に死んじゃうんだもん。だったら、今すぐ死んじゃっても一緒でしょ? ――仁志君が今、『彼女を生き返らせること』を望んでも、犯人の寿命が五時間減るだけ。どう? それ聞いたら、罪悪感がなくなるでしょ」
ぐらり、と傾いた床に手をつく。雪が心配そうに俺の顔を覗き込んできた。俺は彼女の目を、見ることができない。
――彼女は、彼女の話には、人間味がないのだ。
彼女はこの世界で起こっていることをすべて足し算と引き算のみで見ている。理性的に、論理的に、解読する。けれどその事象には掛け算や引き算も存在していること、そしてそれ以上の何かが関与していることを計算していない。
それが故意なのかどうかは分からない。けれど、彼女が論理的に無感情に解釈すればするほど、かえって別の何かが刺激される人間がいることを、彼女は知らないのかもしれない。俺は顔をあげた。
「その犯人はどこにいる」
「へ?」
「その犯人は今どこにいるんだ! ここからそこまで、どれくらいかかる!?」
雪はきょとんとした様子でこちらを見ていたが、やがて斜め上の方に目をやった。何かを計算しているようだ。
「うーん。交通手段にもよるけど、……最短で三時間くらいかな。犯人が最終的に行く山奥までだと、四時間くらい?」
――まだ間に合う。俺はジャンパーを掴み、雪にはマフラーを投げた。白色のそれは、死んだ彼女が昨年使っていたマフラーだが、雪にもよく似合うだろう。
「交通手段は問わない。最短でたどり着くよう俺を案内しろ」
ジャンパーを羽織りながら財布をいじっている俺を見て、雪はますます目を丸くした。
「案内しろって……どうするつもりなの」
「自殺を止めるに決まってるだろ!」
俺の返事を聞いた雪は、三秒後に素っ頓狂な声を出した。慌てた様子で、俺の周りをぐるぐるとまわる。まるで、ご飯をもらい損ねた犬のようだ。
「なんでなんで!? だって犯人に会っちゃったら、『顔』も『名前』も知らない人じゃなくなっちゃう! ていうか、自殺を止めるってどういうこと!? 相手はにっくき犯人なんだよ!? 放っておけばいいじゃない!」
「放っておけるか!」
俺の叫び声に、雪の目から光が消えた。
「――理解できない。どうして? 殺したいくらい憎んでたんじゃないの?」
「知らねーよ、考えてる暇なんかねえっつーの!」
俺は財布をジャンパーのポケットに突っ込むと、今度こそきちんと雪に目を向けた。それに気づいた雪は、そわそわと肩を揺らすのをやめる。
――殺したいと思っていた。死んで償えと思っていた。
けれど知っていたんだ。その向こうで、彼女が悲しそうな顔をしていたこと。
そんなこと望んでいなかった、と言いたげに見つめていること。
そしてその姿は、俺自身を映し出していることに。
「……雪。俺は、君とは契約しない」
雪が息を詰めたのが分かった。捨てられた小動物のような瞳をしているのも。
けれど、俺は結論を出した。
「君と契約なんてしない。彼女を生き返らせることもしない。――だから頼む。犯人の居場所を教えてくれ」
虫のいい話だということは知っていた。それでも今の俺は、雪に頼るしかない。
雪はやはり理解できないといった表情で、俺の方を見た。
「それが、君の出した答え? 後悔、しない?」
俺が無言で頷くと、彼女は首を振った。
「分かんない。どうして? どうして、そんなことするの」
「さあ、俺にもさっぱり。……でもさ」
彼女が俺の目を見ているのを確認して、俺は笑った。
「誰かを殺して、誰かを生き返らせる方法があるなら。誰も殺さずに、誰かを生かす方法だってあるはずだろ? 俺はそっちに賭けたい。――たとえ五時間でも、誰かの寿命を削りたくないんだ」
雪はしばらく眉を下げて俺の方を見ていたが、やがて肩を落とし、大きく息を吐いた。
「……分かった。契約不成立だね」
ここからは再生屋じゃなくて、単なる雪として案内させてもらうね。彼女はそういうと、俺の渡したマフラーを首に巻いた。