04
朝食を食べ終わると、俺はいつも通り洗濯したり掃除したりした。大学もバイトもない日は、大抵こういう風にダラダラと過ごしている。
彼女がいる時は、外に出かけることが多かった。
白色のデジカメを片手に、彼女は様々な場所に行きたがった。カップルの多いテーマパークや動物園はもちろん、今となっては名前も覚えていない神社や、静かだということ以外は褒めようもない小さな公園、寒い季節に綺麗な桜の咲く病院にも出向いた。――今思えば、どこからあんなマイナーな場所の情報を仕入れてきていたのか、不思議で仕方がない。
名前も知らない神社には、『狛犬が願いごとを叶える』という噂があるそうだ。
とても小さな公園は、女の子の幽霊が『友達』を求めてさまよっているらしい。
「――……この桜には妖精のようなものが宿っていて、その妖精があらゆる奇跡を起こすんだってさ」
デジカメを片手に、彼女は俺の方を振り返った。付き合った当初から気づいていたが、彼女は大のオカルト好きのようだ。幽霊も都市伝説も一切信じていない俺は、苦笑するしかなかった。
「お前もよく、そういう情報ばっかり仕入れるなあ。しかもこんな遠方の」
「へへ。遠い場所の噂だからこそ、実際に来てみないと分かんないから」
「しかし結局、願いごとを叶える狛犬も、友達を求める女の子も見つからなかったぞ」
「まあね。でも、桜は綺麗でしょう?」
カンヒザクラという種類のそれは、真冬にもかかわらず力強いピンク色で満開に咲き誇っていた。俺は「そうだな」と笑う。彼女は満足そうにうなずいた。
「まあ、次はもうちょっと近いところにするからさ」
「どこだよ」
「○×駅の近く」
「自宅から結構近いじゃん。何があるんだよ? 知ってる限り、変な場所はねえぞ」
俺が首を傾げると、彼女は「ふふふ」とわざとらしく不気味に笑った。
「とあるビルの地下一階に、子供がやってる店があるんだって。一回一万円で入室できるらしいんだけど」
「なんだそれ。変なクスリやってる、危ないやつらの集まりか?」
「ううん。男の子が一人でやってる店らしいんだけどね。その子、……殺されても死なないんだって」
――そういえば結局、その店はどこにあったのだろう。
再生屋を名乗る女は散々俺の家を漁ってくれたらしく、大事に保管していた彼女との思い出の品やアルバムなんかを次々と持ってきた。そうしてわざとらしく俺の隣に座り、「彼女との思い出教えてよー」などと要求してくる。――今、彼女とのことを思い出せば、偏った判断をしてしまうだろう。
「……雪。お前これ、わざとだろ」
「何が?」
意地の悪い目をして、雪は微笑む。どうも、雪は俺に『生き返らせる』ことを望んでいるらしい。そうしなければ、『仕事』が成り立たないからだろう。
結局、俺は三時間ほどかけて彼女との思い出を語り、アルバムを隅々まで見た。笑ってる彼女。ソフトクリームを食べている彼女。妙なポーズで変顔をしている彼女。写真の中にいる彼女は、自分が将来通り魔に刺されて死ぬことを知らない。当たり前だが、それが何故か不思議だった。
「ん。仁志君、これどーしたの」
アルバムを見ていた雪が、一枚の写真を指さした。心霊写真でもあったのかと覗いてみたが、それは何の変哲もない海水浴場での写真だった。俺と彼女が、水着姿で写っている。背景は、青い空と海だ。
「これがなんだ」
「いや、仁志君のお腹」
雪が指差していたのは、俺の脇腹にある傷跡だった。何針か縫ったそれは、かなり目立たなくなっていたものの、度々人に指摘された。俺は頭を掻く。
「ああ、これな。昔、ちょっと」
「ちょっと?」
「刺されたんだよ」
「え、仁志君も刺されたの!?」
雪は大声を出してから、「あ、ごめん不謹慎だった」と両手で口をふさいだ。俺は首を振る。
「まあ、なんつーか……同級生の男にやられたんだけどさ。俺もそいつに悪いことしてたし、これでおあいこってことになったんだよな」
「へえ……。でもこれ、かなり深かったんじゃない?」
「ああ、おかげで死にかけた」
それを聞いた雪の目の色が、明らかに変わった。
「仁志君。その時、誰に助けてもらったの?」
なぜか切迫したような声色に、俺は少し戸惑う。
「誰って……普通に救急隊員の人だよ。救急車が来て騒動になったらしいぜ。俺、刺されてしばらくしたら気絶したみたいで、なんも覚えてないんだけど」
「……覚えてない、か」
雪はがっくりしたように目を伏せ、けれどすぐに顔をあげた。
「ね、仁志君。あたしみたいな人間に会ったことある?」
「はあ? どういうことだよ」
「あたしみたいに、変な能力持った人間に会ったことあるかって聞いてんの」
――真顔。あまり見たことのないその顔には、求めている答えがはっきりと浮かび上がっていた。けれど俺は正直に、彼女の期待とは逆の回答をする。
「……ねえよ」
雪はしばらく俺の目を見つめ、「そう」と情けなさそうに笑った。
「でもそれは、ただ忘れているだけなのかもしれないよ」
「え?」
「人間ってね、すぐに忘れちゃうの。だから誰かが、日記を書くことを思いついた。誰かが写真を撮ること思いついた。大事なことを、忘れないようにって。それでも、忘れてしまう時はあるのにね」
その言葉に、俺は苦笑する。
「あいつと同じこと、言うんだな」
「うん?」
「俺の彼女だよ。……俺は本当は、写真なんて好きじゃなかったんだ。けれど、彼女は大切にしていた。人間はすぐに忘れちゃうから、写真に残しておくんだよって。それでも忘れちゃうことがあるから、だから……」
「――……だから?」
「ひとつのことを、二人で覚えておこうね。大事なことを、忘れないように」
雪はしばらく黙っていたが、やがて目を細めた。
「いいこと言うね、彼女さん」
「ああ」
「それじゃ、仁志君が覚えてないのなら、もう一人の方は覚えてるかな」
「え?」
「仁志君を刺した同級生の子。変な人に会ったとか言ってなかった?」
まだそこにこだわるのか。俺は首を振った。
「森野も混乱してたみたいだからな。当時のことはあんまり覚えてないと思うぜ。いまさら掘り返したくもないし」
「……ふうん、森野君っていうんだ、その人。いつか会ってみたいなあ」
「あいつには、雪と契約してまで蘇らせたい人間なんていないと思うけどな」
「そうかな? もしかしたら需要あるかもよ」
雪はくすくすと笑い、もしも何か思い出したらすぐに言ってね、と俺に釘を刺した。
――彼女が知りたいことは何なのだろう。さっき、「あたしみたいに能力を持った人間」と言っていた。まさか雪以外にも、人間を蘇らせる力を持った奴がいるのだろうか。
記憶を操作したり、人の命を自由自在に操る存在。
そんな人間が彼女以外にもいるのなら、それこそ都市伝説にでもなっていそうなのだが。