02
――その翌日。俺は再び、腰を抜かしていた。
昨日、心不全で死んだと騒がれていた俳優が、普通にテレビに出演しているのだ。腰くらい抜かしても仕方がないと思う。むしろ、目玉が飛び出なかったのが不思議だ。
例の俳優は、生放送であるはずの『テッコの小部屋』で、普通に話して普通に笑っていた。奇跡の生還をうたっているわけでもない。あくまでも普通に、トーク番組に出演している。まるで、昨日の訃報なんて『なかった』ことのように。
「すごいでしょー。これが、あたしの能力なんだよ」
昨日と同じく自分の隣から不意に声が聞こえて、俺はのけぞった。昨日と同じ女が、昨日と同じ場所に、昨日と同じ格好で座っている。今度こそ、目玉が飛び出すかと思った。
「いやだから、どうやってここに入ってるんだ!?」
「企業秘密だってば。そんなに入ってほしくないなら、もっと厳重な警備体制でも整えたら? やるだけ無駄だけど」
「……どういうことだ」
「人間はねー。現れるべき人の前に、必然的に現れるんだよ」
よく分からない理屈を述べると、女は目を細めた。
「どう? あたしの話、信じてくれた?」
「……これ、詐欺か? それとも大がかりなドッキリ?」
「君みたいな貯金も少ない一般人に、こんな大がかりな詐欺もドッキリも仕掛けないよ」
彼女はあきれ果てたようにため息を落とすと、どこからか持ってきたらしいミルクティーを、どこからか持ってきたらしいガラスのコップに注いだ。どこからか、というかまず確実に俺の家だ。少なくとも、ガラスのコップは。
そうして旨そうにミルクティーを一口飲むと、昨日見せたようににんまりと笑った。
「あたしの能力を、説明してあげよう」
どこかの社長のように偉そうな口調である。彼女はどこまでも嬉しそうに、テレビ画面を指さした。
「あたしの能力その一。人間を生き返らせる」
女がそう言った途端、テレビからどっと笑いが漏れた。タイミングが悪いなあと呟きながら、彼女は人差し指と中指を立てる。
「その二。生き返らせた人間が死んだという事実を消去する。今回の場合、あの俳優さんが死んだという話は、誰も知らない。――あたしと、お客様である君以外は、ね」
テッコの小部屋の司会者も、生き返った本人も、何事もなかったかのようにトークを繰り広げている。――彼らは、何も、知らない。
「ま、大きな能力はそんなところかな。お客様のお望みとあらば、どんな人間でも生き返らせるよ。すでに火葬された死体はもちろん、バラバラになってる死体でも、骨すら見つかってない死体でも、『再生屋』にお任せあれー」
「さいせい……?」
「ビデオの再生とか、そういう意味じゃないよ。生き返らせるって意味。――あたし、人間を生き返らせる『再生屋』なの」
縁起と景気のよさそうな声で、彼女はそう宣言した。納得がいくとかいかないとか、そういう次元を通り越している。俺が「はあ」と声を漏らすと、彼女は不満げに頬を膨らませた。
「まだ信じてくれてないわけ? しつこいなあ。なんなら、通り魔に殺されたっていう君の彼女を生き返らせてみなよ。お金なんて要らないから」
「……あんたのそれ、ボランティア活動なのか?」
「ボランティア? まさか。言ったでしょ、再生屋だって」
あたしにとってこれは仕事だからね、と彼女は笑う。
「生き返らせるなら、対価をもらう。今回、あの俳優さんを生き返らせる時も、勝手に対価をもらった」
「え!? なんだ、何を盗んだ!?」
焦燥し部屋を見渡す俺を見て、彼女は吹きだした。茶色の髪が、ふわりと揺れる。
「安心してよ、君の物は何も盗んでないから」
「え、じゃあ……」
「人間を生き返らせるのに必要なものは、お客様の物じゃないんだ」
彼女は頬杖をつくと、こちらをまっすぐに見つめ、囁いた。
「お客様があたしに仕事を依頼した場合。――誰かを生き返らせてほしいと願った場合。その人間を生き返らせるのに必要なものはね。……お客様が『顔』も『名前』も知らない人間の命、だよ」
彼女の言葉を、俺はうまく飲み込めない。よほど変な顔をしていたのか、彼女は俺の顔を見て爆笑した。
「つまりねー、君が『今は亡き恋人』を生き返らせるようあたしに依頼した場合。君が『顔』も『名前』も知らないような赤の他人が一人、死ぬってこと」
画期的な商品でも紹介するセールスマンのように、彼女は目を輝かせている。俺は目を輝かせるどころか、作り笑いをすることすらできない。第一、彼女は先ほど何と言った? 俳優を生き返らせるために、『勝手に対価をもらった』と言っていなかったか。だとすれば、
「今回、あの俳優を生き返らせるために、どこかの誰かが死んだのか……?」
「そーゆーことだね」
あっけらかんと言ってのける女は、悪びれている様子もなかった。相手が男なら、間違いなく殴っている。けれど、相手は女だ。それでも俺は、相手の胸ぐらをつかんでいた。女はひるむことなく、俺の方を見ている。
「お前、マジで言ってんのか!? 誰かを生き返らせるために、誰かを殺せってのか!?」
「別に、君に手を下せと言ってるわけじゃないよ。ねえ、なんでそんなに怒るの」
「ああ!?」
「赤の他人が死んだって、君はそれを認知できない。今この瞬間、この世界で何人が死んでると思う? 君が『顔』も『名前』も知らない人間が、何人死んでるか知ってるの? ……それが一人増えたところで、君にはなんのダメージもないはずじゃない」
「っ……」
「どこかで誰かが死ぬかわりに、自分の最愛の人が戻って来る。ね、ハッピーでしょ?」
邪心など一切込められていないような女の断言っぷりに、俺は言葉を失った。力が入らなくなった指先から、女の服がするりと零れる。皺の付いたタートルネックをひきのばしながら、女は息を吐いた。
「彼女との思い出、いっぱいあるんでしょ?」
――彼女が選んだグレーのソファ。木製のフライ返し。俺が名前も知らない観葉植物。色違いの歯ブラシ。観覧車の形をした写真立て。
くるりと部屋を見回し、女は微笑んだ。
「見ればわかるよ。色んなものがいっぱいあるもん。この部屋に彼女はもういないのに、彼女との思い出だけはありありと残ってるんだ。――ねえ、それが余計に悲しくて、寂しくて、泣いてたんじゃないの……?」
昨日捨てたはずのポケットティッシュを、女は俺の手元に投げてよこす。自分が今どんな表情をしているのか、想像するだけで嫌気がさした。
「ねえ。あたしにとって、これは単なるビジネスだよ。善も悪も関係無いの。あたしはあたしのために、仕事を探してる。お客様を、探してる」
抑揚のない声に、俺は首を振った。
「だからって、こんなの……」
「突然いなくなった彼女に、会いたいんじゃないの?」
――会いたい。けれど、こんな方法は。
うなだれる俺に、彼女は息を吐いた。
「じゃ、ちょっとサービスしてあげようか」
「え……?」
「君の恋人ってさ。通り魔に刺されたんだよね?」
俺のことを試すように、女は首を傾げる。俺はうなずいた。
「犯人は、君にとっても彼女にとっても見ず知らずの第三者……って話だよね?」
「……ああ」
「それじゃあその犯人は、君が『顔』も『名前』も知らない人間ってわけだ」
その言葉の意味を悟って、俺は顔をあげる。柔らかく微笑み、こちらを見つめている女。その表情は少しだけ、――ほんの少しだけ、彼女に似ていた。
「君の恋人をよみがえらせる代わりに、君が『顔』も『名前』も知らない犯人の命をもらう。この条件ならどうかな。……小村仁志君?」