表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。

仙人の宿題

作者: 早川みつき

仙人の宿題


 山に囲まれた湖のほとりに、その王国はありました。“金色の竜の国”と、民人は誇らしげにそう呼びます。神殿の奥に住まう金色の竜が、自分たちの小さな国をしっかりまもってくれていると、みな信じているのです。

 ほんとうは───。小さな神殿の奥に鎮座しているのは、ただのちっぽけな竜の像なのです。でも、その両の瞳にはめ込まれた珠はきらきらとあたたかい輝きを放ち、王国をやさしく包みこんでいるのでした。

 ふしぎなことに、王様が死ぬとその珠は砕けちってしまうのです。だから王国を継ぐ王子は、父王が亡くなると、竜の新しい瞳を求める旅にでかけるのでした。


      *      *


「あーあああ……」

 リドルは空をあおいで、きょう何度めかの大きなため息をもらしました。雲ひとつない青い青い空に、とんびが一羽、気持ちよさそうに輪を描いています。

「おまえはいいよなあ、空を飛んでいけるんだから」

 ぐるりと頭をめぐらせば、目前には黒くそびえたつ岩壁。そのはるか上方、天に届くかと思われる頂をながめやって、リドルはまたひとつため息をつきました。

 きゅうな病に倒れた父王が亡くなったのは、二日前のことです。亡くなるまぎわに、王は枕元にリドルを呼んで、いいました。

『おまえのことがほんとうに心配だよ、リドル。もう十三になるというのに、剣の腕もからきしだし、駆け足も早くないしケンカもへただし、なにかというと庭いじりだの読書だのと、およそ男の子らしくないことをしているし……』

 いままで何度もくり返し聞かされた小言が、その日はいちだんと苦く、リドルの心にしみとおりました。

『リドル、竜の瞳を求める旅、きっと成功させるのだよ。珠がなければ、この国は滅んでしまうのだからね。頼んだよ……』

 珠は、あの山に住む仙人がくれるのです。真に求める者だけに道を示すという、伝説の老人。砕けた珠をもとどおりにする力を、彼はもっているのです。でも、きりたった岩山の頂にある彼のすみかには、他人の力を借りずにひとりで行かなければならない決まりでした。しかも七日という期限つきです。

「ほんとうに行けるのかなあ……」

 リドルは痛む足をさすりました。旅の初日というのに、もうリドルの足にはマメがたくさんできています。

 “男の子らしいこと”が苦手なリドルには、この旅は拷問みたいなものでした。いままで山に登ったこともなければ、野宿だってしたことはないのです。やりとげられる自信なんて、まったくないのでした。

 でも王子たる者、民人の期待を裏切るわけにはいきません。リドルは足をひきずりながら、一歩、また一歩と、けわしい山道を登っていきました。


      *      *


 太陽が西の地平線に沈むと、冷たい風がひゅうんと吹いてきました。季節は初夏だったけれど、山の上はまだ早春の気候です。

『リドルさま、くれぐれも夜は行動なさいますな。疲れて眠り込んでしまったらおしまいですぞ。このじいのいうこと、忘れてはなりませぬぞ』

 そういいながら地図やら食料やらをリュックにつめこむ老大臣の顔が、ふっと思い出されます。リドルの頭にも、ありったけの「旅の心得」をつめこもうとやっきになっている大臣の目は、赤くてうるんでいましたっけ。

「じい……」

 名前を口にすると、つん、と鼻の奥が痛くなって、リドルはあわててごしごしと目をこすりました。父王が亡くなったときでさえ、涙を必死にこらえたリドルです。

「こら、だらしないぞ、リドル!」

 リドルは自分を叱咤しました。七日のうちに城に帰らなければ、竜の瞳は永遠に閉じてしまうとの言い伝えです。明日もこの足が動いてくれるかどうか自信はないけれど、全力を尽くさなければ。

「とりあえず、休む場所を見つけなきゃ」

 あたりを見回すと、崖のふもとにこんもりと木が繁っているのが目に入りました。『木の下なら夜露をしのぐことができますからな』との大臣の教えに、リドルは心のなかで感謝しました。

 しかし。なんとそこには先客がいたのです。

 柔らかな草の上、気持ちよさそうに軽い寝息をたてているのは、小麦色の肌に金髪の小柄な少年。荷物をおろすのも忘れて、リドルはしばし呆然と少年を見おろしていました。こんな山奥で人間に出会うなんて、ほとんど奇跡です。

 少年のわきには、ひとふりの美しい剣が置かれていました。思わず手をのばしかけて、リドルはあたりに親指ほどの大きさの赤い実がちらばっているのに気づき、顔をしかめました。

「“眠りの実”じゃないか」

 食べればまる一日眠りこんでしまうという果実です。少年は知らずに口にしたのでしょう。リドルはそっと、少年のむきだしの腕に触れました。腕は冷たく、髪も夜露にぬれはじめています。

 リドルは星のまたたく空を見上げました。満月に近いまるい月が、東の空に輝いています。───今夜は寒くなります。

 リドルは少年のものらしい荷物袋をさぐりましたが、そこには薄いマントが一枚あるきりです。しかたなくリドルは自分がもってきた毛布を少年にかけてやり、自分も少年のわきにもぐりこんで、ぴったりとからだを寄せました。少年の冷えきっていたからだがしだいに温まるのを肌で感じながら、リドルはつい、自分も眠りに引き込まれてしまいました。


      *      *


 目を開けると、朝日に輝く緑の梢が目に飛び込んできました。いつも見慣れた、自分の部屋の白い天井ではありません。リドルは驚いて、がばっとからだを起こしました。

「あたたたたっ!」

 からだじゅうに激痛が走りました。

「なんでこんな……」

 そこでリドルは、自分がいまここにいるわけを思い出しました。

「そっか、旅に出てたんだ……」

 慣れない山道を一日じゅう登ったために、からだはぼろぼろ、それで筋肉のどこもかしこもが悲鳴をあげているのです。

「そうだ、あの子は……あたたっ!」

 首をちょっと回しただけで筋肉が痛いというのは、かなり情けない事態ではあります。

「うーん……」

 リドルの気配に気づいたのか、金髪の少年は寝返りをうつと、リドルがさきほどはねのけた毛布にするりとくるまり、また気持ちよさそうに寝息をたてはじめました。

「ねえ、きみ!」

 痛むからだにむち打って、リドルは少年をゆり動かしましたが、少年はいっこうに目覚めません。眠りの実がまだ効いているのです。

リドルはため息をつきました。と同時に、キュルル、とおなかが鳴りました。

「そういえば、ゆうべはなんにも食べてないや……」

 リュックから食料を取り出してみると、軽いけれど栄養のあるものばかり。大臣と料理番のばあやが、心をこめて用意してくれたのです。見送ってくれた城のみんなの顔が、つぎつぎに思いだされます。

「がんばらなくっちゃ」

 リドルは改めて自分にいいきかせました。

 さて。食事は終わり日も高くなって、出発しなければならない時刻になりました。しかし……。

「ねえきみ、起きてくれよ。ぼく行かなくちゃならないんだから!」

 再三の懇願にもかかわらず、金髪の少年はリドルの毛布にくるまったまま眠りつづけています。

 どうしよう……。

<ほおっとけよ。さあ、毛布をとって出発しようぜ>

<でも、このまま夜まで目がさめなかったら? 毛布がないと寒さで死んじゃうよ>

<おいリドル、期限内に城に帰らなきゃならないってこと、忘れたのか? こんなやつのために大事な時間をむだにしていいのか?>

 心のなかでせめぎあいがつづきます。

 そうして、太陽もだいぶ西に傾いたころ、リドルはある決心をしました。

 地図の端をちぎってえんぴつでメモを書きます。『旅人くんへ。これは眠りの実、もう食べちゃだめだよ』

「じゃあね」

 メモを少年の枕元に置き、リドルは頂上めざして歩きだしました。


      *      *


「どこの子だろう。山の向こうの大きな国から来たのかな」

 金髪の少年は、まだ幼さの残るやさしい顔だちをしていました。なぜこんな山奥に来たのでしょう。道らしき道もなく、住むものは仙人だけ。それも、ほんとうに彼を求める者にしか会わないという気むずかしい老人です。

「話がしたかったな……」

 名前も知らぬ少年のことを考えつづけるうちに、また夜がやってきました。太陽が沈み、冷たい風が吹いて、月や星が輝きだしても、リドルは歩きつづけました。

 疲れていました。おなかもすいていました。それでも、リドルは立ち止まりません。いちど休んだが最後、そのまま動けなくなっしまうとわかっていたからです。シンと凍える夜気のなか、毛布もなく一夜を明かすことは、死を意味していました。

<なんで毛布を置いてきたんだ? おまえはバカだよ、リドル>

<午前中は休んでいたんだから、朝まで歩きつづけられる。だいじょうぶだよ>

<あんなどこの馬の骨ともわからないやつ、ほおっておけばよかったんだ>

<月も明るいし、平気だよ。すぐに朝になるさ……>

<あいつは今ごろ、おまえの毛布でぬくぬくとしてるんだぜ……>

 冷気と極度の疲労とがだんだんに思考力を奪っていき、心のなかの声もしだいに遠くなっていきました。機械的に手足を動かしてはいるものの、頭はもうろうとして、まるで深い霧のなかを歩いているよう。ときおり、父王の叱咤する声や、去年亡くなった母妃の甘やかな声がふいに聞こえてきさえします。

『リドル、男ならやりとげろ!』

『リドル、かわいいリドル、あまり無理をしないで』

 すべては、心のなかの自分の声が姿を変えたものだと、わかってはいました。でも。

『リドル、疲れたら休んでもいいのよ』

 やさしく母親にいわれると、もうこれ以上足が前に進まなくなってしまうのでした。

『リドルさま、きっとご無事で……』

 赤い目で、老大臣が見つめています。

 がくん。自分が地面に膝をつくのがわかりました。そして、からだがゆっくり倒れていくのも。

 ごめんね、じい。やすんでも、いいかな。だって、とてもつかれたんだ……。


      *      *


 重いまどろみから目覚めると、目に映ったのはぬけるように青い空でした。

 死んだわけじゃなかったんだ……。

 ほうっと、リドルは息をつきました。そろそろとからだを動かしてみます。まだ筋肉の痛みはあるけれど、なんとかなりそうです。そのとき、リドルは自分のからだにかけてある毛布に気がつきました。

「やあ」

 だしぬけに声がして、リドルははっと声のほうに顔を向けました。そこには、あの金髪の少年が、ちょっとはにかんだ笑みを浮かべて立っていました。

「目がさめた? だいじょうぶかい?」

 少年の瞳があんまりきれいな緑色だったので、リドル、ちょっとどきっとして、返事が遅れます。

「う、うん……」

「きみだろ、あのメモ書いたの。あれ、眠りの実っていうんだね。知らなかった。……迷惑かけたな」

 最後のほうは小さな声になりました。それからきゅうに頬をそめてうつむいたかと思うと、一転して怒ったような口調でいいました。

「きみ、バカだよ。毛布置いていったりしてさ。ぼくなんかほっとけばよかったんだ」

 リドルは少し腹が立ちました。自分は親切でしたのに、お礼のことばもないなんて。

「……毛布、返したからな」

 ちらり、上目づかいにリドルを見て、少年はつんと口をとがらせてそっぽをむきました。

 そうです。少年は照れているのでした。

 きっと彼は眠りからさめたときに驚いたにちがいありません。メモを読んで、そしていそいでリドルを追いかけてきたのでしょう。リドルと同じに夜通し歩いたのでなければ、いまここで追いついてはいないはずです。

 彼は、感謝の気持ちを素直に表せないだけなのです。

「うん。ありがとう」

 リドルがいうと、少年は緑色の瞳をこちらに向けて、恥ずかしそうに微笑みました。

「ぼくはリドル。きみは?」

「……アッシュ」

「どこに行くの?」

「この山の頂上さ。偉い仙人が住んでるって聞いたから。きみもだろ?」

「うん、でも……」

 目的地が同じと聞いて嬉しかったものの、リドルは一瞬迷いました。山にはひとりで登らなければならない決まりです。

「いっしょに行こうよ。……きみがよければ、だけど」

 なんて魅力的な誘いでしょう。断ることなんかできません。

<助けてもらわなければ、決まりを破ることにはならないさ>

 勝手に自分を納得させて、リドルはいそいそと出発の準備にかかりました。


      *      *


 歩きながら話をするうち、ふたりはお互いの境遇についてだいたいのことがわかりました。アッシュは山の向こうの大きな国の、貴族の子なのです。

「家出してきたのさ」

 平然というアッシュに、リドルは驚きました。年は自分とそう違わないのに、たったひとりで家を出てくるなんて。

「理由を聞いてもいい?」

「……父上がぼくのことを認めてくれないからさ。仙人に会って、ぼくがこれからどうするべきか聞こうと思うんだ。仙人は何でも知ってるっていうだろ?」

「ふうん……」

 父親に認めてもらえない辛さは、リドルにもよくわかっていました。

「きみも剣が苦手なの?」

「いや、剣は得意だ」

 誇らしげに、アッシュは腰に吊るした剣の柄をなでます。

「ケンカも得意なんだよ。ぼく、からだは小さいけど、上の兄さんにも負けないんだ」

「じゃあいいじゃないか。ぼくは剣やケンカが下手だって、いつも小言をいわれるんだ。花壇をつくるのは得意なんだけどなぁ。そんなことやる必要ないって怒られるんだ」

 ため息まじりにいうリドルに、アッシュは瞳にちらりと軽蔑の色を浮かべましたが、すぐにそれは同情の色に変わりました。そしてつぶやくようにいったのです。

「……ぼくたち、似ているよね」

「ちっとも似てないよ!」

 リドルはつい大声を出してしまいました。

「きみは剣も得意だし、家出できるくらい勇気があるじゃないか。ぼくなんか、だめだよ。この旅だっていやいや来てるんだ。国には竜の珠がどうしても必要だから。……ほんとは、来たくなんかなかったんだ!」

 いってしまった。いままでだれにもいわなかった、ほんとうの気持ちを。

 リドルの顔が、恥ずかしさで真っ赤になりました。こんないくじなしの自分を、アッシュはきっと軽蔑するに違いありません。

 でも、アッシュは。

「ぼくに勇気があるって?」

 そう、だれにともなくつぶやいたのです。

「ぼくのは……勇気なんかじゃない。ただ父上に心配かけたかっただけなんだ。家出なんて、バカがすることさ……」

 いまの自分に不満でしかたないけれど、自分でもどうしていいかわからない。周囲の期待が重くて、息がつまりそう。おしつぶされてしまいそう。そんな気持ちを、アッシュも感じているのです。

 ……ぼくたちは似ているね。

 ふたりはどちらからともなく手をつないで、そのまま黙って歩きつづけました。

 だんだん空が曇ってきて風が冷たくなり、やがてぽつぽつ、雨が落ちてきました。とんびが一羽、ふたりを見守るように頭上を飛びつづけていました。


      *      *


 ようやく木の茂みの下にもぐりこんだのは、もうとっぷりと日が暮れてからのこと。服はじっとりと雨に濡れ、ふたりはへとへとに疲れていました。もつれるように倒れこむと、ぴったりとからだを寄せあいます。するとだんだんからだが温まってきて、なんだか幸せな気持ちさえしてくるのでした。

「あー、しんどい一日だったねぇ」

 アッシュがいいます。

「うん、ほんと。もう死にそうだよ!」

 リドルはおどけた口調で答えて、くすっと笑いました。

<大臣が聞いたらなんていうかな>

 城のなかではぜったい口にできないことばです。弱音をはくのは“男の子らしくない”のですから。でもこうして本音をいえるのは、なんて気持ちがいいんでしょう。アッシュが相手なら、気取る必要も虚勢をはる必要もない。ありのままの自分でいられるのです。

「……リドル」

「なに?」

 アッシュの呼びかけにはほんの少しためらいがあったように、リドルは感じました。

「きみはどんな花を育ててるの?」

 ほんとうにこんなことが聞きたかったのかな? いぶかりながらも、リドルは質問に答えます。

「スミレとかホウセンカとか……色がきれいな花が好きなんだ。今年はもう春の花は終わってしまったけど、これからはヒマワリやアサガオが咲くよ。ヒマワリの実は小鳥やリスが大好きなんだ。窓辺においておくと遊びに来て食べていくんだよ」

「へえ、そうなんだ。ぼくは花の種類なんかわからないや」

「でも食べちゃいけない実は知ってたほうがいいよ。きみ、死ぬとこだったんだからね」

「ほんと、そうだね。ぼくも覚えるようにするよ。それに……」

 恥ずかしそうに、アッシュは小さな声でつけ加えました。

「……リスもいじめないようにする」

「男の子は動物いじめるくらいのほうが元気がよくっていいのさ。──父上はそういってた」

 まぶたの奥に突然、死の床の父王の顔が蘇りました。自分を見つめて、頼むといった父。やつれた頬、うるんだ瞳……。リドルの胸がじいんと熱くなりました。

「父上は、強い子がほしかったんだ」

「……きみは父上が好きだったんだね……」

 うなずくと、不覚にも涙がこぼれました。

「ぼくは弱虫なんだ。最後まで、父上の期待に応えられなかった……」

 人前で泣くのは、初めてでした。王子は泣いたりしてはいけない、そう父王にいつもいわれていたからです。

 肩を震わせるリドルを、アッシュはやさしく抱きしめました。

「きみは弱虫なんかじゃないよ。勇気があるもの」

「勇気なんか――」

「勇気っていうのはね、リドル。家出することなんかじゃなくって、眠り込んじゃったバカな子に毛布をあげられることなんだ」


      *      *


 翌日、からりと晴れた空の下、ふたりはとうとう頂上に着きました。服はあちこち破け、顔も手も泥やすり傷だらけです。

 しかし、やっとたどりついた頂には、仙人の家は見当たりません。年ふりた杉の木が一本、ぬっと立っているだけです。

 表情をくもらせたふたりの前に、大きなとんびがすとんと舞い降りました。

「よく来たのう、子どもたちや」

 いったかと思うと、とんびの姿はぱっと消え、豊かな白い髭をたくわえた老人の姿になりました。

「あなたが……?」

「仙人さま、なんですか?」

 驚きに目を丸くしたふたりに、仙人は柔和な笑みを向けます。

「下界の者はわしをそう呼ぶようじゃのう。ちゃんとした名前もあったんじゃが、自分でも忘れてしもうた。あんまり長いこと生きておるでのう」

 仙人は、ふぉっふぉっとゆかいそうに笑いました。気むずかしい老人を想像していたリドルは、拍子抜け。これなら案外すんなりと珠がもらえそう、と思った瞬間。

「ときに、王子リドルや。ここへはひとりで来る決まりではなかったかのう?」

 いきなりの突っ込みに、リドルはぐっと返答につまりました。

 アッシュには助けてもらわないつもりでいたものの、結果的にずいぶん助けられたのは事実でした。彼は俊敏で意外に力もあったし、なにより、仲間がいることがリドルにとってどれだけ助けになったことか。

 嘘はいえません。

「はい、仙人さま。アッシュに助けてもらいました。ぼくは決まりを守りませんでした」

 それを聞いたアッシュは、あわてたようすで仙人とリドルの顔とを見比べました。その“決まり”を、彼はいま初めて知ったのです。

「あの、ぼくが勝手についてきたのです。リドルはぼくを助けてくれて……」

「よいよい、知っておるわ」

 仙人はたいぎそうにいってから、いたずらっぽく目を細めました。

「すべてをな、とんびが空から見ておったからのう。じゃが決まりは決まりじゃ」

 肩を落としてうつむいたリドルの頭に、仙人はそっとしわだらけの手を置きました。

「王子や、珠のかけらを出しなされ」


 粉々の珠のかけらを手のひらに載せると、仙人はそっと手をにぎって目を閉じ、低く呪文を唱えました。そしてふたたび手を開けると───。そこには、透明な輝きを放つ小さなふたつの珠が、ちょこんと載っていたのです。しかしその珠には、どちらにも、すうっと一本の疵が入っているのでした。

 仙人は、くいいるように珠を見つめるリドルに、静かな口調でいいました。

「この世の中に、完全なものなどありはしないのだよ」

 リドルは珠から目を離し、仙人の顔を見上げました。金色のやさしい瞳がリドルを見つめています。

「……はい、仙人さま。ぼくは不完全です。それに、半人前です」

 仙人の示した珠は、いまの自分なのです。疵のある珠。それは弱虫の自分を映した鏡なのです。

「でも努力します。完全にはなれないと思うけれど。これからもたくさんの人に助けてもらうと思うけれど」

 大臣、ばあや、城のみんな、そして彼の帰りを待っている王国の民。ひとりひとりの顔を思い浮かべるリドルの瞳が、きらきら、宝石のように輝きました。

 仙人はにっこりと、ほんとうに嬉しそうに微笑みました。

「完全なものはそこで行き止まりじゃ。上はない。人は不完全だからこそ、もっとよくなろうと努力するのじゃ」

 仙人は輝く珠のひとつをリドルの手のひらに載せました。

「もうひとつはお預けじゃぞ、決まりを守らなかったのじゃからな。もう一度出直して――」

「仙人さまの意地悪!」

 アッシュの怒った声が仙人のことばをさえぎりました。

「見てたならわかるだろ? ぼくが無理についてきたんだ、リドルは悪くない! 珠をふたつともくれたっていいじゃないか!」

 アッシュにすれば正当な抗議でした。自分のためにリドルの旅が未完成になるのは耐えられなかったのです。

 仙人はいたずらっぽく片方の眉をあげ、アッシュにめくばせしました。

「そなたも疵のある珠じゃな、娘よ」

 アッシュの顔がみるみる赤くなりました。

「娘……?」

 リドルはあっけにとられて、アッシュをぽかんと見つめます。

 『ぼくたちは似ている』といったアッシュ。それは、リドルが“男の子らしくない”ように、自分も“女の子らしくない”ということだったのでした。

 アッシュは頬をそめたままうつむきました。

「……隠すつもりはなかったんだ。でも、どうしてもいいだせなくって……」

 四人の兄をもつアッシュは、自分も男の子だと思って育ちました。それが十三の誕生日に突然、女の子らしくしろといいわたされたのです。いずれどこかのいい家に嫁に行くのだから、と。剣のけいこもだめ、ケンカなんてもってのほか。やれ花を摘め、化粧をしろ、裁縫をしろ……。ついにがまんできなくなって、家をとびだしてしまったのでした。

「……だからここに来たのです、仙人さま。ぼくは……女の子らしくしなければいけないのでしょうか。教えてください」

 しぼりだすように、アッシュはいいました。

「きゅうに女の子らしくなんて、できない。だって、そんなのぼくらしくないんだもの」

「……残念じゃが、ひとに生き方を教えられるほど、わしは年をとってはおらぬ」

 仙人がゆっくりといいました。

 アッシュは顔をあげ、仙人の顔を見つめました。

「答えはのう、娘よ、己に聞くがいい。いま答えが得られぬなら、辛抱づよく待つことじゃ。そなたの道はそなたのもの、だれにも道しるべはつけられぬ」

 仙人はしわだらけの手でアッシュの手をとり、そして彼女の手のひらに、もうひとつの珠を載せました。

「この珠はそなたに預けよう。その疵を見ながら、とくと考えるがよい。そなたの望みを、そなたの道を」

 いい終えると、仙人はポンととんびの姿になり、大空に舞い上がりました。そしてくるりと輪を描き、雲の彼方に飛んでいってしまいました。


      *      *


「……ぼくの望み、ぼくの道……」

 あまりにむずかしい、仙人の宿題。いつか納得のいく答えが見つかるのでしょうか。

 アッシュはため息をつきました。

「でも、この珠はきみに返すよ。これはきみのものだ」

 珠をリドルに渡そうとするアッシュを、リドルは柔らかくさえぎりました。

「ぼくには受け取る資格がない。きみにはほんとうに助けてもらったんだもの」

「でも、これがないと困るんだろう?」

「ひとつあればだいじょうぶなんだよ、きっと。それに……」

「それに……?」

 ゴホン。顔を赤らめて、リドルはせきばらいしました。

「預けておけば、きみはいつか返しにきてくれるだろう? そしたらまた会えるよね」

 アッシュはまじまじとリドルを見つめて、それからちょっと心配そうにいいました。

「ぼく……“ぼく”のままかもしれないよ?」

 リドルは満面に晴れやかな笑みを浮かべました。

「きみが“アッシュ”なら、それでいいさ」


      *      *


 神殿の竜の像の瞳がふたつそろったのは、それから五年後のことでした。瞳の珠に入った疵は消えることはありませんでしたが、その疵のために、竜は“表情”をもったのです。像を見た民人はみな、いうのでした。

「ごらん、竜が笑っているよ」

 花好きの王の治世は、平和に、長くつづいたということです。


<終わり>


評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 読了後、優しい気持ちになりました
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ