「いいや、坊や。お前たちの勝ちだ」
大陸は、長く人間と魔族の争いが。
それはこの長閑が売りであった辺鄙な田舎でも。
「シャーリーさん! ドリーお婆ちゃん! 準備はできた!?」
ヴィスタはこの村に半年ほど前に越してきた老女とその孫娘を気にかけていた。
王都に住むヴィスタの遠い親戚が、何やら恩があるというドリーお婆ちゃんにこの村を紹介したとかで、その後の世話もよろしく頼まれていたからだ。
親戚はこの村は湖が美しく、冬には白鳥も渡ってくるのだと、たいそう彼女に売り込み、是非是非と伏して願う勢いでこの地に招いたと言う。
ヴィスタにはいつもの風景だけど、初めて挨拶したときにドリーお婆ちゃんが優しく目を細めて「きれいな湖だね」と褒めてくれたのは嬉しかった。
ドリーは都会からわざわざ隠居地にこの辺境の村を選んだそうで。それを心配した孫娘のシャーリーも一緒に。
シャーリーは十五才のヴィスタより少し年上のお姉さんだったが、とても美人で優しくて、村の若者たちはそわそわとしたものだ。
その二人には気の毒なことに。
わざわざ都会から隠居しにきたというのに。
辺境の端、この田舎の村もとうとう避難対象となった。田舎だからこそ安全のはずだったが、スタンピードの予兆があるとたまたま森の深くまで狩りに行った猟師が発見した。
魔物が発生する瘴気溜まりが森の奥にできてしまっていたのだ。
人知れず。
人が訪れない森の奥だからこそ。
村人たちは避難を余儀なくされた。スタンピードがいつ起きるか――いや、もう数日か数時間後かもわからない。
そうして村人たちは辺境伯の砦まで避難することにした。こうした災害時や何かあったときはそうする決まりになっていた。
村人が全員集まっているかと兵士のネイルが点呼をとっている。
彼はこんなことなら兵士になんてなるんじゃなかったと内心で後悔していた。
ネイルの家はこの村の中でも歴史も古い、かなりの資産家であった。跡取りで大事な息子であったが「箔」をつけるために彼は王都で軍に志願して兵士としてこの村に錦を飾るために帰ってきたところだったのに。階級は一兵卒だが、軍人であるなしでも違う。
「砦でまで遠い。だから少し遠回りになるが北にある駐屯地を目指そう。そこに魔導車が置いてあるそうだ」
ネイルは上から聞いていたその情報にかけた。
魔導車は馬もなく走れる車で。
装甲もあり、荷を運ぶための牽引もできるはずだ。
荷とはこの場合、村人をさす。
荷台を繋ぎ合わせ、乗り合わせれば、この小さな村の住人なら乗って砦まで逃れることができるだろう。
ただ……。
「おい、婆さん、大丈夫か?」
ネイルはその声に視線を向ける。
かつては村のガキ大将だったイアンがヴィスタと一緒にいるドリーたちを気にかけているようだ。
ネイルはそっと気が付かないふりをした。
それは村の新参、いやまだまだ余所者な老婆と孫娘だ。ネイルが知らないふりをしても、きっと――。
「……俺は」
怖い。
村人たちだけでもいっぱいいっぱいだ。
なのにガキ大将は子分であるヴィスタが老婆を連れているために皆との歩みから遅れたことに気がついたのだ。
「イアン、助けておあげ!」
「おう、母ちゃんは大丈夫だな? チビたち頼むぜ!」
「何言ってんのさ! 母ちゃんはまだまだ若いよ! ちびっ子たちは任せな!」
遅れたなら――余所者だしと、見てみぬふりをしたネイルよりイアンと、その母の方がよほど兵士らしい。
ガキ大将の母は昔から肝っ玉母さんで、周りにイアンの弟妹となる自分の子らだけでなく、近所の子供たちを引き連れている。
それどころか若い夫婦まで気にかけている。その妻は大きな腹を抱えていて。
……駐屯地まで無事につけるのか?
ネイルはぞわっとした背筋を震わせながら魔導銃を握しめる。そうだ何かあれば自分が魔獣を……村人を守らねば。
しかしネイルは知っていた。
自分は金があるから軍に入れ、兵士になれたのだ。
幼馴染のヴィスタはまだまだ見習いだが猟師で、自分よりよほど銃の扱いが上手いことを。なのに貧しくて士官のために街まで行く金が無くて、兵士になれなかったことを。
ガキ大将のイアンは体格も格闘センスも良く、兵士の推薦に受かったのに家族が心配だからとあえて村に残ったことを。兵士になっていたら今頃は自分より階級は上だっただろう。
「おい、ネイル! ボサッとするな!」
銃を握ったまま、警戒しているでもなくネイルに同じ兵士の同僚が声をかけてきた。
彼も同じように金があって兵士試験を受けたやつだ。
「……おい、ネイル。これはちょっと考えなきゃだぜ」
「え」
「この遅さだと、いつスタンピードが起きるかわからん」
「あ……」
彼はそういうと、考えがあるとネイルに提案した。
「そもそも駐屯地に、本当に魔導車があるかわからないんだ」
彼が恐れているのはそれだ。
「それにその魔導車、何人乗りかも……」
魔導車の良くあるのは二人、ないしは四人乗りだ。それが一番世に出ている型なのだ。馬力はあるだろうが、果たして。
「……なぁ、ここはよ」
彼は声を潜めた。悪い提案だと自分でもわかっているからだ。
「……いや、いい」
けれどもギリギリで彼は飲み込む。
自分たちだけで先に行くのは、それはそれでリスクがあると気がついたからだ。
「……ああ」
ネイルも何とか、ごくりと唾ごと飲み込んだ。
おかげで彼らは何とか、駐屯地まで辿り着くことができた。
辺境伯の軍がたまに確認に来ているのか、彼らの予想よりは良い状態だった。
目的の魔導車も本当に幸い、二台残っていた。小型で見回りに適した一台と、大型の馬力がありそうなやつだ。たまに使われる駐屯地ならば今までもこれで事足りたのだろう。
シートをかけられ、きちんと保管――いや。
「ちくしょう!」
馬力のある大型の魔導車。
それにさっそく乗り込んだネイルはすぐにそれに気が付き、ハンドルを殴りつけた!
「こいつ、手動変速型だ!」
マニュアル・トランスミッション――MT。
かつて魔導車が開発されたころはすべてがその型であった。
だが、それは乗り手を選び。
いつしか時代は自動変速型の魔導車が主流となった。
多くの兵士が操れる様にと簡略化されるようになった。そのメリットはあるが、やはり馬力がある運転の操作は細やかなことと荒れた道などはMT車が有利であり。辺境伯家はそのためにMT車両も扱っているのだろう。
けれども今の時代は。
ほとんどの魔導車はATであり、ネイルたちもその教習しか受けていない。もの好きな兵士は習ったが、講習代が余分にかかるために「今時MT乗るのかよ」と、笑われたりもしていた。
ネイルは、笑った側であったことを後悔した。
「何があるかわからないから、MTくらいは乗れたほうが良いだろう?」
「それにMTの方が乗っていて楽しいじゃないか」
そんなもの好きどもめ――君たちが正しかったよ!
「こっちはATだ!」
仲間の兵士が小型の二人乗りを確認して歓喜の声を。
「良し、じゃあそいつにコンテナを……」
言いかけ、ネイルは気がつく。
その車の馬力では、何人くらいならば牽引できるのか?
村人は五十人にはみたない少なさだが、この車一台で――五十人も?
再びごくりと喉が鳴る。
それは仲間の兵士もだった。
彼は無言でエンジンの機動した魔導車のアクセルを踏んだ。
そろそろとそれは動く。
だが、動きの確認をしているにしては奇妙な動きだった。
ネイルは察した。
先ほど彼が言いかけた言葉はきっと――自分たちだけでも逃げないか、だ。
「まて! せめて子供たちだけでも一緒に!」
ネイルの叫びに仲間――いや、そいつはもはや仲間ではない。人でなしだ。
「ちくしょう! 逃げんな!」
イアンが気が付き、止めようと走るが魔導車に人間の足が敵うはずがない。そのために彼らは道から其れて魔導車を頼ったのである。
「俺たち……負けるの……?」
ヴィスタが呆然と。
せっかくここまで来たのに。
皆で生き延びたくて。
しかし駐屯地にかけたことで辺境伯家の砦に向かうための時間は余計に。
自分たちはその賭けに――負けた。
「嫌だ! 俺はこんなところで負けたくねぇ! 死にたくねぇ!」
魔導車に一人乗った彼はアクセルを強く踏んだ。
その目の前に、まだ老女がいるにも関わらず。
「いいや、坊や。お前たちの勝ちだ」
ドリーお婆ちゃんは身を挺して魔導車を止めようというのか――!
「どけ、婆ぁ!」
しかし彼は老女を轢き殺すことはなかった。
「この無礼者があああ!」
横合いより運転席に衝撃が走ったからだ。
それは気合い鋭く跳び蹴りで運転席に襲撃したシャーリーだった。
彼女は助手席まで吹き飛ばした人でなしよりハンドルを奪い、危うくなく魔導車を止めた。
「軍法会議ものだぞ、貴様あ!」
シャーリーは引きずりおろした男に容赦なく足蹴りを入れている。湖で村の若者たちの心を撃ち抜いていた可憐な姿は。今や別な意味で撃ち抜いている。
「ご苦労、シャーリー・ドラコ大尉」
「はっ!」
シャーリーはドリーに褒められたと嬉しそうに敬礼を。ネイルが普段しているより明らかに格好が良い敬礼だ。
二人のやりとりは。
孫とそのお婆ちゃんであった二人は。
呆気に取られるネイルだけでなく、自分をここまで連れてきてくれたヴィスタとイアンにも、ドリーお婆ちゃんは笑みを見せた。
「いいや、坊や。お前たちの勝ちだ」
もう一度。
それは歴戦を生きてきた戦士の微笑みで。
「私を――このドリー・ドラコ大佐を見捨てずここまで連れてきた、お前たちの、勝ちだ!」
ドリーは力強くクラッチを踏むと機動鍵を回した。魔導車もそれに力強くエンジンを鳴らして喜んでいるようだ。
「かっこいい……」
村人の誰かが思わずつぶやいて。
にっ、と笑い応える老女は――本当にかっこいい。
MTはクラッチ踏みながらじゃないと機動しないよ、と。ぼうっとしているネイルに笑いながら。ネイルには機動すらできなかったことを。
「コンテナを繋げ!」
今や指揮はドリーにあった。
「隠居の身だから遠慮するつもりだったんだがねぇ」
「い、いえ! ドラコ大佐とは露知らず!」
ネイルは王都の軍にいた時にちらりと彼女を見かけたことがあると思い出す。伝説が隠退すると話題になっていた。
先の大戦で、魔導車隊の指揮官であった女傑のことを。
彼女は現場主義だからと出世を断り大佐止まりであるが、将軍級の方々が彼女には助けられたことがあると道を譲り頭を下げることが多々あった。
魔導車を自らも運転し、危機ある部隊に支援物資や補給を届けた彼女は、数多の兵士の恩人だ。
その運転技術は老いても身体に染み付いている。
「イアン、あんたの力なら揺れるコンテナで妊婦さんを支えてあげれるかい?」
「おう!」
妊婦の旦那と一緒にイアンはうなずいた。少しばかり責任感に声がふるえるが、一緒に乗る彼の母と弟妹が応援だ。その声に応えると力強くもう一度うなずいた。
妊婦さんのために毛布やクッション代わりを駐屯地でかき集めていたシャーリーもその任務に。
彼女はドリーの実の孫で、尊敬する祖母の為に休職していたが、根っからの軍人であった。ネイルよりはるかに階級高く。
軍にはシャーリーもまたその類まれな格闘技術で伝説が生まれつつあったのに。
「ヴィスタ、あんたのその目で道行の前後の確認を。そこにある銃で警戒しな」
「は、はい! お婆ちゃん……すごいね……」
自分たちをよく見ていたんだな、と。得意なことを活かせるようしっかり配置している。
「ネイル、あんたはATなら運転できるね?」
「は、はい!」
「その小型、あんたが乗りな。あんたなら大丈夫だ」
ネイルは、逃げなかった。
それをドリーには言葉なくも褒められていると感じて胸が熱くなる。
「ヴィスタを助手席に乗せて、警戒しながら先導しな!」
そしてもう一つ。
「そいつは一番揺れるコンテナの一番後ろに放り込んどきな」
シャーリーにより昏倒させられた兵士。
そいつも命であるのはかわりない。
そして彼女らは魔導車を駆り、駐屯地から。MTの魔導車のおかげで悪路も乗り越えることができた。
MTでなければ絶妙な馬力操作ができず、コンテナはどうなっていたことか。
そのわずか数時間後。
その駐屯地もスタンピードに巻き込まれ。
彼らは――勝った。
それから六十年。
スタンピードは繰り返す。
「ど、どうすんだ! これ、MT式だ!?」
「なんでそんな古いやつしか残ってないんだよ!」
「ああ……俺たち、ここで……」
なんとか村人をここまで連れてきた村の若人は、絶望に顔を染めた。
何とか皆を励ましてきた彼らも、もう限界だ。
心折れ、膝をついた彼らの肩を――三人の老人が力強く叩いた。
「いいや、ひよっこども。お前たちの勝ちだ」
「爺ちゃんたち……?」
それは村の三人の隠居爺さんたち。
若い頃は、とある伝説級の軍人が請われて軍に復帰する時にスカウトされ軍に入っていたというが。
「俺たちを良くここまで連れてきた!」
「うん、置いて行かないでくれてありがとうね」
「思っていたより頑張ったじゃないの、君たち」
昔から悪ガキだったから何度もイアン爺にゲンコツで叱られ、ヴィスタ爺に優しく諭され、ネイル爺にもっと上手い悪戯を教えてもらったものだ。
そんな彼らが。
「MT車の運転は楽しいぜ?」
――頼もしく、笑った。
MT運転は良いぞ!
というのを書きたかったので、軍とか階級とかのなあなあな野暮はお気になさらず。
かっこいい老人にもなりたくて。
MT運転楽しいです。もちろんATには良さはたくさん。左足をケガしたときにまさに良さを感じました。
でも…私事ですが、昨年身内が病気と人工関節の手術など、いろんなコンボが決まり。
MT車であった我が愛車では車高低くて乗り降りが大変…。
なので泣く泣く手放し、国産の軽自動車に乗り換えたのであります。
軽自動車は軽自動車で、病院の駐車場に停めやすく、なんとも助かる存在であります。そのために選んだ車。ありがたであります。(車椅子マークのところには皆さま、元気なときには停めないであげてね。ありがとうを心より。)
でもね。軽自動車て…MT車がまず無い。限られるのであります! どうせならガワもかっこいいのに乗りたいの、車は!
やっぱりMT車、運転したいよぉ(号泣)
ジムニーとか逆に車高高いし…コペンは車高低いし荷物乗らない…ううむ…。
車メーカーの偉い人たち! よろしくお願いします! MT車!
でも、国産軽自動車って…修理少ないし、燃費良いし、安全装備たくさんだし、小回りきくし、良いね…良いね…素敵だね…うーん…うーん…




