依頼受託
支部に主人公ズのイメージ図投稿しました~
https://www.pixiv.net/artworks/141378282
「ええと、森塚葉子さんだね。今日はどういったご依頼かな?」
「その、最近ずっと見られている気がするんです。外出の時はもちろん、帰宅してからも……。それに、家具の配置が変わっていたり、目の前で物が落ちたり……」
言葉を重ねるごとに、恐怖で指先が震えてしまう。
カップの縁に指は触れたまま、音を立てないようにしなければ。
「ふむふむ、大方ストーカーとポルターガイストってところかな。……って、おいタロウ! ゼリーくらい溢さず食べなよ! 勿体ないだろう?!」
ぐい、と身を乗り出したリリムさんの頭頂に、ぷるりとした赤いゼリーが乗っている。
せっかく丁寧に結い上げられた髪に、宝石のようにきらめくそれ。
……もったいないのはどちらだろう、と私は内心で思う。というか、タロウさんの膝の上にいなければいいだけなのでは。
「……」
肝心の探偵はというと、スプーンを握ったまま沈黙している。
視線はこちらに向けられているが、焦点は少しだけ遠い。
ゼリーを零した当人とは思えぬほど、静かだ。
「あの、その……すとおかあ? と、ぽるたぁ……とは?」
私は恐る恐る問い返した。意味を理解出来ぬ外来語が不安をさらに膨らます。
「ああ、外来語ですまない。ストーカーは付きまとい。ポルターガイストは、勝手に物が浮いたり動いたりする現象のことだよ」
リリムさんは頭にゼリーを乗せたまま、律儀に説明する。
その姿のせいで緊張がわずかに緩んだ。
「その動いたり、という家具はどんなものだった?」
ようやく、タロウさんが口を開いた。
低く、平坦な声。
そこには先ほどまでの無関心はなく、研ぎ澄まされた刃のような響きがあった。
「誰かから頂いた物なのか?それとも、あなたの私物なのか?」
室内に、時計の針の音だけが響いた。
そこでリリムさんはようやく頭のゼリーを払い落とし、小さく息をつく。
「それって何か関係あるのかい?」
「参考材料にはなる」
「えっと…自分で、といいますか。実家から持ち込んだ嫁入り道具です。鏡台が目の前で割れたり、茶器の位置がいつの間にか変わっていたり」
「貴女の私物なんですね」
そう問われ、私はカップをぎゅっと握りしめた。
探偵事務所の室内は、思っていたよりも生活感があった。古い本棚、積み上げられた書類、甘いゼリーの匂い。窓から差す午後の光が埃を浮かび上がらせている。
その中で、タロウさんだけが妙に静かだった。
「はい」
自分の声が、少し震えているのがわかる。
「全部、嫁入り道具なんです。母が…持たせてくれたものばかりで」
思い出すだけで、胸の奥がざわつく。
箪笥の中身が床に散乱していた朝の光景。触れてもいない櫛が、鏡台から滑り落ちた瞬間。
「嫁入り道具だけに対してのポルターガイストかぁ。何かのメッセージだったり?」
リリムさんはタロウさんの腹にもたれ、面白がるように首を傾げている。
「めっせえじ…?…ですか?」
そんな発想はなかった。
ただ怖いとしか思っていなかったから。
「リリム、何が言いたい」
低く、たしなめる声。
タロウさんはゼリーのカップを机に置き、こちらへ視線を向ける。その目は冗談の色をしていない。
リリムさんは肩をすくめた。
「こういうのは幽霊が原因ってのが多いんだよねぇ、特に日本では。彼らって構ってちゃんなところがあるからさ。無駄に怖がらせて楽しもうっていう悪趣味なやつばかりなの」
悪趣味。
その言葉に、背中を冷たいものが這い上がる。
楽しんでいる?
私が怯える姿を?
思わず指先に力が入る。爪が着物の裾に食い込んだ。
「私、何か恨まれるようなことはしてません…」
言いかけて、口をつぐむ。
本当に、何もないと言い切れるだろうか。
「うん、怖いよね。ねえ葉子さん、思い出すのは辛いかも知れないけれど。次はストーカー被害について教えて貰えるかな? 例えば……毎日手紙が届くとか」
リリムさんが優しく尋ねた。私は膝の上で指を組み、ゆっくりと息を整えた。
「手紙ではないんですけど……毎日、花束が玄関に置かれているんです」
言葉にした途端、喉がひりついた。赤い薔薇のような花の日もあれば、白い百合の日もある。季節外れの向日葵が置かれていたこともあった。どれも新鮮で、瑞々しくて、だからこそ気味が悪い。
「でも、そんなことをされる覚えはないし……関係のある男性といえば夫と息子くらいしか。私、田舎からこちらに越してきたので、知り合いという知り合いはいないんです」
「なるほどなるほど。……え、旦那さんいるの? 旦那さんにはこの事、相談していないの?」
私は少しだけ、視線を落とした。
「……出来ません」
言い切ると、胸の奥がじわりと冷えた。
夫は優しい人だった。でも戦争から帰ってきてから心を無くしてしまったかのように、あの人は変わってしまった。
夜になると、別人のようになる。
暗闇に過剰に反応し、物音に身体を強張らせる。
突然大きな音がしたりすると、反射的に床へ伏せる。
呼吸が荒くなり、焦点の合わない目で虚空を見つめる。
あの時の、震える背中。
錯乱し泣きそうな顔で、何度も謝まられた。
「すまない、何も守れなくて…」と繰り返しす。
あの人は、まだ戦場から帰ってきていない。
そんな夫に、誰かが家を見ているかもしれない、毎日花束が置かれている、そんなことを言ったらどうなるだろう。
夜も眠らなくなるかもしれない。最悪、相手を探し出そうとするかもしれない。
私はこれ以上、夫を壊したくないのだ。
「負担を掛けてしまうと…あの人、眠れなくなってしまうから」
「……依頼は受ける」
不意に、静かな声が空気を切った。
顔を上げると、タロウさんがまっすぐこちらを見ていた。
「原因が幽霊だろうと悪魔だろうと、放っておく理由はない」
その言葉に、胸の奥に張りつめていた糸がわずかに緩む。
怖いのは、まだ消えていない。
けれど。
「…よろしく、お願いします」
深く頭を下げながら、私は初めて、ほんの少しだけ息を吸い込むことができた。
「あ、そうだ葉子さん」
唐突に、リリムさんがこちらへ身を乗り出した。 大きな瞳が、妙にきらきらしている。
「君が今生きているのは、どの年号の何年なのかな?」
「えっ?」
一瞬、意味が理解できなかった。
年号? 今、生きている年?
「……ん、あ、失礼したね! ええと、今日は何年の何月何日なのだろうか」
言い直しながらも、どこか焦ったように視線を泳がせている。
私は戸惑いながらも答えた。
「今日は……昭和二十五年の、五月二十日ですよね……?」
言い終えた瞬間、自分の声がやけに小さく聞こえた。
カチ、と。
壁の柱時計が音を立てる。
振り子が、規則正しく左右に揺れている。
確かに今日は昭和二十五年の五月二十日のはずだ。 何もおかしなことはないはずなのに、なぜか胸の奥がざわついた。
「了解!」
ぱっと花が咲くように笑い、リリムさんは立ち上がる。
「じゃあ調節してくるから、コーヒーでも飲んで待ってておくれ!」
「……調節?」
聞き返すより早く、リリムさんは事務所の奥の扉へと駆けていった。
バタン、と扉が閉まる。
その向こうから、がちゃがちゃと金属が触れ合うような音が聞こえてきた。
何か重いものを引きずる音。
小さなリリムの呟き声。
「…うーん、誤差許容範囲内……いや……」
何を調節するのだろう。 私は無意識に、タロウさんを見る。 彼は椅子に深く腰掛け、腕を組んでいた。
「気にするな」
短い一言。
「助手の癖だ。時々、時間の確認をしたがる」
時間の確認。
その言い回しが、ひどく引っかかる。
再び、奥の部屋からカチリと音がした。
一瞬、室内の空気がぴんと張り詰める。
柱時計の針がほんのわずかに、震えた気がした。
私は思わずカップに手を伸ばす。
コーヒーの湯気がまだ立ち上っている。
少々不気味な雰囲気の漂うこの探偵事務所に依頼して、本当に良かったのだろうか。
けれど、もう後戻りはできない。
私はそっと、コーヒーに口をつけた




