ウロボロスが恋をして
5月6日。
暦の上では、辰と巳。
天を昇る龍に地を這う蛇が噛み付く日。
だからだろうか。
空は青いのに、吸い込む空気は土の匂いがした。
まるで季節が迷っているみたいだった。
連休明けの朝。
教室の空気は重く、誰もがゴールデンウィークから現実に戻ることを拒んでいた。
チャイムが鳴るたびに、一人また一人と小さなため息が連鎖し、クラス全員の気分が沈んでいく。
――でも、ひとりいない。
いつもは休み時間になると一番後ろの席で黙々と読書をしている、あの真面目な女子が。
その席だけが、教室を取り巻く、どんよりとした空気をかき消してぽっかりと空いていた。
彼女がいない。
彼女だけがいない。
そのことに多少の違和感を覚えているやつはいても、たぶん俺だけが別の違和感を感じている。
なぜなら、俺は知っている。
彼女は昨日も、一昨日も学校に来ていたのだから。
――正確に言うと今日、5月6日は三度目だ。
おかしいと思うかもしれない。
俺だってそうだ。
でも、そんなことを思ったところで仕方がない。
だって、龍の尾に蛇が噛み付いてしまったのだから。
俺はいつものように昨日とは少し違ういつもをそつなくこなした。
夕方の校舎は、窓に一枚の絵画をはめ込んだみたいに夕日を閉じ込めていた。
ウェストミンスターの鐘の音が遠くに消え、誰もいない廊下に足音が響く。
彼女はそこにいた。
朝が来れば夜が来る、今日が終われば明日が来る、春が過ぎれば夏が来るかの如く、さも当然のように、彼女は俺の前に現れた。
窓の外には、沈みきらない太陽。
まるで彼女だけが、世界に囚われているかのようだった。
俺は躊躇わずに声をかけた。
「君が原因だろ」
彼女は顔を上げ、驚いたように見せたが、それはほんの一瞬だった。
すぐに、おどけた表情で少し笑ってみせた。
「原因?……何の話?」
無垢を装う声。完璧なものだった。
俺はそれを見抜いているつもりでいた。
「今日がいつもの今日とは違った。俺はその証拠も持ってる」
「証拠?」
「ああ、それは君だ。三度目の今日……君だけが昨日とは違う行動をとっていた」
彼女はしばらく沈黙し、困った顔を見せた。
それから、後ろで手を組み近づいてくる。
「……じゃあ、私に原因があるってこと…?」
「そういうことになるな」
「どうしてそうなるのか、ちょっとわからないかな」
「だって――俺が原因じゃないんだから、君以外にいないだろ?」
言いながら、自分でも少し笑ってしまった。
酷い答弁だ。
でも、その笑いに、彼女もつられるように口角を上げた。
「じゃあ、一緒に探してみる?他の犯人」
その一言で、世界の奥でなにかが、静かに噛み合う音がした気がした。
それから、俺と彼女は毎日放課後に会うようになった。
終わらない今日をつくりだす原因を探るという名目で。
「こんなに楽しいの生まれて初めてかも」
彼女は楽しそうに笑って、校庭のベンチに腰を下ろす。
陽射しはやわらかく、風が制服の袖を揺らしていた。
「明日は違うことしてみよっか」
「たとえば?」
「んー……他愛もないこと。犯人探しとか、そういうんじゃなくてさ」
彼女はそう言って、俺の袖を軽くつまむ。
その指先の温度だけが、確かに今を感じさせた。
「今日が終わったら――」
「明日なんか、ずっとずっと来なければいいのに」
俺の声を遮るように彼女の声が重なる。
その瞬間、空気の粒がわずかに揺れ、またあの音がした気がする。
小さく、かすかに、なにかが噛み合うような音。
「私、人とこんなに関わることなんて初めてで、多分、あなたの事が好きだから……だから、もう少しだけこのまま。ずっとずっと、もう少し」
釣り上げられた魚のように心臓が跳ね、蛇に睨まれた蛙のようにその場を動けなかった。
――それは、ダメだ。
なんの罪もない人間をずっとこんな場所に閉じ込めてていいはずがない。
それに、君は知らない。
輪を閉じた5月6日の真実を。
ヘビの正体を。
その日の空はやけに静かだった。
放課後の校舎に沈む夕日が、まるで固唾を呑んで見守っているようだった。
「ありがとう」
俺が小さく呟くと、彼女は小動物みたいな様相で首をかしげる。
「どうしたの?」
「いや……なんでもない」
「なんでもない人は、隣にものすごーく可愛い女の子がいるのに、寂しそうに遠くを見つめてありがとうなんて言わないんだよ」
「俺は、感謝は伝えられる時に伝えたい派ってだけだよ」
自分勝手だ。
自分のために始めた事なのに、終わらせるのは君のため。嘘、結局は自分本位。
最低だ。
でも、今日……5月6日はこれで終わりにする。
「じゃあ、明日」
「――うん、またね」
翌日、いつものように目を覚ます。
日付は――5月6日
ここまで読んでくれたあなたに感謝。
思いつきで勢い任せに書いてしまったので、色々と雑だし足りないです。
もっと頑張れた気がします。
次があれば頑張りたいです。




