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焔に咲く九尾の華  作者: 焔夜 夕
第二章 音もなく、這い寄るもの
3/9

【影咲く里】

洗濯を干し、しばらく最近の話をしているとき、


「きゃぁ!!」


突然、一人の母親が悲鳴を上げた。

その足元を細長い何かが素早くすり抜けていった。


正体は見えなかったが、ぞわりと背筋に冷たいものが這い上がる。


「なに?今のは」


「冬眠明けの蛇かしら?随分急いでるわね…」


ざわつく奥様方をよそに、私は何かが逃げた方をじっと見つめる。

言い知れぬ恐怖感が喉を絞め、冷たい汗が背筋を伝って流れた。


だが、不安をあおるわけにはいかず、喉から声を絞り出す。


「冬眠明けなら、お腹を空かせて凶暴になっているかもしれません。

畑仕事の際は気を付けるよう、皆に伝えてくださいね」


「わかったわ、巫女様。」


洗濯物が乾くころ、弟たちを呼んだ。

みんな明るい顔でそれぞれ二、三匹の魚を持って戻ってくる。

――が、どこか無理をしているような気がした。


「たくさん獲れたね!」

カヨさんが自分の息子を褒める。


「…何かあったの?」

小声で弟に問いかけると、わずかにびくっと反応した気がしたが、


「巫女様!なんにもないって!母ちゃんたちのために魚、獲ってただけで!」


「う、うん!!喧嘩なんてしてないよ、巫女様!!」


弟が何か言う前に、みんなが口々に言う。

違和感を覚えつつも、喧嘩という言葉が出たし、それを隠しているのかな?と思い

それ以上は尋ねなかった。


「何もないならよかった。魚をありがとう、狐流。」

笑顔を向けると、弟はやっとふにゃりと笑った。


その後、子供たちも一緒に洗濯物や干し縄を片付け、

みんな母親のそばに寄り添いながら、里へ戻る帰路につく。


――いつもなら、魚自慢や濡れたのは誰のせいだと賑やかなはずなのに、

今日は母親たちの談笑だけが聞こえてくる。



道中、里に向かって、黒い焦げ跡のようなものが残っていた。

けれど、誰も気に留めず、他愛のない世間話に花を咲かせている。


私は少し遅れて後ろに残り、焦げ跡をそっと指でなぞった。

かさり、と指に何かがあたり、拾い上げると、それは鱗のようだった。

談笑が遠くに感じられ、無いはずの尻尾の毛が逆立つ。


「姉様?」


弟の声で我に返り、笑顔を向けて手を握る。

その手には、じっとりと汗が滲んでいたかもしれないけれど、

弟は嫌な顔一つせず、ぎゅっと手を握り返してくれた。

暗くなってきた空を見上げながら、懐に鱗をそっとしまう。

妖炎山に落ちる夕陽は、私に「気をつけろよ」と言わんばかりに、山を赤く燃していた。


里の明かりが見えてきたところに、一人の男性が慌てた様子で走りこんできた。


「巫女様!!よかった、まだ山に帰られていなかったのですね。

里長の家まで同行願います!!惣真(そうま)様が!!」


彼は里長の家に仕える小使の一颯(いぶき)さんだ。

一緒にいたみんながざわつき、取り乱す。


惣真とは、惣一郎の一人息子で次期里長。

少々体が弱いところもあるが、真っすぐで気の優しい若者だ。

子供たちが悪さをして、嘘をついても何でも信じて許してしまうので、

子供たちは嘘をつかなくなったくらいだ。

私の婚約者の狐宇(こう)とも仲が良く、私にも良くしてくれていた。


「すぐ行きます。カヨさん、みんな。

子供たちと家に帰って。さっきの冬眠明けの蛇のこともあるし

今夜はしっかり戸締りして、ゆっくり休んでくださいね。」


私の言葉で落ち着いてくれた母親たちは、口々に惣真さんを心配する子供たちを宥めながら、

家へと向かってくれた。


足早に里長の家へ行きながら、事情を尋ねると、

どうやら惣真さんが倒れたらしかった。


玄関をガラッと開けて

寝室の襖を慌てて開けると、惣真さんと里長がいた。

布団に入ってはいるものの、体を起こしていて元気そうだ。


「狐末さん…いやはや、伝えに行かなくていいと言ったんですが…。

お恥ずかしい格好で失礼します。」


照れくさそうに笑う惣真さんを見てほっとする。

さっきの蛇のような影のこともあり、どうにも胸騒ぎがしていたのだ。


「何を言いますか惣真様!!先ほどは意識を失って苦しんでいたではありませんか。

巫女様に視てもらうのが一番ですよ!」


一颯さんが、あわあわと私に訴える。

惣真さんは困ったような顔をして、


「こうして何もなく起き上がってるのだから大したことはないって…

今日は里のおばあ様方の洗濯を手伝っていると聞きました。

気にせずに神社に帰って休んでください、狐末さん。」


と遠慮がちに言った。

しかし胸に引っかかることのあった私は、穏やかに首を振る。


「いえ、念のために…少し見せてください。

倒れた時の様子も、教えてもらえますか?」


私がそう尋ねると、惣真さんは観念したように苦笑しながら話し始めた。


「本当に、大したことじゃないんです。外が暗くなってきたから、

時太鼓を叩こうと庭に出たら、なにか黒くて、小さい影が――飛びかかってきて…。

驚いて転んだ拍子に、どこかをぶつけたんだと思います。

あとは、あまりよく覚えていなくて…。」


私は少し強引に、惣真さんの手を取った。

そのまま意識を集中させ、静かに()を探る。

…悪い気配は感じられない。目立つ外傷もない。


「体を蝕むようなものは、見受けられません。

外傷も、今のところはないようです。」


それを聞いて、里長も安堵の息を漏らす。


「狐末さんがそう言うなら大丈夫じゃな…。」


漏れた息と出た声に、一颯さんや台所から覗いていた女中さんも、

ほっと胸をなでおろした。


「狐宇も、あと数か月ほどで帰ってくるのだろう?

今日の事は内緒にしといてくださいね、狐末さん。

“無理するな!”とまたうるさく怒られてしまう。

あいつの説教、しばらく聞いてなくて、せいせいしているところなんです。」


惣真さん冗談めいた言葉に、家はやわらかな笑いに包まれた。

蛇の影などすっかり忘れて、穏やかな時間を過ごした。



「すみません、夕飯までいただいてしまって。」


すっかり夜も更け、梟の声が響く里。

私と弟は、玄関で深々とお辞儀をして神社への階段を登り始めた。

階段の中腹、もう誰にも見られないくらいまで登ってきたところで、


「もう疲れちゃった!また明日ね、姉様!」


と、弟は狐の姿になり山の中へと駆けていった。

私は軽く手を振り、どんよりと月を隠す雲を見上げた。

懐の鱗を取り出して見た。

途端に、真っ黒の灰になってさらさらと風に散らされた。


――あぁどうか、すべて私の杞憂で終わってくれればいい…。

そんな願いのせいで、私は見るべきものが見えなくなってしまっていったのかもしれない――。


神社に帰り着いた私は、本殿へ入り、静かに本来の姿に戻る。

九本の尾をふわりと巻いて、そのまま深い眠りに落ちていった。

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