第三十七話 雪斎の勘と義元の策。
〔弘治元年/天文二十四年 (1555年)三月〕
臨済寺を訪れた松平-次郎三郎-信元は太原-雪斎の見合いに参った。
「竹千代か、ようきた」
「信元でございます」
「そうであった。時が経つのは早いのぉ。ずいぶんと背が伸びたな」
「和尚様の教えを守り、日々の鍛錬の賜物でございます。和尚様のお陰で今川準一門に加えられ、義元様の家臣に加えて頂けました」
「これから義元様を支えてくれ」
「もちろんでございます」
竹千代は織田-信広と人質交換された天文十八年から五年間を駿河で過ごした。信元は臨済寺に通って今川家臣の子供らと共に雪斎から教育を受けていた。雪斎は昨年 (天文二十三年、1554年)七月に北条家から氏康の娘である早川殿が駿河の今川家に嫁いできた。その頃から体調を崩し床に伏せたが、この冬も無理を押して三河へ出掛け、再び床に伏せた。
ごほん、ごほん、雪斎は咳をしながら見舞いにきた信元を迎えて体を起こした。
「よく聞け、信元」
「はい、何でございましょうか」
「これからの今川家の家臣は駿河で住むのが当り前となる」
「領地に帰れないのですか?」
「違う。一年の半分は駿河で過ごすのだ」
「無理でございます」
「戦ならば、半年と言わず、一年でも戦場に留まる事がある。その折、領地は城代が見ておる。戦でできる事を平時に出来ぬ事もあるまい」
「しかし……」
「待て」
雪斎は信元の反論を制した。
駿河に集められた人質は今川の家臣、および、今川に与した国衆である。
それに例外はない。
人質は粗末に扱う事もない。むしろ、恩を売って今川へ忠義を勝っており、信元も何も不自由な思いをしない生活を送ってきた。
大事にされていた。
雪斎が目を掛けた者は直々に教え、義元の味方にしようと心を砕いた。同族の庵原-忠縁、藤枝-氏秋、長谷川-正長、戸田-重貞を輩出し、最近は信元、助五郎 (北条-氏規)の教育に尽力し、義元の嫡男氏真を支える家臣衆を育てていた。
「信元は大内家の謀反をどうみる」
「不思議でなりません。あの大内家で謀反が起きるとは考えませんでした」
「朝廷や公方様の覚えは目出度く。戦にも連勝しておった。不満があっても謀反が成功するとは考えられん。だが、実際に起ってしまった」
「なぜでございますか?」
「それは国主と領主の距離だ」
「距離でございますか?」
「大内-義隆殿は戦に出ないと聞く。領主と会う機会が減ってしまったのだ。代理の名代が山口に居っても、その齟齬は埋まらなかった」
「なるほど」
「儂は常々、義元様に領主と会う機会を増やすように進言しておった。義元様が考えたのが、家臣を駿河に常駐して、宴などに参加させる政策であった」
「駿河に留まるのは、義元様と会う機会を増やす為でございましたか」
「そうだ。人質を取っているだけでは誤解が生じる。平時であれば、一年の半分を駿河に過ごす。だが、戦のある年は駿河にくる必要はない。三年で半年ほど駿河に過ごすと考えよ」
「三年で半年でございますか」
「今から駿河にいても領地を治める事ができる城代を育てておくとよい」
「承知しました」
「五年以内に領地に戻ると考え、準備を怠るな」
「肝に銘じておきます」
信元が帰ると、入れ替わって義元が訪ねてきた。
義元は氏真が妻を迎えたのを機に、駿河の政務の一部を氏真に譲った。主に宴の接待であった。次期当主が誰かを皆に知らせる。部屋に入ってきた義元の供は伊賀者の藤林-長門守であった。
雪斎は少し眉をひそめた。
「雪斎、元気そうだな」
「かなり体調がよくなりました」
「そうか、それはよかった」
「体調が戻り次第、三河に赴き、最後の総仕上げを行うと考えおります」
「その件で参った。いつまで小僧と遊んでおるつもりだ。年を考えろ」
「没落していた前々守護の斯波-義達殿が若い義親(後の義兼)殿の相談役となりました。義達殿に力はございませんが、末森の織田-信勝が偏諱を受けて達成と改めました。これで信長と達成の争いが再燃致しました」
「ようも没落した前々守護を見つけてきたな」
「京で燻っておりました。信用できる僧を通じて銭と兵を貸し与えて尾張に送り、京での人脈を披露して相談役にねじ込みました。それから信勝に接近させた訳でございます」
「抜け目ない破壊僧だな」
「使えるものは何でも使いまする。その達成に同盟の条件として、弟の魯坊丸を駿河に送る事を命じようと思っております」
「信長ではなく、達成か?」
「信長は気性が荒く応じますまい。達成は魯坊丸で和睦が買えるならば差し出すでしょう。熱田の者にも五年後に熱田の領主として返す条件を出せば、今川の条件を蹴って熱田を襲う口実を作りたくないので応じるでしょう」
「尾張を奪うのに五年も待ってやるつもりか?」
「三河を統治するのに五年は掛かります。三河を信元、尾張は魯坊丸に抑えさせれば、今川家も安泰でございます」
「儂では統治できんと申すのか?」
「義元様はできますが、氏真様の器量では無理でございます。駿河、遠江、三河、尾張の国を任せられる者を育てておく必要があると申しております」
「五年も待つ気はない。尾張は他の者にせよ」
「では、どうされますか?」
「駿河を氏真に任せ、儂が三河と尾張を統治する。それで解決だ」
「無茶を言いますな」
「雪斎は氏真の補佐をしろ」
「致し方ありません。従いましょう」
「去年の伝馬の制に続き、すでに検地を命じた」
雪斎は目を見開いた。
検地は早過ぎる。守護使不入が書かれている今川仮名目録を認めさせたが、領主への実力行使は控えていた。領地経営に口出しをすれば、今川の悪口を広めている魯坊丸の策に乗る事になる。
雪斎は三河を回り、今川へ反抗すれば御家人とて容赦しない。恐喝と援助を申し入れ、関所の税を黙認し、検地も控えて自主的に報告させた。
余程酷いモノでない限り、お目溢しを許した。
魯坊丸はせっせと三河を回って悪態を広め、雪斎が火消しを行う。
その魯坊丸の行動を監視させているのが、藤林家の伊賀者であった。
義元が長門守を連れていたので察しが付いていた。
「検地はお止め下され」
「すでに発した」
「今からでも中止を」
「魯坊丸の為か、面白い小僧だ。儂がやりたい事を細々と説明してくれておるそうだな」
「故に、三河者が義元様を疑っております」
「良いではないか。反乱させて叩き潰せば、面倒がなくなる」
「三河が疲弊致します。これ以上、疲弊させてはなりません。恨みとなって、後々の統治に支障をきたします」
「勢いで東尾張を下し、そこから銭を吸い上げて三河を復興すればよい」
雪斎もその手を考えない訳ではなかった。
おそらく最善策だと思えた。しかし、天性の勘が“駄目だ”と叫び、その策を封じた。
義元は駿河にすべての家臣を住まわせるという発想ができる天才であった。
雪斎では、そんな大胆な政策は思い付かない。
義元は計算高く、詰め将棋のような戦をする。
だが、天性の勘はない。勘などという不確かなモノを信じない。
「義元様。戦は将棋でございません。盤の外から駒が飛んできます」
「その盤の外も見渡しておる」
「東美濃の岩村遠山家と苗木遠山家を武田家に臣従させた一手でございますな。某も思い付かぬ一手でございました」
「まだ終わっておらん。武田家に美濃斉藤家に圧力を掛けさせ、道三を追い詰め、高政を反織田に寝返えさせる。北と東からの挟撃へもって行く」
「見事な謀略でございます。しかし、急ぎ過ぎております」
「儂は無理と申すのか」
「無理とは申しません。しかし、万が一を考えて、もう少し自重させる事をお薦め致します」
「自重しておる。三河の反乱を抑えるのは三河衆だ。儂は兵を率いて後ろに座るだけだ」
義元の策は完璧だ。
完璧だが、雪斎の勘が“駄目だ”と叫び続けているのを感じていた。
止まらぬか。




