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第三十六話 魯坊丸、竹千代の結婚と京の噂。

〔弘治元年/天文二十四年 (1555年)三月〕

駿河で竹千代と関口(せきぐち)-氏純(うじずみ)の娘が婚姻したと聞き、三河の本多-忠真殿の屋敷に祝いの品を届けにきました。元服した竹千代は松平(まつだいら)-|次郎三郎(じろうさぶろう)-信元(のぶもと)と改めました。氏純の娘の母方が義元の養女ですので、義元の義理の孫となった信元は今川一門衆として扱われます。三河は元服を終えた信元が岡崎に帰されると喜んでいるとか?

 持ってきた祝い酒を飲みながら忠真殿が言います。


「あははは、これで忌々し城番が居なくなり、我らが主君をお迎えできます」

「それはおめでとうございます。もう戻って来る日程は判っているのでしょうか?」

「まだでございます。まだでございますが、魯坊丸様のお陰で三河の村も少しずつ豊かになってきました。信元様をお迎えする仕度ができます」

「今川にバレないようにお気を付けて下さい」

「当然でございます」

 

 激しい戦が減ると旅人の往来が増えてゆき、尾張と三河を往復するのも簡単となりました。熱田商人は吉良家とも懇意にしているので船を使えば安全に移動できます。

 昨年の九月、今川ばかりに気を取られていると、甲斐の武田(たけだ)-晴信(はるのぶ)殿が南信濃の伊那郡に兵を進め、美濃恵那郡(ひがしみのえなぐん)の岩村遠山家と苗木遠山家の両遠山氏を恭順させてしまった。岩村城の遠山(とおやま)-景任(かげとう)様には叔母のつやの方が嫁いでおり、山家(やまが)三方衆(さんぽうしゅう)と呼ばれる奥平家、田峯菅沼家、長篠菅沼家の調略を手伝って頂いています。

 その遠山家が今川の同盟国である武田に付きました。

 今川に帰属すると様々な権利を奪われます。今川家と対等である同盟の関係を続けようと企むのが山家三方衆です。もしも今川家が強引に帰属を進めれば、遠山家を介して繋がっている織田方へ寝返るという手が白紙に戻ってしまいました。しばらく、武田-晴信殿の動きに注目です。

 信長兄上は景任を通じて晴信殿へ手紙を送り、懇意になろうと企んでいます。私はそんな都合のよい事にならないと考えています。


「魯坊丸様、祝いの品を貰ってから言うのも何ですが、これほど堂々とやって来て大丈夫なのですか?」

「問題ございません。此度は今川準一門の鵜殿(うどの)-長持(ながもち)殿を通じて、義元殿へ祝いの品を持ってきた帰り道でございます。熱田商人の代表殿は岡崎に向かいました。私は使者殿と別れて、こちらに参りました。帰りも合流致しますので、襲われる心配はまずございません」

「織田家から今川家に祝いの品ですか?」

「織田家と言っても一枚岩ではございません。況して、熱田商人は織田家と今川家の双方と取引がございます。三河にも熱田神社がございますから、その安堵をお願いする立場でございます」

「なるほど、熱田も大変でございますな」

「差し詰め、私は信長兄上が知った時の盾でございます。使者に同行した者に私の名があれば、信長兄上は私を責めるでしょう」

「それで魯坊丸様は大丈夫なのですか?」

「信長兄上から信頼は下がりますが、熱田衆の支持を失いたくないので厳罰に処する事もできません。すべて玉虫色です」

「相変わらず、大胆なお方ですな」

「義元殿は苛烈過ぎます。もう少し温厚なお方であり、信長兄上が大人だったなら織田家を今川家に帰属させる手をあるのですが、義元殿と信長兄上は水と油でございます」

「あははは、その言いようでは、魯坊丸様の方が大人のように聞こえますぞ」

「私は力を持っておりません。信長兄上の機嫌を取り、熱田衆の意に従わねば、生きてゆけぬだけです。死にたくないので策を弄する臆病者でございます」

「あははは、魯坊丸様が臆病者ならば、信元様を人質と取られて何もできない某ら三河者はすべて臆病者でございますな

「そんなつもりはございません」

「判っております」

 

 忠真殿は気のよい方です。ですが、私は中根家の血縁と忠真殿の姪を妻にした縁を頼りに、大給の松平(まつだいら)-親乗(ちかやす)に近づき、東条の松平(まつだいら)-忠吉(ただよし)(甚二郎)の復権に力を貸し、上野城の酒井(さかい)-忠尚(ただなお)を唆しています。

 加藤-図書助殿の交渉のように、私は熱田商人の利益を追求する振りでそれぞれの利害を説き、今川への不満を高めます。謀反を起こせば、織田弾正忠家が後ろ盾になるという言葉をこちらから発しません。

 岡崎に向かった使者から連絡が届き、矢作川で合流すると、知多半島の先端を迂回して船で熱田に帰ります。

「駒、今戻った。忠真殿の手紙を預かってきた」

「ありがとうございます」

「紅葉、こちらに何か変化はあったか?」

「特に変化はございません。いくつか京より情報が入っております」

 

 紅葉の口調が難そうなので一度止めると、私は自分の机の前であぐら座りをして茶を飲んでから紅葉の話を聞く事にしました。数日、城を開けると書類が積まれており、しばらく書類と格闘です。そんな事を考えながら紅葉に顔を向けました。


「まず、差し障りのない話から致します」

「頼む」

「二月二十八日に年号が改元され、“天文二十四年” から“弘治元年”に変わりました」

「何故だ? 公方様は朽木にいらっしゃり、改元などできないと思います」

「本来ならできません。しかし、三好(みよし)-長慶(ながよし)殿が朝廷に訴状して改元となったそうです」

「公方様の面目が丸潰れではありませんか?」

「そうなります」

 

 三好長慶殿は公方様を廃しても治世を行えると訴えた訳です。

 これは公方様も憤慨ものです。

 織田家にできる事はありません。そして、差し障りのある話を聞きます。


「前守護代の御台殿が山科(やましな)-言継(ときつぐ)様のご邸宅を頼り、信長様の乱行を嘆き、言継様が信長様の悪評を広めておられます」

「待て、主君の仇を討ったのです。批難にならないでしょう」

「新しい織田家の取次役は朽木の公方様に斯波-義親様の守護の任命を願い、信長様へ官位を申請しましたが、それ以外の活動ができておりません」

「どういう事ですか?」

「人脈がないようです。殿上人と直接面談する官位もなく、手紙を送って返事を待っているのではないでしょうか?」

「紅葉が把握できない程度の活動しかできていないという事ですね」

「そうなります」

 

 妙に律儀な信長兄上は京を掌握している三好-長慶殿との関係をどうするつもりなのでしょうか?

 公方様の手前、積極的に連絡をとって好を結ぶ気はないようです。

 つまり、公方派の織田家は活動が宣言されている。

「仕方なりません。取次役の方は林-秀貞殿に依頼します。熱田神宮に連絡を入れ、伊勢神宮、賀茂神社をはじめ、各地の神社に信長兄上は主君斯波(しば)-義統(よしむね)様の敵を討ったのであって、下剋上ではないと広めて下さいと大宮司様にお願いして下さい」

「はい、承知しました」

「楓、熱田商人の長に連絡し、大宮司様にお願いした件を熱田商人と津島商人からも広めるように依頼して下さい」

「判りました。すぐに行ってきます」

「さくら、同じ内容の手紙を書きます。帰蝶義姉上に届けて下さい」

「信長様ではなく、帰蝶様ですか?」

「信長兄上が私の意見を素直に聞くと思えません。帰蝶義姉上から京の噂を流して貰い、信長兄上を動かす方が早いでしょう」

「判りました」

「すぐに書きます。待って下さい」

 

 平手-政秀を失った痛手です。

 まさか、京で“信長兄上が下剋上をした”と噂になっているとは思いませんでした。

 斯波-義統様が織田-信友殿に討たれたのですから、普通に考えれば仇討ちと気付くでしょう。しかし、公方様が京に居ない事と、京が混乱している事、斯波-義親様が尾張守護に任命されていない事で情報の断絶が起っています。

 織田家で官位を持っている者を京に派遣し、たくさんの公家様に土産を持って、義親様が尾張守護に任命を支援して頂かないと大変な事になります。

 この噂を今川家が利用して、“逆賊、信長”とか。

 帝から発せられれば、取り消すのに大変な手間だけで済みません。

 信長兄上、何やっているのですか?

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