第三十四話 魯坊丸、山崎砦の建設に取りかかる。
〔天文二十三年 (1554年)九月〕
呉服問屋『神戸』にお出掛けです。まず、その隣の呉服屋に入りました。最高級品の絹に豪華絢爛な刺繍を施した反物が並びます。加藤家の収入はこの絹を独占している所にあります。今回、山崎砦の交渉で加藤-図書助殿に世話になりましたが、私が加藤家に送れる土産など思い付かず、加藤家の系列の呉服屋から着物を買う事で礼としました。
という訳で、婚約者の穂と私の侍女らをすべて連れてやってきた。
「皆、好きな物を一つ選びなさい。私のおごりです」
「魯坊丸様。宜しいのですか。最高級品を選んでしまいますよ」
「さくらが気に入った奴でいいですよ」
「では、遠慮なく」
さくらが元気に駆け出して行った。楓は「私は何にしようかな?」と言いながら奥に入り、紅葉が「さくらちゃん、楓ちゃん、節度は守って下さい」と叫んで追い掛けて行った。
少し心配そうに「本当に大丈夫ですか」と侍女長が問い掛けた。
「出費は問題ありません。信長兄上にたくさんの褒美を頂きました。それに少しくらい値が張る物でないと、加藤様へのお礼になりません」
「左様でございますか」
「さくら、楓、紅葉は、菊田家、鏡味家、若山家から預かっている姫です。とやかく言うのは止めましょう。穂は本多家が貧しいので地味な着物を選びそうな気がします。地味過ぎないように気を付けて下さい」
「畏まりました」
「あとは、義父上と母上の侍女の分も買うのを忘れないで下さい」
「奥方様の分は宜しいのですか?」
「母上の分は、こちらの店の者を来るように手配します。母上も自分で選びたいでしょう」
「承知しました」
「駒をはじめ、皆の着物でとやかく言い過ぎないように。ですが、派手過ぎないように気を付けてやって下さい」
「畏まりました」
「私は隣の呉服問屋の店主に話があります。終わったら呼びきて下さい」
私はそう言うと護衛を連れて隣の店に移動します。
私が訪ねるのは先触れを出していたので、店主が奥の間で待っていてくれました。
私は上座に座り、茶を一杯頂いてからお礼を言いました。
「この度は、山崎砦でご足労ありがとうございました」
「いいえ、私の力不足で申し訳ございません」
「それは私も同じでございます」
「私が見た所では、魯坊丸様が道筋を付けられたので、図書助様が出られたと思っております」
「そうであれば、嬉しい限りです」
六月に山崎砦の建築の根回しを終え、七月には入ると熱田商人の長である店主が白毫寺の住職と交渉を始めた。無料で新しい桟橋を建て直すという美味しい話です。多少の警戒はあっても食い付くと思っていましたが、中々によい返事が貰えません。
気が付くと、八月半ばとなりました。
稲刈りが終われば、人の調達も用意になります。
しかし、結論が送れると他で働き先を決める場合も予想され、私も少し焦ってきました。
熱田衆の首脳部が集まり、今後の対応を協議しました。
まず、新領主となる佐久間-信盛殿を交渉に付けるのは論外です。調子のよい事を言われると、まとまる話もまとまらなくなります。
信長兄上の家老 林-秀貞殿を頼る手もありましたが、筆頭家老を動かすと別の余波も考えねばなりません。まず、信長兄上に知れます。次に今川方に感づかれる危険が増します。
大宮司千秋季忠様も大事になり、林殿と同じ理由で動かしたくありません。
私は何の力も持っていないので論外です。
困った所で見届けに来ていた図書助殿が「某が行きましょう」と言ってくれました。しかし、熱田衆の長が白毫寺に訪れるのは、林殿や大宮司様と同じくらいの影響力があります。
「安心召され。某は気まぐれで店主の護衛に紛れて、旧友に会いに行くだけです」
図書助殿はそう言うと、店主の護衛として頭巾を被って伴ったのです。
私も旗屋の悴の金田として同行します。
白毫寺に到着すると図書助殿は知り合いを見つけ、顔を隠す布を少し外して住職との面会を頼みます。僧侶が慌てて奥に入ると、離れの茶室へ案内されたのです。
「図書助様。お久しぶりです」
「住職の顔を見たくなったので随行させて貰った」
「そうでございましたか」
「其方も老けたな」
「図書助様も男前になられました」
「この禿げた頭を見て、そう言うか」
二人は楽しげに昔話に花を咲かせた。親父がのし上がった悪さ話で盛り上がります。
四半刻くらいが足った所で、図書助殿が本題を切り出しました。
「こちらの申し出を渋っていると聞いたがどうされた」
「応えずともお判りでしょう。織田様に味方するのが、どれほど危険な事か、お察し下さい」
「某は察しているから来てやった。何か、勘違いをされているのではないかと心配したのだ」
「勘違いでございますか?」
「恐らく、其方も察していよう。織田家は山崎城の再建を決めた。これは信長様の命である」
「やはり、そうでございましたか」
「其方が思った通りだ。桟橋が完成した後に資材置き場は、山崎城の資材置き場に転用される」
「益々、協力できなくなりました」
「ふふふ、其方は勘違いしておる。織田家は桟橋などとうでもよいのだ。あの場所に資材置き場を作るのは決定である。今川勢が邪魔をするなら蹴散らすだけだ」
「できますか?」
「今川の兵の駐留費をケチる今川義元が、自らの兵を送ると思うか」
「まずは山口の兵を送るでしょうな」
「その通りだ。だが、山崎に兵を送れば、市場城辺りは手薄になる。熱田水軍がそこを付いて攻める。山崎から兵を引けば、資材置き場を作る。それを繰り返すだけで山口勢は疲弊する。資材置き場を建てるのに手間は掛からん。まぁ、山崎城の再建には時間が要するだろうがな」
図書助殿が余裕の笑みを零すと住職が悩み始めた。
私は信長兄上の内情を知っているので、それが可能になるのは半年以上もあとになると知っています。しかし、住職にとって今も半年後も変わりありません。
どちらに付いても山崎の資材置き場で戦は起るのです。
「今川家に付いた白毫寺に信長様は容赦されないでしょう。果たして、今川様は白毫寺を守ってくれるでしょうか?」
「それを言われるのは汚い。図書助様なら我らの立場をお判りでしょう」
「山崎で戦になれば、信長様は白毫寺とその門前町での乱取りをお許しになるでしょう。そして、其方が今川に知らせた為に起った戦の費用を、山口殿は白毫寺に要求してくるかも知れません」
「ない……と言いたい所ですが、減った食い扶持をどこかで埋めたい。あり得る話ですな」
図書助殿はそこで茶を一杯頂いて、茶を飲み干してから熱田衆の意見を言ったのです。
そう、最初に織田家の立場、それから熱田衆としての立場です。
「織田様にとって白毫寺は取るに足らぬ寺です。しかし、熱田衆にとって鎌倉街道を使って頂く為に、白毫寺の門前町が無くては困ります。伊勢湾を渡り、熱田に辿り着く。熱田から白毫寺、知多を渡って三河湾を船で移動する。海の道は非常に便利だ。東海、関東、奥州の者が京や伊勢に向かうのに利用しております」
「その通りでございます」
「織田家と今川家の戦など関係ありません。人が通らねば銭が落ちません」
「如何にも」
「熱田衆は白毫寺が焼失しては困るので助け船を出しております。内々に協力して頂ければ、信長様より乱取りの免除状を頂く事もできます」
「しかし、それでは今川が怒ります」
「ですから。桟橋ができた頃合いで市場城の山口家に織田方が山崎城を再建の兆しがあると通報されればよい」
「宜しいので?」
「先程も申しましたが、山口勢を引かせる為に市場の辺りを熱田水軍が襲う事も一緒に言えば良いのです。そして、山崎城の再建を織田家にさせ、完成間近に織田家から奪い取るのが上策ではないかと唆すのです」
「なるほど、それは良い策ですな。塩の市場を荒らされたくない山口家は乗ってくるでしょう」
「今川の兵の駐留費を出さない今川家が、山崎城の再建費を出す訳もございません。早々に山崎城を奪取しても、再建費は山口家が追う事になると囁けば、再建費を織田家から奪い取ると、今川様に申し出るでしょう」
「然すれば、白毫寺は織田様と密約を結び、今川家を裏切っていないとなりますな」
「その通りでございます」
今川に襲われる事を恐れていた白毫寺の住職が折れた。
山崎の資材置き場の縄張りが始まり、稲刈りが終わると同時に人を送ります。
冬の間に白毫寺の桟橋と山崎砦が完成するでしょう。
信長兄上も尾張の平定が終わらないと、対今川に取りかかれません。
足掛かりさえ得れば、山崎城は急がないのです。




