第三十二話 魯坊丸、佐久間盛重の協力を得る。
〔天文二十三年 (1554年)六月〕
大学允 (佐久間-盛重)さんは話が判る方でした。
佐久間家は家盛が鎌倉幕府より御器所を拝領し、御器所西城、御器所東城、吉野城、南分城、川名南城、川名北城、伊藤城を持つ大豪族であった。熱田神宮との関係は良好であり、私一人で出向けば、話はあっさりと終わったのでしょう。しかし、一族の信盛殿に紹介して頂くのが普通と考えます。
大学允の屋敷に到着すると、大広間に通されて集められた佐久間一門衆に睨まれました。
「どの面を下げて戻ってきた」
「信長様のご命令でございます」
「儂は『うつけ』に付く気はないと言った。儂の命に逆らって、お前はそれでも信長に付くと言って出ていったのであろう。手柄は立てたのか。家老くらいになったのであろうな」
もの凄い怒りの形相で威圧を出してまくってきます。
信盛殿は長の命令に逆らって信長兄上に付いた。信長兄上が家督争いで勝ったので信盛殿の目は間違っていません。しかし、信盛殿が戦場で手柄を立てた記禄はありません。
戦場で活躍し、感状の一つ。あるいは、重臣か、家老に取り立てられるまで「戻る事は相成らん」と誓いを立てて出ていったそうです。
「信長様より山崎を拝領致しました」
「ほぉ、それは目出度い。すぐに祝いの品を届けよう。其方の屋敷は山崎のどこにあるのだ」
「まだ、ありません」
「いつ完成する。完成次第、足を運んでやろう」
私はこの時点で悟りました。
信盛殿は一人で帰りたくないので私を誘ったのです。佐久間家の協力が得られると思って描いた策でしたが、根幹から瓦解してゆく音が聞こえました。
大学允さんがお調子者と言って罵倒しますがまったくです。
自分に都合の悪い事を隠蔽し、交渉に必要な情報を隠すとか最低です。
山崎の資材置き場を完成する為の資金は熱田商人に出して貰いますが、人手はこちらで用意すると交渉してきました。
その前提がいきなり請われたのです。
どうしてくれます⁉
私は信盛殿を睨みましたが、信盛殿は目を逸らすのみです。
腹を割って話すしかありません。
「大学允様。兵と人でをお貸し頂けませんか」
「儂が手伝う義理はない」
「そこ曲げてお願い致します。今川勢の進出を止めるのに山崎城の再建が欠かせません。敵方に取られると、こちらから反撃する手を一つ失う事になります。熱田の安全、その背後にある御器所の安全の為にお力をお貸し頂きたい」
「うむ。それは判った。だが、山崎が信盛では心許ない。城主をこちらで決めさせて貰ってよいか」
「それを私が決める事はできません」
「ならば、聞いてくればよい」
大学允さんの意見はもっとだと思った。
私も肝心な情報を隠蔽する信盛殿が城主で大丈夫かと疑います。しかし、大学允さんは信勝兄上を推しており、大学允さんが推す城主は信勝派となります。
信長兄上が認める訳がありません。
万策尽きました。
信盛殿が誰にでも調子のいい事ばかり言っているからです。
後ろで、楓が「失礼します」と声を上げ、私の横にやってくると、「若様、これをお忘れでございます」と手紙を差し出してきた。
裏面を見ると、林-秀貞と書かれています。
「楓、これは?」
「以前、お預かりになられた手紙でございます。林様と佐久間様は旧知の仲と窺っております」
「忘れていました」
「佐久間様がお断りになれば、林様を頼ると良いのではありませんか。若様の頼みを断った佐久間様を林様がどう思われるかは知りませんが……」
楓が含み笑いを大学允さんに見せた。
林-秀貞殿が動けないので、自分の代わりに私を助けて欲しいと書かれた手紙です。清須取りで使わないので忘れていました。時期が異なりますが、ダメ元です。
私は改めて林-秀貞殿の手紙を差し出しました。
大学允さんがそれを開いて読み。読み終えると、横の一門衆に回しました。
「些か、時期が違いますな」
「はい、お察しの通りでございます。佐久間殿のお力を借りずに清須取りができました」
「魯坊丸様が清須取りの一枚噛んでいたとは知りませんでした」
「秘中の秘でございます。他言無用でお願い致します」
「魯坊丸様に佐久間家が頼りにならんと思われて、林家に行かれると、この大学允の面目が立ちもうさん」
「面目ですか?」
「佐渡守 (林-秀貞)には、何度も戦場で助けられた借りがありもうす。佐渡守の手紙を見せられて、それでも断ったとあっては佐渡守に会わせる顔が無くなってしまいます」
「それでは、お手伝い頂けますか」
「儂の面目を守る為だ。文句はないな」
大学允さんがそういうと、一門衆の方々が「仕方ありませんな」と口々に言って、山崎砦に関する質問が始まりました。もう信盛殿の事など忘れたようで、秀貞殿が認めた子供がどんな策を考えたのかと興味が沸いてきたようです。
秀貞殿と大学允さんの仲が良いのを忘れていた私の失策でした。
楓の機転で難を乗り越えられました。
あとで秀貞殿へ感謝の手紙を書いておきましょう。
信盛殿は役立たずでした。
猶、信盛殿は佐久間一門が手を貸してくれた事を自分の手柄のように信長兄上に報告したとか。
ホント、信盛殿は太鼓持ちのお調子者です。