第三十一話 魯坊丸、佐久間家へお出掛けの朝。
〔天文二十三年 (1554年)六月〕
朝の鍛錬を終えると朝食です。
ほとんど相手をできていませんので穂(本多忠真の姪)と一緒に取るようにしています。侍女見習いの駒(井伊分家の遺児)が五穀米を大盛りによそって渡してくれます。
母上からしっかり食べなさいと言われているのでおかわりを頼みます。私が一杯を食べている間に穂は三杯目のおかわりを終え、おかずの魚や沢庵、吸い物も空になり、駒が沢庵と吸い物を取り替えます。魚のおかわりはありませんが、沢庵と吸い物のおかわりがあるのです。私も頑張って二杯目を完食しました。
「ごちそうさま」
「ごちそうさまでした」
「穂、何か不自由な事はありませんか?」
「何もありません。今日もお腹いっぱい食べられて幸せです」
私はお茶碗二杯(一合、150グラム)を食べますが、穂は五杯(二合半、375グラム)を食します。穂が大食いなのではありません。一日五合が普通であり、私が小食なのです。戦場では兵は一日十合の飯を食べるとか……お腹が膨れて動けなくなりそうな気がします。
「忠真様から手紙を頂きました。ずいぶんと苦労されているようです」
「はい。三河では食べるものがなく、粟粥を水で薄くのばして空腹を満たしておりました」
「それは大変そうですね」
「大変です。戦がないときは森で食べ物を探しに行けますが、戦になると家から出られません。減ってゆく米びつを見ると悲しくなってゆくのです」
穂の話は苦労話が多い。
矢を買う為に母の花嫁衣装を売ったとか、美味しそうな茸が毒茸だったとか。中野家では食べ物の心配をせず、礼儀作法の勉強ができ、巧くできると褒美にお菓子が貰える。そのお菓子が美味しいと嬉しそうに語ります。その笑顔を見るとほっとします。
「でも、礼儀作法は駒さんの方が巧いのです。私も負けていられません」
「そんな事はございません」
「いつも私より先にお菓子を貰っているではありませんか」
「すみません」
「謝る事ではありません。私も駒さんに負けないように致します。一緒に頑張りましょう」
「はい、穂様がそうおっしょるならば」
「魯坊丸様を一緒にお支えできるようになりましょう」
「はい」
母上は穂、駒、里の三人を競わせています。
二人は妹の面倒見も良いので仲のよい姉妹のように見えるらしく、仲がよいのは良い事です。ただ、穂と話すと食べ物の話になってしまいます。
「穂、忠真様に手紙を書くのはよいですが、そこでいくつか注意して欲しいのです」
「何かいけませんでしたか?」
「穂が悪いのではありません。ただ、織田家と今川家は敵対しているという事を心得て欲しいのです」
「はい?」
判っていない穂の為に説明を加えます。
今川家の年貢の取り立てが厳しい。名主が今川の代官に石高をお知らせする。その報告を元に年貢が徴収されます。年貢が足りないと処罰されます。しかも、その年の出来はあまり良くなかったとか考慮してくれないそうです。
「年貢が厳しくなったのでございますか」
「六公四民から増えた訳ではありません。しかし、年貢量の取り立てが厳しくなりました。違反すると処罰されるみたいです。岡崎に入っている今川の城番は領民の事を考慮してくれないと書かれていました」
「そうでございますか」
「しかも課役と兵役が以前より増えています。その負担はすべて領主の負担です」
「はい、以前からそうでございます」
「当主は家臣と領民の顔色を見ますが、城番は義元殿の顔色が気にします。領民を思って課役や兵役を減らす事はありません」
「そうですね」
駿河の人質に出した竹千代が岡崎に戻れば、少し良くなると領民は考えている。
しかし、岡崎に戻った竹千代は、義元殿と領民の板挟みになるに違いない。
私が信長兄上の無茶ぶりに悩むように……大変そうです。
「それで畑ではない荒れ地に綿の種を捲き、綿の実を収穫するようになりました」
「荒れ地?」
「荒れ地という事にしているのです。今川の御用商人に綿畑で出来た綿をすべて売る事になっています。それでは熱田商人に売る綿はありません」
「あっ、なるほど。畑で取れた綿は売れません。しかし、荒れ地で育った綿は熱田商人に売れます」
「熱田商人も危険を承知で買い付けに行っておりますが、敵である織田家の者と取引をしたのは都合が悪いそうです」
「叔父上がそう言ってきたのですか?」
「はい。熱田は織田家に味方しています。ですから、三河武士は敵方である熱田商人の銭を奪うそうです。対して熱田商人はあばら屋においてあるゴミを奪ってゆく。手紙に熱田商人と取引をしているような事は書かないようにして欲しいと言ってきました」
「ゴミとは?」
「荒れ地で育った綿の実から取れた綿です。三河武士は敵の熱田商人から銭を奪い、武士でない者の命まで取る事はしません。そして、助かった熱田商人はあばら屋のゴミを持ち帰っていった。そういう建前で他の村の方々も綿を売ってくれるようになりました。間違っても熱田商人と取引していると書かれると都合が悪いそうです」
「承知致しました。これから気を付けます」
こちらは駿河に売られる綿を横取りしているので芝居に付き合う。
今川方に知れて、いつ終わってもいいように、種を貰って綿の栽培をはじめている。
私は三河から綿の種を手に入れましたが、どこから手に入れたのか知りませんが、中村村や津島の方でも綿の栽培をはじめていると聞こえてきます。
東海から手に入らなければ、西国から手に入れたのでしょうか?
いずれにしろ、駿河『友野』が商う木綿の独占もそう長くないと思えました。
木綿の値が崩れれば、三河で買う意味も薄れます。あと四、五年はもって貰いたいです。
「魯坊丸様、今日は佐久間様のお宅に伺うと聞きました。どんな方なのですか?」
「佐久間-盛重殿は勇猛な武将と聞いております。私も遠目でしか見た事がありません。さくら山を挟んだ北に領地を持たれ、鎌倉時代に御器所を領地に頂いて、関東から下ってきた一族です」
「関東から……鬼のようにお強いのでしょうか?」
「どうでしょう?」
関東は鬼を多く輩出する土地であり、怨霊平-将門の例もある。強い武者が多いと思われています。
盛重殿は猛将と言われているので強いに違いありません。
「盛重殿とは会って話すしかありません。問題は信盛殿です」
「信盛様は度々来られているお方ですね」
「そうです。山崎砦の建設に多くの兵を動員しません。あくまで白毫寺の仕事です。今川に敵対する工事ではないのです。今川を騙す為に兵は少ない方がよい。ですから、那古野の兵を動員する予定はありませんと、信盛殿にそう言ったのです。すると、信盛殿は信長兄上に那古野の兵を一切使う事はございませんと断言してしまった」
「何か拙いのですか?」
「那古野の兵を使う予定がないのと、一切使う事はございませんでは意味が違います。もしも今川方に知れて、兵を送ってきた時、那古野にも援軍を求める事になったら、嫌味を言われるのは私ですよ」
「それは大変です」
「信盛殿は飛んだ太鼓持ちです。考えがないのも程があります」
「どう対処されますか?」
「今川方にバレない事を祈るだけです」
「祈るだけですか?」
「祈るだけです」
穂が首を捻って聞き返してきたが、私の答えは変わらない。
半年だけです。
バレない事を祈るだけです。




