第二話 信長、寺を焼く。
〔天文二十一年 (1552年)三月三日〕
父上が亡くなったと聞いた私は、すぐに城に戻る事に決めた。
私を迎える為になると砦の中に屋敷が建てられ、中根南城と改名された。
私の住処は中根南城である。
私は大宮司千秋季忠様に取り次いで貰って城に戻る事を告げる。
「大宮司様。至急の用事ができました。今日はもう城に戻らせて頂きます」
「魯坊丸様に連絡が届きましたか。ですが、まだ誰も知らぬ事です。末森に入れた熱田の者が知らせてくれたのです。中根-忠良殿と母君以外には話してはなりません」
「承知しました」
「落ち着くまで神宮に来る必要はありません。屋敷で祝詞を復習しておきなさい」
「そうさせて頂きます」
「魯坊丸様は大殿や信長様に似て聡明ですね。将来が楽しみです」
大宮司様は父上にぞっこんだ。
美濃の戦で先代様と兄上様が亡くなると、まだ若い大宮司様は途方にくれた。そんな大宮司様を支えて、熱田神宮に多額寄付をしたのが父上だった。
しかも反乱した笠寺山口家を滅ぼし、分家の山口-教継様を後釜に据えると、大宮司様を笠寺の別当に推挙した。
笠寺は塩を造っている。その塩は美濃や信濃方面に売買しており、熱田神宮は大きな収入を得る事になった。
大宮司様の父上への感謝は絶大なものとなっている。
しかし、信長兄上が聡明という意見には賛同できない。
神宮から馬に乗って出てゆく私を大宮司様が見送ってくれる。
大宮司様は優しい方だ。
でも、大宮司千秋季忠様の目に信長兄上はどのように見ているのだろうか?
ぱっかぱっかと馬が進む。
中根南城まで四半刻 (三十分)も掛かる。
気持ちがせく。
私が心配しているのは、信長兄上と信勝兄上の家督争いだ。
嫡男だが信長兄上は家臣団から『大うつけ者』と誹りを受けており、その家臣団は信勝兄上を次期当主に押している。
信長兄上は那古野城主だ。
その那古野の筆頭家老林-秀貞殿が信長兄上を罵倒しており、信長兄上の評判がすこぶる悪い。
秀貞殿は父上が『我が典韋』と褒め讃えて迎えいれた腹心だ。
典韋とは、三国志演義に出てくる猛将であり、魏王の曹操を守る為に命を張った忠義者だ。
秀貞殿は戦で先頭に立ち、父上に従って勝利を掴んだ。
そんな父上の腹心が信長兄上と喧嘩をして、仲違いとなって信長兄上を罵倒する。
そんな状態だから信長兄上の評判が悪い。
父上が亡くなって、織田弾正忠家は大丈夫なのだろうか?
中根南城に戻ると、中根-忠良養父と母上との会見を申し出た。
養父は私を城の主としている。
だから、呼び付けても怒らない。
だが、母上の再婚者だから俺の養父で間違っておらず、養父を家臣のように扱うのは間違っていると思った。
だから、呼び付けるのではなく、こちらから出向く会見を望んだ。
さくらを使いに出すと、すぐに戻ってきた。
「鳳凰の間でお待ちでございます」
「養父殿も忙しいのでなかったのか?」
「魯坊丸様の用事より忙しい用事はないと申され、すぐに移動されました。奥方様もすぐに入ると思われます」
「判った。では、行こう」
七歳 (満六歳)の私には養父の忠義は重すぎる。
俺の母は熱田の商人大喜-嘉平の娘である。大喜家は井戸田荘を治める大領主であり、長老であり、大喜屋の主人大喜-五郎丸の影響力は大きい。
父上が熱田衆を味方に付ける為に、熱田一の美少女と呼ばれた母上を愛妾にして、俺を孕ませた。そして、中根-忠良養父に預けた。
祖父の嘉平の妻が三河にある中根本家の娘だからだ。
つもり、私には中根家の血が流れており、中根家を継いでも誰も文句を言わない。
さらに、祖父の母方が長根荘の長の娘だった。
長根荘とは、中根南城が治めている領地である。
熱田神宮から見て、東に田子荘、井戸田荘、長根荘、八事荘と続き、すべて熱田領である。
この内、井戸田荘と長根荘の血を持つ私は熱田領を治めるのに都合が良いと、父上は考えて忠良養父に母上ごと預けたのだ。
熱田神宮もいずれ領主の私を餌付けしようと大事にしてくれる…………た。
父上が死んだので、すでに過去だ。
鳳凰の間には養父と母上がすでにいた。
身内の者しかいない時は、俺が上座に腰掛ける。家臣一同を迎える時は、養父が上座に座り、俺はその横に腰掛ける。
これが中根家の流儀だ。
物心ついた頃からずっとそうだった。
最近、養父の方が偉いのでは、そう考えて席を譲ろうとしたが、頑なに拒否された。
座り心地が悪くなった上座に座った。
「魯坊丸様。急なお帰りですが、如何なさいましたか」
「他言無用だ。大宮司様からそう言い付けられた」
「承知しました。して、如何に」
「父上が身罷られた。四、五日もすれば、皆に伝わると思う。準備をするようにとの仰せだ」
「承知致しました。すぐに守りを固め。素知らぬ顔で末森に登城致しましょう」
「宜しく頼む」
「ご安心下さい。大殿より預かった魯坊丸様をお守りするのが某の役目でございます。何があってもお守り致します」
「頼りにする」
「お任せ下さい」
そう言うと、忠良養父は領内の守りを固める為に部屋を出ていった。
父上が亡くなったと知れれば、領内が荒れる。
領内が荒れると知れると、悪党・野盗・盗賊が押し寄せ、領内を荒らす。
悪党というのは領地を追われた落ち武者であり、虎視眈々と領地奪還を狙っている。
普段はどこかに厄介になるか、盗賊の真似ごとで食い繋ぐ。
織田家と今川家が争っているから、熱田から追い出された者は飯を食わすだけで、勝手に先鋒として攻めてくれるありがたい存在である。
父上が亡くなったと知れば、こぞって熱田を襲いにやってくる。
野盗は言葉通りの盗人だ。
土地を追われた農民らが身を崩して、腕に自信がある者が野盗になる事が多い。
戦になると陣借りで現れ、手柄を立てて家臣に取り立てて貰う事を夢みる者らだ。
父上が警備する土地で暴れる事はない。
人が少ない街道や村同士が争っている所に現れて悪さをする。
盗賊は野盗が徒党を組んだ一団だ。
放棄した廃城を乗っ取って、腕にものを言わせて領主に転じる者も多い。
一人、二人。三人、四人の野盗なら討伐も楽だが、三十人以上になると討伐も楽ではない。
抱えている家臣が死ねば、大損だ。
大きな領主も討伐するより、家臣と認めて手勢に加える方が楽と考える。
だから、父上の配下にも川並衆という川賊を配下にする者もいる。
いすれにしろ、領地が荒れれば、悪さをする者がでるのだ。
忠良養父が部屋を出てゆくと、母上が近づいて、ぎゅうと抱きしめてくれた。
母上が少し震えている。
「魯坊丸、しっかりしなさい。これから中根南城を支えるのは貴方の役目です」
「私ですか?」
「大殿が亡くなりました。中根家を支えるのは貴方しかいません」
「忠良養父がいるのではないのですか?」
「いいえ、貴方が中根家に指示を出すのです。忠良様に任せてなりません」
「何故ですか?」
「忠良様は大殿の命で貴方に仕えています。その大殿が亡くなりました。忠良様が信長様、信勝様、あるいは、今川方へ寝返るとなると、貴方の首を手土産にするかもしれません」
「まさか」
「そのまさかが戦国の世では起こるのです。中根本家は今川方にあります。大殿が亡くなれば、調略の手も伸びてきます。油断してはなりません」
「ですが、私はまだ元服もしておりません」
「いいえ、魯坊丸ならできます。貴方には、井戸田荘を治める大喜家の血と長根荘を治める村上家の血が流れております。中根南城に仕える者の多くは井戸田荘と長根荘を領地としている地侍です。忠良様より貴方への忠誠心が強い。ゆえに、忠良様は貴方を裏切る事はありませんでした」
「では、これから違うのですか?」
「違います。これまでのように横で座っているのでは駄目です。評定の時は必ず意見を言いなさい。そして、貴方が自分で判断して、忠良様に『これで宜しいですか』と問い掛けなさい。家臣らが貴方に忠誠を誓う限り、忠良様は貴方を無視できません。これまで通り仕えてくれるでしょう。判りましたか」
「はい、努力します」
私は母上から難し過ぎる課題を与えられた。
考え過ぎて眠れない。
外は真っ暗だが、城はがさがさと騒がしい。
母上は私の代わりに城の者に指示を出しており、武具の手入れ、兵糧の手配など忙しい。
義理の兄である忠貞は養父の代わりに領内を巡回している。
そこにバタンと部屋の障子を開けて、さくらが駆け込んできた。
「若様、大変です」
「さくら、今は夜中だよ。降らない事で若様を起こすな」
「何かあったの?」
「信長様が、信長様が、大殿の回復祈願をしていた僧侶の寺を放火しました」
私はがばっと掛け着物 (掛け布団)を払って起き上がった。
寺を放火だって?
寺や神社を敵に回しても、何一ついい事なんてないぞ。
信長兄上は何を考えているんだ。
私は織田弾正忠家への先行きに不安のみが積み重なっていった。
織田信長が父の信秀の回復祈願した僧に「必ず、父上を回復させよ」と命じ、僧が「我が法力で回復させます」と答えた。
しかし、信秀は死んだ。
怒った信長が、其方等の法力で火を消してみよと言って、寺に放火した。
このような文献は残っていません。
しかし、逸話として残っています。
前世の作家が面白可笑しく、脚本したような気がします。
そもそも『桶狭間の戦い』で信長が迂回して奇襲したという話は第一資料に残っていませんが、江戸時代の軍記ものに書かれ、明治の陸軍参謀本部が配置図まで作成しています。
尾びれが凄いです。
信長が信秀の死に寺を放火した話も尾びれと思いますが、この作品では採用しております。