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第二十四話 信長、斎藤道三の隠居に驚く

〔天文二十三年 (1554年)三月中旬〕

 魯坊丸が清須周辺に暗躍している頃、二度目の清須攻めを終えて不機嫌であった。しかし、清須周辺で田植えの準備をする村々を焼き、清須へ追い詰めた。前々回の清須攻めはすでに無くなった中市場に続き、東市場、北市場、西市場を潰して、清須の物流を潰していた。

 清須に続く街道を封鎖した事で、物量と生産を潰した。

 清須城に追い詰められた領民は城の蓄えを食い潰し、兵糧攻めが信長の目的である事を清須勢も気付いただろう。

 実際、城攻めに失敗した信長が斯波-義親 (後の義銀)にも二回の清須攻めで兵糧攻めの準備が整いましたと報告していた。

 だが、あわよくば攻め落したいと考えていたからだ。

 信長は紙に清須城を書き、東に五条川、西に内堀となる三日月湖に守られた絵図を書く。

 北の正門には三ツの曲輪があり、攻め難い。

 南は五条川が蛇行して攻め口を細長く限定される。

 長年、守護代の居城として整備されており、土塁は高くその上に高い壁で守っていた。

 鉄砲で清須城の弓隊を攻めたが、村木砦のような効果はなかった。

 清須の東西には湿地帯が広がり、水田が多い。

 南北に延びる美濃路から攻めるのが、通常の攻め口となった。

 難しい顔をする信長に後ろから帰蝶が声を掛けた。


「殿、何か、お困りのようですね」

「帰蝶か。いつからいた?」

「先程です。三人寄れば文殊の知恵と申します。お聞かせ下さい」

「困っておらん。平手の爺ぃが残した策は順調である。こちらが兵糧攻めを狙っていると気付いて、焦っているであろう」

「美濃の塩屋が儲け話を頂いて感謝しておりますと、手紙を送ってきました」

「前回は市場をすべて焼いてやったからな」

「街道の封鎖も始まりました。塩屋の物資の価値が上がった事になります」

「岩倉の信安様が協力的でない事が気になる」

 

 故織田-信秀が亡くなると、岩倉城の守護代である織田-信安と犬山の織田信清(信康の子)と所領で争い、その信長の判定に不服を持っていた。

 それ以降、信安の態度が横柄になっていた。

しかも去年 (天文二十三年)は家老稲田(いなだ)-大炊助(おおいのすけ)を信長に内応していると処分した。

 今川と清須で手一杯の信長が岩倉城を狙っているような対応に焦っていた。

 和解しようと使者を送ったが、信安は臍を曲げた儘であった。


「川並衆と林家が五条川を使って荷を運ぶ者を捕らえ、その荷を我が物にしてよいと、ご命令になったので頑張っております」

「その川並衆に守られた塩屋の舟のみが清須に入れる」

「ワザと包囲に穴を空け、兵の離反を唆すのは見事でございます」

「うむ、平手の爺ぃは名将よ」

 

 その平手政秀に頼まれて、実効しているのが魯坊丸であったが、信長は魯坊丸を褒める事はなかった。

 次に清須を攻めた時、士気がどれほど下がっているかが重要であった。

 どこか付け入る隙がないかと、自分で書いた絵図を睨んだ。

 

 数日後、美濃から堀田道空がやってきた。

 昨年の『正徳寺の会見』を仕切った美濃取次役の一人であり、前津島天王祠官(てんのうしかん)である堀田(ほった)-正貞(たださだ)の子である。

 美濃は織田家と同盟を結んだ事で物流が盛んになり、津島はその中継地として大きく機能していた。

斎藤利政が津島との関係を考えて道空を召し抱え、織田家の取次役を命じていた。

 その道空から発した言葉に信長が驚いた。


「この度、斎藤利政様は隠居されて道三と名を改められました。猶、新たな当主として斉藤-高政(たかまさ)様がお付きになられました」

「利政様が道三と改めて出家されたのか⁉」

「正確には、天文十八年 (1549年)に織田家と同盟を結んだおり、頭を削がれて出家されておりました。政務を高政様に譲られて隠居された事を告げに参りました」

「で、であるか」

 

 信長にとって『青天(せいてん)霹靂(へきれき)』であった。

 ※晴天の霹靂は、青く晴れ渡った空に突然雷が鳴るように、思いがけない出来事が突然起こること。

 村木砦の戦いで兵を貸し出してくれたのは利政 (道三)である。

 同等の事を高政に期待できるのか?

 その疑問が脳裡に走った。


「某、一人事をしゃべりたくなり申した。宜しいですかな?」

「許す」

「織田家と同盟を結んだ美濃では大きな変化が起りました。美濃路と東山道 (中山道)での物量が増え、稲葉山城付近から西美濃が多いに湧いております」

「であるか」

「しかし、朝倉家とは和睦しておりません。敦賀や一条谷を結ぶ街道は開けておりません。美濃の北部と南部では貧富の差が酷くなっております。道三(利政)様もいろいろと苦労されておりますが、すべてが巧く行っている訳ではございません。そこに『村木砦の戦い』が起こりました。武将らは織田家から領地を切り取る機会と思ってしまったのです」

「道三様の考えではあるまい」

「道三様は信長様の勝利を疑っておりませんでした。ただ、鮮やか過ぎました。根回しが終わらぬ内に戦が終わってしまったのです。援軍を送る必要がどこにあったのかと責められました。もちろん、陰口でございます」

「であったか」

「信長様より十分過ぎる礼金を頂きましたが、戦で領地を奪うつもりだった武将の苛立ちは消えません。そこで隠居して、土岐(とき)-頼芸(よりのり)様の一粒種である高政様に政権をお返しするので鎮められたのです」

 

 信長は横で一緒に聞いていた帰蝶の方を見ると、帰蝶が首を横に振った。

 高政は頼芸の子ではない。

 しかし、頼芸の愛妾であった深芳野(みよしの)を道三は褒美として頂いた。

 その深芳野が最初に産んだ子が高政であった。

 頼芸を追放した道三は、高政は頼芸の子であると風潮して困難を乗り切ろうと考え、その策を再び掘り返した。


「道三様はお変わりないのだな」

「隠居されましたが、外交と軍事は道三様が握っておられます。美濃国内に限った処置でございます」

「では、さっそく高政様へ祝いの手紙を書く。しばし待たれよ」

 

 信長は祝いの手紙を道空に持たせると、次に祝いの使者を決め、多くの土産と一緒に美濃へ送り出した。

 義理兄の高政との友好を結ぶ為であった。


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