第二十三話 魯坊丸、川賊の頼まれる(蜂須賀小六と知り合う)
〔天文二十三年 (1554年)三月中旬〕
今川目録を知っているのでしょうか?
今川家の先代である氏親殿が書いた分国法です。土地を持っている百姓を本百姓、名主と定め、地頭に年貢を納める義務を課しました。その他にも境界の有無、訴訟を明確化し、主従のあり方などを細かく定めたものでした。
特に問題なのが守護使不入の破棄です。
三河武士の多くに幕府御家人がいます。この御家人は年貢を自ら取る事ができ、訴訟を裁け、臨時の徴収を行う特別な権利を持っていました。それを破棄すると言ったのです。
しかも関所も廃止すると宣言しました。
御家人や神社・寺は街道に関所を設け、その関税を大きな収入にしている者も多いのです。
これを禁止し、すべて今川家が独占する。
御家人や神社・寺が今川家を嫌う理由なのです。
だからこそ、今川家へ謀反を唆しやすいとも言えました。
義元殿はその三十三箇条に、去年 (天文二十二年)二月二十九日、二十一箇条を追加したそうです。
守護の権利を拡大し、守護使不入を強化しました。
三河武士や浄土真宗の本證寺などが織田家に親切になる訳です。
祖父大喜-嘉平は塩馬借を商っており、美濃の塩屋とまったく縁がない訳ではありません。
しかし、清須へ密輸する五穀米を熱田馬借『橘屋』が運んでは怪しまれます。
輸送は生駒家の馬借に頼んだそうです。
生駒家は大和を拠点にする馬借ですが、北尾張に分家の生駒家が根付いており、拠点の一つとして利用していたからです。
生駒家の居城は北尾張の小折城です。岩倉城の北に一里 (4キロ)ほど歩いた所にありました。
近くに五条川が流れており、荷を一度卸すのに丁度よい場所でした。
当主の家宗殿から面白い話を聞かせて頂きました。
「魯坊丸様、わざわざ足を運んで頂いて申し訳ございません」
「面倒な事を頼んだのはこちらでございます」
「何のおもてなしもできず」
「いえいえ、私は旗屋の金田でございます。反物を卸しに参ったまで。おもてなしをして貰う立場でございません」
「わずかな供だけで視察されるとは、信長様に似て、豪胆なお方ですな」
信長兄上もわずかな供を連れて岩倉城を訪ねたらしい。
岩倉城の守護代織田-伊勢守-信安様は信長兄上を猿楽に誘うほど仲がよく、その途中の生駒家で足を休めた。
当時、岩倉の南の小田井の織田-藤左衛門家と争っていたので、岩倉城から北に上り、一宮と犬山を繋ぐ脇道を通って通ったらしい。
しかし、家宗の娘をいたく気に入って、幼名の吉法師に因んで、「吉法師のもの」という意味を込めて、“吉之”という名を与えた。
「そう言えば、魯坊丸様の母君を大殿 (織田-信秀)と取り合ったという噂を有名ですな」
「恥ずかしい限りでございます」
「魯坊丸様は母君に似て美しい。信長様も気に入っているのではありませんか」
「まだ元服もしておりません。況して、信長兄上の小姓になる気もございません」
「あははは、そうでございますか」
信長兄上の趣味は年上の美人好きで、小姓は元服したばかりの美少年を好む。
つまり、私が元服に近づくと信長兄上の好みになると冷やかされた。
信長兄上に迫られ、「魯坊丸、愛い奴じゃのぉ」と囁くのを想像するだけで背筋がゾワゾワとした。
信長兄上は危険かも知れない。
その吉之さんは美濃の土田家に嫁いで、信長兄上が肩を落として落胆したそうだ。
生駒屋敷を出て荷を運んでいる蔵に向かった。
木曽川から来た舟から荷を蔵に運び込んでおり、そこで熊のような体の大きい男から声を掛けられた。
「ここは関係者以外立ち入り禁止だ。どなたかな?」
大きな体を見上げて、その殺気に体が震えた。
すると、さくらが脇差しに手を掛けて、私の前に出ると、「名を聞く前に、名を名乗れ。無礼者」と叫んだ。
嫌々嫌、商家の息子にその対応はない。
大男は膝を付くと、頭を下げて名乗った。
「某、川並衆を率いております。蜂須賀-小六と申します」
「川並衆、川賊でしたか」
「川賊でいけませんか」
「安心しなさい。魯坊丸様はそのような身分を気にされるお方ではありません」
「魯坊丸様ですか」
私は思わず、額に手を当てた。
金田として、ここにいる言い訳を考えている間にさくらは暴露したからだ。
もう隠して仕方ないので正直に話した。
「ここでは金田とお呼び下さい。熱田の呉服問屋の『旗屋』の息子となっております」
「ほぉ~、その金田様はどこの方ですか」
「織田-信秀の子です。此度、信長兄上の密命により清須への荷入れを仕切っております」
「信長様の密命でございましたか」
大きな熊の口元がニヤリとした気がしました。
清須に五穀米三十俵を運ぶのは川並衆の川賊らしく、川賊は銭さえ貰えば、どちらの味方にでも付く。実際にそうなのでしょう。
ですが、銭払いが良ければ、裏切らないと考えましょう。
清須に荷を下ろした後に探ってほしい事を述べました。
その情報は別途に銭を払うというと、今度は豪快にニヤけます。
「金田様、もし宜しければ、この者を雇ってくれませんか」
荷を卸していたへっぴり腰の痩せた小柄な男に「藤吉郎、こっちに来い」と呼びかけます。
頭に被っていた頭巾を外すと、剥げた頭と猿顔が出てきました。
小走りで小六の横にやってきます。
「この者はつい先日まで今川方の松下家に仕えておりました。算術ができますので重宝されていたそうです。しかし、向こうの都合で放免となりました」
「放免ですか?」
「別に悪さをした訳ではありません。藤吉郎、自分で説明しろ」
藤吉郎、元は那古野の中村村に生まれた百姓の子であり、日吉と呼ばれていた。
父の弥右衛門が戦で亡くなると、母は実家の中村村に戻って竹阿弥と再婚したが、日吉とは相性が悪かった。日吉は針行商となって遠江まで針を売りに行っていたが、そこで松下-之綱に気に入られて召し抱えられ、木下-藤吉郎の名を頂いた。
「今川様が今川目録を加えされました。そこに領地を持たぬ他国の者を召し抱えてはならぬとあっただ」
「追加の今川目録ですか。聞いております。他国の者を召し抱えてならないのですか?」
「はい。土地を分け与えて貰える者はその限りではないだが……新参者のおらに分ける土地はなかっただ。仕方なく尾張に戻り、小六様の世話になっているだ」
松下家は算術ができる家臣が少なく、藤吉郎が重宝されたようです。しかし、蜂須賀家は財政を取り仕切る文官がおり、算術を囓った程度の藤吉郎では役に立たない。
体が小さく、川賊として才能もないそうです。
「どうか、お願いしますだ。おらを雇ってくだせい」
藤吉郎が頭を地面まで平伏して頼んでくる。
小六も「根はいい奴だ。何とかならんか」というのです。
小六に恩を売っておきたいので引き受けます。
しかし、中根南城も文官が揃っており、藤吉郎の居場所はなさそうです。
どうしましょうか?
首を捻りながら、藤吉郎を連れて城に戻ったのです。




