第二十話 魯坊丸、守山城に行く (魯坊丸の持ち札)
〔天文二十三年 (1554年)二月一日〕
二月一日、信長兄上の手紙を懐に入れて守山城へ出発した。
今日の服装は萎烏帽子、綺麗な麻の直垂、胸紐、括り袴を履き、足に脛巾を巻いた呉服屋『旗屋』の小倅の姿です。
家紋などが入っているのが上級武士の直垂であり、商人でも商談に赴くときは直垂を着用する。
遠出となれば、馬に乗って、槍を持った護衛を付く。
三河までとなれば、護衛も数を揃えますが、今日は尾張内なので一人だけです。
僧や様々の姿をした伊賀者が前後を固め、脇に侍女のさくら達が付いています。
私は先代の熱田大宮司からさくら達を与えられました。
さくら、楓、紅葉は菊田家、鏡味家、若山家の巫女であり、三家は影から熱田神宮を支えてきた影一族です。
さくらとその連れは熱田神宮の意図を廃し、私の為に動いてくれます。
もちろん、神宮と敵対すれば、その限りではない。
もう一つが旗屋です。
祖父の信定が津島を鎮圧した後に娘を津島の有力者に嫁がせ、津島を身内にしました。父上も娘のくら姉上を大橋-重長に嫁がせ、大橋家の分家の商家を織田家の情報を集める家としたのです。
母上は大喜-嘉平の娘であり、嘉平の橘屋は塩を売る馬借でした。
美濃や信濃の情報が入りますが、その他はからきしであり、父上は先代の大宮司様に相談されて、熱田で作る絹の反物を卸す呉服屋『旗屋』を作らせたのです。
京から関東まで絹の反物を売る行商人を抱えています。
つまり、津島の大橋家と同じ、熱田で織田家の為に情報を集める家だったのです。
嘉平祖父の別名、旗屋-金蔵の末息子である金田として徘徊するとは考えていなかったでしょう。
熱田から那古野へ移動し、矢田川を渡る為に木が崎へ向います。
木が崎から守山へ渡る舟に乗ります。
守山城は土岐川 (庄内川)と矢田川が合流する先端にある城であり、三方が川に囲まれた地形です。尾張を守る東の要の城であり、三河の覇者であった松平-清康が攻めてきて、陣中で家臣に謀殺される事件がありました。
もし、陣中で亡くならなかったら尾張を支配していたかも知れません。
若かった父上には敵わない相手だったそうです。
そんな重要拠点を任されているのが、信光叔父上です。
白山神社を参拝した後、宝勝寺を横目に守山城へ向いました。
先日に先触れを走らせています。
旗屋はまだ新しい商家なので、普通の段取りで面会を求めると、城主の信光叔父上にいつ会えるかも判りません。
そこで大宮司の千秋季忠様の紹介状を付けます。
効果は絶大です。
明日に会うと返事が返ってきました。
部屋に入ると、信光叔父上が待っていました。
「これより、この者が訪ねてきたら、有無を言わずにここに通せ。申し付けたぞ」
「か、畏まりました」
取次役が私と信光叔父上を交互に見て、目を丸くして驚きながら頭を下げた。
年端もいかぬ商家の小僧が重要人物だと宣言したのだ。
この者は何者だ。
そんな目を残して障子を閉めていった。
「織田家の子息がわずかな供のみで乗り込んでくるか」
「この姿で三河に三度も足を伸ばしております」
「肝が据わっておるのぉ。信長より『うつけ』やもしれんな」
「ご冗談を。父上が信頼している家臣をお貸し頂ければ、わざわざ私が行く必要もありません」
「主にどこに行った」
「まず、私が本物であるという証明に本證寺に、次にその一人の案内で本家の中根家へ挨拶に赴きました。礼節を欠くと三河者は臍を曲げるようです。最近の大物では、足助城の鱸-兵庫助(鈴木-信重)殿です。今川へ強い不満を持っており、織田家の助力を約束できれば、謀反もやぶさかでないと申しております」
「謀反をしてくれるのか」
「資金だけならば、こちらで何とかできますが、支援となると、尾張のゴタゴタが片付かないとできません。しかし、援軍となると私では無理です。信長兄上、信勝兄上、将又、信光叔父上の書状が必要となります」
「それを書けとか、無茶を申すのではないな」
「まず、家中のゴタゴタを片付けたいと思っております」
そう言って、懐の信長兄上の手紙を差し出した。
受け取った信光叔父上に笑みが浮かび、笑いが漏れてきた。
「がははは、那古野をくれるか。信長にしてはずいぶんと大盤振る舞いだな」
「清須にはそれだけの価値があると説得しました」
「説得、説得で納得できる奴であったか」
「平手様の遺言という言葉も添えました。渋い顔でしたが、納得して頂きました」
「なるほど。那古野を譲りたくない信長は、清須を力攻めで落とす気か」
「まず、猶予は三ヶ月です。街道を封鎖して兵糧攻めを行います。飢えて弱った所で降伏の使者を送るという策を添えておきました」
「下るかどうか微妙だな」
「降伏して命乞いをするか、一縷の望みを託して、信光叔父上の援軍を受け入れるか、どちらかになるかと存知ます」
「儂の見立てもそんな所だ。判った。この策に乗せて貰おう」
「ありがとうございます。近日中に、守護様が主催の村木砦の戦勝祝いが行われます。その席で、戦の褒美として織田弾正忠家の家督を十年間預かると言って下さい」
「激昂した信長と儂が喧嘩をする訳だな」
「今川に対して一枚岩ですが、織田弾正忠家の家督に対しては一枚岩ではない。宴席を抜けた足で使者を送り、守護代様に家督承認を求めれば、元の鞘に戻ります」
信長兄上と信光叔父上は争っていたが、織田家の一大事では協力した。
供に戦って仲直りしたが、やはり家督を巡って対立が起った。
信光叔父上は守護代の信友を担ぎ、尾張を再統一して、今川と和睦交渉を再開するのが目的だ。信長兄上が徹底抗戦を主張するので、信光叔父上と対立しているという構図になる。
そんな宴会の流れを作って貰う。
守護主催の宴席には守護代派もくるので、巧くゆくかは信長兄上と信光叔父上の演技次第だ。
これで一度破綻した平手様の策を繋ぎ直す。
私の策を詳しく聞くと、信光叔父上が嬉しそうに頭を撫でてくれた。
「其方が平手の後継者か。平手には何度も助けられた。今度はお前に使われてやる。巧く使ってみろ」
「ありがとうございます」
「信長も尻に火が付いて慌てている顔を見に行ってやるか」
父上は三人の武将に助けられて尾張の国主へのし上がった。
一人目は、忠義の林-秀貞。
武の林家を引き入れた事で尾張の武士達が父上を信頼した。
二人目は、尾張の張良と呼ばれた平手-政秀。
言わずとも判る知恵袋です。
三人目は、織田-信光。
知勇が父上に勝ると言われる武将であり、父上の名代として軍を預かった。
つまり、父上が二人いるようなもの。
だから、織田弾正忠家は強かった。
「兄上は強かった。絶対に負けられぬ戦には勝ってしまった」
「そうなのですか」
「訳の判らん勝ち方だ。力で負けるつもりはない。内政で劣る所か、儂の方が真面目だ」
「それは知りませんでした」
「ここぞという強さを持つ者が家督を継ぐのがよいと思っておる」
「なるほど、信長兄上が家督を継ぐのが一番という意味が判りました」
「お前は家督が欲しいか?」
「私では誰も付いてきません。欲しいかどうかの問題ではありません」
「がははは、果たしてそうかな」
「はい、そうです」
「そういう事にしてやろう」
信長兄上は『村木砦の戦い』で勝負強さを見せた。
私は嵐の海を渡ろうと思わない。
それが父上と同じ勝負強さであり、信光叔父上に足りないものらしい。
本気で家督を狙わないのは、自分がその器でないそうだ。
何となく、宴会の芝居が成功するような気がした。




