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第十七話 安食の戦い(2)〔平手政秀からの手紙〕

〔天文二十二年 (1553年)八月四日大安〕

 八月四日の大安。

 那古野城の大広間にて、岩竜丸様は側近が烏帽子親となって義親(よしちか)(後に義銀(よしかね))と名乗られた。多くの家臣が集まり、義親に忠誠を誓う。その中に信勝兄上の姿もあった。

横に後見人として座る信長兄上に目線を少しだけ見ると、義親様に祝いの言葉を述べた後に「私を頼って頂ければ、今頃は清須で元服が執り行えたでしょう。それだけが残念でございます」と嫌味を言う。

 信長兄上は「儂が赴けば落とせておったわ。信勝の推挙で大将を勝家に任せたのが間違いであったかのぉ」と言い返します。

 柴田勝家殿は猛将です。それを見込んで故父上が信勝兄上の守役としました。

信勝兄上の名代として参陣し、『安食の戦い』の指揮を取りました。

 本当は信長兄上が先陣を切りたかったのですが、岩竜丸様が信勝兄上に側に居て欲しいと頼まれ、勝家殿を大将に任命する事になったとか。

私は千秋季忠様の付き人として登城し、控えの間からやり取りと見ていました。


 十八日、信長兄上は清須へ兵を送りました。

 清須の南の山王口 (日吉神社)で開戦すると、乞食村 (春日井郡安食村)まで追い詰め、さらに成願寺前まで追い詰めました。

しかし、清須城の陥落に至らず、兵を一度戻したのです。

 昨年の『萱津の戦い』で坂井甚介を失い、今回の戦いで河尻左馬丞、織田三位を討ち取りました。又代の坂井大善の味方する者はほとんど居ません。

 但し、今回の謀反で清須の家老だった者の多くが所領に逃げてしまったので、大善に逆らえる勢力もありません。

清須城は五条川の蛇行を利用した天然の砦で、湿地が通れる道を限定し、城は三日月湖を水堀として利用しているので、北と南の二方向からしか攻められない。

 大軍の利が活かせません。

 織田三位の首を取ったのは、義統様の直臣で由宇(ゆき)-喜一(きいち)という十七歳の若武者だったとか。

 

 儀式が終わると宴会です。

 酒と肴が振る舞われ、皆が騒ぎはじめます。

 私は師匠の定季殿に呼ばれて席を外すと、城下の中市場にある天王坊 (真言宗亀尾山安養寺十二坊)に移動しました。一室に案内されると、すでに定季師匠が座っていました。


「お待ちしておりました。魯坊丸様」

「城で声を掛けて頂ければよろしかったのに」

「城で話す訳にも参りません。某は信長の手の者として熱田商人に扮して清須に潜っていたのです。あの場に長く居てはボロがでてしまいます」

「定季師匠に限って、そのような手抜かりはございますまい」

 

 ふふふ、定季師匠は軽く笑って経緯を話し出した。

 平手政秀が師匠の邸宅を訪ねたのは割腹する三日前であった。

 今回の策を頼まれた。


「平手殿は温厚そうに見えて、中々に過激なお人柄でした」

「自分の死すら謀略にするお方です。人のど肝を抜く事を喜ぶ、稀代の大傾奇者です」

「だとすれば、信長兄上が一番受け継いでいるのかも知れません」

「何通かの手紙を預かり、御亡くなりなってから信長様へ面談を求めました」

「そこで手紙を渡されたのですか」

「そうなります。ただ、三度断られ、“平手様より言伝がございます。それにも用がないならば、もう二度と門を叩きません”と言伝を添えてやっと実現しました」

「信長兄上は落ち込まれ。信光叔父上にも見放されて、舵取りが大変な時期での面談は断られそうですね」

 

 人払いした部屋で面談し、政秀様の手紙を受け取り、読むと号泣して「爺ぃが死ぬ事はない。儂の傍らで老いぼれながらも儂の行く末を見届けるのではなかったのか」と叫びながら泣かれたとか。

 信長兄上の優しい一面を定季師匠が語った。

 

 さて、信長兄上の許可を貰った定季師匠は熱田商人に扮して清須城に潜り込むようになった。そして、簗田(やなだ)-弥次右衛門(やじうえもん)に信長からの手紙を渡した。


「簗田-弥次右衛門ですか」

「守護様の家臣の一人であり、重臣の那古野(なごや)-弥五郎(やごろう)と繋がっている男です」

「那古野とは、那古野城と関連の家臣ですか」

「その通りです。那古野に根を張っていた豪族の一人であり、今は小田井荘を治めています。十六七若年の家臣を持ち、戦になると三百人は兵を集める事ができる有力者です」

「そんな方と繋がりがある弥次右衛門も重鎮ですか?」

「いいえ、然程の将ではありません。商人が気軽に会える相手です。しかし、美形な武将であり、男色家の弥五郎のお気に入りだったのです」

「男色家でしたか。よくご存じですね」

「流石、平手様です。イザぁという時に為にいろいろと調べられておりました。某は平手様の言われた通りに動いただけです」

 

 弥五郎に信長兄上から手紙を渡し、城外で密談をまとめた。

 信長兄上は弥五郎の協力を得て、清須城を攻めた。弥五郎は内側から門を開けようとしたが、失敗して逃亡する事になった。

 これが一目の罠だ。

 斯波義統様が信長兄上と繋がっていると清須の家老に広まった。

 次に、信長兄上を見限った信光叔父上らが次々と義統様に下ってきた。

 義統様を信友派に入れれば、信長兄上に対抗できると、定季師匠らが吹聴した。

 それ所か、義統様を担げば、信友と信長兄上の協力関係も結べる。

 つまり、信友と信長兄上が拮抗する間を、清須の家老らが動く事で実権を取り戻す事ができると考えたのだ。

 裏工作が始まり、談義の席で義統様の復権がなるかも知れないという日に、その情報を大善に流した。大善は兵を送って義統様を始末してくれた。

 最後に岩竜丸様を那古野に連れ帰って、信長兄上の政権が完成した。

 そこまで話して、定季師匠が手紙を差し出した。


「平手様から手紙でございます」

「平手様?」

「信長様への課題であり、魯坊丸様へのお願いが書かれております」

「読みたくないのですが」

「読まずとも結構。それならば、それで次の指示に従うのみです」

 

 断ると碌でもない事になりそうなので目を通した。

 政秀様は、この手紙が読まれている時点で清須陥落までの道筋がなったと書いていた。

 難攻不落の砦を落とす策がなった?

 政秀様は信長兄上も気付いているだろうが、卑怯な手を嫌う信長兄上にはできないであろうと予測していた。

「定季師匠、卑怯な手とは何ですか?」

「それを見つけるのも、平手様からの課題です。信長様がそれを嫌って、力攻めで落とすのも一興と申しておりました」

「その卑怯な手を起動させるには一手足りない。本来ならば、その一手も平手様がするべきなのですが、それを信長兄上、あるいは、私に託したという意味で間違いありませんか」

「ご正解でございます」

「やらないという手はないのですか?」

「ございます。今川が動いた時点で策は崩壊し、すべてが無に帰する。それならば、平手様が命を賭けた策もその程度……と笑っておられました」

 

 清須を取れるかどうかは、時間との闘いか。

 尾張を統一しても今川義元殿と対決できる程度であり、互角にもならない。

 取れないなら織田弾正忠家もそこまでと諦められたか。

 信長兄上が動くと信じて、しばらく様子見だな。


■斯波義銀の烏帽子親


戦国時代は名をよく変えます。

この斯波義銀も例外ではありません。

斯波岩竜丸(幼名)→義親(よしちか)(後に義銀(よしかね))→津川義近→三松軒

義銀の烏帽子親が織田信秀という説があります。

しかし、天文9年(1540年)生まれです。

美濃攻め『加納口の戦い』(1547年)で守護代 織田信友が裏切って、信秀の居城の古渡城を攻撃します。

後に和睦します。

しかし、守護 斯波義統を保護している信友が、岩竜丸の烏帽子親になるのを許すでしょうか?

戦いの前であったとしても、岩竜丸は8歳(7歳)となります。

信秀が烏帽子親とは思えません。


さて、烏帽子親は一字を与える慣例があります。

最初の名である義親の親がヒントとなりますが、見つかりません。

親は縁起のよい名でよく使われております。

候補として、津川義長、その子 牧長義当りですが、親の名を使っていません。

小説では、側近が烏帽子になって元服した事にしております。



義銀の弟、津川義冬(つがわ よしふゆも脱出できたようです。こちらは姓を津川と改め、信長に仕えたようです。

斯波義銀が尾張を追放された時に、津川と名を改めたと推測されます。



もう一人の遺児、毛利もうり 秀頼ひでより

もう1人の子である「幼君」を毛利十郎が保護して那古屋に送り届けた。

猶、毛利秀頼の子が秀秋ひであきであり、斯波武衛家の落胤という事で父の遺領10万石の内の1万石だけが与えられている。

 


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