第十六話 安食の戦い(1)〔平手政秀からの謀略〕
〔天文二十二年 (1553年)七月十三日〕
昨晩、さくらが斯波-義統様が討たれたと一報を届け、中根南城は大騒ぎとなった。
家臣が主君を討つ下剋上が起こった。
信長兄上が主君の敵討ちで挙兵するのは明らかであり、大戦になると誰もが呟いた。しかし、信長兄上を旗頭にして兵が集まるのだろうか?
当然、敵討ちの大将が次の国主となる。
信勝兄上、信光叔父上が黙って従うだろうか?
皆の議論はそちらに傾いた。
朝になる頃、逆臣の織田-信友は義統様が挙兵する準備をしていたので、下剋上を否定し、返り討ちにしたと使者を方々に放っていると聞こえてきた。
さくらに第一報を託した楓はまだ帰って来ない。
信長兄上からの早馬がやってきて、養父殿は昼に那古野城に登城する事となった。
広間の談義は打ち切られ、控えの家臣に現状を知らせて家に帰らせた。
もちろん、戦の準備の為だ。
部屋の戻ると、ちょうど楓が戻ってきた。
さくらが怒った。
「奥方様の説教を聞きたくないからと言って、夕食に一人だけ逃げるとか酷いです」
「情報収集は日課じゃない。てか、帰ってきくのがその話?」
「他にありますか。私達も奥方様からキツく叱られたのですよ」
「やっぱり逃げて正解だったか」
「やっぱり逃げ出したのじゃありませんか」
私は怒っているさくらを止めた。
第一報を託した楓が何も知らない筈はない。一晩中、戻って来なかった理由を聞く方が先だった。下らない理由で戻って来られないなんてあり得ない。
私は前置きを置かずに本題に切り込んだ。
「で、何があった。何をしていた」
「そこから聞きますか」
「そこが重要です。何をしていたのです?」
「尾張守護 斯波-義統様のご子息であられる岩竜丸(後の義銀)様の助っ人ですよ」
「岩竜丸様はご無事なのか⁉」
「那古野城で家臣が集まった所で岩竜丸様を披露して、主君義統様の敵討ちを宣言される予定です」
信長兄上が次期国主と決まった。
岩竜丸様は御年十五歳 (満14歳)であり、元服しても可笑しくない年であるが、守護の仕事ができる年ではない。そして、岩竜丸様を御旗に織田-信友を排除すれば、信長兄上は岩竜丸様の後見人として国政を握れる。
まるで絵に描いたような交替劇だ。
「(故)平手--政秀様が描かれた絵だそうです」
「平手様が?」
「いやぁ~凄いですね。自分の死すら謀略に使うとか、私にはとても考え尽きません」
「意味が判らん。どういう事だ」
「今川-義元殿が政秀様の留守に流言を流し、信長様と平手家の仲を割きました」
「政秀様が正月の挨拶で上洛している隙を狙われた」
「しかし、政秀様が信長様に謝罪し、信長様も政秀様を人質にとって和解する手をあったそうです」
「誰が言ったのだ?」
「今回の策を任された岡本-定季殿に聞きました」
「師匠から聞いたのか」
楓の話をまとめると、政秀様は義元の策を逆手に取った。
自分が自害する事で平手家の者が義元の謀略に踊らされ、『離間の計』に嵌った負い目を持たせた。そして、他の信長様の家臣への警告とした。
義元が仕掛けた『離間の計』は信長兄上の怒りとなり、そして、同胞を失った悲しみは家臣らと怒りともなる。
那古野の家中を一つまとめるにはこの手しかなかった。
だがしかし、家中をまとめる為だけに腹を切るのは馬鹿げた行為です。
政秀様の狙いは、信長兄上から織田一門を離反させ、義統様への帰投を促す事だった。
「つまり、信長兄上の『大うつけ者』を諫言する為に、平手様が腹を召されたと流布する事が真の狙いだったのか」
「そうなのです。信長様を見限った織田弾正忠家の者、それに連なる家臣が清須の守護様の元に集まる。守護代の信友から見れば、守護様の力が増すのは嬉しくない。しかし、信長様と戦うのに兵が集まるのは助かると思わせる事だそうです」
「なるほど、信光叔父上が清須に使者を送っていたのはそういう事か」
傀儡でしかなかった義統様に家臣が集まり出す。そして、義統様の力が増せば、清須内でも義統様の発言力が増す。
傀儡が傀儡でなくなる。
そう言えば、信友は義統様が挙兵する準備をしていたから返り討ちにしたと触れ回っていた。
「最後に仕上げは、信長様が義統様を中心に尾張を一致団結させたいという書状を書かせて完成だそうです」
「信長兄上が書いたのか?」
「信長様ははじめから帝、公方様、守護様への忠義心が厚い方らしいです。義統様から尾張を統一したので力を貸して欲しいという手紙を受け取れば、一も二もなく、『お力をお貸し致します』という返事を返したそうです」
「本当なのか?」
「政秀様は信長様を一番よく知る方でした。熱田の商人として入り込んでいた定季殿も見事に嵌ったので、逆に驚いたそうです」
「義統様はどうなった」
聞かずとも判った。
尾張で最大の敵であった信長兄上が義統様の指示に従うと言ったのだ。清須の家臣もすべて信友に従っている訳ではない。信友も坂井大善などの傀儡となっている。
それは政を決めるのが合議制だからです。
守護代の次席、又代の味方が多いので、守護代の信友の意見が通らない。
しかし、信長兄上と敵対して風前の灯火の清須に置いて、義統様が信長兄上を御せるとなると、味方が増える。
つまり、合議制で義統様の味方が増えれば、義統様は復権できる。
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私は事の結末との違和感を覚えた。
義統様は挙兵せずとも清須で復権できたのでは……と聞くと?
楓が頷いた。
「当然ですが、岩竜丸様にはお教えしていないそうです。昨日、清須の家臣が集まり、談義で義統様の復権が認められる予定でした。ですが、万が一を考え、岩竜丸様は川遊びと称して、外に連れ出しました。定季殿はこっそり坂井大善に知らせ、それを知った大善が兵を集めて、義統様を討ったのです」
「定季殿は大善の凶行を聞くと、岩竜丸様を連れて木曽川を下り、迂回して那古野城に入る予定でした。しかし、予想以上に早く岩竜丸様を取り戻そうと兵を送ってきたので身動くが取れず、信長様に援軍を求める事になったのです」
「その伝言を楓が聞いたのか」
「定季殿の小者とは顔見知りでした。仁平太と共に隠れている岩竜丸様の助力に向かったのです。岩竜丸様がご生存の旨は内密にと言われたので敢えて伝えませんでした」
すべてが繋がった。
義統様を殺害し、岩竜丸様を信長兄上の元に迎える。
信長兄上は岩竜丸様の後見役として尾張を治める。
その日、岩竜丸様を披露した信長兄上は敵討ちを宣言すると清須攻めを命じた。
信勝兄上の名代としてきていた柴田-勝家殿も大将の一人として出陣した。
一夜で情勢が変わった。
これが謀略というものか。
平手-政秀様は恐ろしい謀略家でもあったのか。
私は報告を聞く度に、ただ溜息を零すだけであった。




