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第十五話 魯坊丸の妻(本多忠勝の妹)

〔天文二十二年 (1553年)七月十二日〕

「叔父の本多忠真より言いつかりました。本多(ほんだ)-(すい)と申します。魯坊丸様の妻となる為にやって参りました。幾久しくよろしくお願いいたします」


 床に三本指をついて指し、接待の間で養父の中根-忠良、母上、私の前で頭を下げている少女に戸惑った。彼女は先日の三河であった本多忠真殿の姪御である。

 忠真殿は岡崎松平家の家臣であり、今川方の武将として敵対している。しかし、主君の竹千代を大切に扱ってくれた織田家に感謝した。私が密入国している事を見逃し、岡崎から綿を買おうという提案を受け入れてくれた。

 竹千代という主君を人質に取られているので味方になる事はないが、縁を結んでおくのは後々に役に立つかも知れない。

 母上の目が私を鋭く睨んでいた。


「魯坊丸、三河まで用事があると言っていましたが、嫁を貰いに行っていたのでしょうか?」

「いいえ、そんな事はありません。三河の本證寺で織田家に味方してくれる三河武士との対面の為に赴きました」

「へぇ~、そうなのですか」

「はい。三河武士は公方様への忠義心が高く、公方様を蔑ろにし、公方様の仲介でなった和睦を一方的に破った今川義元殿への反抗を主導する武将らです。しかし、支援していた父上は亡くなり、今後も織田家が支援するという証を立てる為に、私が織田家の者として赴きました」

「会談は巧く言ったと報告しましたね」

「熱田神宮を訪ねた本證寺の僧が私を本物と証明し、三河の武将も安堵されました。危険を冒して行った甲斐もありました。しかも私が中根家の血を引いております。同じ三河の血が流れていると共感も得ました」

「で、本多様も共感して下さったと……」

「本多様は岡崎松平家に仕える武将であり、今川に反抗する三河武士ではございません。しかし、今川家に忠義がある訳でもありません。私の事は見逃して頂けました」

 

 母上が扇を口元に近づけながらニッコリと笑って微笑んだ。

そのゆったりした動作に寒気が走る。

お、怒っている。

母上が怒っておられる。

どうすればいいのか判らず、後ろに控えているさくら、楓、紅葉に視線を送った。しかし、さくら、楓、紅葉は母上が苦手なので目を逸らした。

ここは夫である養父様に……って、私が顔を上げると、養父が察して「奥よ」と声を掛けたが、母上が「何か、御用ですか」と聞き返すと、「何でもない」と降伏した。

美人で優しく、思いやりがあり、理解である母上だ。

でも、怒らせると怖い。


「魯坊丸に苦労をかけていると思っております」

「はい」

「年相応ならば、このような役儀が回ってきません。もう少しのびのびと育てないと考えておりました」

「はい」

「ですが、大殿が亡くなり、それを許してくれない状況になったのです。武家に生まれたからは覚悟して務めなさい」

「はい」

「まだ幼い貴方が三河に行くと聞いて、どれほど心配していたのか判りますか」

「理解しているつもりです」

「初めての旅に羽目を外すのも良いでしょう。ですが、ちゃんと報告しなかった事を怒っているのです」

「はい」

「どうして出掛ける度に女の子を持ち帰るのですか?」


 私はそんなつもりはない。しかし、初めて中根と熱田以外にお出掛けすると、天白川の河川敷で井伊家の遺児を拾って帰ってきた実績があった。

 三河に行くと嫁が来た。

 知って入れば、部屋を整えて調度品を揃えて迎える準備を整えていた。

 準備ができるまで客間で過ごして貰う事が耐えられない。

 母上の怒りは、報告を怠った私への怒りだった。そして、その怒りはさくら、楓、紅葉にも向いており、三人が青い顔をしていた。

 下手な言い訳をすれば、説教が長くなる。

 判っているから、誰も反論せずに、唯々諾々と聞いて謝罪を繰り返す。

 まだ、昼だけど……今日中に終わるかな?

 

 穂のお腹が鳴った所で説教が中断となった。

 食事を取りながら、他の侍女や結納の品がいつ届くのかと聞くと、穂が顔を赤めた。

 私は本多家のボロ家を思い出す。

 屋敷の大きさはそこそこあったが壁は崩れており、攻められたら一溜まりもない。

 最初は廃墟かと思った。

 屋敷の中はガランとしており、お茶を出してきたのも忠真の妹御であった。他に下女らしい者もいない。

 穂に付いてきた侍女は一人のみ、穂の父である故本多(ほんだ)-忠高(ただたか)殿の代から仕えている乳母らしい。

 夫も戦で亡くし、未亡人であった。


「なるほど、穂姫の侍女が他に送られてくる事はないのですね」

「申し訳ございません。本多家に余裕はございません」

「こちらで用意して良いですが、どう思います」

「忠真殿に手紙を送り、侍女と小者を送って頂きましょう。こちらから給金を出すと言えば、喜んで送ってくれるでしょう」

「そうですね。気心が知れた者がいた方が良いでしょう」

「穂の為に別邸を一つ頂けませんか」

 

 私がそう言うと穂が慌て、私の方に振り返ると頭を下げて申し出た。


「ずうずうしい事とは承知しております。本多家は魯坊丸様のお力とはなりません。ですから、正妻とは申しません。側室でも構いません。魯坊丸様と同じ屋敷に居させて下さい」

「私は元服もまだの身です。元服しても織田の本流にお仕えする事になります。誰を妻に迎えるかを決める事もできません」

「はい、そうですか」

「ですが、ご安心下さい。別邸と申しましたが、この屋敷に住んでいるのは、養父様と母上のみです。私と妹も別邸に住んでおります」

「そうなのですか?」

 

 中根南城の元々は海に突き出た丘の上に造られた砦だった。

 最低の機能しかなかった砦に屋敷を建てると砦が手狭となった。

攻め口となる塩付街道沿い土手を築いていた。

 別の屋敷を建てるとなると、一段下がった坂沿いとなり、私の住まいとなる別邸が建てられた。他の兄弟や城代が寝泊まりする別邸が階段状に建て増された。

流石に限界なので塩付街道を奥にずらし、城を新たに造り変える予定だ。

別邸と言っても階段と廊下で繋がっている。


「元々、二の丸と呼ばれていた所に別邸が建っているのです」

「そうなのでございますか」

「もう二の丸としての機能を失っているので、新しい二の丸、三の丸を増築中なのです」

「屋敷が大きくなるのですか?」

「はい。本丸にある屋敷にお客を入れるのは危険でしょう。三の丸にお客用の表屋敷を建て、二の丸に政務所、長屋などを配置して防御を上げるのです」

「屋敷を大きくするなど、考えもしませんでした」

 

 穂がそう言うと、母上が本多家はどうしているのかと聞いた。

 すると、穂はまた顔を赤めて黙ってしまった。

 貧しい本多家は壁の修理も儘ならず、廃墟と見間違うほどのボロ家とは言えない。

 私も下手な説明をすると、穂に恥を掻かせると思って黙ってしまった。

 それがいけなかった。

 母上がニッコリと笑うと、「私には秘密ですか」と言って説教に戻った。

 失敗した。

 日が暮れるまで説教となった。


 風呂に入ってサッパリしてから客間を訪れた。

 侍女見習いの駒が穂と仲良くなっていた。


「土井姫様、こちらの小袖も着てみませんか?」

「私に似合うのかしら」

「きっとお似合いです」

「こんなたくさんの小袖を頂けるなんて幸せです」

「明日は呉服屋を呼んで秋と冬の着物を決めます。一日掛かりますから覚悟して下さい」

「着物を決めるのに一日掛かるのですか」

「奥方が気にいるまで、何十という反物を前に比べるのです」

「もしかして駒姫も……」

「あははは……はい、選ばされました。でも、駒姫は止めて下さい。駒で結構です」

「ですが、井伊家の姫と伺いました」

「母は農民です。私も父様から屋敷に招かれておりません。今はただの侍女見習いでございます」

「そうですか」

「ですから、駒とお呼び下さい」

「では、駒。これからもよろしくお願いします」

「私にできる事でしたら」

 

 廊下で足を止め、話す機会を伺っていたが、完全に期を逃していた。

 盗み聞きをしたみたいで格好悪い。

 このまま部屋に戻ろうかと思った瞬間、さくらが「魯坊丸様」と庭から私を呼んだ。

 二人が私を見つけて顔を赤める。

 私も気恥ずかしい。


「魯坊丸様、大変でございます」

「さくら、本当に大変なのだろう。つまらん事ならただではおかんぞ」

「つまらない事ではございません。守護の斯波(しば)- 義統(よしむね)様がお亡くなりになりました」

「守護様が……?」

「討ったのは、守護代織田(おだ)-信友(のぶとも)様の配下だそうです」

 

 斯波家は幕府管領を務めた名家であり、尾張の守護だ。

 神輿に成り下がっているが、尾張の主人である。

 守護代は守護になり代わって、尾張を統治するのが仕事である。

 守護代が守護を討った。

 下剋上(げこくじょう)主殺(あるひころ)しだ。

 織田弾正忠家は、その守護代の下の奉行に過ぎないが、主である守護の敵を討つ大義名分が生まれる。

 信長兄上が『檄』を飛ばし、守護代を討てる。

しかも味方に付く者は“忠義者”と従属させ、味方に付かない者は“謀反者”として討てる。

 一気に尾張を統治する機会が転がり込んだ。

 情勢が一気に動くぞ。


「さくら。楓、紅葉を呼べ。養父様と城代と家老は大広間に集まれと知らせろ。登城した重臣以下は控えの間に閉じ込めておけ」

「承知しました」

「穂、駒。立ち聞きした謝罪はまた後にさせて貰う」

「いいえ、謝罪など入りません」

「そうか。しばらく構ってやれんが許せ」


 私はそう言うと本屋敷へ足を向けた。

 まずは状況の確認だ。


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― 新着の感想 ―
どうやって本多家と絡むのかと思っていたらこうきましたか。 三河は最も貧しい時代だから大金持ちの中根家に嫁げるのは玉の輿ですね。
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