第十四話 信長、斎藤利政と会う(信長は西へ、魯坊丸は東へ)
〔天文二十二年 (1553年)四月下旬〕
信長兄上が馬上で肩あぐら、茶筅髷、湯帷子を袖脱ぎ、大刀・脇差は藁縄で巻き、麻縄を腕輪に、腰には火打ち袋と瓢箪をぶら下げた『大うつけ者』の格好で那古野城から出てきた。
私はそれをジッと見る。
お供衆の七百人ほどが三間半(6.37メートル)もある長い朱槍を持ち、その後ろに鉄砲・弓隊が五百人続いた。
今年二月になって持っている鉄砲をすべて貸し出せと使者が来たときは驚いた。
中根家の鉄砲は十挺のみ、信長兄上が二百挺の鉄砲も持っていたのは驚いたが、家臣から借り、商人から追加で買って三百挺を揃えた。
鉄砲は粗悪品なら二、三貫文、見事な南蛮品なら十貫文も越える。装飾のない素朴な国友の鉄砲でも七,八貫文といった所だ。
それを三百挺も揃え、織田家の財力を見せ付けている。
傾奇者の本領発揮だ。
今川家でも百挺ほどあると聞くが、 これだけ集めたのは信長兄上くらいだろう。
私は信長兄上をどこかで常識外れの『大うつけ者』と馬鹿にしていたのかも知れない。
次期当主が鍛冶師の作業場まで足を運び、商人のような食べ歩きを真似る。
盗賊のような傾奇者姿がよく似合う。
今の私は水干姿を止めて、軽装の商人の旅姿だ。
人の事は言えない。
旗屋-金蔵と一緒に息子の金田として、三河の本證寺に絹の反物を納めてゆく。
同行するのは入道-全朔という僧だ。
熱田羽城主である図書助(加藤-順盛)の叔父である。
加藤家は熱田の豪商でもあり、昔から絹を売って儲けてきた。
旗屋もその一つだ。
閏正月に平手-政秀が自害した。
政秀の遺体に涙を流す信長兄上の姿を見て、平手家の誤解は解けた。
しかし、守山の信光叔父上は政秀の葬儀に使者も送らなかった。
信長兄上への無言の抗議とも噂される。
何故か、守山と清須の往来が増え、信光叔父上が信長兄上を見放して、清須方に寝返ったという。
信勝兄上が使者を送って真偽を確かめると、政秀を死なせた信長兄上の態度に憤慨しているのを認めた。しかし、清須への使者は尾張守護の斯波-義統様であり、清須方に寝返ったという噂を否定した。
義統様は守護代の織田-信友に幽閉されており、何らかの手打ちがなければ、使者が会える訳もない。
織田弾正忠家が三つに割れた。
離間の計を仕掛けた義元殿は笑っているだろう。
義元殿は遠江・三河での締め付けを強化した。
織田家は三河武士に公方様への忠義を仄めかしているが、銭しか渡さない織田家を疑いはじめた。手紙を持ってゆく神人や商人は織田家の者ではない。
言いように利用されているのではないかと疑い出した。
織田家の者を送る必要があった。
私は悪巧みしている熱田首脳の前で「誰かいないか?」と問うと、皆の視線が私に集まった。私も空気を読めない信長兄上のような態度を取りたかった。
しかし、周りの空気を読んでしまう。
私が小さな声で「私ですか?」と聞き直すと、皆が頷いた。
反対したのは、大宮司様 (千秋-季忠)のみ。
そこで護衛兼保護者に図書助の叔父の同行を付ける事で大宮司様を説き伏せた。
さくらが陽気に声を掛けてきた。
「若様との遠出は初めてです」
「楽しそうだな」
「はい。さくらはわくわくしております。護衛はお任せ下さい」
「さくらは侍女であって護衛ではないぞ」
「護衛は一行を守ります。さくらは若様を守るのです」
「そうか、よろしく頼む」
「お任せ下さい」
私達は那古野から八事興正寺に向って斜めに貫く『飯田街道』を歩き出した。すぐに末森城が見え、通り過ぎると八事に到着した。
わずか二里 (八キロ)ほど。
中根南城から出発して八事の塩竈神社で合流した方が合理的ですが、私は魯坊丸ではなく、旗屋の金太です。
いくつかの商人や行商が群をなし、護衛を雇って移動しないと、盗賊の餌食にされるのです。歩みは荷を背負った馬に合わせる。
街道はそこから平針に下り、天白川を上って岩崎、岩藤に歩きました。そこで一泊して米野木、三本木、保見、猿投、足助へ続く山道です。
関所は一人十文が多く、ほとんど歩いていないのに続けて関所がある所もありました。
二日目の山道は厳しく、昼から足が棒のように背負われました。
足助の手前、広瀬で一泊。
ここから信濃へ向かう者と岡崎に下る者に別れます。
本当は平針から白土、祐福寺を通り、安城、岡崎へ続く岡崎街道の方が近いですが、織田家と今川家が争っており、公家様や僧侶でないと検問が厳しいので足助を経由しました。
伊賀者らは街道を使わず、獣道を使うので関係なとか。
一晩寝れば、元気一杯。
今日こそ頑張るぞっと思ったのですが、矢作川を舟で下るそうです。
初めての川下りは楽しかった。
岡崎城が見えた所で緊張が走りました。
検問です。
鎧を身に付けた武将が舟を横付けし、男が顔を見渡しました。
「見ない顔だな」
「私は旗屋の主人金蔵と申します。本證寺の住職様に上物の絹の反物を納めに行く所でございます。こちらが証文でございます」
「確かに、本證寺の注文書のようだな」
「はい。怪しい者ではございません」
「して、この子供は何だ?」
「末の息子でございます。商売を教える為に同行させました」
「ほぉ~、それは殊勝な事だ。気に入った。茶を一杯進ぜよう。付いて参れ」
検問をしている岡崎の武将を振り切って逃げる訳にも行かない。
付いて来いとは想定外過ぎた。
舟はそのまま岡崎を通り過ぎ、赤渋と呼ばれる所に付けられた。
舟を待たせて南に下ると、ボロい一軒家に入ってゆく。
「涼、茶だ。茶の準備だ」
「白湯ではなく、お茶ですか。そんなものはありませんよ」
「奥の棚に少しだけ残っていただろう」
「あれは殿様が来た時にとってある特別な茶葉ですよ」
「それだ。湯を沸かしてすぐに出せ」
「知りませんよ」
男は草鞋を脱ぎ、具足を外した。
床に座ると、私に目を向けて上座を叩いた。
どうやら上座に座れと言っているらしい。
私が座ると、男が頭を下げた。
「某、岡崎松平家臣、本多-忠真と申す。魯坊丸様と再びお会いできた事を喜んでおります」
「どこかで会いましたか。私に覚えがないのですが」
「雪斎様との会見で扉の番をしておりました」
「あのときですか。迂闊でした」
岡崎に入って、すぐにバレるとは思っていなかった。
岡崎より東に中根家の本家があり、銭の無心に何度か親族と称する者と会っており、中根家の者にバレる心配をしていたが、あの会見の席に三河の者がいるとは思わなかった。
「此度は何の用でございますか」
「本證寺の住職との会見です」
「三河の一向衆をお味方にするおつもりか」
「味方になって頂ければありがたいですが、敵に回らないようにお願いします」
「なるほど」
「今川方に差し出しますか?」
「いいえ、そのような事は致しません。織田家には恩もございます」
「恩ですか」
「竹千代様が人質のおりに世話になり、疱瘡を患ったときも治療して頂き、岡崎が織田家を裏切ったときも処刑しませんでした。ありがたいことです」
「そのような事があったのですか。知りませんでした」
「こうして恩を返せる機会が巡ってきた事を嬉しく思います」」
そこでほうじ茶が出てきた。
このボロ家は忠真の屋敷らしいが、手入れする銭もないそうだ。
岡崎の家臣や領民は貧しい。
だが、少しだけ気になった事があったので聞いてみた。
「来る途中に変わった葉がありました。何を育てているのでしょう」
「綿です」
「綿ですか?」
「今川の御用商人が育てろと渡してきました。それで少しでも楽になればと思っております」
松平家は昔ながらの二公一民であった。
珍しくない。
ほとんどの領主が二公一民であり、織田家の五公五民が珍しい。
最近、北条家は四公六民に下げたと商人らが騒いでいた。
民の税が下がると、民にも商品が売れる。
売る機会を逃したくない商人はそういった情報を日々集めている。
何が正しいかは判らない。
判るのは、岡崎が貧しいという事だった。
「もし宜しければ、取れた綿を高値で買いましょうか」
「宜しいので」
「今川に納める分もあるでしょう。その余りでかまいません」
「助かります。皆に話してみましょう」
「こちらから申して何ですが、私は織田家の者です」
「それがどうかしましたか。今川も織田も対して代わりはありません。某が綿を売るのは熱田の商人です。織田家でもありません」
「その通りでした。申し訳ございません」
「魯坊丸様は人が良いですな。どうですか、妹の涼を貰ってくれませんか」
「いいえ、一存で決められません」
「確かに涼では年が行き過ぎておりますな。預かっている兄者の妹なら年も変わらぬ」
「お聞き下さい。私の一存では決められません」
「そう申されるな。某は敵陣に堂々と乗り込んでくる魯坊丸様が気に入りました。あははは」
忠真は私の話など、一考に聞き入れなかった。




