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第十二話 萱津の戦いの結末、義元の出陣 

〔天文二十一年 (1552年)八月中旬から九月初旬〕

 萱津での戦いに信長兄上は勝利した。

 清須から出陣した大将の坂井甚介、河尻与一、織田三位の内、坂井甚介を中条家忠と柴田勝家の二人がかりで討ち取ったからだ。

河尻与一と織田三位はわずかな残兵と共に清須へ逃げ、信長兄上は清須まで追撃した。

城攻めには手勢が少なく、町に火を放って那古野に凱旋した。

勝利の美酒に酔っているのは兵達のみであり、信長兄上は八事に不甲斐ない戦いに激怒して千秋季忠様を呼び出した。

 私は季忠様の付き人として、岡本-定季様と一緒に登城させられた。

 私は全力でお断りしたのに信長兄上が怒っていると聞いて、季忠様が泣き付いたのだ。

 そして、玄関で仁王立ちの信長兄上が怒鳴り声を上げた。


「何故に、太原-雪斎を討たなかったのか?」

 

 季忠様が戦況を説明するが眉が吊り上がるだけであり、落ち着く姿ではない。

 そもそも玄関先で議論する事ではないだろう。

 季忠様は冷や汗が溢れ、それを手ぬぐいで拭いた。

 そこで定季様が信長兄上に「大うつけ者という噂は誠でございましたか」と挑発した。

 信長兄上が刀に手を掛けた。


「どうぞお切り下さい。それで勝利によって得た名声を失って、すべてを失う事となるでしょう」

「脅せば、切られぬとでも思っておるのか」

「熱田衆は数倍の敵を退けた。よくぞ退けたと褒める所ではありませんか。逆に某を斬れば、熱田衆から見放されますぞ。然すれば、津島衆も愛想をつかします」

「減らず口を申すな」

「ですから、切りたければ、お切り下さいと申しております」

 

 信長兄上の手に力が入り、抜き身の刀を出してしまった。

 やはり大うつけ者だ。

 味方に刀を翳してどうするつもりなのか?

 父上が亡くなった。

信長兄上の『大うつけ者』ぶりは芝居かと思っていたが、芝居ではないらしい。

考え方が斬新過ぎて家臣団に受け入れられない。

 私も戸惑う。しかし、津島衆と熱田衆は新しい物を好む者が多く、信長兄上を支持した。

信長兄上はその熱田衆を怒りにまかせて切るという。

織田弾正忠家は終わりだ。

 清須との戦に勝って、わずかに希望の光が見えたと思えたのに残念だ。

熱田に戻ったら出家しよう。

 私は残念な余りに溜息を零した。


「魯坊丸とか申したな。何だ、その溜息は?」

「此度の策を申し上げたのは私でございます。採用されたのは大宮司様でございますが、八事に来た雪斎和尚を半包囲して追い返す策でした」

「お前が考えた。しかも追い返す策だと」

「こう申しては申し訳ございませんが、松葉と深田を奪還し、戦は痛み訳で双方が『勝った。勝った』と騒ぐ玉虫色で終わると予想しておりました。援軍が期待できなのです。倍する敵を勝つ策など思いつきません」

「雪斎はノコノコと前に出てきたのであろう。そこを討てばよい」

「その通りです。ですから、末森の信克兄上が攻めかければ、我々も攻める好機を得たでしょう。ですが、信勝兄上は討ってでませんでした」

「信勝か」

「わずか一千人の熱田衆が二千から三千の兵を引き連れてきた雪斎和尚を討つ事ができるでしょうか。首を取らねば、熱田衆一千人は討死します。その後、熱田まで雪崩れ込まれて火の海です。熱田から得る銭を失って、どうやって今川勢と戦う気ですか。私らを責めるのは筋違いです。信勝兄上に申して下さい」

 

 私は堰を切ったように話した。

 信長兄上は「であるな」と言って、翳した刀を戻して笑い出した。そして、「信勝が悪いか。さもあらん」と何度も呟く。

 その後、広間ではなく、茶室に案内された。

 連れでしかない私にも茶を出してくれた。信長兄上なりの謝罪のつもりなのだろう。

 

 八月末、雪斎殿は岩崎城に兵を留めていた。

 その日は熱田神宮の蔵書倉の整理だった。

 いつものように蔵書倉に入っていると、季忠様から呼び出された。

 神宮の一室に入ると、信長兄上が茶を飲んでいた。

 美濃の斎藤-利政様から手紙が届き、信長兄上を心配する内容が書かれていたようなのだが、帰蝶義姉上からどう返書すればよいかと問われた。

 信長兄上は「問題ない」との返事を言うが、帰蝶義姉上が納得せずに、具体的な対策を聞いてくる。

 答えが見つからないので熱田神宮に逃げてきた。


「どう答えれば、納得してくれると思うか?」

「私に聞かないで下さい」

「六月にも玄蕃当てに手紙を送って心配してくれていた。だが、(しゅうと)殿は苦手だ。その舅殿へ送る手紙の相談が一番苦手なのだ」

「私は山城守殿を知りません。私に聞かれて困ります」

「であるか。仕方ない。では、岩崎に雪斎は留まっておるのか?」

「それも知りません。判っているのは岩崎に今川の兵が今も留まっている事のみです。よい予感が致しません」

「其方もか」

 

 信長兄上も胸騒ぎを覚えているようだ。

 あのとき、雪斎殿はしばらく会わないような口ぶりだったので、すぐに兵を下げると思っていた。しかし、まだ岩崎に留めている。

 グチグチと愚痴を言って信長兄上が帰っていった。

 

 翌日、月が変わって九月になった。

中根南城でのどかな朝を迎えていた私に東三河に放っていた伊賀者の仁平太が戻って、私を驚かせた。

 どうやら、雪斎殿は駿河に戻っていたようだ。

 その雪斎殿の引き留めを聞かず、今川義元殿が尾張へ出陣すると陣触れが広がった。


「仁平太、どの程度の規模になるか判るか」

「具体的には判りませんが、方々に使者を送っております。さらに一万以上の兵が尾張に押し寄せる事になります」

「二万を超えるのか」

 

 織田が今川に勝てるのかと、そんな疑問が脳裡に走った。

 岡崎、福谷を通り、岩崎で一泊すると、今川勢二万五千人が八事に入った。

 信長兄上が塩竈神社に陣を置き、末森に信勝兄上が留まり、高針に信光叔父上が入り、織田勢も一万人を越えている。

 ここまで兵を揃えて、八事へ寺参りは通用しない。

 今川義元殿の使者が末森に入ると、決まっていなかった和睦の詳細である那古野と熱田の返還を求め、信長兄上、信勝兄上、織田一門が反対した。

すると、今川の使者は和睦の破棄を宣言すると、義元殿はくるりと兵を引き上げさせた。

何がしたかったのだろうか?

 疑問のみが残る兵の運用に私は首を捻った。


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