第十一話 萱津の戦い(2)
〔天文二十一年 (1552年)八月中旬〕
八月十五日、松葉の織田-伊賀守様と深田の織田-信次叔父上が清須勢に襲われ、城を奪われた。二人とも捕らえられていると報告が入った。
熱田神宮内は大騒ぎだ。
末森をごった返しているようだが、他の城も似たようなものだろう。
岩崎へ援軍を送る話は消えた。
夕方、大宮司の千秋季忠様が末森から戻られ、方針が決まった。
明日、末森、守山、那古野から兵を出して、松葉と深田の奪還に兵を出す。
主力は那古野の信長兄上だ。
守山の信光叔父上が一千人を集めて参戦し、末森から柴田-勝家殿を筆頭に数名が兵五百人を出して助勢する。
熱田は福谷の今川勢と笠寺の山口勢を警戒して兵を残す事になった。
但し、臨戦態勢であり、陣触れを出して村人も城や砦に避難させておく。
千秋邸の大広間に熱田衆が集まり、集めってくる情報に耳を澄ます。
「岩崎城の丹羽-氏勝様。兵を引かれ、今川方五百余りが城に入城しました」
「氏勝殿が降伏されたのか」
「降伏ではなく、使者を受け入れたという建前であろう」
「雪斎殿は白山宮に行かれた儘なのか」
「雪斎殿は昼過ぎに白山宮に入った儘で動いておりません」
今川勢の早朝から動き、福谷城から白山宮の前面にある岩崎川まで兵を進めた。丹羽勢は岩崎川の対岸に兵を並べる。安全が確保されると、雪斎は知立神社から白山宮へ移動した。
雪斎は“好”を結んだ丹羽家を攻めるつもりはない。明日は八事の寺参りをしたいので、一晩だけ岩崎城を宿舎として借りたいと申し出たとか。
ふざけた話だ。
他国の兵を堂々と侵入させて、戦をする気はないと豪語する。
事前に断りもなく、他国の兵が国境を越えた時点で敵対行為である。
戦をする気はないという方便は立たない。
つまり、“好”という言葉に、“同盟”、あるいは、“従属”の意味を持たせた。
やり方が回り諄い。
定季様が物見の間者に聞いた。
「何か、今川方から丹羽家を脅した話はありませんか」
「ございます」
「差し詰め、追放された丹羽-氏秀が藤島城の返還を求めているので困っているとかではありませんか」
「その通りでございます」
「今川家と“好”を結んでいる丹羽-氏勝殿が居られるから困っている。もしも“好”が嘘であったならば、今川家の要請を受けた西三河衆が氏秀を助力して岩崎城を落とす事になってかまわないとでも脅したのでしょう」
そんな言葉で織田家への援軍を封じたのか。
氏勝がすぐに織田家へ援軍を要請すれば、今川勢は国境を越えなかった。しかし、雪斎が去った後、西三河衆の助力を得た丹羽-氏秀が攻めてくる。
織田家が岩崎丹羽へ援軍を送れば、和睦を破ったと訴える。
西三河衆がどれほど協力するかは知らないが、丹羽-氏秀との泥沼の戦になるは判る。
雪斎は「織田家と今川家の両属は許さん」と問い詰めていた。
そして、清須の動きを知った氏勝は、織田家の援軍が期待できなと悟って今川方を取った。
まるで詰め将棋のような戦略だ。
「魯坊丸様、のんびりと構えている暇はありません」
「定季様、それはどういう意味でしょうか」
「雪斎殿は八事の寺に参ると、丹羽-氏勝殿に告げたと、物見が聞いております。岩崎城で一泊した後、明日の朝には八事を目指して兵が動き出しますぞ」
「その通りです」
「どう致しましょうか?」
「そうですね。八事の寺と言うならば、聖徳寺、願正寺当りでしょう。塩竈神社に兵を集めておけば、高針の柴田家、末森城の信勝兄上、伊藤城の佐久間家で反包囲できます」
「大宮司様。ご指示を」
定季様がそう言うが、大宮司の千秋季忠様はポカンとしていた。
季忠様だけではなく、他の熱田衆も置いてけぼりを食らったような顔で、定季様と私の顔を見ている。塩竈神社に兵を集めておけば、半包囲できる意味が判らないらしい。
定季様が私に説明しろと言った。
聖徳寺と願正寺を中心に据え、北の高針に一千人、西の末森と伊藤に二千五百人、南の塩竈神社に熱田衆の内、一千人を移動する。
七千人の今川勢を五千五百人の織田勢で半包囲が完成する。しかも東は植田川が流れているので、今川方は背水の陣となる。
数で劣っているが、陣形で織田方が有利にできる。
逆に、塩竈神社まで下られると、天白川を渡って島田へ逃げる道が生まれる。
鳴海・笠寺の二千人と合流されると、一万近くに膨れ上がる。
「なるほど。ですが、合流せずとも山口勢は脅威でありませんか」
「脅威です。ですが、兵を集めて固めている城を半日で落とすのは無理です」
「半日? 何故、半日なのですか」
「半包囲されている今川勢は雪斎殿を守らねばなりません。半包囲して、半日掛けて迫れないならば、織田家の負けは確実です。しかし、雪斎に迫れば、雪斎を逃がす為に陣形は崩れ、織田家の勝利は間違いありません」
おぉっと歓声が上がった。
でも、雪斎を追い払っても織田家の勝利ではない。
「そこで喜ばないで下さい。重要なのは雪斎の首、そして、数多の今川武将の首が取れなければ、織田家は滅びます」
「織田家は滅ぶのですか?」
「魯坊丸様、全体の状況を説明せなば、皆は判りませんぞ」
「そうなのですか?」
俺は清須と戦が始まった事を説明した。
尾張国内で清須勢と戦いながら、東から攻めてくる今川勢と戦うのは、父上(織田-信秀)も避けた。清須の織田-信友と和睦して、今川勢と対峙した。
父上が居ても避けたのに、父上が亡くなって混乱している状況勝てる訳もない。
「やむを得ず、戦う事になれば、今川勢がすぐに立ち直れないほどの損害を出さないと、織田家は滅びるのです」
「勝つだけではなく、雪斎を含め、数多の武将の首が必要なのですか」
「それは難しい」
「数が同数ならば、何とかなるかも知れませんが、こちらは数が少ないのです」
熱田衆の皆も危機的状況を理解し、陣形だけでも有利に進める事になった。
季忠様は定季様を使者に送って半包囲の意図を伝えた。
翌日、信長兄上は松葉、深田に向けて兵を進める。
雪斎も岩崎城より天白川を下り、植田川を渡って、聖徳寺、願正寺、常楽寺と巡り、昼過ぎに、高照寺へと移動した。
高照寺は塩竈神社の目と鼻の先だ。
兵が先に来れば、道を塞ぐ手があった。しかし、雪斎が先頭に馬を進めたので、こちらが引く事になった。
半包囲ではなく、塩竈神社の熱田勢と末森勢で挟撃状態となった。
但し、高照寺に三千人、塩竈神社の北に二千人、聖徳寺方面に二千人を残して、長く陣形が伸びている。
誰かが暴走すれば、一触即発の危険な状況である。
しかも、わずか一千人しかいない塩竈神社の熱田勢は、五千人の今川勢に半包囲されている。
「流石、雪斎殿。ヤル事が大胆だ」
「定季様。感心している場合ではありませんよ」
「織田家の半包囲を見事に破られましたな」
「わずか一千人で五千人を支えきれません。南に逃げる雪斎殿は捕まらないでしょうね」
「その通り。危機と感じれば、敢えて前に出る。仏の教えに『死生命無く死中生有り』とありますが、見事に体現されましたな」
定季様は雪斎殿を褒めて大笑いをした。
高照寺に向かってくる瞬間、雪斎殿の命を奪う絶好の機会であったが、それは今川家との和睦を破る行為だと躊躇した。そして、誰かが間違って先端を開けば、私は命を奪われる。
責めて、西の宝泉院まで熱田衆を下げたい。
「兵を下げる方法ですか」
「無闇に動くと、いつ先端が開くか判りません」
「だから、聞いておる」
「一つだけ、よい手がございます」
定季様の策で高照寺に使者が送られた。
雪斎殿が大宮司千秋-季忠様との会談に応じられ、私は季忠様の共として同行させられた。
死生命無く死中生有りをやり返せとか要らないよ。
寺の一室で対面となり、私は季忠様の背中から覗き込む。
「雪斎和尚。此度はどういう意図で大軍を寄こされたのでしょうか。お答え頂けますか」
「誠にお騒がせして申し訳ない。拙僧は寺参りに行きたいと申したのだが、周り者が心配して、斯くなる仕儀となった」
「軍を動かしたつもりはないと申されるのか」
「如何にも。拙僧の護衛でございます。故に、乱暴取りを禁じております」
「迷惑な話でございますな」
「まったくでございます」
「魯坊丸様、何か言いたい事はございませんか」
季忠様が私に振ると向こうの側近が文句を言ったが、私を父上の息子であり、熱田神宮が大切に預かっている要人だと主張した。
私としては雪斎殿の顔を見られただけで十分なのだが、何かそれらしい事を言わねばならなくなった。
「どこかに向かうならば、事前に使者を出し、相手の同意を貰うのが筋でございます」
「確かに、拙僧の失態でございますな」
「よくお考え下さい。公方様を支えるべき、足利一門の今川様が公方様の仲介で整えた和睦を蹴ったと知れれば、今川家は信じるにあわたずと思われます。北条や武田と同盟を結んでも信じられないでしょう」
「如何にもその通りでございます」
そこで廊下から側近らしい者が入ってきて耳打ちした。
雪斎殿が静かに頷いた。
「魯坊丸殿。今回は会えてうれしゅう思います。信秀殿はよい子を残された」
「私は大した者ではありません」
「そんな事はござらん。道理をよく心得ておられる。拙僧は末森の織田様に頼んで熱田参りをするつもりでした。運の巡りとは儘ならんものです。次の機会とさせて頂きましょう。お約束致しましょう。日が高い内に兵を下げます。織田家との和睦は継続させて頂きましょう」
「それは助かります」
「またの機会を楽しみにしております」
私との話を切り上げると、季忠様に神宮への献金を告げた。
熱田神宮へ迷惑料である。
季忠様が持っていた笠寺の別当職を認めるかは保留され、義元殿に伝えると告げた。
寺から出ると、季忠様の合図で熱田衆が塩竈神社から撤収を開始だ。
同時に雪斎殿も撤収を開始する。
私は季忠様と一緒に引き上げる熱田衆と合流し、宝泉院まで下がった。
そこで信長兄上が『萱津の戦い』で勝利し、清須を攻めていると報告が上がった。
雪斎殿が兵を引き上げる理由を理解した。
しかし、戦下手と評判だった信長兄上があっさり勝ったのは意外だった。
雪斎殿はもっと意外に思っているだろう。
まだ日が高い内に八事から今川勢が消えていた。
見事な引き際だ。
萱津の戦いと書きながら、信長の戦いに触れなかった作者でした。




