That boy
「俺は酒も宗教もやらないんだ」
レモンが浮いているアイスティーのグラスを手で回しながら、鈴木は微笑した。僕は、そうだったな、と呟いて二杯目のジントニックをウェイターに注文した。
「酒なんか飲んで何が楽しいんだい?」
僕は少し思案して言った。
「ほら、一人前の大人になった気がするだろ。別に酒に限った訳じゃない。ブラックのコーヒーを飲んでも、タバコを吸っても、女と同棲したりしても、なんだっていいんだよ。大人の真似事でさ」
「それじゃあ、世間には大人の格好をした子供がいっぱいいる訳だ」
鈴木は僕の台詞の揚げ足を上手く取ったと思ったのか、満足そうな顔だった。
「そうだな。僕等も子供なんだ」
僕はカウンターに置かれた炒った豆を口に運び、つまらなそうに頬杖をついた。
鈴木は大学生の頃の友人だった。しかし友人と言ってもそれは肩書きで、実際はあまり仲が良かったとは言えなかった。
僕等は同じ軽音楽サークルに所属していて、一時期一緒にバンドを組んでいた。彼はドラムを叩き、僕はギターを担当していた。
「ちょっとドラム走りすぎるんだけど」
「そっちがテンポがバラバラだから、俺が合わなくなるんだよ」
学祭やライブハウスでの対バン前にはメンバー間にはピリピリとした緊張感が混じっていて、口論が絶えなかった。
元々、遅れて軽音楽部に入部してきた僕と鈴木は、他の人達が既にいくつかのグループを作ってしまっていたため、部内で余っていた冴えないグループに無理矢理入れられてしまった仲だった。最初はお互い我慢し、協力し合っていたが、一緒に過ごす内に、段々と鈴木の内面が暴露し始め、我の強い二人は対立してしまった。
僕が鈴木を嫌っていた理由は、単に気が合わない、と言うだけでなく、彼の意地汚さだった。彼は何かにつけては嫌味ったらしいようなことを言い、すぐ逆上する、自分勝手で乱暴な男だった。バンド内で課題曲を決めようとしている時も、この曲はダサイ、あのグループは面白くない、などと無神経な発言ばかりを吐き、自分の好きな曲ばかりをメンバーに強要した。僕等が何か反論しようとするものならば、じゃあお前がドラムをやれよ、などとふて腐れて命令してくるのだった。
また、バンドのメンバーで打ち上げをした時も、自分は酒を飲まなかったからお前らが多めに金を出せ、などとケチ臭い事を言い出し、時には金を出さずに、先に帰ってしまう事さえあった。
鈴木の性格にメンバーはうんざりしていて、しまいには彼の事を陰で悪く言うようになり、僕等は学内で鈴木に出会っても一切声を掛けなくなった。部活内での行事で仕方なくバンドを活動しなくてはいけない時には、本番前に一回、嫌々メンバーで合わせるだけになってしまっていた。
しかし、それも長くは続かなかった。一年が終わり、二学年に上がった時、四年生が抜け、新入生が入った機会に漸く軽音楽部内のバンドの多くが解散したのだ。僕等もそれを契機にバンドを解散すると、僕は元メンバーの一人と、他のグループにいた、前々からバンドを組もうと話し合っていた仲の良かったドラマーを入れ、新しく入った女の子と共に新しいバンドを結成したのだ。
鈴木も他のグループに加わり、これで僕等のギクシャクした関係も収まったのだった。
夏休みが明けて暫くして、部活内で新入生の発表会が開かれた。その頃には、僕等はそれなりに気のあったグループに仕上がっていて、演奏は下手だったが、楽しいバンドだった。
発表会ではセックスピストルズの「Anarky in the U.K.」とビートルズの美しいコーラス曲「Here there and everywhere」、そしてメンバー全員で作った短い曲を演奏し、ボーカルは全て一年生の女の子が担当した。ピストルズを幼さの残る女の子の声で歌うというのも面白く、聞く者の耳を鋭く捉え、また可愛らしくも聴こえた。
演奏も終わり、僕等は客席(といっても普段は授業が行われる講堂)の後ろの方で他のグループの演奏を聴いていると、鈴木のいるグループの番になった。しかし、そこには鈴木の姿は無く、ドラムは見知らぬ男が叩いていた。彼らは日本の聞き慣れない曲を二つ続けて演奏し、最後にベイシティローラーズの「Suterday night」を演奏した。
全てのグループが演奏を終えたが、結局、鈴木の姿は見られなかった。
後日、鈴木の属していたグループの男に、鈴木はどうしたのか訊ねてみたところ、
「あいつなら、ウザイからグループを追い出したよ。マジムカツク男だった」
と、迷惑そうな顔で一言言い放った。僕はそれ以上何も訊かなかった。
その後、鈴木の姿を学内で何度か目にしたが、春の長い休みが明け、三年生になった頃、彼の姿をぱったり見なくなり、その存在すらも、今日、仕事の帰りにこのバーのカウンターで偶然再会するまで忘れていたのだ。僕は彼に名を呼ばれ、彼は、懐かしいな、を連呼し、一つ空いていた席を詰めて隣に座ったのだ。
「今何してるんだ」
そう言って鈴木は、グラスを口に当てた。
「会社に勤めてるよ。鈴木は?」
「俺もそんなもんだよ。」
僕には彼の言った、そんなもん、の意味がよく分からなかった。
「まだギターいじってるのか?」
「いや、社会人にもなると忙しくてな」
僕は、僕へ投げ掛けられた彼の質問をそのまま聞き返す事はできなかった。僕等はその後静かなトーンで世間話を二、三し、会は終わりを感じさせる流れになった。
「お互い音楽とは全く関係のない仕事に就いちまったな」
鈴木は淋しそうにそう語ると、じゃあお先に、といって僕に別れを告げ、会計に向かった。彼がいなくなると、僕は暫く学生時代のバンドの思い出に逆行した。そこから思考は繋がりをみせ、ビートルズの事を考えた。
ビートルズの映像版アンソロジーのラストにメンバーが締めの言葉を語るシーンがある。その中の一人は溜息混じりに言う。
「4人の男が心から互いを愛せた。奇跡だね」
バンドで一番大切なものは、音楽性やテクニックじゃない。
本物の友情だ。
天才ソングライターの陰に隠れて、その存在感は薄かったが、腕前は確かだった世界一有名なドラマー。彼はビートルズ内で最も貧しい家に生まれながらも、最も温厚な男だった。
客も疎らになりだし、そろそろ自分も家に帰ろうと思い、会計に向かったところ、店員から意外な事を聞かされた。
「お会計なら、先ほどの方から頂いておりますよ」
鈴木は僕に嫌われていた事を知っていたのだ。
(完)