episode3
夕暮れ時、空は茜色に染まり、静かな風が木々を揺らしていた。
蘭はいつものように、公園の小さなステージのようなスペースで一人ダンスを踊っていた。息を吐き、音楽に合わせて流れるように身体を動かす。梨々香と訪れていた、あの穏やかな時間を思い出す場所。だけど最近、彼女とはなかなか会えない。
「…やっぱり、今日は来ないよね」
独りごちたその声が風に紛れる頃、背後から小さな拍手が響いた。
「やっぱり…本当に踊ってた」
蘭が驚いて振り向くと、そこには制服姿の後輩、松野あかりが立っていた。明るい栗色の髪に無邪気そうな瞳。その姿は、どこか梨々香に似ていた。
「あかり、どうしてここに…?」
「あかり、蘭先輩のファンなんだよ。劇の時からずっと…かっこよくて、綺麗で、目が離せなかったの」
蘭は静かに眉をひそめる。
「…帰って。ここは誰にも教えてない場所なの」
「でも、もう知ってるし。梨々香先輩と、付き合ってるんでしょ?」
その言葉に、蘭の身体が一瞬だけ硬直した。
「…それは誰にも言わない。だから、あかりが黙ってる代わりに——」
あかりが一歩、蘭に近づく。
「梨々香先輩が来ない時だけでいい。蘭先輩のダンス、ここで見せて」
蘭は目を伏せた。心がざわつく。
嫌だと思った。けれど、もしこのことが広まれば梨々香を巻き込むことになる。
「…わかった。ただし、梨々香がいる日は絶対に来ないで」
その声は低く、どこか震えていた。あかりはにっこりと笑ってうなずいた。
「ありがとう、蘭先輩。約束する」
その日から、公園にはひとりきりではない時間が増えることになった。
そして、蘭の胸には、ますます言葉にできない孤独と罪悪感が積もっていった。
昼休みのチャイムが鳴ると、教室内はざわめきに包まれた。お弁当のふたを開ける音、笑い声、雑談。それらを少し離れた席からぼんやりと眺めながら、蘭は今日も梨々香の姿を探していた。
でも、いない。
(また部活か、それとも生徒会じゃないけど……何かに呼ばれてるのか)
机の上に並んだお弁当は、どこか味気なく見えた。
「蘭先輩、ここいいですか?」
声をかけてきたのは、いつものように無邪気な笑みを浮かべた松野あかりだった。
「ええ……いいわよ」
そう答えながらも、蘭の心は少しだけ重たくなる。
最初はたまたまだった。
梨々香がいない日に、偶然あかりがやって来て一緒にご飯を食べるようになった。
でも、気づけばその「たまたま」は日常になりつつあった。
あかりはいつも明るくて、蘭のことを褒めてくれて、話もよく聞いてくれる。
だけど——
(こんなの、梨々香が知ったら……きっと、いい気はしない)
わかっている。
公園で一緒にいるのも、梨々香がいない日のお昼を過ごすのも。
すべて自分が選んだことだ。けれど、選んだ理由はただひとつだった。
「……寂しかった、だけなのに」
ふとつぶやいた声は、誰にも届かないように、黙って冷めていくスープの湯気に溶けていった。
昼休みの中庭、ベンチの上で並んでお弁当を広げていた蘭とあかり。その光景を目にした麗は、一瞬足を止めた。そして、深く息を吐いてから静かに歩み寄る。
「蘭、ちょっといい?」
「あ……麗さん」
あかりがぱっと立ち上がり、麗に軽く頭を下げた。蘭も立ち上がろうとしたが麗はそれを制すように手を上げて、蘭だけを見つめた。
「ここで話すわけにはいかないから……少しだけ。松浦さん、ごめんなさい」
「はい……」
あかりは戸惑いながらもその場を離れていく。その背中を見送ると、麗は無言のまま、蘭に視線を戻した。
「……何?」
「聞きたいの。梨々香のこと、最近どう思ってるの?」
「どうって……別に、変わらないよ。好きだよ」
「じゃあどうして、一緒にお昼を食べるのはあかりさんなの?」
その問いに、蘭の表情が一瞬曇る。だがすぐに顔をそらし、むっとしたように言葉を返した。
「……梨々香が来ないんだよ。部活とか、生徒会じゃないにしても、毎日忙しくて……待ってるのが虚しくなる。私だって、ひとりでいるのは寂しい」
「だから、あかりさんと?」
「別にいいじゃない。あの子は私を慕ってくれてる。優しくしてくれる人と過ごして何が悪いの」
言い終えた蘭の声には、どこか自分を正当化しようとする響きがあった。
麗は一度口を開きかけたが、すぐに手元の時計に目をやった。
「あ……梨々香を探しに来たんだ。もう戻らなきゃ」
そう言って踵を返そうとした麗は、最後に振り返って、蘭の瞳をまっすぐに見つめた。
「……蘭、梨々香を悲しませないで」
その一言を置き土産にして、麗は足早に去っていった。残された蘭は、唇をかみしめながら麗の背中を見送った。胸の奥に広がる違和感を、どうしてもうまく整理できないまま——。
机の向こうで、あかりが嬉しそうに笑っている。
その笑顔を見て蘭の胸の奥で何かが小さく軋んだ。
麗の姿が見えなくなっても、蘭はその場に立ち尽くしていた。風が春の匂いを運んでくるのに、胸の中は凍りついたように冷たい。
──私は、何をしてるんだろう。
梨々香と一緒にいたいと願っていた。
でも、すれ違いばかりで、その寂しさを埋めるように、あかりと過ごす時間が増えた。
代わりなんていないのに。わかっているのに──。
「……ごめんなさい。聞くつもりはなかったの」
蘭がはっと顔を上げると、ベンチの陰からあかりがそっと姿を現した。
瞳は蘭をまっすぐ見つめどこか悲しげなでもどこか意志の強い色を宿していた。
「いいの、あかりは2番目でも。……蘭先輩の隣に立てるなら、それで」
「……あかり」
「梨々香さんが来たら、大人しく帰るから。あかり、約束するよ。でも……それまでは、そばにいてもいいでしょ?」
その言葉に、蘭の胸がさらに重くなる。
間違ってる、と思う。でも、孤独な夜に一緒にいてくれる誰かがいることがどれほど救いだったかも知っていた。
「……私は梨々香だけが好き」
蘭は静かに、でもはっきりと言った。
その言葉を聞いたあかりは、一瞬だけ目を伏せた。けれど次に顔を上げた時、その瞳にはなぜか不思議な光が宿っていた。
「うん、知ってる。……でも、いつまでもそう言ってられるかな?」
ふわりと微笑むその顔には、蘭がまだ知らない、何か底知れぬ想いが滲んでいた。
蘭は思わず息を呑む。
この後輩は、ただのファンなんかじゃない、まるで猛獣のようだった




